ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
今日は特別に奢らせてやる。
そんな空気をかもし出すナリタブライアンを引き連れて、東条隼瀬は阪神レース場から程近い蕎麦屋に入った。
理由は無論、近かったから。あとは、馴染みの店だからである。
「で、何食いたい? 月見そばか、力うどんか」
「カツカレー」
「鴨そばもあるぞ」
「カツカレー」
まあ、勝ったしいいか。
そんな感じでこの黒鹿毛の怪物のオーダーに応えながら、東条隼瀬は店員を呼び止めてオーダーを通した。
ちなみにカツカレー(サイズ:ウマ)は2890円である。普通に安い。
「3杯くれ。3杯食う」
「……まあ、いいか」
今夜のご飯が野菜まみれになることが確定したことも知らずにウキウキで運ばれてくるのを待つナリタブライアンは、やっと(腹減りブライアン基準)やってきたカツカレーに飛びついて食べはじめた。
「別に文句を言うわけではないが、よくもまあそんなに食えるものだな」
「アンタこそ、そんなに食わずよく動けるな」
本日の朝ごはん、リンゴ。
昼ごはん、蕎麦一杯。
夜ごはん、多分なし。
そんな驚異的な低燃費ぶりを示す男を見たウマ娘が持つ感想は、それぞれである。
シンボリルドルフは、慣れているからスルーする。
ミホノブルボンは、もっと食べさせようと思う。
ナリタブライアンは、別に好きな量を食べればいいと思う。
ということで、カツカレーの持つ質量からすれば圧倒的にささやかな量の蕎麦を見ても、ナリタブライアンは特に何も思うことはなかった。
まあ、そういうのもあり。そう思うだけである。
「まあ、俺の専門は頭脳労働だ。走ったりなんだりすることはないからな」
かつおの利いた出汁を飲み干しながら、東条隼瀬はパンと手を合わせた。
「食うのが速いな。少食な割に」
「ま、絶対値が少ないだけだからな」
そうかとでも言うように頷いたナリタブライアンを見ながら、東条隼瀬は目を伏せた。
(それにしても、計算が狂った)
春天のレース映像を見た、そのとき。
ナリタタイシンの豪脚をビワハヤヒデが受け止め切ってからスパートをかけるという余裕綽々な映像を見たその時から、ビワハヤヒデが何をしたいかは見抜けた。
単純に、すごい。そう思う自分はどこかにいたが、トレーナーとしての自分があのとき素直に褒めさせなかった。
まるで、デモンストレーションのような。
ビワハヤヒデの強さを示す映像を見た瞬間そう思い、そこにブライアンの姿が重なった。
ビワハヤヒデは、あそこで経験を積んだのだ。脚を緩め、ほんの少しだけでも脚を溜める。そして溜めた脚を、爆発力に転換するすべを。
(領域と言っても、才能を限界まで引き出すだけだ)
だからそこまで計算して、プランを立てた。事実、タイムを計算してみたがナリタブライアンであれば領域抜きにクビ差で差し切れていただろう。
だが、ブライアンは覚醒めた。
まったく、バカげた才能だった。ルドルフに領域へと連れ込まれてからその片鱗を察知することができるようになったものの、あれほどまでにくっきり見える、というのは。
残り100メートルで、3バ身引き離した。ビワハヤヒデを、だ。
(クビ差で勝ってほしかった)
そうすれば彼女の優れた学習能力は、全力を出すことと調節して勝つことを覚えてくれるはずだった。
無論、いつもいつもクビ差で勝たせるわけではない。そんなことをすれば、個性を殺すことになる。
ただ、『やれるけどやらない』のと『やれないからやらない』のでは大きな差がある。
かつて聴いたことのない大歓声が、阪神レース場を包んでいた。それは観客が――――無知で、だからこそスターを嗅ぎつける嗅覚を持つ彼らがナリタブライアンの圧倒的な走りに魅せられたことを意味している。
だがその圧倒感を連続して叩き出すのは、難しいと言わざるを得ない。正確に言えば、できるがやれば脚がもたない。
そんな時に、ハナ差勝ちは役に立つはずだった。
(それに、ブライアンのあの領域は予測できていた。ビワハヤヒデという光輝がブライアンの影を濃くすることは予測していた。だがあえてそこを計算に入れなかった。入れていればもっとやりようがあっただろうに)
少なくとも、蹄鉄に見られる無茶をせずに済んだ。
前側が、異様にすり減る。それはつまり、ビワハヤヒデの領域に対する本能的な警戒心を察知し、彼女は爪先で加速を踏ん張り踏ん張り踏ん張りぬいたということである。
脚に残って離れないタイプの疲労ではないが、それでも無用な負荷であったことは確かなのだ。
(爆発力の恐ろしさ、偉大さ。敵にしたことしかなかっただけにそういう面ばかり見てきたが、なるほど。これは諸刃の剣だ)
シンボリルドルフは、飛び抜けた爆発力を冠絶した理性で制御できていた。
サイレンススズカは、常に爆発しているようなものだからある意味安定していた。
ミホノブルボンには、爆発力が無かった。故に抜群の安定感と自在性があった。
だがナリタブライアンは優れた知性に由来する学習能力によって、爆発力を若干制御できる。だからこそ前提とした策も立てやすいというものだが、爆発するときはとんでもない範囲を巻き込んで木っ端微塵にしてくる。
(真なる意味で、諸刃の剣。火山みたいな才能だ)
しかもその噴火は、軽々空を穿つ。
定期的に爆発する、ナリタ連山。そんな感じ。
「不満か」
「ああ?」
虚を突かれて素っ頓狂な声を出した瞬間、頭が結論を出す。
ここは取り敢えず、正確に自分の意思を伝えるべきだ、と。
「いや、不満なのは自分に対してだ。もう少しうまくやれた。今となってはそう思う。そんなところだ」
「アンタにはアンタの目算があったんだろう。私がぶっ壊したが」
「まあ、それに関してはいいさ。爆発力の予測はつかない。うまくすれば追い縋っている相手に勝てる、ということくらいしかな」
そう言って、東条隼瀬はパチンと指を弾きかけて止まった。
「そうか、そうだな。そうすればいい」
(こいつ、また悪辣なことを考えていやがる)
何やら思考に耽り外的な察知能力を喪失した男の隙を突いて4杯目を注文しつつ、ナリタブライアンはこっそり皿を下げさせた。
私は最後の一杯を食べているだけですよー、と言う涙ぐましい偽装工作をしようとしたのである。
割と金銭に無頓着なところのある男がいつもの通りクレジットカードで全てを解決したのを見て、ナリタブライアンはちょっと心配になった。
「おい。明細を見た方がいいんじゃないか」
「どうせ払うのは学園だ」
「なるほど。気前がいいわけだ」
「それに、明日見てみればわかる。どれくらい食べたのかもな」
ギクリとした怪物を横目にすら見ることなく、東条隼瀬は釘を刺した。
そして刺された側はと言えば、実にふてぶてしい態度を崩さない。
ブライアンは、こういう駄目なことと甘えのラインを見極めて引くことが天才的にうまかった。
するりと車の後部座席に乗り込んで、シートベルトをしておとなしく座る。
座った上で、彼女は前に座る男に問いを投げかけた。
「これで私の前半戦のレースは終わりか」
「ああ」
「夏はどうする?」
「お前、後ろめたいことがあると多弁になるな」
いつもであれば、スケジュール管理について口出しはしないし興味も持たない。
そんなブライアンがやけにこれからを気にするということは、他に目的があるということである。
そしてその予測は、正鵠を射ていた。
「まあいい、問われたからには答えよう。夏は休む。休んで……京都新聞杯にでも出るかな」
「ブルボンと同じローテか」
「ん、いや。菊花賞には出るが、ジャパンカップから有馬記念とはいかない」
「アオハルの関連か」
ジャパンカップを休んで、有馬記念に直行。そこから連闘でアオハル。
そういうローテかと納得したところで、東条隼瀬は彼女の想定を否定した。
「それは関係ない。どのみち有馬記念に出たらアオハルには出さないからな。俺が問題にしているのは、クラシック三冠を走ったあとジャパンカップから有馬記念に行くのはややキツイのではないか、ということだ」
「アンタはアイツの中1週を成功させただろう。期間が空いたブルボンの時も成功させている。なぜ今年は無理なんだ?」
「ウイニングチケットだ」
姉貴の友達か。
そう思ったが、ナリタブライアンはここで昨年のダービーウマ娘の名が出てくる理由がわからなかった。
「わからないと見えるな」
車のミラー越しに、鋼鉄の瞳が黄金の瞳と視線を合わせる。
明哲なその瞳は彼がいつも通り、憎たらしいほどの冷静さを持っていることを示していた。
「ウイニングチケットは去年ブルボンと似たようなローテーションで走った。そしてその結果、今現在まともに走れる状態ではない」
シンボリルドルフには、クラシック三冠からジャパンカップ→有馬記念と行くローテーションが必要だった。
ミホノブルボンは、過酷なローテーションを平気でこなせるほど頑健だった。
だがナリタブライアンにとって、このローテーションは必要ではないしそれほど頑健であるわけでもない。
耐久性は高いが、それを上回る出力があるだけに脆さがあるのだ。
「肩の脱臼だったか」
「ああ。あと、脚に疲労が残っている」
その言い方の普通さに、ナリタブライアンは少し意外に思った。
ウイニングチケットのローテーションは、シンボリルドルフやミホノブルボンのそれと酷似している。そして過酷の中から成功例を作り上げたのがこの男である。
ブライアンからすれば、彼が良くない先例を作った、などと思っているのかと思っていたのだ。
「自罰的なアンタなら余計な責任を感じているかもしれないと思ったが、そうでもないんだな」
「俺は俺の決断には責任を持つ。だが他のことに関してはそうでもない。そこまで責任を感じては、却って迷惑にもなるだろう」
「ああ、それがいい」
狭く、深い。
彼の持つのは、そんな責任感である。少なくとも、トレーナーとしての個人レベルにおいては。
これがルドルフと組めばまた違ってくるからややこしい人格をしているが、こういう割り切りの良さはある種わかりやすくていい。
「で、どこに出る」
「有馬記念だ。姉貴が出てくるからな」
「わかった。そうしよう」
こいつ、アオハルで私がいなくともスピカに勝てるのか。
あんまりにもあっさりとした返答に『担当ウマ娘の希望を第一に考えるやつだ』ということを知っていても、ナリタブライアンは少し不満を覚えずにはいられなかった。
真の意味で彼が頼るのは、シンボリルドルフくらいなものである。そのことを知っていても、釈然としない。
これは強さへの、自信がある。だからこその不満だと、ナリタブライアンは思っている。
「アオハルのことを心配しているのか」
「……ああ」
「心配するな。お前が居なくても普通に勝てるだろうからな」
「ああ、そうか」
なんか怒ってるな、こいつ。
自分に向けられる悪意には聡く無頓着で、自分に向けられる好意には鈍い男は、なんとなく黙り込んだ。
Q:スズカは?
A:食べてるときも走ること考えてるから気づかない
44人の兄貴たち、感想ありがとナス!
ちくわぱん兄貴、Gr0ssu1ar兄貴、評価ありがとナス!