ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
「いいでしょう」
メジロの総帥。
マックイーンらにはお祖母様と呼ばれて尊敬される――――シンボリの本家で産まれて嫁いでいった彼女は、厳かな雰囲気を崩さずにそう言った。
謹慎と言ってもウマ娘の指導を禁止されただけということもあり、東条隼瀬は謹慎期間を有益に過ごしていた。
つまり前途有望なトレーナーとウマ娘の未来をより良いものとするために、そしてトゥインクル・シリーズにおける名家の付き合いに有用な前例を敷くために働いていたのである。
「こちらとしても医療のノウハウを共有することに否やはありません」
メジロの医師団は、有能揃いである。
ステイヤーというのは、長い距離を走るだけに負荷も多く、したがって怪我も多い。
その怪我に対処し、そして昨年はメジロマックイーンの繫靭帯炎を寛解にまで持っていった。
そして屈腱炎にしても、メジロライアンやメジロアルダンといった面子に対して復帰にまでこぎつけた実績がある。
故に、ビワハヤヒデやウイニングチケット、ナリタタイシン。彼女らの治療にメジロ家の医師団の助力を得たいと、そう請うた。
ウマ娘の医療技術とは、経験の蓄積である。トレーニングメニューの組み方やレースの使い方、領域と同じく相伝的な側面が強く、やすやすと開示できるものではない。
それだけに、この申し出があっさり承諾されることは意外だった。
「よろしいのですか?」
「無論です。私とて嘗てはトゥインクル・シリーズに参加した身。怪我によって道が絶たれる辛さはわかります。ですが、そう簡単に秘伝を明かすわけには行きません。貴門の出の貴方なら……いえ、貴方だからこそわからないかもしれませんが」
東条隼瀬は、秘伝をばら撒いてきた男である。
シンボリ家伝来の物はともかく、東条家伝来の物や自分が編み出したものを秘匿したことは一度たりともない。
「名門というのは、風通しの悪いものです。そのことはわかっております」
「そうですか。私は貴方がそのことを知らないと誤解していました。申し訳ありませんね」
無論、言うまでもなくこれは皮肉である。
知っていて無視するのがこの男だということを、このメジロの総帥は知っていた。
「……私は老境も老境です。そう長くはありません。今のうちに閉鎖的なメジロ家の家風を切り開いておきたい」
メジロ家は、天皇賞を制覇する為にある。
嘗ての長距離全盛の世で、メジロ家は天皇賞の為に存在していた。そしてそれは今も変わらない。むしろメジロマックイーンなどが居る今が全盛期とすら言える。
だが全盛期のあとが衰えるばかりであることを、この老人は知っていた。
だからこそ、メジロ家の舵取りをここらで緩やかに転換していく必要があることも、彼女は知っていた。
「後に続く、ライアンのためにも」
「メジロ家の天皇賞路線を保持しつつ、クラシックディスタンス軸にしようと言っておられるとか。正しい見識であると考えます」
「……さすがに、耳が早いですね。名家の中でも切っての国際派だけはある」
メジロライアンはその意志を公言したことはない。個人的に相談しに来たことはあったが、公には今でもメジロは【天皇賞のメジロ】である。
それを掴むとはさすがの情報網だと、総帥は表情を変えないまでも感嘆した。
かつて国際派の双璧であったメジロ家とシンボリ家。今となってはメジロ家は国際派とは言えなくなり、そして時代の流れにも疎くなった。
(その疎くなった結果が、この情報網の正確さと機敏さの差として出ている、ということですか)
疎くなったことで、結果は出た。天皇賞といえばメジロ家であると言われるまでになった。
(しかし、この差は大きい)
そう思った総帥であるが、これは実のところ東条隼瀬個人の才覚から生まれ、これまた個人の才覚で運営しているものに過ぎない。
ルドルフは、正しい情報があれば正しい判断を下してくれるだろう。
そういう思いのもとに生まれた情報網が数年やそこらで作り上げられる程度のものなのだとは、彼女は思わなかったのだ。
現にライアンのクラシックディスタンス志向を伝える情報は、玉石の中にあった。
障害レースだけでなく短距離へ翼を広げようとしているとか、マイル路線のために政略結婚を企てているだとか、天皇賞を捨てることはありえないだとか。
そんな中から一々裏を取って照らし合わせた結果が、【本家のホープであるメジロライアンはクラシックディスタンスへの傾斜を強めようとしている】というものだったのである。
(何世代かかけて、追いつくしかありませんね)
総帥としては、そう思っている。
しかし彼の情報網は東条家のものでもシンボリ家のものでもなく、傑出した個人を補佐する為に作られたという、ただそれだけのものだった。
だから思っているよりも溝は小さい。思っているよりも深いかも知れないが。
「国際派どうこうは置くにしても、大丈夫なのですか? 他者との協調路線はメジロ家の総意ではないでしょう」
この男は、どこまで知っているのか。
そう問えば半ばハッタリで、『すべてを』という言葉が返ってきたであろう。
「彼らが棺桶に文句を垂れても何にもなりませんよ」
「彼女らも、でしょう。むしろ栄光を築いてきた者たちの方が誇りは強く、そして固い」
「ええ。ですから、貴方に手を貸すのです」
嘗て共に栄光を築いてきた者たちと、反目しつつある。
そのあたりも知られていることを察して、総帥はあっさりと事実を認めた。
「前例を作るということですか」
「それだけではありません。貴方に貸しを作っておくことは、後のメジロ家にとって大きな意味を持ってくる。そういうことです」
「ご期待に添えますかどうかはわかりませんが、求められれば最善は尽くしましょう」
「それで構いません。私は未来を見れませんが、私ではない誰かが未来を見て、そこに貴方を巻き込むことでしょう」
派遣する医師団を決め、日程を定め、礼と共に深々と一礼して去っていく。
そんな男の背を見送って、総帥は後ろに隠れたウマ娘に声をかけた。
「ライアン。そういうことです」
「お祖母様……」
「心配はいりません。あの男は騙しもしますしハッタリも効かせます。言っていることは真実でも、その裏に蛇を潜ませることもあるでしょう。しかし、約束を破ることはできません」
なにせ、取るに足らなかったはずの寒門のウマ娘との約束すら守ってのけたのだから。
(どのみち、断るという選択肢はなかった)
断るとシンボリ家とナリタ家を消極的にせよ積極的にせよ、敵に回すことになる。
そうなるといよいよメジロ家は時代に取り残されることになるし、追いつけなくなるだろう。
はいかYESしかない理不尽な二択を突きつけられ、そして総帥は可能な限りの最善を尽くした。
この会談はつまり、そういう意味を持っていた。
「ライアン。あの二人がいる限り、シンボリ家がどうにかなることはあり得ません。依存しない程度に指針として利用することです。
連衡は構いませんが、一心同体になってはいけません。貴方のトレーナーにも、そう言っておくように」
「はい。ですが、こうも簡単に約束を取り付けられるというのは……意外でした」
もっと曲者かと思っていました。
そう言わんばかりのライアンの顔を見てクスリと微笑み、メジロ家の総帥は彼女の肩書らしからぬ気軽さで口を開いた。
「あの男は、賢い。過去も広く知っていますし、未来も遠く見れる。今のこともよくわかっているでしょう。ですが気質が直情的で善良なので、交渉的に自ら追い詰めた相手であっても窮鳥のごとく頼まれれば断り切れない。そういうことです」
あの二人。
その片割れは、メジロ家の門の前に車を走らせた。
そしてベストなタイミングで、門から見慣れた芦毛が出てくる。
「やあ、頑張るね」
「ああ。俺とお前の志のためでもあるからな」
なんの驚きも躊躇いもなく助手席に座り、ちらりと車の内装を見る。
シンボリルドルフはいつものように、東条隼瀬の車を運転してきたわけではなかった。これは立派な新車であり、彼女自身の持ち車である。
「メジロ家はどうだった?」
「大変そうだったよ。その点こちらは楽でいい。なにせ皇帝専制だから」
それは皇帝を眼の前にして言うことなのか。
それはともかく、シンボリルドルフはちょっと胸を張って新車を発進させた。
「一強すぎるのも考えものだが、権限を分散し過ぎるのもよろしくない。とはいえ私の後継者は家内にはいないだろうし、そこそこに分散するべきかな」
シンボリの家は、傑出した個人に名家としてのリソースを注ぎ込んで指導体制を敷く。
つまり個人の資質を見極め損ねると割と大惨事になりかねないわけだが、少なくとも今のところはうまくいっていた。
「というかお前、運転手なんかしないで休んだらどうだ。30歳で死ぬぞ」
「いや、私は85歳まで生きることになっている。君こそ身体が強くないのだし、しまいには早死にするぞ」
「俺はこれまで何回も病気で死にかけている。だから死は隣人のようなもんさ」
それにしても、と。
いつもの如く軽口を叩きあって、東条隼瀬は車の内装を見回した。
「お前、新しく買ったのか」
「ああ。名前も付けてある」
「聴こうか」
「パーソロンだ」
なんでそうしたかはわからないが、何となくしっくりくる名前である。ついでに言えば語呂がよくかっこいい。
「普通にかっこよくてびっくりした」
「君のはなんと言うか……乗り物につけていい名前ではないからな」
「言っておくが、俺がつけたんじゃないぞ。父がつけたんだ」
さて、そんな会話のあった3日後。
その日に行われるレースは無数にあるが、やはり注目されるのはクラシック三冠レース最終戦、菊花賞。
紙面やテレビニュースなどはナリタブライアンの三冠成るかということばかり報じているあたり、トゥインクル・シリーズというものが如何に日本の中で熱狂的な人気を持つものであるかわかるだろう。
しかしURA運営としては、なるべくナリタブライアンの勝利を前提として喧伝するような報道を避けた。
レースに勝つ前から銅像を建てたり、運営組織自らが勝利を予想するような真似をするあざといやり口は一部から批判を被り、なによりもひたむきに努力していた現場のトレーナーやウマ娘に不本意な毀誉褒貶を与えかねないことを知っていたのである。
だがそれでも、菊花賞を勝つのはナリタブライアンだと思っているものは大半であった。
誰が、どのように勝つか。
皐月賞前まではそう思っていた世論はダービー前には『ナリタブライアンに如何に喰らいつけるか』に変わり、そして宝塚記念前には『ブライアンがどのように勝つか』というところへと変化した。
そしてクラシック級の身の上にしてシニア級最強クラスのウマ娘であるビワハヤヒデを粉砕してのけた今となっては『ブライアンが何バ身つけるか』というところにばかり注目が集まっている。
これは本来は群雄割拠的な側面を持つトゥインクル・シリーズ本来の楽しみからは外れている。
しかし観客はいつだって、群雄割拠の果てに生まれ出るであろう時代を支配する絶対的な強者の誕生を心待ちにする物なのだ。
「お」
「なんだ」
「いや、めずらしく」
他のサブトレーナーの言うことを聴いて、感心にもメニュー通りにこなしていたらしい。
観察による身体的なバランスの確認。そして、触診による筋肉の柔軟性と付き方の確認。
それを経て、東条隼瀬はナリタブライアンが精神的に変質したことを悟った。
「素直になったじゃないか」
「アンタが居ない間は、我儘も無茶もせん」
「反抗期の娘のようなことを言う」
と言いつつ、彼は自分が甘えられているのを察知していた。
まあこいつならいいや、という感じの甘え。それは言い方を変えれば信頼でもある。
「で、反抗期ガール。なにか言いたいことがあるのか」
黒鹿毛の尻尾が、立ったままに揺れている。警戒しているときの猫のような尻尾の動きになんとなく疑問の気配を感じた彼の、その感覚は正しかった。
「姉貴たちが、メジロの医師団と共にフランスに渡った。心当たりはあるか」
「あると思うか?」
「だから訊いている」
どうしたものかな、と。東条隼瀬は思った。
これを言うべきか、あるいは言わないべきか。
「ある」
「……だろうな」
だがお前、言いふらすなよ。
普通ならそういうことを言うところ、彼は特段言う必要を感じなかった。
そんなことはせん。
そういう答えが返ってくることはわかりきっていたからである。
「安心したか、ブライアン」
「とっくに、アンタに背中は預けている」
それに、と。
やや屈折した精神の中に確かに宿る純粋な姉への愛を感じさせる言葉を、ナリタブライアンは続けた。
「姉貴はレースの中で怪我をした。全力を尽くした最中でだ。例え引退することになっても、死闘の果てならば本望だろう。本来なら、そこにどうこうと口を挟む必要はない。
だが必ず、姉貴は出てくる。いつのかは知らないが、有馬記念に出てくる。約束を果たしに、そして私に勝つ為に」
あまりにも純粋な姉への信頼。
必ず来る。復活する。自分を倒す為に。脚が折れようと、不治であろうと。
姉のすべてを懸けて向かってくるだけの、すべてを擲つ躊躇いもないほどの価値が自分にあると、ナリタブライアンは信じていた。
「戦士だな、お前。ついでに言えば、不器用なやつだ」
「アンタに言われたくはない」
一瞬の、沈黙。
謹慎明け、一瞬すらも無駄にしたくないはずの男が、本当に一瞬だけ黙り込んだ。
不器用なやつだということは、自覚というものがあるらしい。
故に、だろう。
「……作戦を説明する」
やや憮然としながら、東条隼瀬はホログラムディスプレイを起動した。
33人の兄貴たち、感想ありがとナス!
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