ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
ナリタブライアンのローテーションほど、変遷の激しかったものもない。
当初は契約後最初のレースがGⅠと言うのはやや不安が残るということで叩きのレースであるスプリングステークスを挟み、皐月賞→日本ダービー→京都新聞杯→菊花賞と続き有馬記念で終わるものだった。
これは、ミホノブルボンのローテーションからジャパンカップを取り去ったものである。
つまりこのローテーションを組んだ男からすればナリタブライアンはミホノブルボンより脆く見えた、ということになる。
まあそれは事実――――というより、ミホノブルボンが頑丈すぎると言ったほうが正しい――――なのだが、これは皐月賞後早々に変更を余儀なくされた。
ナリタブライアン当人が宝塚記念に出たい、と言い出したのである。
基本的にウマ娘第一主義の男は、調整スケジュールを粉微塵にされながらも微塵の動揺も見せずローテーションを再建した。
つまり、京都新聞杯を抜いたのである。
スプリングステークス→皐月賞→日本ダービー→宝塚記念→菊花賞→有馬記念。
よし、これでいいだろうと彼は思った。
だがまた、状況は変転する。
ビワハヤヒデ、秋天の呪いにやられ戦線離脱。故に有馬記念に出る意味が無くなり、そしてジャパンカップでの総大将枠が不在になった。
強いて言えばマチカネタンホイザが日本総大将ではあったが、やはり格が落ちる。
ということで、ナリタブライアンはジャパンカップに出たあとアオハル杯に出ることになった。
「勝ったな……」
「ああ……」
白いのと黒いのはそう言いつつ、東京レース場の控え室にいた。
これは油断ではなく、余裕である。そう思えるほどの勝算が、この二人にはある。
何故、そうなのか。
その理由となった出来事は、少し前にあった。
それは今から15分前、控え室でのこと。
いつものように、作戦説明――――所謂ブリーフィングを行っていた時のことだった。
「――――最後になるが、今回参戦する外国勢の中で白眉はエルナンド。だがエルナンドには心理的ノックバックを喰らわせてあるから前に意識が向きペースが速まる。となると、東京レース場の特性を活かしきれまい」
「後方勝負のウマ娘が強い、ということか」
「その通り。東京レース場では長い直線を活かしたものが、勝者となる。これが鉄則だ」
アンタはその鉄則を何度破ってきた?
そう訊きたかったブライアンだが、数えるのもバカらしかったのでやめた。
東京レース場、府中。
特定のウマ娘がここに籠城を決め込むと難攻不落になる程に、向き不向きがはっきりとしたレース場である。
「本当に強いウマ娘というのは、どんなバ場、どんなレース場でも勝てる。お前はまず、ここでそれを証明しろ」
「言われるまでもない。ブッちぎってやるさ」
「だろうな。だが、カノープスからナイスネイチャとマチカネタンホイザが出てきている。あの二人は才能で負けながらも常にその差を埋めて互角の戦いを演じてみせている。気を抜かないことだ」
特にマチカネタンホイザは初めて右回りの重賞を勝つなど、今年に入って成長著しい。
ここ東京レース場は左回りだが、弱点を克服したということはその分成長したということである。
「舐めはせんさ」
「ならいい」
そんな会話が一区切りついたそのときに、コンコンと扉が鳴らされた。
「どうぞ」
ブライアンが『入れ』と言う前に、東条隼瀬が口を開いた。
控え室は、ウマ娘とトレーナーだけの空間である。
当初は八百長やら何やらの対策の為に設けられた隔離部屋が控え室と名を変えたわけであるが、それだけによその人間が立ち入ろうとしないし、それは親であっても例外ではない。
ここに入れるのはウマ娘と、トレーナーと――――
「失礼します」
――――あとは、URAの職員くらいなものだった。
秋天後に見た顔をチラリと2度見して、ブライアンと顔を見合わせた男の中には、なんとなくの嫌な予感が蟠っていた。
「どうか、しましたか?」
「はい。5枠8番マチカネタンホイザさんの競走除外についての知らせを持ってまいりました」
「除外。怪我でもしたのか? 具合は?」
敬語が剥がれる程度には動揺した男を見て、職員は謹厳さを崩さず、しかし的確かつ迅速に応対した。
「いえ。怪我ではありますが生命はもちろん、競走能力に影響はありません。ですがなんというか……走れなくなったと言いますか。つまり……」
ああ、と。
東条隼瀬は心の中で胸をなでおろした。そういうことなら、まあよくある。そしてよくあっても然程悲しくもないことである。
無論そうなった当人の心情を慮ると心苦しくはあるが、怪我よりは遥かにマシと言わざるを得ない。
簡潔にこちらの疑念や心配を否定し、そしてその後言葉を濁す。
その濁したのは不手際というわけではなく、おそらく今回出走除外されたウマ娘の名誉とか尊厳とか、そういうものに気を使ったためであろう。
しかしそういうことを察せられる人間は、多くはない。
「つまり、なんだ」
このときのナリタブライアンは、察せられない多数派だった。
これは鈍感とか察しが悪いとかではなく、姉への心配が彼女の知恵の鏡を曇らせたというべきであろう。
ともあれ察せられなかったことを認識した隼瀬係のURA職員は、少し目を逸らしながら口を開いた。
「鼻血です」
「鼻血? 鼻から血が出るアレか」
「はい。なんというかこう、えいえいむんと気を張った時に出血してしまったらしく」
走っている最中にまた出ると酸欠でぶっ倒れる可能性があり、時速70キロで走っているときに酸欠で倒れると下手すれば死ぬ。
周りにも迷惑をかけるし、出走除外はまあ仕方ないと納得もできる。
しかし鼻血とは、大したことはないな。
そう考えたブライアンだが、口をついて出た言葉は別の物だった。
「むんか」
「むんです」
えいえいおーじゃないのか。
確かにそれはまったくおかしくはないツッコミであったが、重要なのはマチカネタンホイザと言う日本総大将になりかけた副将が出走除外されたことである。
そしてその後いくつかの話をしたあと、『むんです』と言ったURA職員はしめやかにその場を後にした。
「マチカネタンホイザには不運ではあるが、正直なところ、こちらとしては幸運だと言える。マチカネタンホイザには爆発力はないが粘り強い。平均して強いと言うのはつまり、どんな状況でも自分の実力を出せるということだ」
そして、時間は戻る。
ややおどけたような『勝ったな……』には、彼なりに姉の怪我を思い出したかもしれないブライアンの不安とか緊張とかを払拭してやろうという気遣いがあった。
「ああ……」
やや曖昧に、頷く。
ビワハヤヒデのトレーナー、木場。彼曰く、手術は成功したとのことである。
メジロの武田医師とフランスの施設やノウハウを使う以上間違いはないと思っていたが、やはり成功したと聴くのと聴く前とでは大きな差がある。
「…………アンタらしくない言い草だな」
「ナリタブライアンと言うウマ娘の持つ力が、それほどに規格外だということだ」
「フッ……」
――――物は言いようだな
目の前の男が油断ぶちかますような男ではないことを、無論ナリタブライアンは知っていた。
それが敢えてそのような口ぶりをした。せざるを得なかった。その辺りの理由も、ナリタブライアンにはわかっていた。
姉の怪我を想起させられることによって曇った知恵の鏡は、もう既に輝きを取り戻しているのだから。
「なら見せてやる。用意周到を絵に描いて額縁に飾ったようなアンタが油断するに足る力を、私が持ってるということをな」
「ああ。期待している」
そう思いつつも振り返らず、ナリタブライアンは控え室から出ていった。
向かう先は無論、パドックである。
ナリタブライアンは3枠4番。良くもなく悪くもない、そんな位置。
《さあ、日本の世代を代表するウマ娘たちに外国勢が挑む! 国際GⅠとなってから3回目、ジャパンカップ!》
初代、ミホノブルボン。
二代目、ライスシャワー。
そして、三代目が誰になるのか。
《同世代による3連覇を目指して出走登録をされていたマチカネタンホイザは残念ながら出走除外されましたが、国際GⅠになってからの制覇者二人は海外でその蹄跡を残しています》
ミホノブルボンはフォワ賞と凱旋門賞。
そしてライスシャワーはステイヤーズミリオン完全制覇。
質のミホノブルボン、量のライスシャワー。
では三代目は誰がなるのか。海外でどんな実績を残すのか。
シンボリルドルフが作った海外挑戦の潮流はサイレンススズカに受け継がれ、そしてミホノブルボンによって中興され全盛期を迎えつつある。
《さあ、世界がその強さを見せつけるか! あるいは日本勢が初の3連覇を果たすか! 国際GⅠ、第3回ジャパンカップ、スタートです!》
ガタンと、ゲートが開く。
冷静に、ナリタブライアンはエルナンドの後ろに付けた。その周りを外国のウマ娘たちがするりと包囲し、ナイスネイチャがその後ろにつく。
――――お前は菊花賞で包囲されたが、あれはかわいいもんだ
日本より、外国が上。
そういう言説は、決して珍しくはない。特に追いつくことを目指しつつも追い抜くことなど考えもしていなかったトゥインクル・シリーズの関係者たちは日本を低く見て世界を高く見る。
今となってはやや改善されつつあるが、やはり染み付いた伝統というのは簡単には拭いされない。
しかしそれでも、東条隼瀬がそういうことを言うのは珍しいと言えた。
――――アオハル杯というものがあるだろう。これからやるチーム戦のことだ
それに、ブライアンは『ああ』と頷いた。
チーム戦。それは複数のウマ娘が連帯することを前提に繰り広げられるであろうレース。
個人レベルでの勝った負けたを繰り返すのではなく、チーム全体の勝ちを目指す。
それが、チーム戦というものである。
――――向こうでは、それが一般レースでも行われている。1つの陣営が本命の他に複数のウマ娘を出し、勝たせるように補佐をする。逃げウマ娘にはペースを作るためだけに走らせ、相手の有力ウマ娘を反則スレスレのブロックで進路を塞ぐ。それは珍しいことではないし、狡くもない。だから俺は、外国で勝ちたいなら逃げに限ると思っている
確かに、そうである。
サイレンススズカもミホノブルボンも、極端に前につけるウマ娘――――つまり、脚質適性逃げのウマ娘。
先頭を取るがゆえにペースを自ら作り、そして包囲もされない。
――――そして今回もそうだ。何故か俺は外国勢に睨まれているから、お前は包囲されるだろう
何故もクソもないだろ。
ナリタブライアンとしてはそう思わざるを得なかったが、その後に続いた言葉の方が衝撃という点では勝っていた。
――――だから今回、お前はエルナンドの後方に付け。あいつらの戦法を、利用してやろうじゃないか
そう言った男を疑いもせずに信じて、ナリタブライアンはエルナンドの後ろにつけた。
エルナンドは中盤の中でも後方気味のところに付ける差しウマ娘であるが、今回はやや前へ前へと進もうとしている。
序盤、レースを支配するのはサンドピット。ブラジルで強さを示しアメリカへ渡ってきた彼女は、猛烈な逃げで後続を突き放すように駆けていた。
その姿は、アメリカを震撼させた怪物に似ている。同じ栗毛であるということもそうだが、なによりもその走りっぷりが似ていた。
《いつも通り、包囲されていますナリタブライアン。もう慣れたという感じでしょうか》
実況の言うとおり、必死さすら漂うサンドピットに反して悠々とナリタブライアンは駆けていた。
――――第3コーナーだ。第3コーナーで、エルナンドは逃げを捕捉しに抜け出してくる
《さあ、第3コーナーです!》
するりと、エルナンドが滑らかに動いた。
サンドピットの表情は苦しい。前から見ればわかるほどに苦しい。
しかしエルナンドの中にあるのは、サイレンススズカ。あの、涼しい顔をして逃げ切るガルフストリームの怪物。
何度も見た。苦しさの欠片も感じさせずに逃げ切るサイレンススズカの姿を、何回も見た。
後ろ姿では、表情がわからない。そしてエルナンドは、サンドピットを通してサイレンススズカを見ていた。
だから、彼女は早めに抜け出したのである。そしてその動きは想定通りの動きなだけに滑らかではあったが、それだけに見事にナリタブライアンを封じ込めていた壺の蓋を開けてやる形になった。
そして蓋が開いた先には、道があった。
サンドピットが先行勢をまとめて引っ張っていったがために、先頭集団と中段との間には大きな亀裂ができていたのである。
(そして)
――――サンドピットはスズカではない。第3コーナーまで先頭を走れば疲れるし、疲れれば外によれる
よれたサンドピットがエルナンドの最適な進路をつぶし、そしてブライアンにとって最適な道を与えた。
《さあ仕掛けた! あとは距離だ!》
仕掛ければ、勝つ。
そう疑っていないからこその実況の言葉は、ある種の残酷な真実を示していた。
ブライアンに進路がある時点で、そしてブライアンが仕掛けた時点で、レースは誰が勝つかでなくどれくらいの差をつけて勝つかに変質する。
実況のソレは、早合点ではなかった。
長い直線の利を活かし、ナリタブライアンはジャパンカップを制したのである。
9バ身という差をつけて。
48人の兄貴たち、感想ありがとナス!
B.レグルス兄貴、猫と戯れ隊兄貴、ハーデンジョニー兄貴、futakobu兄貴、ginngitune兄貴、評価ありがとナス!
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