ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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ブル公


アフターストーリー:忠犬

「貴方はなんというか、トレーナーライセンスを英検5級程度にしか思っていないようですね」

 

「ええ。そんなものでしょう」

 

 中央のトレーナーライセンスは一応、国内最難関の大学かそれ以上の試験を必要とする資格である。

 外部生向けに開かれている門戸、年に1回のトレーナー試験は合格者が出ないこともそう珍しいことではない。

 

 もっとも国立ウマ娘公苑で経験を積んでチーフトレーナーに採用されたり、トレーナー学校などを卒業すればライセンス自体は簡単に(卒業率10%程度)とれる。

 

 そんな狭き門を潜り抜けてもそこで待つのはサブトレーナーとしての下積み期間。

 それが終わっても結果が出なければ資格を剥奪されたり、地方トレーナーライセンスへ降格されたりなどの生存競争。

 

 その激しい競争社会、いや競走社会を知っているからこそ、URA職員はこれを冗談であると解釈した。

 

「……冗談はこれくらいにして」

 

「冗談ではないさ」

 

 勘弁してください。

 職員はそう思い、そして口に出しそうになった。

 

「……これくらいにして! 一応貴方の行動は規範に反した行いです。ご存知でしたか?」

 

「自慢ではありませんが、俺は規範を知らないで反したことは一度たりともないですよ。罰則規定やなにやらを、わかった上でやっている。つまり、ご存知です」

 

 つまり、真なる意味での確信犯である。

 

「だが別に規範を破るのが楽しいからやっているのではなく、破らなければならない状態だったから破ったに過ぎません。そこのところは誤解しないでいただきたい」

 

「……まあ、それはわかります」

 

 エアグルーヴハイキック事件とか特にそうだ、と思った。フラッシュを焚きまくっていたカメラをパコーンと蹴り飛ばしたアレ。

 今回もそう。故障発生となれば、迅速な対応が求められる。

 

 ただ、それをやるべき人間は他に居たのである。

 5着になり、明らかに様子がおかしかったウイニングチケットならともかく、2着に入ったビワハヤヒデが故障していることに気づいた医療スタッフはいなかったが。

 

(そもそも、気づくのは難しい)

 

 そう、職員は思った。

 

 ウマ娘の故障は、わかりにくい。基本的に強靭な精神力を持っている上に強がりの多いウマ娘は、明確に――――テンポイントのような事例にならない限りは気づかれないように振る舞う。

 そういったときに気づくのはたいてい、そんな強がりなウマ娘と二人三脚してきたトレーナーの方である。

 

 だからトレーナーから通報がいって医療スタッフが出動する、という流れになる。その流れになるまでに乱入してきたのが、今回の事件であるわけだ。

 

「とにかく、ご説明いただけますか。まず、なぜあそこまで迅速な対応ができたのか」

 

「なんとなく嫌な予感自体はしていたので、備えていたのです」

 

「なるほど、だから車椅子やらなにやらがあったわけですか」

 

「いや、それは3年前からやっていました。父が占領していた部屋があったでしょう。あそこに色々と持ち込んだわけです」

 

 あー、あの会議室かと、職員は納得した。

 押しも押されもせぬスタートレーナーであった、東条鷹瀬。彼が名門パワーでねじ込んだ、府中倉庫などと渾名される個人部屋。

 

 ――――あ、これ。僕の部屋になったから

 

 そんな一言でねじ込まれたという、そんな部屋。

 頼まれればどんな――――引退寸前のウマ娘の『最後のレースでなんとしても勝ちたい』という願いでも聞き入れる男だっただけに、連日連夜トレセンと府中を行き来するのが辛かったらしい。

 

 だからそのへんを、当時の上層部が気を利かせた。あるいは、仕方ないなぁ、と絆された。

 そしてその部屋は、ずーっと空いていた。なんとなく、あの伝説のトレーナーの居室を荒らすのが憚られて。

 

「一応許可は取りましたよ」

 

「そうでしょうね。で、あそこにあった小道具とかはどうしたんですか?」

 

「動員した父が親戚の子にあげるとか言ってました。一応調べたところ私物であったようだったのですが」

 

 備品じゃないよーとか言ってましたが、個人的に信用ならないので。

 そんな彼に曖昧な頷きを返しつつ、職員は少し残念に思った。別に備品とかではなく、いらないなら欲しかったのである。

 

「ゴミを押し付けられた親戚の子とやらには同情しますが、まあそんなところです」

 

 東条隼瀬の知らぬことだが、押し付けられた当人は幸せなのでオーケーである。

 

「で、どのあたりで故障だとわかったのですか?」

 

「第3コーナー付近ですね。走り方がおかしかった」

 

 そうは見えなかったが、そうなんだろう。

 そんなある種諦めに似た寛容さで、職員は調書に書き込んでいく。

 

「なるほど。ではレースが終わるまでは、待っていただけたわけですか」

 

「まあ、走っているウマ娘たちが意識をこちらに取られたら危険ですから。一応その間は電話したりで時間の調節はしていました」

 

「なるほど。ではウイニングランが終わるまでは待っていただけなかったのは……」

 

「ウイニングランと言ってもほとんどの子は減速していますし、集中力は分散されています。つまり、視野が広がっている。となると乱入してもこちらに気を取られて怪我する可能性は低いと判断しました。それに、故障には迅速な処置が必要です」

 

 他のウマ娘に直接故障に繋がるような迷惑をかけず、そして可能な限り迅速なタイミング。

 それが、ウイニングランだった。そういうことかと納得し、そして頷いた。

 

「ですがウイニングランを含めてレースです。規定違反は免れないでしょうね」

 

「まあ、いいですよ。それでビワハヤヒデなりウイニングチケットの症状が少しでも緩和されたなら」

 

「……なんというか、もう少し待つことはできなかったのですか? 一刻を争うとはいえ、ほんの数分でしょう。この数分を争うということを具体的に説明していただければ、こちらとしても動きようがあるのですが」

 

 できれば、庇いたい。

 そんな気持ちが感じられる言葉に首を傾げ、一考する。

 

 しかし本当に一考しただけで終わり、東条隼瀬は沈着な顔のままに口を開いた。

 

「ないですね。ただ、炎症を起こしていた脚は一刻も早く冷やすべきではあります。それが気のせいだとしても、あるいは数分見逃していても結果が変わらなかったとしても、動いたことに後悔はありません」

 

「と言うと」

 

「変わるか変わらないか、わからないでしょう。そのときには。その中で最善をとったつもりです」

 

 それはわかる。ただ、もう少しこちらが動きやすいようにしてほしかった。

 

 URAは、詰んでいた。

 東条隼瀬は、久々に出てきたスタートレーナーである。

 

 なにせ、顔が抜群に良い。名門だけあって気品のある振る舞いは、多くの女性ファンを獲得している。

 外国勢にボコボコにされてばかりの日本のトゥインクル・シリーズを臍を噛んで見てきた古参ファンは彼を見て快哉を叫ぶ。

 

 日本勢のジャパンカップ初勝利、アメリカでの初勝利、凱旋門賞初制覇など、海外を敵に回して圧倒し続ける姿は、彼らからすれば胸のすく思いだったからである。

 

 名門の出故に古参の勢力にも顔が利き、寒門出身のミホノブルボンを三冠ウマ娘にまで押し上げたが故に寒門からの支持も厚い。

 ブルボンが巻き起こしたムーブメントで獲得した新規ファンなどは、東条隼瀬くらいしかトレーナーを知らないというのも珍しくもない。

 

 そんな奴を処分すれば、ものすごい反発を喰らうだろう。

 これが犯罪とかをやらかしたとかそういうのならいっそマシだったが、やったことと言えばウマ娘の故障を察知し応急処置を施しただけである。

 

 だから、レース場に詰めかけたファンからはブーイングが飛んだのだ。なんで正しいことをしたのに、しょっぴかれるんだと。

 

 しかし、処分しないわけにもいかない。規定には違反しているわけだし、これをいいよいいよと許せば組織の箍が緩む。

 ついでに言えば、故障発生と勘違いした自称関係者が乱入してくる可能性すらあった。

 

 罰さなければならない。

 しかし、罰するべきではない。

 

 菊花賞が迫っているのだ。いくらナリタブライアンとはいえトレーナー無し、所謂空ウマ娘で勝てるほどGⅠは甘くない。

 さらに言えば、彼はアメリカのトゥインクル・シリーズから招待されている。しかも11月中旬の大レースに。

 

「後先とか、考えられなかったのですか?」

 

「ブライアンとスズカに申し訳ないとは思いますよ。ですが彼女らはチームに所属していますから、代打を見つけることは容易い。加えて言えば、情けないことに俺が現場レベルでできることなどたかが知れています。まあ、なんとかするでしょう」

 

 そう。こうして彼も申し訳ないとは思っているわけだが、しかしおそらく、二人は言うだろう。

 

 ――――下手にこちらの事情に斟酌して遠慮してらしくなくなられる方が嫌だ、と。

 

「ともかく、URAさんサイドには組織として適切な判断を下してほしい。それが望みです」

 

「……はい」

 

 どっちが譴責される立場かわからない。

 その後もひとつふたつ質問を浴びせられ、彼としては誠実に答えてこの場は収まった。

 

 URA監査室からぬっと出て、併設されているウイニングライブ会場の方に集まっている客の波をちらりと見て、東条隼瀬はレース場から出た。

 

 秋深し。時を経れば経るほど暗くなりがちな闇の中に、ピカリと光る耳飾り有り。

 

「なんだ、待ってたのか」

 

「お勤めご苦労さまです、マスター。ですが少しお待ちください」

 

 ブルボンのサインをもらった客から驚いたような目で見られたり励ましの言葉を送られたりした東条隼瀬は、それらに丁重に言葉を返しながら即席サイン会生成ロボがサインを書き終えるまで待つ。

 

「お待たせしました、マスター」

 

 ブライアンは?とは訊かなかった。ビワハヤヒデさんのお見舞いに行きました、という答えが返ってくるのはわかりきっていたからである。

 

「よく行かせてくれたな」

 

「はい。マスターが出てくるまでここで待つと仰られていましたが、マスターを待つことに意味はありません。それよりもビワハヤヒデさんの側にいるほうが役に立つと考えました」

 

 意味はないのに、何故ブルボンは待っていたのか。そういう益体もないことは、さすがの東条隼瀬も訊かなかった。待ちたかったんだろ、くらいな思考である。

 

「そのとおり。偉いぞ、ブルボン」

 

「はい。偉いです」

 

 だから褒めてくださいと胸を張る姿はまさに犬。

 そんな犬を撫でて、東条隼瀬は自然に前に出た。その斜め後ろから、てこてこブルボンは付いてくる。

 

「なにか食べて帰るか……なにがいい?」

 

「たこ焼きが食べたいです」

 

「たこ焼き。まあいいが、なぜだ?」

 

「助けてくださった方が食べてらっしゃいました」

 

 まあ、そんなところだろうな。

 基本的に何でも食べるブルボンが【オーダー:食べ物リクエスト】をこのように容易くこなせる。それはつまり、誰かが食べていたものを食べたいと思ったからであろう。

 

「じゃあ、銀だこにでも行くか」

 

「マスター。銀だこは邪道だそうです」

 

「あ、そ。美味いんだがな」

 

 じゃあ他のたこ焼き屋にするか……と、スマートフォンを取り出して検索し、ふと気づいた。

 

「そうだ、ブルボン。俺は今担当している娘達が引退するまでトレーナーを辞める気はないといった。だが辞めざるを得なくなるかもしれない」

 

「データベース内にレース中侵入規定違反の前例を確認。そのトレーナーはレース中特定のウマ娘の進路を妨害させるべくウマ娘に行動を強いたが故に、トレーナーライセンス剥奪に至った、と」

 

「そう、それ。ということで、俺は日本ではトレーナーを首になるかもしれない。だからそうなったら、ライセンスのあるフランスに拠点を移す。そこで経験を積んで、なれれば日本で教官になる。そうなるとまずお前と、たぶんスズカは来るだろうと思っていたんだが、来るか?」

 

「マスター。私は本日8時21分に音声データの提出を行いました」

 

 ――――マスターの行かれるところであれば、地の果てまでもお供します

 

 まっすぐ見えてくる、星の瞬くような美しさを持つ深い青の瞳。

 美しい。あまりにも中身が子供だからそう思ってこなかったが、東条隼瀬は極めて素直にそう思った。

 

「その言葉に、偽りはありません」

 

「そうか。そうだろうな」

 

「あとたぶん、スズカさんだけではないかと」

 

「ああ、ブライアンか。あいつの場合1年予定が早まるだけだから、別にいいのかな」

 

 ルドルフは忙しいだろうし……と続けた瞬間、ミホノブルボンは若干シンボリルドルフに同情した。

 

 皇帝で居続けるのも大変なことだ、と。

 その点自分はペット枠だから、そこらへんが楽でいい、とも。

 

 

 一方そのころ。

 

 

「……どうしたものか」

 

 額を突き合わせる勢いで悩む、URA上層部の皆々様。

 

「処分はしなくてはならないでしょう。悪しき前例を作る」

 

 そういう彼も、なにも東条隼瀬が嫌いだからこういうことを言うのではなかった。

 有能だから、正しいことをしたから。そういうことで許していては、いずれ特別扱いの誹りを免れないし組織が機能しなくなる。

 

「ですが処分するにしても、ウマ娘の故障を助けに行って不利益を被ればそれはURAとしての精神に反しますよ。人命救助して痴漢扱いされるようなものではありませんか」

 

 URAの精神とはつまり、健全に公平に、ウマ娘たちのレースを主催するということである。

 健全にというのはなにも組織的な汚職をせずということではなく、健康に配慮しながら、ということも含まれる。

 

 その点で、東条隼瀬は間違ったことをしていない。憲法を遵守して法律に違反したようなものである。

 

「ここで処罰すると上り調子の人気に水を差す可能性もある。我々がそれの責任をとって辞任するのはまあいいとして、トゥインクル・シリーズ自体が下火になるのは見過ごせない。ここは適切な処置があったからこそという医師の診断書をとってきて、その証拠を下地に許すという形にしてはどうだろうか。無論、問題となった規定には後々から手を加える形で」

 

「よろしいですか」

 

 末席に座った男が手を上げた。

 少し前ならば出しゃばるなと嫌な目で見られたであろうが、月刊ターフごと闇に葬られた先代の敗戦処理をし続けてきた現上層部のお歴々は頭が柔らかかった。

 

「なんだね、東条くん。思うところがあるならば、言ってみたまえ」

 

「確かにここで単に処罰すると一時的に非難をされるでしょう。ですが処罰しなければ将来の禍根を残しますし、個人に忖度して制度を曲げるのは組織として健全な有り様ではありません」

 

 おい、お前の兄のことだぞ。

 上層部の大半がそう思ったが、彼らは口に出さなかった。

 

 この眼鏡をかけた弟が身内に忖度するタイプではないことを、知り過ぎるほどに知っていたからである。

 

「ここは罰するべきです。しかし罰するだけでは規則を遵守するばかりで柔軟性が失われてしまうのもまた、確か。ならば同時に行うべきだと考えます」

 

「つまり、どうするのかね」

 

「つまり――――」




85人の兄貴、感想ありがとナス!

いんすぱ兄貴、BDTKファルコン兄貴、神楽坂忍兄貴、Eyc兄貴、かかと兄貴、彗星のカービィ兄貴、評価ありがとナス!

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