ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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レースに関しての疑問がありましたので、口にせずともこの疑問を持った読者様方は多かっただろうと思い、再びここに返事を書かせていただきます。

ばれてないからいいけど指弾く音で意思疎通ってダメじゃないの?
これは黒よりのグレーだろ

との感想がありましたが、アニメ(確かマックちゃんの天皇賞)でレース中の沖野Tがペースに関するアドバイスをしてたのでやってもいいと判断いたしました。


アフターストーリー:激突

「という作戦だ。何か質問は」

 

「いや、ない。やろう」

 

 実のところ、彼が提示した作戦は結構な無茶振りであった。

 しかしその無茶への嫌悪や忌避を一切顔に出さずに、ナリタブライアンは頷いた。

 

「結構危険ではある。勝率はやや下がるが他のプランもあるが……」

 

「アンタの策に従うと決めたから、ここに来たんだ。やるさ」

 

 この精神的な安定は、事を前にして落ち着く本人の資質のおかげでもある。だが少なからず、シンボリルドルフの言葉が影響しているのもまた確かなことだった。

 

「3人で繋がれてきた無敗のバトンを、きっちり繋いできてやる」

 

 ブライアンのこの言葉に、東条隼瀬は眉をひそめた。

 無敗。つまりそれは、彼自身の戦績のことである。少なくとも彼が担当している期間、負けさせたことがない、という。

 

 チームを担当するトレーナーで、3割。

 よっぽど優秀な個人を担当するトレーナーであっても、4割。それくらいの勝率があれば超一流であると言われる。

 そんな中での無敗、即ち勝率10割。それは彼自身が思っているよりも遥かに、偉大なものであると見られているらしいことに気づいたのだった。

 

「無敗ね」

 

「ああ」

 

 ナリタブライアンからすれば、無敗というものには価値があった。

 人間は自分が持っていないものを必要以上に尊ぶものである。ムラっけのあるナリタブライアンからすれば、いついかなるとき、どんなウマ娘と組んでも敗けない驚異的な安定感は尊敬に足るものだった。

 

 そしてそれを殊更言うということが、どういうことか。

 皐月賞でも日本ダービーでも言わなかったのに、今言ったのはどういうことか。

 

 そのあたりを、東条隼瀬は目敏く察知した。

 ポン、と。軽く、チョップが頭の上に入る。叩くというよりも揺らす、揺らすというよりも乗せる。そんな柔らかなチョップを喰らって、ナリタブライアンは面食らったように黄金の瞳を揺らした。

 

「生意気言うなよ、子供のくせに」

 

「こ、子供だと……?」

 

「そうだとも、野菜嫌いなブライアン。お前は何も背負うな。ただ自分が楽しむ為に、自分の心を満たす為に自らを鍛えて、才能を振るえ。俺はそのためにお前の手伝いをしているんだからな」

 

 第一。

 

 何かを言おうとしたブライアンの口をつぐませるような形でそう一拍おいて、東条隼瀬は肩をすくめた。

 

「ただ敗けたくないだけならば、俺がこの宝塚記念出走を許可するわけがないだろう。お前の姉は強い。2年後なら楽に勝てるだろうが、今やれば苦戦は必至だ。それでも挑むということがどういうことか、わかるか」

 

「アンタのことだ。私を勝たせる自信があったからじゃないのか」

 

「そこまで自信家じゃないさ。俺が出走を決めたのはお前なら勝つであろうという目算があって、例え敗けても糧にするだろうという確信があったからだ。無敗であることで担当ウマ娘が怪我をしなくなるとかだったら拘りもするが、そんなものにはなんの価値もない」

 

 

 ――――それとも。価値のないガラクタを背負いながら走って勝てるほど、お前の姉は弱いのか?

 

 

 そう言われては、彼女としてはもはや笑うしかなかった。

 飢えた、猫科の肉食獣のような獰猛な笑みで。

 

「姉貴は強い。だから、アンタの力を借りるんだ」

 

「知っている。だから……そうだな。楽しんでこい」

 

「ああ。そうするさ」

 

 いつもとは違う言葉に送り出されて、ナリタブライアンはパドックへ向かった。

 そこには、背を追うべき姉がいる。背を追ってきた、姉がいる。

 

「思ったより、早かった。いや――――遅かった。考えうる最速だとわかっていても」

 

「アンタらしくない言い草だな」

 

 感覚的な物言いに終始している。アンタの頭脳であれば終始理性的に、来年の対決を見据えていたんじゃなかったのか。

 天皇賞春。そこでのパフォーマンスといい、わずかに掛かっている。そんな気もする。

 

 そんな思惑をほぼ正確に把握する抜群の姉力を発揮したビワハヤヒデは、笑って頷いた。

 

「身を灼くようなこの闘志は、理屈ではない。ブライアン。お前ならそれがわかるはずだ」

 

 そして、この闘志の元は。

 そこになにがあるのかを、ビワハヤヒデはわかっていた。

 

「……ああ。わかるさ」

 

 魂が、求めた。そうとしか形容しがたい何かが、この姉妹の間にはある。

 

「ブライアン。お前の言い草ではないが……私はどうしても、お前と走ってみたかった。そして私と彼の全知全能を以て、お前に勝つ」

 

「そうか。私も――――」

 

 勝つ。

 そう言いかけて、ナリタブライアンは頭を振った。長い黒鹿毛のテールヘアーが揺れ、ほんの僅かな風を切る。

 

「楽しませてくれ、姉貴。レースへの渇望が、満たされるような。そんな景色を見せてくれ」

 

「全力と全力が鍔迫り合う。そんな期待には添えないかもしれないぞ」

 

「ならば罠ごと噛み砕く。そこから先は、私の時間だ」

 

 ナリタブライアンは、知っていた。レースとはそんな単純な速さ比べではないことを。姉がそうさせないであろうことを。

 そして、噛み砕いた後の力勝負ですら互角でしかないことを。

 

 ビワハヤヒデは、知っていた。レースとはそんな単純な速さ比べではないことを。妹が、そんな常識ごと打ち砕く怪物であるということを。

 そして打ち砕かれた方程式で以て、怪物と言うべき妹を返り討ちにする術を。

 

『さあ、はじまろうとしています。クラシック戦線からの刺客、ナリタブライアンを迎えての宝塚記念。シニアの王者、ビワハヤヒデがその実力を証明するのか。あるいはシンボリルドルフ以来のクラシック級での宝塚記念制覇が見られるのか!』

 

 8枠13番1番人気。ビワハヤヒデ。

 2枠2番2番人気。ナリタブライアン。

 

 白と黒。髪色が対になれば、入った枠番も対になる。そんな両者の間を、テレビカメラが右往左往して動き回る。

 

『トゥインクルシリーズ前半戦の総決算、宝塚記念!』

 

 ゲートが開く。ナリタブライアンはやや遅れてスタートし、ビワハヤヒデは抜群のレースセンスを発揮して一直線に前へと。

 

『さあ、ゲートが開きました。1番人気ビワハヤヒデ、いいスタート。ナリタブライアンはやや遅れ気味ですが、これはわざと遅れさせた形になるか』

 

 ナリタブライアンは皐月賞と同じように、あるいはシンボリルドルフの宝塚記念と同じように最後尾についた。

 東条隼瀬が宝塚記念に勝つときは極端に前を走らせるか、極端に後ろを走らせるか。

 

 この場合当然というべきか、ナリタブライアンは後方についた。

 

 ちらりと、ビワハヤヒデはそんなナリタブライアンを振り向いて視認する。

 

(察知された。囲まれるのを嫌ったか、あるいはトレーナーの指示か)

 

 内枠は、基本的には有利である。なにせ、最短距離を進めるのだ。外枠に配置されれば無駄な距離を走らされることになり、実力が拮抗すれば内枠が勝つことになる。

 

 だからこそ、ビワハヤヒデは開幕から必殺の罠を用意していた。自分と同じく好位から抜け出すつもりなら――――去年のナリタブライアンの得意とした好位抜け出しの戦法をとるようなら、バ群の中に完全に封じ込めるつもりでいた。

 

 これは何も彼女の独創ではない。シンボリルドルフが――――永遠なる皇帝が、有馬記念にて優勝候補と目された『神の子』ミホシンザンに仕掛けた戦法の流用である。

 

 

 ――――序盤の流れが予測しやすい状況ならば、できる

 

 

 皇帝のように中盤も中盤、一番ごちゃごちゃとした乱戦の中で――――しかも有馬記念という一流のウマ娘の集まる中で他のウマ娘を糸で操作するように列を再編し、檻の中に追い込んで、外に出て蓋をするといった曲芸はできないが、序盤ならば。

 

 ビワハヤヒデには、その確信があった。そしてその檻を持続させるための術も身に着けていた。

 しかしそれは、発動されることなく終わった。

 

 だが別に、ビワハヤヒデは悔しいとも思わなかった。通用すればいいなというだけで、別に通用するとも思っていない。

 

(それにしてもお前が後ろから来るというのは思いの外怖いものだな、ブライアン)

 

 後方の妹に通じるはずもないそんな思いが眼に出そうになって、姉は瞼を一瞬閉じて気持ちを切り替えた。

 

 威圧感がバカにならない。こうなると早仕掛けをするウマ娘が出かねないし、早仕掛けされると全体が雪崩を打ったように仕掛ける羽目になる。

 となると、ゴール直前で脚が尽きる。尽きてしまえば、後方からナリタブライアンが悠々差し切ってくるだろう。

 

 そうなると、シンボリルドルフの宝塚記念(1回目)を再現してやることになる。

 ハイペースになると、逃げなどの前めのウマ娘が有利である。しかしあまりにも度を越したハイペースになると、一周回って後方待機の追込ウマ娘に勝機が巡ってくる。

 

 つまりビワハヤヒデはスローペースにならない程度に、このともすれば恐慌状態になりかねない程のレースを制御しなければならなかった。

 

 今回の宝塚記念には、ウイニングチケットもナリタタイシンもいない。メジロパーマーなどベテランの逃げもいない。

 シニアの古豪ナイスネイチャはいるが彼女はペースを作る側ではなく、作ったペースの上で走る側だった。

 

 シンボリルドルフ。

 サイレンススズカ。

 セイウンスカイ。

 メジロパーマー。

 トウカイテイオー。

 ミホノブルボン。

 

 ペースを規定してくれる実力者が、この場にはいない。この宝塚記念に出走しているウマ娘たちにとって、彼女たちはどうしようもなく高い壁だった。

 だがその高い壁が作り出すペースへの信頼をもとに、彼女たちは走っていたのである。

 

 故にそういった絶対的な存在が空白になった宝塚記念の序盤のレースは、ペースは速いながら展開としてはやや停滞した。

 

 故にこそ、ナリタブライアンに主導権は渡りかけていたのである。

 

 しかしそれくらいのことは、ビワハヤヒデとそのトレーナーは予測していた。

 あらかじめわかっていれば、対策は立てられる。

 

 ビワハヤヒデは、好位から外れない程度にやや外に出て殊更自分の平静さを見せつけた。

 ナリタブライアンを知ることにおいて、ビワハヤヒデ以上のウマ娘はいない。なによりもビワハヤヒデは、シニア戦線で確固たる地位を築きつつある実力者である。

 

 東条隼瀬は、敵のウマ娘の知名度を利用する。ミスターシービーがそうだった。

 だから利用される前に、釘を刺す。

 

 ビワハヤヒデのいつも通りの涼しい顔を見て、少しずつウマ娘たちは平静を取り戻した。ナイスネイチャとナリタブライアン以外の全員が、徐々にビワハヤヒデのペースを認識してそこに身を委ねていく。

 そして最後にしれーっとした目で主導権争いを観察していたナイスネイチャがビワハヤヒデのペースに乗ったことで、主導権はビワハヤヒデのものになった。これからのレースは彼女がどう動くかで展開が決まる。

 

 それは、彼女が他のウマ娘の意思決定に積極的に、そして有効に介入できるようになったことを意味していた。

 

(さすが姉貴だな)

 

(さすがビワハヤヒデだ)

 

 無愛想で、ビワハヤヒデを評価している。

 

 そういったところに共通項を見いだせる東条=ブライアンペアは、同時に『やるな』と思った。

 

 したたかで、焦らない。博打を恐れない。

 

 今の外への移動は、危うかった。好位抜け出しのウマ娘が外に移動すること。それは即ちペースアップのサインである。

 

 レースがはじまったばかりなだけに一斉にスパートをかけるところまでにはならないだろうが、むやみやたらに前に出ようとして好位置を取り合い、消耗する。その結果、消耗を恐れてペースを落とし、スローペースになる。

 スローペースになり、ブライアンを有利にする。そんな未来図もあった。

 

 かと言って何も動かなければ、どこかで暴発していただろう。

 だから、即座に時限爆弾の解除に動いた。判断が早く、機敏で、的確。厄介な相手である。

 

(姉貴は、うまく躱したな)

 

 ――――そしてアイツは、開幕から必殺の罠を贈呈されたお返しの品を送ったら、つっかえされたわけだ

 

 門前払いされてブスッとした顔をしてそうな、参謀。

 そんな状況に面白みを感じつつ、ナリタブライアンはわざとらしく大きく立てていた足音を絞った。

 

 威圧感、圧倒感。

 そういうものを正確に伝える為の小細工も、こうなると無駄な消耗になる。

 

(絞るぞ)

 

(任せる)

 

 絞るぞと首を左に振り、任せると頷く。

 

 よく見えるウマ娘の視野を活かした目配せで、ナリタブライアンは余計なことへと割いていた出力を一本化した。

 しかしビワハヤヒデもリスクを犯した。そして、何より対応のために外へと出た。彼女が占めていた好位は平静を取り戻した他のウマ娘に埋められ、戻ることはできない。つまり、継続的な消耗を強いることができる。

 

 一進一退。

 クラシック戦線では味わう事のできなかった緊迫した読み合いが、ナリタブライアンの頭の上で行われていた。

 

(流石に東条隼瀬だ)

 

 ビワハヤヒデは爆速で丁寧に梱包された返礼品――――時限爆弾――――をつっかえしたことに少し安堵し、自分と自分のトレーナーとの読み合いをしている男の読みの深さを称賛した。

 

(だが私のトレーナー君も、そう悪くはない)

 

 皐月、ダービー。

 いずれも2位に甘んじていた彼女の弱点――――守りに入ってしまって博打をしないことを見抜き、菊花賞で見事に修正してみせた。

 

 

 世間がどう言おうとも、少なくともビワハヤヒデだけはそう信じている。

 トレーナーと自分であれば、あの無敗の男に並べると。あの無敗の男を越せると。

 

 そして両者の駆け引きは、無音のうちにはじまっていた。

 影のように、ナリタブライアンが距離を詰めてきたのである。これはビワハヤヒデが自分の有利なペースを――――そしてブライアンに不利なペースを作ったが故の止むをえぬ措置だと、ビワハヤヒデはそう思った。

 

 ブライアンとバ群の距離は、開きつつある。それはビワハヤヒデが苦心しつつ理想的なペースにしているからで、彼女の心はなんとかペースをキープさせることに向いていた。

 

 そしてそのペースに、妹が合流しようとしている。

 

(こちらのペースだ)

 

 そう思った彼女の耳に、指を弾く音が聴こえた。歓声の中でも聴き逃しようのないように、彼女のトレーナーが仕込んだ音。

 

 2回。

 

(微加速! 何故だ、トレーナー君?)

 

 そう疑問を抱いたと同時に、彼女の身体はペースを速めた。

 

 疑問より遥かに、相棒への信頼が勝る。

 頭ではなく、ビワハヤヒデは心で動いた。そしてその反射に近い信頼が、彼女の身を救った。

 

 ナリタブライアンが、ほぼ無音で迫ってきたのである。そしてそのことに、迫られた後尾のウマ娘は直前になって気づいた。

 

 静かに獲物を見据えるような息遣いが、知性で満たされた姉のそれと色を同じくしながらも、色彩を異ならせる獣性を満たした黄金の瞳が。

 

 すぐ、側にある。

 そのことは彼女に、首に怪物の爪が添えられている程の衝撃を与えた。そして遮二無二加速しようとしたのである。

 

 しかし気付きから加速に至る少し前にビワハヤヒデがやや加速をした。そして彼女のペースに引っ張られるだけのナイスネイチャ以外のウマ娘は脚を速めた。

 

 そして速めてできた分の隙間と、前との継続的な速度差。

 即ち、時間が掛かったウマ娘に安心を与えた。

 

 ――――要は、詰められただけ

 

 パニックは、周りに伝播すると更に深みを増す。

 しかし周りが平静であれば、案外すぐに収まるものである。大多数のウマ娘の意識が外、即ちビワハヤヒデに向かっていたことが、掛かった彼女を救った。

 

 詰められただけ。

 本当にそれだけなだけに、落ち着くのも早かったのである。

 そしてビワハヤヒデがペースを上げたことの原因を探そうとした幾人かは振り向いてナリタブライアンの姿を見て、納得した。

 

 しかし、ナリタブライアンは損失を埋める為の行動でビワハヤヒデに若干の消耗を対価に要求し、そして風除けを手に入れた。

 この風除けは迫られて掛かった経験があるだけに、慎重に進路を取るだろう。となれば、不用意な動きをしないことになる。

 

 傘のように、ナリタブライアンに向かってくる風を受け止めてくれる。

 

(ありがとう)

 

(いえ。対応が遅れました。君は君の仕事に集中してください)

 

 

 ――――そろそろです

 

 

 過ぎ去っていく景色の中で、ビワハヤヒデとトレーナーは短い意思のやり取りを終えた。

 

 そう。これまでは所詮、小競り合いに過ぎないのだ。

 

 第3コーナー。

 ここが、全てを決める。

 

(予想通りだ。東条さんは、ナリタブライアンの威圧感を長所として活かしてきた。だからこそ、この罠が生きる。幾度か見せてくれた彼の素晴らしい長所の押しつけを、私たちは武器にしてみせましょう)

 

 ビワハヤヒデのトレーナーは、頷いた。

 ナリタブライアンが、外へ振れる。姿勢を低くする。

 

 それだけで、絵になる。

 

(ああ、彼女は歴史に残る)

 

 見ただけで、ビワハヤヒデのトレーナーはそれとわかった。

 

(だが、今回はハヤヒデが勝つ!)

 

 未完の大器。未完。底が知れない。伸びしろの果てが見えない。

 だからこそ、なればこそ。

 

 風除けのウマ娘から外へ出てきた瞬間、ビワハヤヒデが明らかに脚を速める。そしてそれが何を意味するか、他のウマ娘たちはわかっていた。

 序盤、ブライアンの威圧感という幻影に追いかけられた。落ち着くまでに時間を要すほどに。

 

 そんな中で、ペースメーカーたるビワハヤヒデが速度を上げればどうなるか。

 

 

 ――――来る!

 

 

 他のウマ娘たちは、察知した。ビワハヤヒデの動きで。そして何よりも、後方での爆発するような踏み込みで。

 

 外から来るか。

 内から来るか。

 

 それは、振り向く距離的余裕のない彼女らにはわからない。ナリタブライアンは、どちらでも勝ちに行けると知っているからこそ、わからない。

 

 故に、彼女たちはビワハヤヒデの思惑通りに動いた。

 怪物の進撃を防がないと、勝ち目がない。そのことを、これまで散々感覚的に圧倒されてきた彼女らは知っていた。

 

 鳥が翼を広げるように、外へ内へ。恐怖に動かされ、勢いよく開く。

 ナリタブライアンの向かうべき進路は、塞がれた。

 

 

 内も、外も。

 

 

「お前の勝ちパターンは2つ。外から襲うか、内から差すか。だが内から差すのは、正直難しい。皐月賞のときは、内のバ場の状態が良かった。だが今回はそうでもない」

 

 レース前、講義する教授のような穏やかさで、東条隼瀬はそう言った。

 

「つまり外か」

 

「いや、それはビワハヤヒデとそのトレーナーにはわかっているはずだ。外の効率のいい進路を塞いでくる。大回りになれば抜けないこともないだろうが、その場合はビワハヤヒデを差しきれない」

 

「じゃあ内か」

 

「うん。だが一応、内も塞いでくるだろう。第一、内にいくのは負けの目の多い博打だ。完璧に進路が塞がれかねない。つまり、我々は詰んでいる。残念だったな」

 

 そんなもったいぶる男を、ナリタブライアンは冷たい眼差しで見た。

 敗けを敗けとして受け入れられる男ならば、ミホノブルボンと三冠ウマ娘への道を歩きはじめすらしない。

 

 なのにこいつは、踏破した。ウイニングランで凱旋門の栄光も手にした。

 

 つまり。

 

「アンタは、死ぬほど諦めが良くないだろう。勿体ぶってないで、打開する策を出せ」

 

「揺さぶる。このレースは、負けだ。理不尽な二択を突きつけられている。だが、二択を突きつけるに必要な土台そのものを陥没させれば新たな道も見えてくるだろう」

 

 ナリタブライアンには、圧倒的な集中力がある。

 ナリタブライアンには、一度経験したことを寸分の狂いなく実行できる学習能力がある。

 ナリタブライアンには、爆発するような末脚がある。

 

「外も内もない。まっすぐ、正面から叩きのめせ」

 

 ――――道は、それまでの駆け引きでこじ開ける

 

 果たして、道は開いた。

 誤算に誤算を積み重ねて、恐怖に恐怖を掛け合わせて。

 

 ビワハヤヒデの想定よりもわずかに、他のウマ娘たちは外に広く振れた。

 ビワハヤヒデの想定よりもわずかに、他のウマ娘たちは内を突いた。

 ビワハヤヒデの想定よりもわずかに、ナリタブライアンが速かった。

 

 ナリタブライアンは、進路を変更することを必要としなかった。

 

 

 空いた道に、滑り込む。

 一瞬一拍の怯みが、戸惑いが、不慣れが。どれかがあれば、ナリタブライアンの前には道は無かった。

 

 しかし、どれも無かった。

 彼女は、皐月賞の時にそれをしていた。だからより完璧に、より圧倒的に、より迅速に、姉の背を捕捉した。

 

「姉貴」

 

 すぐ後ろから、声が聴こえた。

 小さな頃から、聴いてきた声。ずっと後ろにあって、ある時から聴こえなくなった声。

 

 その声が聴こえるということは、自分が用意した罠に食いついた筈の妹が罠ごと噛み砕いてきたことを意味している。

 

 餌を差し出した腕を、肩ごと喰いちぎられた。

 

「さあ、力勝負だ」

 

 しかしまだ、負けたわけではなかった。




41人の兄貴たち、感想ありがとナス!

yuuki100兄貴、もりくま兄貴、NOアカウント兄貴、onontk兄貴、ケフェウス兄貴、White lies兄貴、rx兄貴、評価ありがとナス!

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