ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アフターストーリー:河豚

 ――――さようなら、サイレンススズカ。語り継ごう、お前の速さを

 

 空港に詰めかけたアメリカの一般トゥインクル・シリーズファンが掲げた日本語の横断幕に送られて、サイレンススズカは飛行機に乗った。

 

 約一ヶ月後のジャパンカップには、ナリタブライアンが出る。

 そうゆったりとアメリカで勝利の余韻に浸っているわけにもいかなかった。

 

 サイレンススズカが制したのはBCターフ。すなわち、ブリーダーズカップターフ。アメリカの芝レースの最高峰。

 日本とは違いダートが主流のアメリカであるが故に芝のレースの最高峰とは言えないが、それでも押しも押されもせぬ国際GⅠ。

 

 普通のトレーナーや普通のウマ娘であれば1週間ほどは勝利の余韻に浸りそうなものだが、東条隼瀬が勝利の余韻に浸った時間は約3分。

 インタビューを終えると、彼の頭はさっさとジャパンカップにシフトしていた。

 

「さようならとか」

 

 離陸する寸前、よよよーと泣いているアメリカの信者たちを窓から見た教祖(無自覚)は、ボソッと呟く。

 

「語り継ごうとか」

 

 自分の速さに魅せられた――――と、サイレンススズカは思っている――――ファンたちが未練がましく見送りに来た風景に向けて手を振りながら、サイレンススズカは隣に座っている男へ振り返った。

 

「そう言っていただけるのはありがたいんですけど、来年また来るんですよね」

 

 というか、3ヶ月後くらいに。

 

「まあ、まだ発表するわけにもいかんからな」

 

「そうですね……」

 

 まあまだ発表されていないのだから仕方ないが、スズカとしてはこれほどまでに騒がれるとは思わなかったし、自分と同じイニシャルを持ちし母親を死ぬほど叩いていたメディアが死ぬほど叩かれるとは思いもしなかった。

 

 ――――お前らがまともに仕事をしていれば、サイレンススズカはうちの国にいたんじゃい!

 

 そんな怒りをすべてぶつけられたメディアには個人的には哀れさを感じるし、その言い分はまあわかる。

 

「それにしてもお前、人気者だな」

 

「はい。そうみたいですね」

 

 スズカの父は日本人だが、分業制が進んだアメリカのトレーナー制度を学びに来た留学生であった。

 分業制とはつまり、育成担当と戦術担当と医療担当が手を取り合ってシステム的にチームのウマ娘を運用していく、というシステム。

 

 ――――日本のトレーナーはこれら三役を一人でこなしているが、これではあまりにも個人の資質に頼りすぎる

 

 そう判断したスズカの父は単身アメリカに留学してきた。

 故に彼女の母と出会った場所はアメリカで、時期としては新米医療担当トレーナーとして母が死にかけていたとき、らしい。

 

 ウイルス性の腸疾患でぶっ倒れていたとき、あまりにも治りが遅くて匙を投げた先輩の医療担当から引き継いで粘り強く治療したからだ、とか。

 

 献身的で粘り強い治療でなんとか母を冥界から引っ張り戻した父に対して、救われた側はケロリとした顔で言った。

 

 ――――よく私を助けた。だからテメーに、栄光をくれてやろう

 

 その後も母の乗った送迎バスの運転手が心臓麻痺で操縦不能となり大事故を起こした結果怪我したりなんだりしたが、アメリカの三冠の内二冠を占めた。

 そしてその後もメディアに叩かれたりなんだりして、父の出身国である日本に追放されるような形で渡ってきたのである。

 

 まあ長くなったが、つまり母がまともな扱いをされていればそのままアメリカにいただろうし、となるとスズカ自身もアメリカ人となっていたということになる。

 

「お前の母の走る姿は、それはそれは美しかった。しなやかな豹のようで……まあ、お前に似ている、というのは因果が逆なんだろうが」

 

 影に沈む豹。

 

 そう形容されるスズカの母は何回か理不尽な怪我をしたり病気をしたり先天的に走るのに向いていなかったりと、とにかく才能以外に恵まれていなかったような感がある。

 

 しかしそれでも、強い。走る姿を見ればひと目でわかるほどに。

 それが走る以前の状態で評価されないというのは、彼が彼の皇帝と共有する志に反する。

 

 ――――すべてのウマ娘に幸福を

 

 それの願いは即ち、すべてのウマ娘に挑戦する権利が与えられ、正しく評価されることを望むもの。

 その理想と現実はあまりにもかけ離れていて、その現実の象徴の1側面がスズカの母だった。

 

「ともあれ、正しいものが正しく評価されたのはいいことだ。1世代前に評価されなかったのは残念だが」

 

「でもその場合、私は日本に居なかったかもしれませんよ」

 

「ああ。かもな」

 

 死ぬほど軽い発言に、スズカはちょっとムッとした。

 最近距離が縮まった。というか、元に戻った。なのに居なかったかもしれませんと言われて『かもな』で流すのはどういうことなのか。

 

「いいんですか?」

 

「なにがだ」

 

「だから……私がいなくて、トレーナーさんはいいんですか?」

 

 そう言って、少し気づく。

 あれ、私って居ない方がいいんじゃないかと。

 

 秋天での怪我は、彼の心に重篤な怪我を負わせた。あれは自分が絶好調すぎたが故の、そしてその調子を制御せず速さを追い求めたが故の失策であり、トレーナーさんは何も悪くない。

 

 少なくとも、結構頑固なところがあるサイレンススズカは今もそう思っている。無論口には出さないが。

 

 となると、彼はもう少し自信を持っていただろう。自己評価が沈み切ることもなかったはず。

 

(うそでしょ……)

 

 いつものアレを心の中で呟き、これまでの3年間、あるいは4年間とかもっと長く彼を苦しめていた大半の物事が自分が居なくなることによって解決されることに思い至ってしまったサイレンススズカは、ちょっとナーバスズカになった。

 

 ちなみにここまで僅か1秒。私の方が速いですよ……と言い続けた彼女は、思考も速かった。

 

「いいんですか?と聞きたいのはこちらだ」

 

「え?」

 

「え? ではない。お前の母が正しく報われていれば、お前はアメリカで育ちアメリカのトゥインクルシリーズで走ることになっていただろう。それより、俺と走っている今はマシか?」

 

「はい。比べるまでもなく」

 

 0.1秒もない――――即ち彼女がBCターフで発揮した神業的な領域の構築速度を凌駕する速さでの返答。

 それに対して、東条隼瀬は凪いだように穏やかな鋼鉄の瞳で頷いた。

 

「そうか」

 

 驚きもしない。

 否定もしない。

 ただ、サイレンススズカを尊重する瞳。

 

 4年前であったなら。

 いや、1年前であったなら、ここで間髪入れない否定が飛んできたことだろう。

 

 お前を怪我させるような無能の俺と出会ったというのは、比べるまでもないどころか疑いようもなくお前の人生における損失だ、と。

 

 それくらいは言っていたかもしれない。

 

 だが彼は静かに現状を受け入れ、また現状を受け入れたサイレンススズカの判断を柔和に受容した。

 

(変わったんですね。私が居ない間に)

 

 ちょっと悔しいような、嬉しいような。

 東条隼瀬は、自分のトレーナーさんは、進歩した。進化した。どこか感情的で幼かった彼は、確実に一皮むけた。羽化したと言っていいかもしれない。

 だがその場面に居合わせたのは、自分ではない。そのことがスズカとしては悔しくもあり、嬉しくもある。

 

「お前が夢想と現実を見比べてなお、現実の方が比べるまでもなくいいと思ってくれるのは、トレーナーの端くれとして幸せなことだ」

 

「あ、やっぱりあんまり変わってないかもしれませんね」

 

「あ?」

 

 端くれという言葉をわざわざ付け加えたりするところが、旧隼瀬ポイントが高い。

 思えば基本的に、彼は天才らしい天才である父と天才らしからぬ天才である己を比べて自己評価を埋没させていく癖があったのではなかったか。

 

「なにがだ」

 

「いえ、別に」

 

 ――――あ、そ

 

 基本的に会話を続ける努力を皆目行わない男は、その『らしさ』を全開にして追及の手を緩めた。

 

「トレーナーさん」

 

「ん?」

 

 フランツ・カフカ著、変身。

 理不尽が製本機にかけられたようなカフカ作品の中でも特に理不尽なそれに目を通していた東条隼瀬の眼が、一瞬スズカの蒼緑の瞳と交差する。

 

 その一瞬を長引かせたくて、彼女は思ったことを素直に言った。

 

「私を忘れないでいてくれて、ありがとうございます」

 

「…………皮肉か?」

 

 忘れようもないだろう。あんなことをしておいて。

 あくまでも『自分が悪い』というスタンスを持っている男は、ものすごく考えた結果結論を出した。

 

 サイレンススズカの思考回路は、なんというか走ることを主軸に置いているが故にプリミティブである。

 

 メジロドーベルに対して『スペちゃんがいつもお腹を鳴らしていてかわいそうだから、お腹が減らなくなるアロマはないか』と聞いた時は実にサイレンススズカやってると思った。

 

 普通なら、『お腹がいっぱいになるような』という発想をする。

 だが彼女は『お腹が減らなくなる』という発想をした。

 

 それはおそらく『お腹が鳴っている→お腹が減っている→お腹が減っていると走れない→かわいそう』という思考が展開された結果なのだろう。

 ついでに言えば、『お腹がいっぱいになる→満腹感がある→走る気にならない→かわいそう』という思考も働いたことと思われる。

 

 つまり何が言いたいかというと、彼女は結構常人には理解し難い思考をすることが多いのだ。

 

「え?」

 

「いや、いい」

 

 本当に純粋に、忘れないでくれて嬉しい。そう言いたかっただけなのだろう。

 サイレンススズカ検定があれば結構なところまでいけるだろう男は、勝手にそう解釈した。

 

「それよりお前、帰ったらなにか食べたいものはあるか?」

 

 強引な話題転換はトレーナーの特権。

 

 これ以上プリミティブスズカワールドの片鱗を浴びせられると人格的影響を受けかねないと判断した男は、取り敢えず話題を一般的なものへと戻した。

 

「特に何も。トレーナーさんはどうですか?」

 

「……フグかな」

 

「ふぐ。また珍しいものが食べたいんですね」

 

「ああ。それに近い物を見てからなんとなく食べたくなった。お前、フグは嫌いか?」

 

「いえ。嫌いじゃありませんよ、ふぐ」

 

 じゃあ、食いに行くか。

 はい。

 

 そういうことで、無事に着陸した飛行機から降りた二人はなんとなく近場のふぐ料理店に入った。

 

「トレーナーさんがふぐを食べると知ったら、会長さんは心配するかもしれませんね」

 

「ああ……かもな。だが俺は幽霊4世だからな。死んでるようなもんだ。だから当たらんさ」

 

 相当に高級なふぐ料理店で繰り広げるべきではない会話をサラッとしているあたり、二人はプリミティブな価値観を共有していた。

 

「自分を含めて4代もの間母方の先祖が代々死にかけてると言うのを自慢するのは、トレーナーさんくらいだと思いますよ」

 

「確かにそうだ。だが死にかけてて死んでないんだから、しぶとい。これは結構自慢できることだ。違うか?」

 

「確かにそうかもしれませんね。私の母も5、6回死にかけてますけど、今日も元気に母国嫌いを拗らせてましたから」

 

 たぶん、母親は母国アメリカを愛していたのだろう。とてもそうは思えないが、彼女なりに。

 だからこそ、好きだったからこそ、嫌っている。拗らせている。

 

 割とよくできた娘のサイレンススズカは、なんとなくそこらへんも察していた。

 

「確かに俺は病弱だ。だがこの通り、最近は倒れていないし風邪をひいてもいない。つまりはバニラモンスターのフレーバーテキスト化しつつある。これはもう克服したと言ってもいいんじゃないか」

 

「なるほど」

 

 曖昧な相槌を打つ、サイレンススズカ。

 時差ボケなのか、普段沈着な彼女のトレーナーは妙にテンションが高い。

 

 あるいは、単に食べたいものを食べているからかもしれないが。

 

「人間とウマ娘は、知恵がある。知恵があるということは、成長を許された生き物だということだ。つまり、短所を克服することにこそ人の本懐がある」

 

「トレーナーさん」

 

「なんだ」

 

「これは直感なんですけど、それくらいにしておいた方がいいと思いますよ。なんかそう遠くない未来、しっぺ返しが来るような気がします」

 

 これは全く以て事実であった。

 近いようで遠い未来、しっぺ返しはやってくることになるのである。

 

 しかしそのことを、サイレンススズカは確信していたわけではなかった。

 彼女のトレーナーが言うところの、嫌な予感がしていたから、止めた。

 

 つまりこのときに表れた兆候は、その程度の物だった。




35人の兄貴たち、感想ありがとナス!

柿谷兄貴、リッチ兄貴、モナカノナカの王兄貴、評価ありがとナス!

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