ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:擬態

 昔の人間にとって、東条の名は特別な意味を持つらしい。

 そのことを、ナリタブライアンは今更ながら知った。調べたとかではなく、両親への連絡によって、である。

 

 夏合宿でかなり身体を絞ってきた姉から、言われた。そろそろ父さんに連絡を入れたらどうだ、と。

 そういうことは、アイツがやるだろう。そんな彼女の認識は全く正しかった。現に東条隼瀬はこまめに育成レポートを提出していたし、具体的な目標レースを記して彼女の実家に送っていた。

 

 だがそれはそれとして、親からしてみれば娘の生の声を聞いてみたいというのもある。

 

『クラシック二冠に宝塚記念! すごいじゃないか!』

 

「ああ」

 

『特に皐月賞でのイン突きは――――』

 

 どこがすごいのか。

 元トレーナーだけに、その褒め言葉は的を射ていて的確である。

 

 それに基本的に無口な質のナリタブライアンは、肯定の意味で2文字限定の返答を送っていた。

 その無愛想さに慣れている、あるいは、慣らされている。そんな父親はいつもの調子であることを確認するように言葉をつむぐ。

 

 自分のことをわかってくれている相手には結構甘える質のブライアンは、父親に付き合うようにうんうんと話を聴いていた。

 報告すべきことはない。そういうことは、既に行われているだろうから。

 

 つまりこれは子離れできない親との交流時間である。そしてそれはやや厄介ではあるが、嫌いではない。

 

『そして宝塚記念! さすがは鷹瀬さんの息子だな。バ群に突っ込みに行ったときは悲鳴を上げかけたものだが、するりと道が開いた』

 

「鷹瀬……?」

 

 ――――ああ、アレの親父か

 

 歴史というものに無頓着なところのあるこの怪物の認識は、実に現在の世相を反映したものだったと言える。

 かつて東条鷹瀬の子、東条ハナの甥だった男は今や、真の意味で東条隼瀬になったのだ。

 そして東条鷹瀬は東条隼瀬の父と呼ばれるようになりつつある。

 

『天才の子もまた、天才というべきだな』

 

「そんなものか」

 

『ああ。鷹瀬さんは時の女神に愛されていた。仕掛ければ道が開き、そして勝った。そしてその息子もまた、時の女神に愛されていると見える。これからの活躍が楽しみだよ』

 

 これからはない。

 ナリタ家の者としてはそう伝えておくべきだっただろうな。

 

 寮の電話をガチャリと元の位置に戻しながら、ふとナリタブライアンはそんなことを思った。

 現在のところ、最も有能なトレーナー。それが引退を決意し、そして確実に新規のウマ娘の受け入れを停止する。

 

 そのニュースは少なからず界隈に影響を及ぼすだろうし、その情報の有無で立ち回りも変わってくるだろう。

 無頼漢の如き風体や振る舞いとは裏腹に、根っこが聡明なのがナリタブライアンというウマ娘である。その聡明さは諸刃の剣というべき短所を内包した長所であるわけだが、この場合彼女の判断力に一定の指針を与えた。

 

 つまり、わかった上で言わないということを決めた、ということである。

 

「……まあ、いいさ」

 

 シンボリ家に一時帰省している男の顔をぼんやりと浮かべて、首を振って思考の霧を払う。

 そんな霧の発生源が帰ってきたのは、翌日の昼のことだった。

 

「いやぁ、疲れた疲れた」

 

 首をバキバキとやって、即座に仕事に取り掛かる。

 疲れたとは思えない男を乗せた車は、鹿毛の中に三日月のような一房の髪を垂らしたウマ娘の操縦に導かれてトレセン学園の関係者用駐車場へと消えていく。

 

「で、何かあったか」

 

 トレセン学園の敷地内に立って早々やってきた大型犬の頭を撫でつつ、東条隼瀬はそう問うた。

 おそらくは、できれば何も起こってくれるなという期待を込めて。

 

「ご期待にそえるかどうかはわかりませんが、マスターの不在時は特に何事も起こりませんでした」

 

「朗報だな」

 

「それと。現在は帰還してらっしゃいますがスズカさんが群馬県に現れたとのことです」

 

「それはそれは、いつも通りで何より。触診の後に必要に応じた走行制限をかけて部室に缶詰にしよう。ボードゲームあたりでボコり続ければ負けん気を発揮して、うまく休ませられるだろう」

 

 なぜ府中から前橋まで走ったのかを問うより、現実を受け入れ、対処してしまう方がいい。

 これまた慣れた、あるいは慣らされている男は目の前に現れた現実を甘受した。別名、諦めているとも言う。

 

 帰って早々休みもせずに淡々と積もった業務を処理し、日常に歯車のように溶け込む。

 そんな男に訊きたいことがある、そんなウマ娘がいた。

 

 ナリタブライアンである。

 しかし意外と空気を読める彼女は、一段落がつくまでおとなしくしていた。

 

 無論やっと解禁されたトレーニングではヒシアマゾンやフジキセキなどと併走をし、色彩の異なる才能と競い合う経験を豊富に積む。

 だがめずらしく、彼女は『もっと練習させろ』とゴネなかった。

 

「で、なにか訊きたいことでもあるのか?」

 

「……何故、わかった」

 

「らしくないからだな。で、なんだ」

 

 それなりに信頼できる父親は、あの宝塚記念での中央突破を天才由来のひらめきによるものだろうと言っていた。

 だが、ブライアンからすればそうは思えない。しかしそれは理屈立てて、順序よく説明されているからである。

 

 今回の戦術は一足飛びの閃きが結果としてあり、そしてそこから逆走じみた形で理屈で舗装したのではないか。

 父親の話を聴いて、ナリタブライアンはそう思った。そしてそれが正しければ、目の前の無敗の男は別方面へ才能を開花させていることになる。

 

 才能が開き切る前に引退を決めるというのは、不本意ではないのか。

 そのあたりを単刀直入に訊きたい。だからこそ、ナリタブライアンはシンボリルドルフやミホノブルボンといった彼の思想的同志が居なくなるのを待ち続けていたのである。

 

 あの二人に、『もしかして』と思わせたくない。もしかして、彼は自分たちの為に才能を眠らせてしまおうとしているのではないか、と思わせたくない。

 

 自分が言い出さなければ、シンボリルドルフもミホノブルボンもその可能性に気づかない。

 なぜなら、あの二人は本質的には競技者ではないから。いや、単なる競技者ではない、というべきか。

 

 これは一競走者として、才能を発揮し勝負に勝つことを至上とするナリタブライアンだからこそ見出し得た疑問なのだ。

 

「……今、何をやっているんだ」

 

「それが訊きたいことか。そうではないだろう」

 

「会話には前座というものがいる。知らんのか」

 

「知ってる。だがお前、前菜を無視して肉から食うタイプだろう」

 

 そう言いつつ、答えてやる気はある。

 そんな男は、一瞬口をつぐんで書類をぴらりと見せた。

 

「奨学金制度を作ろうと思っている」

 

「あるだろう、そんなものは」

 

 というか、特待生制度すらある。

 トレセン学園の学費は高い。その問題点をURAも認識しているし、学園側も認識している。

 だからURA側からは奨学金が、学園側からは特待生制度が整備されていた。

 

「お前は特待生だ」

 

「ああ」

 

「ルドルフもそうだ。エアグルーヴもな」

 

 当たり前のことだろうと、ナリタブライアンは思った。

 特待生というのはつまり、レースの強いやつを優遇するための措置である。学費を減額、あるいは無償化し、加えて何らかの特典を加える。

 

 そうして、地方との待遇の差を明らかにして中央へと呼び込む。

 中央が中央たり得ているのは、その競技レベルの高さである。そしてその競技レベルの高さは、圧倒的な設備と高待遇によって支えられていた。

 

「奨学金の貸与条件は知っているか?」

 

「知らん。気にしたことがない」

 

 1位を取る。

 彼女に、そういう意識があったわけではない。ただ、負けないだろうという自信があって、それは確信になった。それだけのことである。

 

「ま、だろうな。答えは入学前の模擬レースを集計し付けられたレートの、トップ10に入ることだ。トップ5は特待生扱いになる」

 

「思ったより多いな」

 

 同世代でターフの華になれるのは、片手に余るほどの人数しかない。

 これは常識であり、その常識を覆したからこそスペシャルウィークらの世代は黄金世代と呼ばれた。

 

「まあ、多い少ないはともかく、お前。学費に困っていたか?」

 

「いや」

 

「まあ、結論から言おう。特待生と奨学生になったウマ娘の内、どれくらいが学費に困っているか。答えると、実際そんなに困っていない。なぜならレートトップ10に入れる優秀なのはたいてい名門の出だし、名門の出のウマ娘は金に困らないからだ」

 

 URAとしては、奨学金を確実に回収したい。だから成績優秀者に貸し付ける。

 レースで勝てば、割と早期に完済できるからである。

 

 奨学金とはつまり、借金なのだ。返済能力のあるものに貸し付けたいと思うのは当然のことで、その対象が故障すれば潰しが利かないトゥインクルシリーズへ所属するウマ娘であれば当然のことである。

 

「こうなると、寒門のそれなりの力を持った者や、晩成型ながら才能のあるものがあぶれる。晩成型は、特に悲惨だ。何年か在籍して開花を待てば花開くだろう。だが、それを誰が待つ?」

 

 待とう。こいつの才能を正しく見抜けない哀れな弱者、強さを知り得ないアホどもに代わって、正しく強い者に機会をやろう。

 そう考える者は、確かにいる。だが例は少なく、それも成功したのはタマモクロスくらいなものである。

 

「アンタはそれを解決しようとしているわけか。だが財産も無限ではないし、長い目で見れば一時的な解決にしかならないだろう」

 

 アンタが見れば、才能のあるやつはわかるだろう。活躍させることもできるだろうから、奨学金の回収もできるだろう。

 だがそれも一代のことで、先がない。東条隼瀬亡き後、その後継者はウマ娘の才能を見抜けるのか。

 

 個人の能力に拠ったシステムは、つまるところその個人亡き後存続し得ない。

 

 そのあたりに即座に気づけるナリタブライアンは、やはり聡明であった。

 

「その通り。だから、俺は金を出さん」

 

「じゃあどうする。学費はバカにならんのだろう」

 

「そう。年1000万はバカにならない。だが年10万、5万なら負担することはできるものは多くいる。俺はより多くの人間を奨学金制度に巻き込むつもりだ。トゥインクルシリーズのファンは多いし、夢を共有したいと思うものもいる。もっとも、投資のような形になるかもしれないが……」

 

 そう考え、実現に移そうとする。

 そんな東条隼瀬の姿は実に楽しそうだった。トレーナーとしてこの上ないほどの才能を宿しながら、別にこだわりを見せない。

 

(そう言えば、そういうやつだった)

 

 自分の懸念が懸念で終わったことを嬉しさ半分寂しさ半分で受け止めながら、ナリタブライアンは頷いた。

 

「で、メインディッシュはなんだ」

 

「ん……私の宝塚記念を見た親父が、言っていた。アンタはアンタの親父に近づいてきていると。そのあたりは、どうなんだ」

 

「父は天才だった。天才の思考は理屈の外で動く。それを理屈の中で生きる者は閃きと呼ぶわけだが……俺の思考は理屈の外にあったか?」

 

「ないな」

 

「そう。だから同じようなことをやっているように思えて、俺は理外の閃きを理屈の通じる者にまで落として再現させたに過ぎない。近づいているように見せているだけだ。そう見せることができれば俺を過大評価させて受け身にさせ、思考を誘導することができる」

 

 ――――大した才能もないから、天才に擬態するために使えるものは何でも使うわけだ

 

 そう言った男を見て、怪物は思った。

 

 ――――アンタも質が違うだけで、充分天才のたぐいだろう、と。


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