ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:迫撃

 餌を差し出した手を、肩ごと喰いちぎられる。そうなることを、ビワハヤヒデのトレーナーは想定していなかったわけではなかった。

 

 東条隼瀬は、怪物である。

 ナリタブライアンは、怪物である。

 

 怪物とは、何か。それは恐らく、他者の追随を許さない何かを持った者たちのこと。

 東条隼瀬には、未来予知じみた展開予測能力が。ナリタブライアンには、暴力的な末脚がある。

 

 それに引き換え自分とビワハヤヒデは、才能こそあれども怪物ではない。

 だから周密に、そして精緻に策を施した。総合力の勝負に持ち込んだ。しかしその上をいかれた。

 

 いかれないはずの、上を。

 このいかれないはずの上をいかれたという感想は、実に正しいものだった。

 事実、策の根底となる地盤を崩させることでしか、上を行けなかったのだから。

 

 東条隼瀬の思考は、守りに入っているはずだった。しかし今回の思い切りの良さはまさしく全盛期のソレだった。

 

 逃げ。端から一気にかっ飛ばし、リードを守るという守り気味の脚質。

 そこでもあくまで、東条隼瀬は攻めた。サイレンススズカと組んだときは一流の差しウマ娘が先頭を走っているようなものだった。

 

 この戦術は、普通ではない。息切れする可能性の方が遥かに高い。

 

 だが、ミホノブルボンと組んだときはあくまでも危険な橋を渡らなかった。あくまでも継続的な速さで、リードを継続的に広げ続ける。継続的に守り続ける。

 サイレンススズカの怪我から、彼は変わった。石橋を叩いて壊して、鉄橋を掛けてから渡るようになった。

 

 だから本来、彼が予測していた東条隼瀬のとる戦術は日本トゥインクルシリーズの『神』、あるいは『最強の戦士』よろしく視界外に至る程の大外に回っての強襲。

 ナリタブライアンは神にはなれない。時代が違う。だが、最強の戦士に届きうる素質はある。

 

 そう見ていたからこそ、駆け引きの間も仕掛けるタイミングを計っていた。

 大外も大外。そこまで回って、全力を出す。ダービーにおけるスパートに入ってからゴールまでのタイムを計り、レース場の違いと成長の度合いから仮説のタイムを導き出し、そこに念を入れた余白を入れる。

 

 そうした地道な――――東条隼瀬に劣らない情報集積能力と情報剪定能力を駆使した作業を経て、ビワハヤヒデの能力を向上させる。

 現に彼の施策は正しかった。彼の導き出したタイムは正しかった。大外に回って差しに行けば、ビワハヤヒデが1バ身程残して逃げ切っていただろう。

 

 『領域』という不確定要素はあるが、ダービーのナリタブライアンはその『領域』を見せている。そしてなにも、『領域』とは魔法ではない。全力を効率的かつ高水準で長時間引き出す。その為の術なのだ。

 

 故に、彼の計算は正しかった。その計算となる根幹を崩されるまでは。

 

 ビワハヤヒデと彼の計算は、ナリタブライアンという難敵の手を借りてより完璧に作用した。

 恐怖によって大きく外に広がった他のウマ娘たちは、ナリタブライアンの大外強襲を防ぐ壁となる。

 

 この分では余裕を持って2バ身程度引き離すことができるかもしれない。

 そう思った刹那、ナリタブライアンが薄くなった中央をなめらかに、滑るように穿ち抜いた。

 

 ほんの、一瞬。ほんの一瞬だけ、その道は現れた。そうなる可能性があることは、ビワハヤヒデのトレーナーにはわかっていた。

 しかしあまりにも一瞬であることと、その一瞬に開かれる道が狭いものであろうこと、そしてそんな一歩間違えれば担当ウマ娘を事故の危険に晒すような危うい橋を、東条隼瀬が渡るのか。

 

 その考えが、彼に対策を取らせなかった。

 いや、取らせなかった、ではない。現実的に、そこまで対策を取るリソースがなかった。

 つまり、どうしようもなかったのだ。数年前の宝塚記念のミスターシービーよろしく、どうしようもない状況に追い込まれていた。

 

 

 果たして、道は拓かれた。

 

 

 ビワハヤヒデのトレーナーは、思う。

 おそらく東条隼瀬は自分より周密で精密な計算のもとに他のウマ娘を威圧し、圧倒し、そして横に長く広がらせた。

 

 そのことによって、ナリタブライアンの前にはタイミングさえ間違えなければ怪我をすることのないほど広い道ができた。

 

 ビワハヤヒデと彼にとって、ナリタブライアンが他のウマ娘を威圧することは最終的には利益になる行為だった。

 そう思っていた。だからこそ、気づかなかった。

 

(しかし、タイミングは……)

 

 間一髪、いや三髪。

 実にギリギリなタイミングを、ナリタブライアンは通してきた。

 だがそれを、予測できるものだろうか。いかに才能が豊かだとしても、こういうのは経験が物を言う。

 

 そこまで考えて、ビワハヤヒデのトレーナーは気づいた。

 

 

 皐月賞。

 

 

 あそこで、ナリタブライアンに経験させたのだ。同じ条件での、タイミングを間違えないための練習を、彼はGⅠでしたのだ。

 内を突く。それは内のバ場の調子がいいから。そして、内と外、2つの決め手を持っていることを示して翻弄したかったから。

 

 そう、思っていた。

 だが、そうではなかったのだ。

 

(ここまで読み切っていたということ、ですか……)

 

 智謀、神の如し。

 知性溢れる横顔でリンゴをシャクシャクしている男をかなり離れた観客席に見つけて、ビワハヤヒデのトレーナーの心を敗北感が満たした。

 

(しかし……!)

 

 このままでは、終わらない。

 自分が読み負けただけで、ビワハヤヒデが負けたわけではない。

 まだ、レースは続く。勝ち負けが決まるまでは、最善を尽くす。

 

 が。

 そう決意した彼の予測するほど、東条隼瀬は万能ではなかった。

 正直なところ、東条隼瀬はそこまで読んでいたわけではなかったのである。

 

 余裕そうに見えるのは事実であった。彼の内心は『あー勝った勝った。今回もなんとかなった』という程度で、なぜそんなにも優雅に構えているのかと言えば、彼はレース中は無職の観客おじさんになるからである。

 

 色々考えていた手をレース前までに集めた情報や対戦相手のレース動画などを見て剪定していき、伝える。

 ブルボンならボツ案まで、ルドルフならサブプランまで伝える。

 

 その後の彼は、何もやることがない。ぶっちゃけ、ただの観戦客と大差ない。

 

 第一、この宝塚記念自体が突発的なものなのである。4月にあるレース前に6月のレースの展開を予測しきれるわけもないし、決まってなかったものなど知りようがない。

 

 彼としては『育ちきるまでの時間稼ぎとして勝ち目を2つ用意しておこう』と言う思惑から負けるパターンを予測し、内と外を封じられたときの対処をいくつか考え、そしてその内のひとつを『皐月賞で無理をせずに試せるから』ということで経験を積ませていただけに過ぎない。

 

 彼は、決して未来予知はできない。予言の入った封筒をいくつも予め用意しているインチキ占い師のごとく、予想外のことが起こっても大丈夫なように予め色々と手を打っているだけである。

 そしてその色々と打った手は大抵が無駄になり、風化する。だがその色々の中に当たるものがある。

 

 こうなるかもしれない。

 そういうのを事前に10個考えついたら取り敢えず手を打ち、なんとかなるようにしておく。

 しかしその10個の中に、たいてい1個くらいは当たるものが出てくる。

 

 だから、当たっているように見えるのだ。

 そのことを一番よくわかっているのは、役に立たないデータを散々詰め込まれたミホノブルボンであろう。彼女は自分のトレーナーの予測精度が1割くらいであることを知っている。

 シンボリルドルフも、まあだいたい4割くらいかな、と思っている。

 

 直前も直前。即ち情報が集まり切るまで、東条隼瀬は延々と考え続ける。そしてなんとかレース前までに結論を出す。

 

 故に褒められるべきはむしろ、この針の穴に濡らしてもいない糸を通すような難行を直前に『やれ』と言われ、文句も言わずに『やる』と決めて軽く成功させたナリタブライアンの方であった。

 

 

 さて、場面はレースに戻る。

 

 

 優れた学習能力を持つが故に負の経験――――怪我を学習させることの恐ろしさを予測した男によりゆるいローテで回されていた黒鹿毛の彼女は、いつもの如く大地を潜航するが如き低い姿勢でスパートに入った。

 

 追うべき姉の背中は、彼女としてはずっと追ってきたつもりの姉の背中は、指呼の間にある。

 しかし、彼女にはまだ実行するべき指令が残っていた。ネコ科の猛獣のようでありながら猟犬じみた脚で、彼女は姉の背を圧していく。

 

 無論物理的に圧したわけではない。ピッタリと、減速しないように付いていく。

 第3コーナーで使っていいのは2段階あるスパートのうち、1個目だけ。

 

 

 なぜなら。

 

 

(私の領域を潰す気か……!)

 

 彼女の領域の構築トリガーは、最終コーナー付近で抜き去ることにある。

 だから少なくとも、前に1人はいなければならない。だがこのペースでは、最終コーナーに着くより早くビワハヤヒデは先頭に立ってしまう。

 

 この条件を、東条隼瀬は知らない。正直なところ彼が予測しているのは、『ルドルフ型の領域だな』ということくらいである。

 つまり、ミホノブルボンの領域のように他人に依存せずに発動する型ではなく、追い抜きにより領域を構築するタイプ。

 

 正直、ルドルフ型の領域は見分けるのが楽なのだ。

 誰かをどこかで抜いた瞬間に、明らかにパフォーマンスが上がる。故に彼が特別優れた観察眼を持っていたとか、そういうことはない。

 だがここからが、彼は非凡だった。あるいは、悪辣というべきか。

 

 ――――なら、ビワハヤヒデの手でビワハヤヒデの前のウマ娘を一掃してもらおう。ブライアンの外から突っ込まなきゃならない領域は、今回は使えない。なら、相手にも同じ土俵に立ってもらおう。そしてついでに、不確定要素を消し去っておこうか

 

 そんな思惑で、ナリタブライアンはスパートをかけつつ本気になるための脚を溜めつつ姉を追う。

 姉は全力で逃げる。そして彼女の全力は非凡で、前を走るバテ気味の逃げウマ娘より遥かに速い。

 

 ここにメジロパーマーのような有力な逃げウマ娘がいれば、そううまくはいかなかっただろう。だが有力な逃げウマ娘は不在で、故にこそビワハヤヒデは深刻な自縄自縛に陥ってしまった。

 

 逃げウマ娘を抜けば、領域を構築できない。領域がなくては、勝利の方程式は起動しない。

 逃げウマ娘を抜かなければ、ブライアンが悠々と抜かして末脚を爆発させてブッちぎるだろう。

 

 理不尽すぎる二択が、彼女の前に立ちはだかっていた。

 

 どうする。

 考えれば考えるほど抜け道のない、そんな疑問が彼女の頭脳を支配した、その瞬間。

 

「ハヤヒデ!」

 

 丁寧語の取れた彼女のトレーナーの声が、視線が、彼女に刺さった。

 

 ――――思い出してくれ!

 

 そう言わんばかりの、眼差し。

 頭が真っ白になった彼女は、笑った。

 

(ありがとう、トレーナー君)

 

 理不尽な二択を突きつけられたら、どうするか。

 それを事前に、彼女は告げられていた。

 

 影が、迫ってくる。黒ぐろとした、彼女が誇りとする強さを誇る妹が迫ってくる。

 それを敢えて、ビワハヤヒデは速度を緩めて迎え撃つ姿勢をとった。

 

(緩んだ……何故だ。姉貴が諦めるはずがない。となると、脚を溜める気か)

 

 その僅かな緩みを、ナリタブライアンは瞬時に見抜いた。しかしその真意までは、わからない。

 

 無論、見抜いた者もいる。

 

「思惑はわかる。だが思い通りにいくかな」

 

 二択の隙を突く一手に、春天のアレかと東条隼瀬は唸った。

 進んでも敗け。退いても敗け。ならば敗けない程度に退いて脚を溜め、敗けないほど遥かに進んでみせる。

 

 そういう戦術であることを察知して、そして気づいた。ビワハヤヒデとそのトレーナーの迅速な判断力が、一瞬鈍ったことに。

 

 考えすぎたのか、あるいは躊躇ったのか。

 

 どちらかと言えば 考えすぎたと言えるだろう。そしてこの事態は、東条隼瀬からすれば最悪を極められた形になる。

 新しい領域を発現するかもしれないというのは、予想に組み込んではいる。

 

 春天の時にナリタタイシンのスパートを敢えて受け止めてからスパートをかける。

 

 そういうリハーサルをしたのを見てから、何かを仕掛けたということは察知している。そしておそらくそれが、ビワハヤヒデ自身が自己の能力の壁を越えるためであろうということも。

 

 即ちそれは、新たなる領域。

 

 しかし、領域とは不確定要素が多い代物なだけに予測しきれているとは言えない。

 

「……まあ、なんとかなるだろ」

 

 領域を新たに構築されても3バ身で勝つのがクビ差でなんとかなる。そういう目算を、彼は立てていた。

 それはナリタブライアンならなんとかするだろうという信頼でもある。

 そのやや無責任ともとれる信頼をぶん投げられた当人はと言えば、目の前の減速した姉が溜めた脚を使って何をするのかを観察していた。

 

 抜き去ることも、できた。しかし抜き去ると負ける気がする。

 彼女の天才的なレースセンスが、そう告げていた。そして現に、ここで無邪気に抜き去っていればナリタブライアンは抜いた瞬間に抜き去り返されて負けていたことだろう。

 

 だがブライアンは、爪先でギリギリまで堪えた。

 

 そして、見た。姉の黄金の瞳――――自分と同色のそれが、静かに自分を見つめているのを。

 限界ギリギリまで、引きつける。引きつけて、引きつけて、引きつけて。そして。

 

 

 空気が、変わった。

 

 

(なんだ?)

 

 それはウマ娘にとっての秘奥と言うべき『領域』と呼ばれるものだった。ナリタブライアンは『領域』を構築したことはある。しかし開かれた『領域』をレース中に体感したことはない。彼女の同期で展開できるかもしれないサクラローレルというウマ娘は怪我をしまくり、クラシック路線はまさに一強。

 

 食物連鎖の頂点にいる動物が危険に鈍感になるように、その一強ぶりがナリタブライアンの危機感知センサーを曇らせた。

 1年後の彼女であれば、敏感に危険を察知できていたであろう。だがこのときの彼女は経験不足故の鈍感さを持っていた。

 

「ブライアン。私はお前を超えていく」

 

 冷静さを取り戻した瞳が言葉と共に、ブライアンを見据えた。

 ブライアンとしては、別に超えた覚えはない。むしろ自分が姉に挑んでいるつもりでいる。

 

 だがそんな違和感は、圧倒的な質量の前に押し潰された。

 空間いっぱいの、計算式。勝利へ続くためのあらゆる事象を計算しきったそれが、電脳空間というべき光の中に浮かぶ。

 

(このままでは、ブライアンが勝つ。おそらくは、4バ身差で)

 

 迫りくる影。それを一旦受け止めてわずかに脚を溜めたビワハヤヒデは、低くとった姿勢から漏れ出るそれを振り切るように光へ向けて駆け出した。

 

(そして、私は負ける。しかし)

 

 だがそれを覆す自信が、今の彼女にはあった。

 恐怖に駆られず立ち向かい、迫りくる妹に抜かれてしまう土壇場で踏みとどまり、呑み込む。

 

 そのことによって発現した領域は、影を恐れぬ怪物を倒し得る力を秘めていた。




55人の兄貴たち、感想ありがとナス!

フリードリヒ・シェーンブルク兄貴、七紬八千代兄貴、桜海老兄貴、くあ兄貴、ミカアシ兄貴、マハニャー兄貴、brabhambt46兄貴、評価ありがとナス!

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