ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:秋風

 その日は晴れとは言い切れないが雨でもない、中庸の気候だった。

 要は、曇り。ビワハヤヒデは曇りの日のレースが得意である。

 

 菊花賞もそうだった。天皇賞春もそうだった。

 

「気のせいだったか……」

 

 正直あんまり天気は良くない。

 だがビワハヤヒデが勝ったGⅠのレースはすべてが曇天の下で行われたものであり、彼女にとっての好天とはすなわち、曇天のことであろう。

 

 なんとなく、茫漠とした不安がある。

 それを振り払うように窓を閉めようとした東条隼瀬の視界の端から端を、栗毛が過ぎった。

 

 恍惚とした横顔の残像を見ればおそらく、いや完全に予想がつく。彼女が誰なのか、ということは。

 だがなんとなく、嫌な予感がこみ上げてくるのをこらえた。甚だ失礼と思いつつも、連想ゲームのような感覚で、頭の中の思考が組み立てられていく。

 

「あ、トレーナーさん。おはようございます」

 

 キュキューっと巧みなコーナリングで戻ってきた、その走ることに最適化された姿。

 一見儚げな深窓の令嬢、その実は生粋の先頭民族。その名を、サイレンススズカという。

 

「嘘でしょ……」

 

「うそでしょ……」

 

 天皇賞秋。

 そう呼ばれるレースを苦手とするようになった原因のウマ娘。いや、苦手になったのは自分のいたらなさ故なわけだが、やはり連想がするりと繋がる。

 

 そういう意味での嘘でしょ……が漏れ出た東条隼瀬の言葉を口癖をパクられたと認識したのか、サイレンススズカもなんとなくうそでしょした。カエルの輪唱のようなものである。

 

「スズカ」

 

「はい?」

 

「なんかこう……嫌な予感がしないか?」

 

「いえ……」

 

 たぶん今日行われるレースの名前を認識してすらいない彼女からすれば、唐突に嘘でしょされた挙げ句スピリチュアルなことを言い出した、ということになる。

 

 ――――頭が良すぎると、そういうふうに傾くのかしら

 

 優秀な科学者は、幽霊の存在を否定しないという。

 それと同じで頭が良いからこそ、先が見えるからこそ、運などのスピリチュアル的な要素に傾倒してしまう。そういうことかもしれない。

 

「トレーナーさん」

 

 そんな彼の認識を憂いて、サイレンススズカは無い胸を張った。彼女にはそういったスピリチュアルなものに傾倒する意味がわからない。だが思考を空にする方法は知っていた。

 

 それを今から、伝えようというのである。

 

「取り敢えず、走りましょう。そうしたら予感も何も頭から消し飛びますよ?」

 

「まあ、それも悪くないかな。今日の天気はどうだ?」

 

「夜から雨になるそうです」

 

 そうか、と。東条隼瀬は言った。

 現在時刻、午前5時。冷たさを増しつつある秋の風が季節の移ろいを感じさせる、そんな時節である。

 

「思ったんだが」

 

「はい」

 

 歩調を合わせて、河原を駆ける。

 人間にしては速い、ウマ娘にしては遅い。そんな速度で。

 

「お前、置き去りにしないんだな。昔は一緒に走りましょうと誘った挙げ句、5分で置き去りにされたものだが」

 

「そのときは、知りませんでしたから」

 

 なにをだ。

 そう言いかけて、やめる。いちいち何でもかんでも訊くというのは、人格的な程度が知れる。サイレンススズカというウマ娘の性格を理解したいというのなら、自分で考えて結論を出した後、改めて訊くべきだろう。

 

「でも今は、知っています。だから一緒に走りたいんです」

 

(平常運転だな)

 

 ぽややんとした雰囲気、言い回し。

 なんとなく独自の世界に住んでいる、そんな風がある。そんな彼女の才能を預かって、育てて、そして折った。

 折ってしばらくしてやっと折り合いをつけて追いついて、そしてここまでやってきた。

 

 それが過去を埋め直しただけなのか、あるいは埋め立てた過去の上になにがしかを積み上げられているのかは、わからない。

 

「スズカ」

 

「はい」

 

「追いつかせてくれて、ありがとう」

 

 主語も何もない。

 だがその言葉が何を示すかを、サイレンススズカは察した。

 そして傷と向き合って折り合いをつけてほぼ1年。やっと、元に戻れたのだと。

 

「別に、本気を出していなかったというわけではありませんよ」

 

 ムキになっているわけではなかった。単純に、事実を伝えただけである。

 凱旋門賞で、サイレンススズカは負けた。ミホノブルボンの決死の走りの前に負けた。たったひとりの孤高の王者は、足りないところを補い合いながら二人三脚でやってきたなんでもないウマ娘に負けた。

 

「知ってるさ」

 

「トレーナーさんとブルボンさんは、お互いの足りないところを補い合っています。ルドルフ会長とは、お互いの長所を高め合えます。ブライアンさんは、お互いの才能を完璧に引き出せます」

 

 ジョギング開始から2時間ほど。

 隣を走る、走ってくれるひとの体力が折り返し地点に差し掛かったのを察知して、サイレンススズカはくるりと身を翻した。

 赤褐色のジャージの上に、橙がかった栗毛が舞う。

 

 秋風を孕んだそれを靡かせながら、異次元の逃亡者は振り返った。

 

「でも、私の方が速いですよ。私とトレーナーさんが、一番速い。そう思います」

 

「ああ」

 

 ――――かもな

 

 それを証明するのは、これからだ。

 近づきつつある、大一番。ブライアンの三冠をとってから向かうであろう場所をイメージして、東条隼瀬は嘯いた。

 

「さて」

 

 嘯いてから2時間くらい。正確に言えば2時間13分27秒後。

 トレセン学園まで一緒に帰ってから爆速で走りに行ったサイレンススズカの後ろ姿を見送って、東条隼瀬はあくび混じりの伸びをした。

 

 確かに走るというのは、いい。頭がクリアになる。思考が巡る。脚に刺激が来て、血がめぐるからか、あるいはその最中に行った他者との会話がそうさせたのか。

 

 それはわからない。だが、まあなんとかなるさ。そんな気分になっていた。

 

 しかしそんな気分になろうがなるまいが、事実として本日行われるのは天皇賞秋。中距離路線の頂点を決める、そんな大レースである。

 東条隼瀬はこういった大レースを、欠かさず見に行く。なにもウマ娘のレースが好きだからということではなく、彼は自分の強さが情報集積・剪定・予測の3工程に支えられていると知っていたからである。

 

 俺に、さほどの才能はない。

 彼は心からそう思っている。事実彼のイメージする才能あるトレーナーとは父であり、将軍。つまり古典的な現場で指揮を振るい、走るウマ娘と一心同体になれる存在。

 

 そういうのを、トレーナーという。

 だが自分にそれができないことを、東条隼瀬は知っていた。下手にこだわるとウマ娘側に大きな負担がかかることも。だから、それはそれと諦めて事前準備に手腕を振るう。

 

 そんな自分が事前準備の根底となる情報集積をおろそかにして、日々全力でトレーニングに励みレースに臨むウマ娘に顔向けできるものだろうか。

 

 答え。できない。

 だから、天皇賞秋は見に行こう。彼はとうとう、そう決意した。

 

 ビワハヤヒデは強い。ただ、ナリタブライアンの方が強い。しかし、胡座掻いて迎え撃って勝てるかと言えばそうでもない。

 いや多分勝てる気もするが、もし負けたら切腹ものである。負けて悔しいとかそういう次元ではなく、ナリタブライアンというシンボリルドルフくらいしか比肩し得ない才能を持つこの上なく偉大になれるであろう生粋の競技者の戦績を汚すのは、ごめん蒙りたい。

 

「ルドルフー」

 

 一緒に観戦に行ってくれと、そう言いたい。

 

 一人で寝るのが怖いから一緒に寝てほしい子供並みのメンタルで、東条隼瀬は生徒会の門を叩いた。

 だが全ての出来事がうまく行くとは限らない。

 

「ああ、ちょうどいいタイミングに現れたな、参謀くん。私は少し用事があって、実家に帰る」

 

「……明日じゃだめなのか」

 

「え、ああ。君の発案した奨学金制度。あれをねじこもうと思ってね」

 

 一口奨学金制度と暫定で名づけられたそれは、前途有望ながら特待生になれず奨学金もとれないウマ娘の学費を一口数万円から負担するというものである。

 

 これは本来の奨学金とは違い、借金ではない。どちらかと言えば金融商品に近く、ウマ娘側に出資者への金銭の返済義務は生じない。

 

 無論その代わり出資者たちにもメリットがあり、ウマ娘側に入るレースの賞金のいくらかを配当される。

 

「私も裕福な個人から融資を引き出すといった構想は持っていた。しかしそうなると出資者側の意見が強くなり、ウマ娘やトレーナー側の意見を押しつぶす結果になりかねない。だがこの制度の場合出資の度合いを分散化することでスポンサー側の権利を分断することに成功している。君らしい、強かないい手だ」

 

「ああ……ありがとう」

 

「では、行ってくるよ。挨拶もそこそこに悪いが、時間がない」

 

 俊足を飛ばして去っていく皇帝の背中を見送って、東条隼瀬は思考を巡らせた。

 こうなると、頼りがいのある者を同伴させることはできない。ならば。

 

「ブルボン! 散歩に行くぞ!」

 

「はい、マスター。どこへ向かいますか?」

 

「府中。出発は正午だ」

 

「承知しました。身嗜みを整え、正門へ集合します」

 

 手を前に突き出すいつものポーズ。

 そんなブルボンの頭をわしゃわしゃと撫でつつ、東条隼瀬はこのイヌ科のサイボーグのありがたみを今更ながら実感した。

 

 ルドルフは仕事、スズカはいつも通り行方不明。だがこのわんころは基本的にいつも後ろからトコトコついてくる。

 ブライアンについては行くことが確定しているため敢えて誘うこともしないが、なんの関係もないのに付いてきてくれるブルボンには安定感がある。

 

「ブルボン、俺は過去を乗り越える。付き合ってくれるか」

 

「マスターの行かれるところであれば、地の果てまでもお供します」

 

 ということで、本日の東条隼瀬府中ツアー御一行様は決まった。

 GⅠ勝利は15個という、なかなかなパーティーであった。




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今年最後の投稿になります。1年間ありがとうございました。感想・評価いただけると幸いです。

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