ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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影光(えいこう/栄光)

あと、誰がとは言わないけど本編初出演(2回目)です。


アフターストーリー:影光

 こいつ、大丈夫なのか。

 正門前で仁王立ちして待っていたナリタブライアンは、老人の如き歩幅でやってきた男を見て眉を下げた。

 

 ヨボヨボのジジイのような危うい歩調で前へ進む男は、これまた老人のように補導ウマ娘を伴ってこっちにきている。

 

「間に合ったな」

 

「……ああ。だが」

 

 珍しいな。アンタが私を待たせるというのも。

 そんなふうな軽口を叩く気も失せる、この男の調子の悪さ。

 

「大丈夫ですか、マスター」

 

「大丈夫じゃない。だが、大丈夫だ」

 

 弱さを隠さないのはいいことだ。

 そう思いつつ、ナリタブライアンは割と本気で心配した。この敗れざる男がここまでグロッキーな顔をしてるのは、あんまり見ない。

 そもそも、弱味を見せない質なのだ。それがここまで無様を晒しているとなると、何かを感じているのか。あるいは、本気で心的外傷に苦しんでいるのか。

 

「大丈夫じゃないだろう。悪いことは言わんから、寮に帰って寝ていろ。姉貴のレースは録画を見ればいいし、なんなら私が後々紙芝居にして放映してやる」

 

(お前、絵、下手だろ……)

 

 不調も吹っ飛ぶこの衝撃。

 

 ナリタブライアンは、絵が下手である。3歳児にしてはうまいというレベルから固定されている、そんな絵。つまり、絵から成長性は感じられるものの、本人の年齢と照らし合わせてみてみると成長性が微塵も感じられない、そんな絵。

 

「ブライアンさんは絵がお上手なのですか?」

 

「ああ。姉貴や父や母から言われたことがある。この上なくうまい、他の誰にもない個性があると」

 

「なるほど。私も3歳の頃に言われたことがあります。まるで写真だな、と」

 

「私も確かそんな歳だった。奇遇だな」

 

「はい。やはり絵というものを描くにしても、三つ子の魂百までということでしょうか」

 

 家族の愛によって産まれ落ちたポジティブモンスターブライアンと、産まれた頃からサイボーグ――――尤もこれは性能的な意味で、小さな頃はちゃんと人間らしく泣いたりしていたらしいと彼女の父から聴いたが――――なブルボン。

 

「いや、俺はトレーナーだ。自分のトラウマなど問題にしてはならない。数多のトレーナーが羨むであろうナリタブライアンという傑出した才能を預かっている以上、全知全能を傾け、人事を尽くす。それが義務であり、礼儀であり、俺の意地だ」

 

 ピコン、と。黒鹿毛の耳が左右に揺れる。

 フフンと満足げに緩んだ頬の持ち主は、この言葉が心からのものだということをなんの疑いもなく信じていた。

 それはまあ、事実である。東条隼瀬は自分のトラウマを目の前の怪物のために克服しようとしている。

 

 しかしより副次的な表現を用いれば、彼が意地でも直接見ようと決意した原因は紙芝居放映中に笑いをこらえきれないであろう、ということにあった。

 

 自分のために頑張って描いてくれた(出来はどうあれ)。

 自分のために頑張って放映してくれた(出来はどうあれ)。

 それを見て笑うというのは、人間的に極めてよろしくない。出来はどうあれ。

 

 2種類の本心の内より俗物的な面をトレーナーとしてのプライドやらなにやらでラッピングし、東条隼瀬は大地に立った。

 

「ということで心配をかけたが……いくぞ、ブライアン」

 

「ああ。中々に、アンタらしくなってきたじゃないか」

 

 当然の権利のように後部座席に座って豪快に背もたれを倒して寝はじめるブライアン。

 そんなネコ科の肉食獣のような自由さを持つ彼女とは対象的に、イヌ科のサイボーグは丁寧に助手席に座った。

 

「行きましょう、マスター。ナビゲートは必要ですか?」

 

「いや、いい。腹は括った」

 

 なんだかんだ、土壇場に強い男なのである。

 車の運転はいつも通り、いやいつも以上に気を遣った発進で静かに公道へ乗り出し、車の作り出す流れに乗った。

 

「混んでいますね」

 

「ああ。おそらく、もっと酷くなる」

 

 酷くなるといっても、そう忌むべきばかりなことでもない。この混み具合はすなわち、トゥインクル・シリーズというものが人気であるという何よりの証なのだから。

 

 中距離の王者を決める、天皇賞秋。

 芦毛のウマ娘としてはタマモクロス以来、単にウマ娘としてはスペシャルウィーク以来の、天皇賞春秋連覇へ。

 

 これから2時間後、ビワハヤヒデはそういう偉業へ駆けていく。

 その偉業をひと目見ようとする人たちが、こんなにもいる。これはトゥインクル・シリーズというものに関わる人間として、幸いなことだった。

 

「姉貴は」

 

 後ろの席、寝ていたと思っていたやつ。

 怪物と呼ばれるウマ娘は、渋滞の中でポツリと呟いた。おそらく、こういった質問を向けるにはこの上なく最適で、無上の信頼を置くに値する男に。

 

「勝てると思うか」

 

「9割9分、勝てる。だがトゥインクル・シリーズに絶対はない」

 

 トゥインクル・シリーズに絶対はない。

 それは、至言だった。金言だった。それを覆し得たものは、シンボリルドルフただ1人だけ。

 

 トゥインクル・シリーズに絶対はない。だが、そのウマ娘には絶対がある。

 シンボリルドルフ、永遠なる皇帝。神話の世界にしかなかった三冠ウマ娘という単語を人の世界にまで引きずり下ろした常識破りの大英雄を完膚無きまでに叩きのめし――――そして、断崖のように聳えていた日本と世界のレベルを近づけた者。

 

 日本からはじまりアメリカを経由した彼女の無敗の航路はフランス、凱旋門で敗れた。しかしそれでも、彼女には絶対がある。

 そう信じさせる、何かがある。

 

「9割9分か」

 

「ああ」

 

 ――――アンタならそれを、10割にできるのか

 

 詮無い質問を投げかけようとした頭を振って、窓の外を見る。

 曇天だった。とても、いい天候には見えない。

 

 姉には、この空がどう見えているのか。

 姉妹として多くの、産まれてから殆どの時間を共有してきた。それでも、わからないことはある。

 

「有馬記念。勝とうな」

 

 自分の態度で余計な不安をかけさせた、とでも思ったのか。

 敢えて先を見据えさせる、そんな言葉。

 

「……ああ」

 

 私のトレーナーが、こいつでよかった。

 ナリタブライアンはそう思った。

 

 そしてたぶん姉貴も、そう思っているだろう。あの優男を前に、今も。そして、これからも。

 そう思うだろう。自分が選んだトレーナーと組んで、歩んで。

 

 そこに、後悔はないはずだ。

 

(クソ)

 

 胸騒ぎがする。

 東条隼瀬が、自分のトレーナーがどうこうというのではない。態度に感化されたわけではない。

 

 ただ、嫌な予感がした。朝起きて、歯を磨いて、あくびをして。

 そんないつもどおりの日常を構成する一部に、罅が入る音がした。そんな気がした。

 

 だから、訊いたのだ。姉貴は勝てると思うか、などと。

 

「午後から、雨が降るそうです」

 

 ミホノブルボンの透き通るような声が、耳朶を打つ。

 

 嫌な空だと、そう思った。

 

 

◆◆◆

 

 

 ――――ブライアンに勝ちたい

 

 その思いが日に日に強くなるのを、ビワハヤヒデは感じていた。

 それはおそらく、ウマ娘の本能。そして、姉としての意地。更には、競技者としての憧憬。

 

 ブライアンには、自分にはない何かがある。

 幼い頃。妹の才能が目覚めてから常に、ビワハヤヒデはそう思っていた。

 

 だから、夏をトレーニングで埋めた。

 才能の乏しい自分が、才能の豊かな妹に勝つ。その為には、努力するしかない。より多く、より良質な努力をするしかない。

 

 宝塚記念で、相対したとき。

 

 経験では勝っていた。

 妹には、苦戦した経験がない。ライバルと鎬を削り合うという経験がない。

 自分には、タイシンが居た。チケットが居た。皐月ではタイシンの末脚に敗れ、ダービーではタイシンの背を追ってチケットに敗れ、そして夏休みを返上して坂路で鍛え抜き、菊花で遂に勝った。

 

 練習量でも勝っていた。

 坂路トレーニングの有効性を、彼女は去年の夏に身を以て知ったのだ。ミホノブルボンというウマ娘を最強にまで押し上げた双璧のうちの一つの、有効性を。

 1年産まれるのが早かったというアドバンテージを、自分は持っているのだから。

 

 では、なぜ負けたのか。

 

 ――――怪物

 

 妹は、そう呼ばれていた。

 そう、過去形である。そしてそれを過去形にしたのは、ビワハヤヒデだった。

 

 ナリタブライアン。その才能が再び目覚めたことによって発生した第二の領域。

 影とは妹にとって恐怖と孤独の象徴だった。故に彼女は影を砕き恐怖を打ち砕いてきた。だがあの葦毛のトレーナーが側に立ち、彼女の強さを恐れず跳ね返してみせるウマ娘たちが周りにいて、ナリタブライアンはそれを受け入れた。

 

 彼女は、自らの恐怖と孤独を飼い慣らしたのだ。

 黒は、闇は、人間の根源的な恐怖の色である。

 だからだろうか。ビワハヤヒデには、あのときの妹が黒い波を、霧を纏っているように見えた。

 

 ――――姉妹対決となりましたが、あらためて。対戦相手として見るナリタブライアンは、どうでしたか?

 

 ――――影を纏っているように見えた

 

 自分と同じ黄金の瞳が、その中で光っていた。

 

 このインタビューの後、怪物は単なる怪物ではなくなった。

 恐怖を呑み込み纏う、影纏いの怪物。

 

 故に、【シャドーロールの怪物】。

 

 その怪物に勝つには、その差を埋めるには、多くの努力をするしかない。

 その結論に達して、ビワハヤヒデは直談判した。

 

 天才を凡人が打ち砕く為に必要なものは諦めではなく努力であると、証明したウマ娘がいたからである。

 そのウマ娘は、無敗で三冠の栄冠を得た。今年ステイヤーズミリオンを完全制覇した歴代でも最高峰のステイヤーを相手に菊花と春天という長距離でも負けず、ジャパンカップと有馬記念では自分では勝てなかったトウカイテイオーを連破し、宝塚記念では皇帝に土をつける。

 そして凱旋門ではアメリカで無敵を誇ったサイレンススズカを敗って日本トゥインクル・シリーズの悲願である凱旋門賞制覇を果たした。

 

 彼女と比べて自分は遥かに才能に恵まれている。自惚れではなく自虐気味に、ビワハヤヒデはそう思った。

 中距離を、長距離を、当たり前のように走れる。ミホノブルボンより遥かに、恵まれている。なのに、諦めるわけにはいかない。諦めるには、早すぎる。

 

 故にビワハヤヒデは、夏を返上した。妹が夏の間ほぼ雑用しかさせられていなかったことを訝しみつつも、喜んだ。

 この夏が勝負だ、と。この夏で実力を埋め、有馬記念で勝ってみせると。

 

 

「お前は、隼瀬くんやない」

 

 

 夏の中頃。トレーニングから坂路を一本減らした頃。また坂路を増やしてくれてかまわないと言いに行こうとした彼女の視線の先で誰かが、相当人相の悪い男がそう言っているのを見た。

 

 

「偽物は偽物なりに身を弁えんと痛い目見るで」

 

 笑うような言葉、笑っていない瞳。その言葉を放った男は、そう言って手をひらひらさせて去っていく。

 

 トレーナー。

 自分の無茶を受け入れてくれた、自分が選んだトレーナー。

 そんな彼が侮辱とも言うべきその言葉を黙って受け止めているのを見て、ビワハヤヒデは決意を深めた。

 

 

 ――――結果で、この脚で黙らせてやる

 

 

 夏の期間、怪我しないギリギリを攻めた。

 途中から坂路トレーニングが一本減らされたことには後悔が残ったが、それでも確かな成長を得られた。

 

 その結果が、オールカマーで出た。

 復帰を果たしたウイニングチケットを相手にしての、勝利という形で。

 

 二言、三言。

 天皇賞秋。中距離最強を決めるレースを前にそれだけの言葉をトレーナーと交わして、ビワハヤヒデはパドックへ続く通路に入った。

 

「チケット」

 

「ハヤヒデ! 久しぶりー!」

 

 脱臼。

 癖になりやすいその怪我をじっくりと――――あの老練という言葉が服を着て歩いているようなトレーナーのもとで治してきた親友は、パドックに続く道の光を背に待っていた。

 

 別に、久しくはない。

 実に1年ぶりの復帰となるオールカマーでは、顔は合わせた。だがお互いに思うところがあり、言葉を交わしたわけではない。

 

 そしてついでに言うなら、私生活では結構な割合で一緒にいる。だから本当に、久しくはない。

 

 だからチケットが言いたいのは、実戦の前に話すのが、ということなのか。

 そこまで解釈して、自分を納得させ、ビワハヤヒデはふと思ったことを口に出した。

 

「そ、そんなに振って大丈夫なのか、肩は……」

 

「え、あー!!」

 

 気づかなかったくらいなら、大丈夫なのか。

 そう安堵したビワハヤヒデとは対象的に、肩を覆うように意匠が変更された勝負服を着たウイニングチケットはにぎやかに表情を変えた。

 

「い、言わないでね、ハヤヒデ……」

 

「ああ。すっかり治ったようだしな」

 

「うん! もうバッチリだよ!! だけど……」

 

 BNW。

 1年前、クラシック路線に挑んでいた頃。

 レース前の会話を、この二人は数え切れない程にした。そしてその会話には決まって、もう一人がいたのだ。

 

「タイシン、屈腱炎だって」

 

「ああ、聴いている」

 

 屈腱炎。それはウマ娘にとっての不治の病。発症原因もわからないし、完治はしない。精々寛解するくらいで、常に再発のリスクが付きまとう、そんな病。

 

「だが、タイシンだ。例の負けん気を発揮して、すぐにでも復帰してくるさ」

 

「うん……うん! そうだね!」

 

 そう信じたかった、だけなのか。その後もまた見舞いに行ってやろうなどと言葉を交わしてから、二人は肩を並べてターフに出た。

 

 真ん中を、ほんの少し。

 小柄なウマ娘ならば通れるだけの間を空けて。

 

「ここからは」

 

「うん。ここからは」

 

 ここからは、単に友達というだけではない。

 そのあたりの線引きを見誤る二人ではない。チケットはトレーナーに向かって脱臼した方の手をブンブンやってどやされ、ビワハヤヒデは視野を広く持つように首を左右に振った。

 

 機能的な減量を果たした身体が軽い。

 そしてなによりも、調子がいい。未踏の領域に、踏み込める。そんな感じがする。

 宝塚記念を終えて夏を越えて、そしてオールカマーを経てここに至るまで、あと一歩というべき状態が続いている。

 

 観客席を見た。そこにはブライアンがいて、ミホノブルボンがいて、そしてなんだか体調がよろしくなさそうな東条隼瀬がいる。

 

(見ていろ、ブライアン)

 

 あと一歩を、ここで詰める。切り札たる必殺の領域を得て、有馬記念でお前に挑む。

 純粋な闘志に満たされたその視線が血を分けた妹の同色の瞳に突き刺さり、そして返ってきた。

 

 少しの安堵が含まれた、返礼じみた闘志と共に。

 

「ブライアン! 夏休みを満喫していたそうだが、大丈夫なのか!」

 

 その訝しさを解消するために、ビワハヤヒデはことさら大きな声で呼びかけた。

 

「隣のやつに訊け、姉貴」

 

「いけるいける」

 

 水を向けられた男は、即座に言った。死ぬほど適当な返しである。

 しかしその死ぬほど適当な言葉の裏には周密な計算があることを、ビワハヤヒデは宝塚記念で知った。

 

「マスターは、休むことで得られる強さもある、と仰せです」

 

 翻訳ロボ(GⅠ11勝)の翻訳に頷き、ビワハヤヒデはなんとなく会話を続けた。

 

「前哨戦には出なくて大丈夫なのか?」

 

 夏に死ぬほど休んだ挙げ句、前哨戦をブッチして菊花賞に直行。

 割かし非常識なローテーションである。なにせ最近まで前哨戦、即ちトライアルレースを挟んでGⅠに挑むのが当たり前だったのだから。

 

「おい」

 

「いけるいける」

 

「マスターは、ブライアンさんの出力に負けがちの脚を無駄に消耗させない為、ひいては前哨戦でよくわからない伏兵に討ち取られるリスクを減らす為、出る必要はない。ここは情報を収集し、剪定し、本番たる菊花賞に挑む。これこそが最善の手である、と仰せです」

 

「だそうだ」

 

 翻訳ロボ(欧州ウマ娘以外で初の凱旋門賞制覇)の八面六臂の活躍により、どうにか成立する会話。

 

 大丈夫なのか。死にそうだが。

 そんな言葉が洒落にならないほど、彼は病弱であったらしい。

 

 だから、結構空気を読める質のビワハヤヒデは口をつぐんだ。

 

「見ていろ」

 

「ああ」

 

 挑む側が、挑まれる側に。

 挑まれる側が、挑む側に。

 

 春のあのときと構図を同じくしながらも、立場が違う。その変化を楽しむような余韻を残して、ビワハヤヒデはゲートへと向かった。

 

「いけるいける」

 

「マスターは、無論観戦するために来た、と仰せです」

 

 そっちには言ってない。

 趣味も嗜好も結構異なる二人の姉妹が、ほぼ同時にそう思った。




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