ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:知悉

 沈黙の帳が、比較的快適とはいえまだまだ暑い砂浜に降りた。

 

 ――――万が一にも、怪我をしてほしくない。今のところお前が、俺の最後の担当になりそうなんでな

 

 その言葉が、ブライアンの左耳から入ってきて脳内でリフレインし、右耳から抜けていく。

 

「あぁ!? やめる。28でか!」

 

「さあ、それはわからんが……たぶん30は超えるのではないかな」

 

 実に他人事じみた言葉に、若干ナリタブライアンの冷静さが戻る。

 しかしそれでも、彼の放った言葉が衝撃的であることは間違いなかった。

 

「なんで自分のことなのに自分で決めてないんだ、アンタは」

 

「そりゃあ俺だけのことじゃないからさ。担当ウマ娘がいつ引退するのかというのは、流石に予想できないしな」

 

「……ああ、そういうことか」

 

 唐突に廃部を突きつけてくるようなものだと思っていたが、部員の新規募集を停止する、ということらしい。

 ひとまずタイムリミットが限られているようなものではないとわかって、ブライアンはひとまず安心した。無論表には出さないように振る舞っていたが。

 

「それに関してはまあ、いい。会長には言ったのか?」

 

「無論伝えたさ。了解もとってある」

 

「ブルボンには?」

 

「言った。スズカにも伝えてある」

 

 『伝えた、了解もとってある』というところにそこはかとない上下関係を感じ、『言った』で済むところにまたそこはかとない上下関係が見える。

 

 そんなちょろっとした機微を感じつつ、ブライアンはなんとなく納得した。

 

「私はアンタがリギルに戻ってきたのはこのチームを継ぐためだと思っていた。そうじゃなかったのか」

 

「リギルを継ぐのは俺よりも師匠の跡を継ぐに相応しい、実力と人望と実績のあるトレーナーがいいだろう」

 

 人望はともかく、実力と実績においてアンタに勝るやつが出てくるとも思えない。

 そんなことを言ってもしょうがないので、とりあえずブライアンは流した。

 

 第一、シンボリルドルフやミホノブルボンやサイレンススズカに覆せなかった意思を、覆せるとも思えない。

 

「で、辞める理由は」

 

「やりたいことができた。そして道筋も立った。だからだ」

 

「……シンボリの家に帰って執事でもするのか」

 

「いや、教官をやる」

 

 教官。

 それは、より広域な意味でのトレーナーである。チームに入れないウマ娘や専属契約を結べないウマ娘を指導する。

 

「物好きだな。進んで降格するわけか」

 

「降格ね。まあ一般論からするとそうだろうな」

 

 一般的に、教官はトレーナーのなり損ないがなる職業である。

 教官は全体的にとらえて指導する。故にテンプレートがあり、それを滞りなく実行すればいいだけなのだ。

 

 無論これは『いいだけ』で済むほど楽な仕事ではない。だが個々人に沿ったカリキュラムを整備してトレーニングメニューを組み立てなければならない専属トレーナーや、チームを運営するトレーナーと比べて柔軟性や観察眼に欠けていてもなれる。

 

 多少の勉強、あるいはコネでなんとかなる地方のトレーナーと違い、中央のトレーナーになるには日本一難しい試験を突破しなければならない。

 しかも上から10%を採用するとかそんなことはなく、採用者ゼロも珍しくはない。

 

 それに比して教官は、(トレーナー志望からすれば)割と簡単になれる。

 資格取得難易度は地方トレーナーより上、中央トレーナーより遥かに下。そんなところである。

 

「せっかく中央トレーナーの試験に受かったのに、惜しくはないのか」

 

「厳密に言うなら俺はトレセン学園でトレーナー業務に従事し始めるとき、試験に受かっていないからな。というか、受けてすらいない」

 

 フランスに留学したときに、試験は受けた。しかしそれはあくまでもフランスのものであり、日本のものではない。

 

「フランス留学で資格取得して帰ってきて、コネで入ったんだったか」

 

「ああ。独立するときに改めて日本の試験を受け直した形になるな」

 

 それくらい、リギルを率いる東条ハナという女傑がもつコネ力は大きかった、ということである。

 基本的に他国のトレーナー資格を持っている者には、期間限定のライセンスが付与される。短期免許のような形である。しかしそういうのを無視して、彼は働くことができていた。

 

「じゃあ、結局は受かったのか」

 

「一応首席だった」

 

「そういえばフランスではどうだったんだ」

 

「入学試験から資格試験までずっと首席だった。俺は名門らしく座学の方が得意だから、日本より実践形式が多いフランスの方が難しかった記憶がある。受けた回数が違うからかもしれないが」

 

 こいつ、普通にスペックが高い。

 ブライアンはそんなことを改めて思い知らされつつ、思うところは1つだった。

 

「なんだ。じゃあいつも通りか」

 

 生徒会室にはルドルフがいて、東条隼瀬がいる。

 それがナリタブライアンにとってのトレセン学園の日常であり、ひいてはトレセン学園というものの在り方だった。

 

「まあ、そうだな。役職は変わるかもしれないが、似たようなものだ」

 

「ならいい」

 

 皇帝と参謀。

 姉以外の他人に対して初めて抱いた感情――――尊敬の念を向けるに足る二人。

 

 宝塚記念の前夜に、ナリタブライアンは思った。あの二人の対決を、万の一の綻びもない堂々とした対決を見たいと。

 

 自分が心から敬愛する、世界を見渡しても数少ない者たちによる直接対決。

 その対決が運や天、環境などに左右されてほしくないと。

 

 そしてそれと同じくらい、皇帝と参謀は共にあるべきだと思っていた。

 ミホノブルボンがそうであったように、彼女もまた現在の環境に帰属意識と維持願望を持っているのである。

 

「……それにしても、ミホノブルボンに憧れてアンタの指導を受けたいと思ってトレセン学園の門扉を叩くウマ娘もいるだろう。そういうやつは、いいのか」

 

「それに関しては申し訳ないと思わないでもない。だが実際、そこまでは責任を持てない。教官になればより広範なウマ娘を指導できるようになる。そこは自分でなんとかしてもらうしかないな」

 

 実際、そういったウマ娘は多い。

 東条隼瀬は今のところ、負けていない。今年1年とかではなく、4人を担当して負けていない。つまり5人目になれば――――なれれば、負けないかもしれない。

 その発想はまったく以て甘っちょろい考えではあるが、そう思っても仕方ないというのもまあ、ある。

 

 事実、彼がチームを作るということを公表すれば入ろうとするウマ娘はあとを絶たなかっただろう。

 

「……ああ、そう言えば。アンタがチームを作らなかったのは、そういうことだったのか」

 

「そうだ。ルドルフを引き抜いてチームを作ることも考えたが、新規メンバーの募集をするのかしないのかということを訊かれることになる。ついでに言えば、リギルへの義理を欠く。だから戻ってきたんだ」

 

 義理がどうかとか言っているのは、これはアオハル杯以前の構想を語っているからであり、あくまでも心理的な理由を伝えようとしているからである。

 アオハル杯が復活して5人必要となった時点で義理や何やらに関係なく、彼の取れる選択肢は新たに複数人を担当に迎え入れるか、あるいはどこかしらのサブトレーナーになるしかなかった。

 

 となると実質、取れる選択肢は1つしかない。

 そこまで推測すると、ブライアンの中には思うところが出てくる。つまり、なぜ新規メンバーの募集を停止しようとしていたこの男が自分を新たに担当してくれたのか、ということである。

 

「新たに受け入れる気はなかったなら、なぜ私を受け入れた。おハナさんに言われたからか」

 

「いや。それは単純にトレーナーとしての本能だ」

 

「本能?」

 

「ああ。俺はあくまでも教官になりたいと思っていた。ミホノブルボンというウマ娘を担当してからというもの、俺の夢は教官になることであり、その夢はルドルフの理想にも適う。故にそれ以外のすべてを切り捨てるべきではあったのだが……」

 

 ナリタブライアンというウマ娘に、請われた。自分の担当にならないか、と。

 一時代を築けるほどの、冠絶した才能。シンボリルドルフともサイレンススズカとも違う趣のある才能。

 

 怪物。そう形容するにふさわしい才能の輪郭を、東条隼瀬は感じていた。

 まだまだ未熟で、影のように揺らぐ。本体が未だ、姿を見せない。そんな巨大過ぎる才能は、彼のトレーナーとしての本能を刺激した。

 

「俺もトレーナーだ。未完に過ぎる巨大な才能の完成に、関わってみたい。そういう欲に負けた。だから受け入れたのだ。断じて、言われたからではない」

 

「…………そうか」

 

 プイッと視線を逸らしたブライアンは、それだけを呟くようにこぼした。

 ひょっとすると、強制されてのことなのかもしれない。彼の夢の実現を、阻んでしまったのかもしれない。

 

 そう考えるだけの精細さが、彼女にはある。だがそんな懸念は懸念のままに消えた。

 

「ならいい」

 

「だから、怪我をさせたくないんだ。窮屈だろうが、選んだのはお前だ。我慢しろ」

 

「ああ。我慢してやる」

 

 憮然としたような感じに歩いて去っていく。

 黒鹿毛のテールヘアーが揺れるさまを見て、東条隼瀬はほっと一息をついた。

 

(よかったよかった)

 

 ひょっとすると、自分が最後の担当だということでより無敗に拘ってしまうかもしれない。

 彼としては、そう思わないでもなかった。現に宝塚記念の前、彼女はそんなことを言っている。

 

 だがそれを、乗り越えた。宝塚記念で姉に勝ち、無敗への拘りを飲み込めた。

 彼としてはそう見ていたし、担当ウマ娘の中で彼女だけに伝えないというのも、フェアじゃない。そういうことで伝えたわけだが、うまくいった。

 

(精神的な成長をもたらしてくれたとなると、やはり宝塚記念に出走させてよかったというものだな)

 

 ブライアンは放っておいても強くなる。彼女の秘めたる才能と、強さへの渇望がそうさせる。

 問題は怪我をしないかということと、心理的なこと。怪我に関してはマージンを設け、徹底的に健康を管理すればなんとかなる、と思う。

 

 だが心理的な成長に関しては、本人に依るところが大きい。

 

 良かった良かったと思いつつ、東条隼瀬はバスケットからサンドイッチを出して食べた。

 一方に辛子、一方にマヨネーズが塗ってある、食べる者の好みを知り尽くした味付け。

 

(相変わらず、なぜかあいつの料理はするりと喉を通る)

 

 そんな謎を解明すべく頭を働かせながら、東条隼瀬はファイルを手にした。




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