ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
ビワハヤヒデが極めてわかりにくい男の真意に気づいたのは、自分のトレーナーが寝食を忘れるような勢いで研究と練習メニューの構築に打ち込みはじめてからしばらくしてのことだった。
となると、動くのは早い。
「申し訳ありませんでした。私は貴方と、貴方の意図を誤解していたようです」
お前の能力が低いから、負けた。そのことを知っている。
自分の大事なトレーナーをそう言われたと、ビワハヤヒデは思っていた。
対局相手、東条隼瀬。彼の行った指摘、あるいは認識。
それ自体は正しいかもしれない。しかしそれをあからさまに認めるのは、勝者としての傲慢さではないかと。
唐突ににゅっと出てきて謝ってきた――――しかも衆目の前で――――ビワハヤヒデの方へと、視線が揺らぐ。
その隙を逃さず、野菜フルコースと言うべきナリタブライアンの皿からバレないラインとバレるラインを反復横飛びしかねない程の量が隣の男の皿に移籍した。
「別に不快に思ってはいない。誤解に関しても、それを招くような言動をしたのはこちらだ」
「そうだぞ姉貴。クソわかりにくいこいつが悪い」
ここ最近朝昼と野菜地獄に落とされてブーたれていたナリタブライアンからの鋭い援護射撃が飛ぶ。
だがこの援護射撃がやや本心から屈折した上で放たれたものであることを、百戦錬磨の姉であるビワハヤヒデは悟っていた。
そもそも、これは偶発的なものではない。謝りたいから適当な時間に連れ出してくれと頼んだのはビワハヤヒデなのである。
ブライアンが本心から『自分のトレーナーが悪い』と思っているならば、この要請を拒否していたことだろう。もちろん、悪いのはあいつだから、という理由をつけた上で。
それを『わかった』と――――やや尻尾を揺らしながら二つ返事で承諾した。大抵の面倒ごとには『めんどうだな……』と言う反応を隠しもしないこの妹が、である。
(つまりブライアンは本心では、発言の通り自分のトレーナーが100%悪いとは思っていない。少なくとも、和解が必要な程度には責任が分散されていると考えている)
姉の姉たる所以、察しの良さと細やかな心理の読み取り。
それを発揮して、ビワハヤヒデは妹の本心ならざる発言には否定を返した。
「いや、感情に流されることなく冷静に見ていれば、状況と会話の流れを鑑みて真意を推察できたはずだ。やはり、私が悪い」
「まあ、そういうことにしておこう。人の目もあることだし」
取り敢えず、座れ。
そんなふうに指し示された席に着席し、ビワハヤヒデはまっすぐ東条隼瀬の方を見た。
「で、昼飯は。食べたのか?」
「いや、まだだが……」
「じゃあ、食べたらどうだ。話も終わったことだし、食べることもまたウマ娘にとって必要なことだ。なあブライアン」
そうだな。
若干目を逸らしながらも、野菜を移籍させた下手人の声は揺らぐことはない。
そんな妹をちらりと見て、ビワハヤヒデは今日指し示された献立通りのメニューを買って席に帰還した。
「ところで、ブライアン。俺の皿、野菜が増えたと思わないか?」
「錯覚だろ」
おそろしく白々しい吐き捨てを聴いて、ビワハヤヒデはくすりと笑った。
ナリタブライアンの行った凄まじいコストカットを、彼女は確かに見届けていたのである。指摘する場面ではなかったからしなかったが。
「なるほど、錯覚か。そう言えばお前の皿、野菜が減っているようだが」
「ああ。頑張ったからな」
ここまでブライアンは、見事なまでに嘘はついていない。しらばっくれてはいるが、見事な韜晦。
成長したな……と、妹の正負どちらかわからない進化を喜ぶ姉バカなビワハヤヒデは、このあとすぐに自分が巻き込まれることを知らない。
「おお、すごい。咀嚼無しで食べられる程に成長したわけだ」
「…………アンタも食べる量を増やしたほうがいいと思ってな。身銭を切って与えてやったんだよ」
「それはそれは、有り難い。担当ウマ娘に食事の心配をされるというのは、トレーナー失格だな。反省すべきところがある。なあ、ビワハヤヒデ」
「……え?」
この質問は、どうなんだ。
失格だと言うと、謝ってきたくせにどの口で言うのかということになる。
失格だと言わなければ、おそらく彼の意図に反することになる。
深刻な自縄自縛に陥ったビワハヤヒデは、取り敢えず誤魔化すことにした。
「失格かどうかはともかくとして、食べる量が多いに越したことはない。そう思います」
失格という点に答えることを回避しつつ、意図に沿う。
さすがの頭のキレを見せた回答に満足したように、東条隼瀬は頷いた。
「そうだぞ。もっと食え。食えば食うほどいい。姉貴の言うとおりだ」
ブライアン、それは墓穴だ。
そう思ったが、口には出さない。ビワハヤヒデは実に賢明なウマ娘だった。
「そう。食えば食うほどいい。だから、ブライアン。それは君もそうだ」
「…………ん?」
雲行きの怪しさを察知した怪物は無意識に情報収集能力を高めんとしたからか、横に垂れていた耳をピンと立たせた。
「だからこそ、心苦しい。君から食べ物を奪う、というのは」
「苦しい、そうか。だが大丈夫だ。アンタに心はない」
「そうだ。だからこういうこともできる」
パチン。指が鳴る。
ドサン。野菜が乗った。
「ありがとう、ブライアン」
ブライアンの死角、背中に立っていたのはシンボリルドルフ。彼女が移籍させた野菜とだいたい同じ量を無造作に載せて、ありがとうとだけ言ってスッとどこかへ歩いていく。
(こ、皇帝……! いつの間に……)
ビワハヤヒデは、強かに驚いた。
ブライアンの死角は、ビワハヤヒデの視界の内である。なのに、シンボリルドルフを視認できなかった。
あの、激烈な存在感を放つ【皇帝】を。
(やはり、ものが違う……!)
ビワハヤヒデのレーススタイルは、頭脳戦に分類される。故に同じく頭脳戦を得意とするシンボリルドルフと結構比較されたりするし、彼女自身としても理想としていたし、近づいている感覚もあった。
だが、まだ遠い。
そんな敗北感を感じている姉と同じく、妹も強かな逆撃を被り悲嘆にくれていた。
「……クソ」
なんだかんだで、完食する。
そんなブライアンの食事風景を見つつ、東条隼瀬はビワハヤヒデに話を向けた。
「別に答えたくないならば答えなくともよいのだが、これからどういうローテーションで動くつもりだ? ブライアンが君と競い合いたいと言っている以上、参考にしたいのだが」
「夏に身体を絞って作り直し、秋に向かうつもりです。今のところは、オールカマーから秋天、有馬と進むつもりでいます」
「……なるほど」
もとより、近々発表するつもりであったローテーションである。今伝えても問題はないだろうとビワハヤヒデは判断し、素直に伝えた。
シニア最強のウマ娘は、怪我をしない限りはジャパンカップに出る。
それが暗黙の了解であり、ビワハヤヒデのローテーションはそれに違反していた。無論出ないと決めた理由は『勝ち目がないから』ではなく『2年連続夏に目一杯追い込むビワハヤヒデの疲労を考慮して』であるわけだが、そこに対する賛否が噴出することだろう。
ミホノブルボンは昨年ジャパンカップに出なかったが、それには凱旋門賞に挑戦するからだという理由があった。それに、一昨年はきちんとシニア最強のウマ娘としての責務を果たし、ジャパンカップで勝っている。
そういうわけで批判は出なかったが、今回はそうも行かないだろう。
そんなことを予期して、ビワハヤヒデとそのトレーナーは早期の発表を予定していた。
それにブライアンが――――妹が、直接対決を望んでいる。また共に走ろうと思ってくれている。
そのこと自体が嬉しかったというのもあるが、ブライアンの調整が自分のローテーションが発表されてからというのは、強制的に後手に回すことになる。
それは、不公平だ。
ビワハヤヒデはスポーツマンシップに則った意識のままに、ブラフも何もなく伝えた。
それに対して返ってきたのは『なるほど』という言葉と、それまでの沈黙の時間。
「どうかしましたか?」
「いや」
「こいつは秋天アレルギーなんだ、姉貴。秋天では、アレがあっただろ」
ああそういうことかと、ビワハヤヒデは察した。
天皇賞秋で、彼の担当していたサイレンススズカは故障した。一歩間違えれば死んでいた、それくらいの故障だった。
思えば国内の中長距離GⅠをほぼ制覇したミホノブルボンは、天皇賞秋には出ていない。それは時期が悪かったというのもあるだろうが、やはり、そういうことなのではないかという憶測はあった。
実のところ、ビワハヤヒデの推測は半分しかあたっていなかった。
彼女の思考が複雑化するのを止めたのは妹からの一言であったが、どのみち彼女は彼の沈黙の原因の片割れを察することはできなかっただろう。
なぜかと言えば、東条隼瀬という男がトレーナーとウマ娘という一対一の関係を神聖視しているが故に、察されまいと心のガードを固くしたからである。
いくつかのやり取りの後に、ビワハヤヒデは妹よりも遥かに早く食べ終わった。
「では、私はこれで」
「ああ。次は有馬記念になるだろうが、またいい策を見せてくれ。君たちとの読み合いは、実に切迫して楽しかった」
「伝えておきます。貴方からそう言われたと知れば、彼も喜ぶでしょうから」
そう言って席を立ち、背中を見せるとわかる、凄まじい毛量。白が膨張色であるというのもあるが、単に色の問題ではない、そんな気すらする。
そんなもこもこが、くるりと振り向く。
「東条トレーナー。妹をよろしくお願いします。気難しそうに見えますし、好き勝手の激しいところはありますが、おそらくは構ってほしいだけなのです」
「なぁっ!?」
野菜を押し付けることに失敗して逆撃を被り、振り向きざまにグサッとやられた形になるナリタブライアンは黄金の瞳を大きく開けて唸った。
逆撃を喰らうところまではまあ、予測できていた。エルコンドルパサー的に言えばプロレスだった。しかし姉からのこの一撃はまさに不意打ち、バックハンドブロウである。
「ああ、わかっている」
「わかるな」
そんな反撃にしては弱々しすぎる言葉しか選べないくらいに追い詰められたナリタブライアンは、自分としては平静を保つべく――――傍から見れば平静を取り戻すべく、目の前の野菜に立ち向かった。
そしてその、無限にすら感じられる戦いを終えて後。
「おお、偉い。食い切ったじゃないか」
「残しはしない。姉貴との話の最中、何か言いたげだったが、あれはなんだ」
「まあな」
「何かを言いたげなアンタは、あまり見ない。言いたいことを好き勝手言うアンタは、よく見るが」
らしくない。
要はそう言いたいらしいブライアンの意図を察して、東条隼瀬はくるりと振り向いた。
今度は彼の皿の上は空であることもあってか、理不尽な移籍は起こっていない。
「俺が口を挟むべきことではないからな」
「姉貴のローテーションが、不満ということか」
声を低くして、周りに聴こえないように音を絞る。
他人の担当ウマ娘に口を出したりするのは、横槍。即ち、絶対的なタブーであった。
無論、例外はある。チームに所属しているウマ娘ならば、そしてそのウマ娘が明らかな不調に苦しんでいるようならば、まだ情状酌量の余地はある。
だがビワハヤヒデとそのトレーナーは専属契約であり、関係は良好で実績も申し分ない。
「それに、俺が秋天を苦手にしているというのは周知の事実だ。口を挟んでも、個人の好悪の情で他人に意見する、と取られかねない」
「アンタを知っているやつで、そういうことをすると思っているやつはいないだろ」
人の心がないだとか、そういう冗談を冗談として言い合える程度には信頼し合っている。
そんなナリタブライアンからの一言に対し、東条隼瀬は極めて曖昧な頷きを返した。
「それはそうかもしれない。だが他者への説得力がなくなるというのもまた、事実だ。根拠としても2年連続夏に休まずみっちりと鍛えてシニアの秋に向かうのはキツいのではないかという感覚的なものだし、俺がこれをお前に漏らしたのも嫌な予感がする、という更に感覚的な理由による。とにかく、夏を越えないことにはな……」
「…………まあ、そうだな」
夏を越えないことには。それは、そうだ。
だがどうにも、胸が騒ぐ。
そんなナリタブライアンは、気づくべきであった。夏合宿という行事を控えたウマ娘に対して、心を乱すようなことを彼が言うだろうか、ということを。
ウマ娘のトレーニングは、過酷である。過酷であるが故に、散漫な注意力のままに臨めば事故が起こる。
夏合宿という長時間に渡る、疲労と消耗を蓄積させて経験に変換する地獄であれば、なおさら。
真実とはいえ、そんな地獄へ向かう相手の心を乱すようなことを言う理由は、ただ一つ。
「あ、あと。お前、夏は休みな。トレセン暮らししててもいいし、実家に帰ってもいいし、リギルの合宿について来てもいい。好きにしろ」
「…………は!?」
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