ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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友人枠として出てきてスピード上限値を上げ、ついでに相手の固有スキルを封印する金特ばらまいて去っていく男


アフターストーリー:破戒

 菊花賞って、こんなに簡単に勝てるのか。

 東条隼瀬は、そんなことを思った。いや、思い出した。

 

 彼が経験した菊花賞は3回。シンボリルドルフ、ミホノブルボン、そして今回、ナリタブライアン。

 いずれも勝っているし、いずれも三冠ウマ娘となっている。

 

 ルドルフは、楽勝だった。ドスローだったが、なんとかなった。

 ブルボンは、苦しかった。切れる手札をほとんど切ってなんとかした。

 だが今回は、なんの制約もなかった。切った手札より、持ったままの手札の方が多い。

 

「おい、勝ったぞ」

 

 めずらしく。

 そう。本当にめずらしく、東条隼瀬は最前列に近い――――所謂トレーナー席に座って観戦していた。

 いつも高みから見下ろすように深い位置にある座席に座っていることが多いのだが、今回はたまたまいい席が取れたのである。

 

 だからこうして、ナリタブライアンが話しかけに来られる。

 大歓声とブライアンコールをものともせず、そして愛想よく手を振るようなこともせず。柵の向こうの程近くに黄金の瞳があるのを見て、少しだけ彼は驚いた。

 

「どうだった」

 

「レコードが出るとは思わなかった」

 

 ちらりと、掲示板を見る。

 1着から5着までの番号と着差が表示されているその下にある数字。その上に踊る、レコードの赤文字。

 

「別に不思議ではないだろう」

 

 スティールキャストは、物凄い速度で逃げていた。他の逃げウマ娘と叩きあって闘争心を喚起し合えれば逃げ切れていたのではないか、と思う程に。

 そのスティールキャストに吊り上げられるかたちで、あるいは包囲しているはずのナリタブライアンの威圧感に圧される形で中段の集団もそれなりの速度で走っていた。

 

 少なくとも、東条隼瀬にはそう見えた。

 

「逃げも含めて、スッとろかっただろ。第3コーナーまで」

 

「いや、そんなことはないはずだ」

 

「……そうか? 妙に遅く思えたが」

 

 二人は同時にブルボンがいればな、と思った。死ぬほど正確な体内時計を持っているミホノブルボンであれば、疑いの余地のないほど精密な時計を出してくれるはずなのだ。

 

「逃げの子のタイムは感覚で計っていたが、上がり3ハロンに関しては34秒台だった。つまり、ブルボンの菊花賞のそれと遜色ない。最後に失速したが、現に中盤までに19.6バ身くらい開いていただろ。その後縮めていったが」

 

「…………縮めていたのか。広げられているのかと思っていた」

 

 遅い。

 このレースはバカらしいほどに極端なスローペースだと、ナリタブライアンは思っていた。

 

 そして逃げも大したことないと、そう思っていた。一足飛びに追いつける、その程度の位置にいると。

 

「考えられる可能性はいくつかある。宝塚記念でのお前は濃密な時間を過ごした。だから、レース中の空白を長く感じた」

 

「それは、あるかもしれん」

 

「あるいは、俺が見せた再現映像。それとほぼ同一にレースが推移したから、再放送を見ているような気になって感覚がズレた」

 

「それもあるかもしれん」

 

 そしてそれらが重なり、なにかに目覚めたということもあるかもしれない。

 第3コーナーからはまさに、箍が外れたような走りだったのだから。

 

 領域。過集中状態に陥ることで、実力以上の力を解き放つウマ娘にとっての奥義と呼ばれているもの。

 

 ブルボンが領域に目覚めたときにシンボリルドルフの領域に招き入れられてから、なんとなくその片鱗は感じられるようになっていた。

 

 だから、わかる。今回ブライアンの構築した領域は、たどり着いた境地は、これまで見せた2つのどれでもないものだと。

 

(あるいは非凡過ぎる学習能力が悪さしたとか、そういうことなのか)

 

 繰り返し大外ブン回しをさせていると、ブライアンは外専用の領域を覚えた。

 内をブチ抜く戦法を取らせると、次戦では内を突く領域を覚えた。

 そしてバ群を突破させる戦法を繰り返した今、それに適した領域に目覚めつつある。

 

(そういうこと、か……?)

 

 それにしてもクラシック級で領域を3つと言うのは、少し聴いたことがない。

 引退したウマ娘は割と赤裸々にそういった奥義――――と、彼女らは思っているもの――――について語ってくれる。そこに多少の誇張はあっても虚構はないはずであり、そんな誇張の話の中でもクラシック級で領域を3個持っていたという例はなかった。

 

 最大でも2つで、それも苦戦の果てに追い詰められて手に入れたもの。

 

 ひとつめは、絶好調時に。

 ふたつめは、苦戦の時に。

 体験談の中でも、これらは共通していた。

 

 ブライアンは、苦戦らしい苦戦をしていない。まあ強いて言うなら宝塚記念だが、明らかに楽勝が多い。

 それで、3つ目。ビワハヤヒデが手に入れられそうで、手に入れられなかった3つ目の領域。今、それを掴み取った。

 

「どうした?」

 

 それをいとも容易く手に入れるこの怪物の底は、未だ知れない。

 早熟の代名詞である朝日杯FSを取りジュニア王者に輝き、クラシック三冠を取りながらも、未完の大器。

 

「いや。ともあれ、戻ってこい。俺も戻る」

 

「アンタより私の方が戻るのが早かったらステーキを食わせろ」

 

「走らずに戻ってきたら奢ってやるよ」

 

 東条隼瀬は、ブライアンが身体が出来上がる前に全力を出そうとしても出せないように調子という名のリミッターをかけていた。

 

 菊花賞にピークになるようにしたというアレである。

 だがそれはビワハヤヒデとの対戦を望んだが故の宝塚記念出走で崩された。

 

 故に彼は急ピッチで調子を上げた疲労を慮って夏を休養に当て、有馬記念がピークになるようにしたのである。

 だが、その調子による強制的な枷をナリタブライアンは明らかに食い破っていた。想定以上の力を見せた。

 

 となると喜ぶより先に、心配が出てくる。ウマ娘というのは痩せ我慢の種族なのだ。

 

「3枚だぞ」

 

「わかったわかった」

 

「5枚だぞ」

 

「わかったわかった」

 

「7枚だぞ」

 

「だめ」

 

 子供が小遣いをねだってきたのを突っぱねる親のようなガンとした態度で却下し、東条隼瀬は自然に観客が作ってくれた人混みの中の通路を通って帰還した。

 無論お礼を言ったり、全体に向けて一礼してから帰還しただけに帰ってくるのはブライアンより遅い。

 

 その遅さに飽きていたのか、扉を開けたその瞬間にブライアンは三冠への感慨をぶち壊すような言葉を放ってきた。

 

「おい。GⅠを勝った数だけ肉を1枚食べられるというのはどうだ。つまり今回は5枚でいい。だが次回は6枚になる」

 

「だめ」

 

「なんでだ。モチベーションも上がるいい提案だろう」

 

「近い未来にGⅠ勝つ度に2桁食っている姿が見える。栄養バランスが崩れるから、不可」

 

 不満そうな眼とは裏腹に、嬉しそうに黒鹿毛の尻尾が揺れる。

 そんなふうにずっとブンブン揺れていた尻尾が収まった頃、触診が終わった。

 

「どうだ」

 

「思ったより遥かに疲労していない。少し脚を冷やしたらインタビューに移ってもいいだろう」

 

 筋肉が柔らかいからか使い方がいいのかは知らんが、疲労が分散されている。

 相変わらず蹄鉄は凄まじいすり減り方を見せている。脚の消耗もバカにならないだろうと思うくらいに。

 だが、そうでもない。そのあたりに天才の天才たる所以というか、自分の身体を最大限効率よく活かせる才能の片鱗が感じられた。

 

 ウマ娘の勝利インタビューは、レースとウイニングランを終えればそのまま行われることもある。

 しかし東条隼瀬に限っては必ず脚の調子を確かめてから改めて、即ち一拍を置いてインタビューが行われる。

 

 これはその間にインタビューの内容を整えられるという利点もあるが、観客の熱が冷めるかもしれないという欠点がある。

 しかし、彼と彼のウマ娘のレースには劇的なものが多い。口々に今見たレースについて感想を言い合ったりして、この欠点は実質無いようなものだった。

 

「では、見事6人目の三冠ウマ娘に輝きました! ナリタブライアン選手です!」

 

 間を空けてからのインタビューとは思えない程に熱のある大歓声が場を包み、ブライアンの黒鹿毛の耳がパタンと閉じる。

 

「今回、三冠のかかったレースでした。スタート時の感触というものはいかがでしたか?」

 

「普通だった」

 

 これは素っ気なくはあるが、事実でもあった。

 逃げウマ娘ならばともかく、ブライアンのような後方待機のウマ娘はよっぽどしくじらない限りスタートの上手い下手は問題にならない。

 

 インタビュアーとしては、正直そこらへんのことは理解していた。

 では理解していたならば、何故訊いたのか。それはナリタブライアンが三冠ウマ娘への最後のレースをどういう心で迎え、どういう心で幕を開けたのか。

 そのあたりを聴きたかったわけだが、ブライアンはそのあたりに疎かった。ついでに言えば、正直なところ菊花賞についての思い入れもない。

 

 東条隼瀬はビワハヤヒデにさも思い入れがあるように言ったが、それは無論嘘だった。ブライアンは強い相手と強いレースをできればいいのである。

 

「な、なるほど。では、東条トレーナー。今回のレースでは後方からの捲りではなく、好位からの抜け出しを図っているように思われました。これはどう言う意図からでしょうか?」

 

「再来年、ブライアンは海外に挑戦することになるでしょう。海外は同じレースに同一チームから本命を含めた複数のウマ娘が出走します。となるとこちらは包囲される可能性が高くなる。そのための対策です」

 

「なるほど。では来年は日本で走る、ということでよろしいでしょうか?」

 

「そう思っていただいて構いません。今年はアオハル杯を含めて2戦、来年は6戦ですね」

 

 まともに答えてくれる相手のありがたさを痛感しながら、インタビュアーは話を向ける先を変えた。

 

「ナリタブライアン選手。見事な包囲突破でしたが、バ群を抜ける前に焦るようなことはありましたか?」

 

「焦ることはなかった。こいつが」

 

 ぐい、と。ブライアンは無造作に隣に立つ芦毛の男を指す。

 

「抜け出すタイミングとか作り方を予め教えてくれていたからな」

 

 焦っては居なかったが、結構暇してはいた。

 そんな態度は隠さなかったものの、信頼は感じ取れるその言葉。

 それに満足して、インタビュアーは質問を続けた。ブライアンのコメントを取るのは難しいだけに、この流れをうまく続けておきたかったのである。

 

「バ群を抜ける際、まるで道が開けたように思われました。狭い道を一瞬で駆け抜けるその姿には慣れのようなものを感じましたが、二度目となるとやはり習熟するものでしょうか?」

 

「習熟したかどうかは、わからん。だが、世界が止まって見えた」

 

 あ、明日の見出しこれにしよう。

 大抵の新聞記者がそう思った。威張るでもなく、強がるでもない。ただ淡々と、事実を述べる。

 ナリタブライアンというウマ娘が虚飾どころか装飾すらも嫌うことを、このインタビュアーは事前に調べて知っていた。

 

 同時に、少し震える。それは自分がインタビューしているこの相手は、歴史に深く蹄跡を残す存在なのだということを、改めて自覚したからかもしれない。

 

「東条トレーナー。よろしければ、バ群の突破法というものをお聞かせ願えますでしょうか?」

 

「スターマンというウマ娘が居たでしょう」

 

 『はい』も『いいえ』もなく語りだす、芦毛の男。

 だがこういったトレーナーに対して手の内を開示するように迫るような質問は、本来はタブーというべきものだった。

 

 トレーナーが答えればそれは自分の奥義や思考の癖をバラすことに繋がり、答えなければ答えないで『勝ったくせに器量が狭い』と批判されてしまう。

 マスコミが特定のトレーナーを潰すためによく使う手であったわけだが、東条隼瀬に関しては答えてくれるから問うている。それだけのことであった。

 

 そんな彼の度を越した寛容さは、いまや他のトレーナーにも無形の圧力となって迫りつつある。そして幾人かはその圧力に耐え切れず自分の思考の癖や戦術を開示している。

 それは他のトレーナーに共有され、研究され、そしていずれより洗練された上質な戦術を生み出すだろう。

 

 そしてついでに言えば、東条隼瀬の戦術決定の資料にもなる。

 公益と私益を同時に満たすあたり、彼はいかにも曲者だった。

 

「はい。目下連勝中だったウマ娘ですね」

 

「彼女は、絶好調でした。絶好調とはつまり、環境、肉体、精神。レースにおいて必要となるこれらの3要素が完璧に噛み合っている、ということになります」

 

「なるほど。絶好調を定義づけするというのは、斬新ですね」

 

 絶好調とは、絶好調である。

 理由はない。調子がいい。最高に近い。それを再現しようとする試みは無論あるし、成功してもいる。

 

 だが具体的に定義づけるのは、如何にも研究者気質の彼らしかった。

 

「そうらしいですね、というのは置いておいて、これを利用しました。つまり、1つ歯車を狂わせる。この場合ズラしたのは環境ですが、そうなると肉体と精神の噛み合いも悪くなる。そうすると、どうなるか」

 

「絶好調状態が強制的に解除される、ということですか」

 

「そうです。スターマンは、擬似的な領域状態にありました。つまり、こちらとしてはその爆発力が怖かったのです。故にこれを、強制解除した。そして思考と環境との噛み合いを失った肉体は、どうなるか。答えは内ラチに突っ込む、ということです」

 

 基本的にウマ娘は、レース中斜行するものである。

 なぜかと言えば、高速で走れば酸素が欠乏し、思考がまとまらないから。そしてその結果、肉体が統制を失う。斜行する。

 

 スターマンは、それになった。精神と環境から切り離された肉体が本能に従った。

 

「となると、どうなるでしょうか。そのまま突っ込まれるような娘はGⅠには出られない。他のウマ娘はスターマンを避けるように動きます。後ろに下がる。あるいは、前に出る。そうすると、ブライアンの前に道は開けると見ました。事実そうなりましたから、運が良かったと思っています」

 

「……運、ですか?」

 

 そうじゃないと思いますが。

 これまでの解説を聴いた誰もが思ったことを、インタビュアーは思った。

 

 包囲されているのである。となると動く位置は限られる。スターマンは最内となる1枠1番であり、その動きは1番読みやすい。

 となると、動きから何から何まで読めていたのではないか。

 

 その推測は、当たっていた。事実彼は読めていたのである。

 それは何よりも、彼が事前にホログラム出力できるように作ったレースの予想映像が証明している。

 

「ええ」

 

「ええと……領域。つまり、ウマ娘の奥義ですよね。それの強制解除というのは、これからもできるものなのでしょうか? 再現性があるならば、何故これまではその手法を使ってみなかったのでしょうか?」

 

「ルドルフはそもそも、発動させないように立ち回れました。彼女は極めて賢く、レース自体を支配することができます。つまり相手の好きなように動かさない。そういった――――」

 

 あ、ルドルフ大好きおじさんが出た。となると死ぬほど長くなるな。

 

 そう思ったインタビュアーは、この発言を強制解除することに決めた。

 

「なるほど! では、サイレンススズカ選手とミホノブルボン選手のお二人のときはどうでしょうか?」

 

「え、はい。逃げウマ娘の2人に関しては、位置が遠すぎて干渉できませんでした。ですがブライアンの場合位置は自在」

 

 ――――98%の確率で領域の強制解除を行えます

 

 そうこともなげに、東条隼瀬は言った。

 

「となると、スペック勝負になる。スペック勝負になると、どうなるか。つまり、こうなる。そういうわけです」

 

 大差。ゴール板付近を映していたカメラからブライアンの尻尾が消えるまで後続が来ない程の大差勝ち。

 それが即ち、スペックの差だった。

 

 そしてそこに、ブライアンの領域も乗る。彼はそんなものをハナから計算に入れていないようではあったが。

 

「いやー、なるほど。それにしてもすごかったよね。僕を超えたんじゃない?」

 

 実に軽薄そうな、そしてなんとなく聴いていて嬉しくなってしまうような独特の律動。

 パンパンと手を叩きながら現れた父に向けて向き直った息子は、インタビューの段から降りて頭を垂れて呟いた。

 

「ご冗談を」

 

「冗談じゃあないさ」

 

 あ、親子だな。

 なんとなく言い回しが似ていて、ナリタブライアンはそう確信した。




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