ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
スピカとの合同合宿と言っても、そう長いものではない。ほんの1ヶ月程度なものである。
管理主義の精華と放任主義の精華とでは水と油、鰻と梅干。そんな考えもあっただけに、この2チームの合同合宿がいかなる顛末を迎えるか。そのあたりは、多くの学園関係者に注目されていた。
スピカのウマ娘たちも、これまで信頼して付いて行っていたトレーナーがまさかの離脱をしてしまっただけに、不安がある。
合同合宿をするという点に異論はない。学べることが多いと喜んでもいる。しかしそれとこれとは別なのだ。
つまり、期待してもいるし、不安でもある。
そんな中でストレッチなどを終えて集合時間5分前にリギル専用レースコースにやってきたスピカのメンツは、待っている6人の立ち姿を見て小走りで駆け寄った。
6人。あれ、5人じゃなかったかな。
そんな思いで、遠目から見る。
芦毛。
鹿毛。
栗毛。
栗毛。
黒鹿毛。
そして、芦毛。栗毛とうそでしょトークを繰り広げている、見慣れた長身。
それがぬるりとこちらを向く。
「お、マックちゃん。ぐっもーにん」
「……少し、失礼しますわ」
「ああ」
そんなふうに律儀かつ礼儀正しくこの場の責任者――――芦毛――――に許可を得て、メジロマックイーンはゴールドシップの腕を引っ張って引き寄せた。
「……おはようございます。で、なんでゴールドシップさんがここにいますの?」
「そりゃおめー、合同合宿だからよ」
何言ってんだマックちゃん……サボる気だったのか?
そんな常識を疑うような眼で見てくる常識を壊滅させたような仲間を見て、メジロマックイーンはピキッときた。
しかし心の広いメジロ家のお嬢様。疑うような常識の持ち合わせがない相手に常識を疑われても華麗にスルーした。
「どうやって来ましたの?」
「ワープ航法」
「用事があるから行かないぜ、とか言っていませんでした?」
「ゴルシちゃんは宇宙に行く予定があるって言っただけだかんな」
他人を待たせている。それだけに、ツッコミ切るには時間が足りない。
そのことをよくよく承知しているだけに、マックイーンは身体に秘めたツッコミ気質の鋭鋒を納めた。
「遅れまして申し訳ありません、東条トレーナー」
「いや、やることがあったからこちらが早く着いていただけだ。遅れたわけではないさ」
「で、その……ゴールドシップさんがなにかこう、変なことをしませんでした?」
「いや、まったく」
あの人は確実に変人ですが、悪い人ではありませんの。
それは、そう続けるつもりだったメジロマックイーンの想定を覆すような答えだった。
「まったく?」
「ああ。柔軟中は真面目にやっていた。その後は確かに話してはいたが話していることにも中身があったし、無駄話をしていたわけではないのだから、特に変というわけでもない」
うそでしょ……と。
背後でそんな声が聴こえたが、ひとまずマックイーンは胸をなでおろした。
「そうですか……ともかく、これから1ヶ月間、よろしくお願いいたしますわ」
「ああ。まず方針として、俺のやり方は提示する。だが別に、常に守ってくれとは言わない。やり方が違うだろうからな。だが、練習をやめろと言ったらやめる。切り上げろと言ったら切り上げる。これは守ってもらう」
「わかりました」
生来の愛嬌の無さも相まって、それはやや高圧的な物言いと取れなくもない。
だがマックイーンにしても、自分たちの怪我が多いがためにトレーナーに負担をかけていたことを知っている。
――――沖野さんの教え子に怪我をさせるわけにはいかないからな。俺はマージンをとって、あまり限界を攻めないから物足りなく感じるかもしれないが、守ってくれ
そういう内心を察し切れたわけではないが、メジロマックイーンは納得していた。
「では、はじめようか。テイオーはルドルフに先行策の何たるかを教授された後にプールトレーニング」
「だそうだが、テイオー?」
「やるやる! やるよ!」
モヤモヤテイオーがニコニコテイオーに進化したのを見て、シンボリルドルフはくすりと笑った。こうも無邪気に慕われると、やはりこみ上げてくるものがある。
その後もブライアン=ウオッカペア、ブルボン=ダイワスカーレットペア、サイレンススズカ=スペペアなどに括られて練習メニューが投下されていく中で、早速シンボリルドルフはレース場の邪魔にならない隅っこに座って教授をはじめた。
「まず、テイオー。強いウマ娘が必ずと言っていいほどに持つものは、何か。すなわちレースにおいて必須なものは何か。わかるかい?」
「領域、かな?」
目覚めたものと目覚めない者とでの残酷なまでの格差を、トウカイテイオーは知っている。
GⅠを制覇できたウマ娘はたいてい、領域を発現している。一方でGⅡ大将のような娘は、発現していない。
領域に目覚めたから、勝てたのか。
勝てる実力があるから、領域に目覚めたのか。
それは卵が先かニワトリが先かというのと同じくらい、難しく答えの出ない問いである。
「領域もその一種だが、そうではない。もっと大きな視点で見てごらん」
なんだろうと、トウカイテイオーは思った。そしてにぎやかな彼女には珍しく沈黙した。
そしてそのあたりを察してか、再びシンボリルドルフが口を開く。
「それは、勝ちパターンだよ」
出せば勝てる領域を発動させるために動くのも、勝ちパターンだと言える。
ミホノブルボンであれば、1ハロンごとのタイムを策定し全体でレコードを出せるように走るのが勝ちパターン。
サイレンススズカであれば、序盤から先頭に立ち突き放しつつ最終コーナーで更に突き放すのが勝ちパターン。
ナリタブライアンであれば最終コーナーまで息を潜め、大外から捲っていくのが勝ちパターン。
そしてシンボリルドルフの場合、それは先行して相手の勝ちパターンを潰して自分の負け筋を埋めていき、安全になったときに少し抜け出すというものだった。
トレーナーが領域などのよくわからないものを信じない質であるからか、基礎スペックで暴力的に勝つのがこのリギル分艦隊のスタイルであった。
「ボクの場合は先行して好位置を取り、そこから領域を接続、加速して差し切る……」
「そうだ。では、レースに勝つには2つの方法がある。なにかわかるかい?」
「……ひとつは勝つ為に動くってことだよね」
トウカイテイオーはいかにもなスターである。
主導的で、攻撃的で、自分で状況を構築していくタイプ。
そしてそれで勝ってきただけに、逆から見た思考の持ち合わせは少なかった。
「そしてもう1つは負けないために動く、ということだよ。私達の場合、トレーナー側が負けないために動き、ウマ娘側が勝つために動く。これは私達にとって、両輪のように欠くべからざるものだ」
「でもそれ……」
「そうだ。君のような爆発力で勝負するタイプには、合わない。負けないようにすることにまで気を回すと、うまく点火しない恐れがある」
だからこそ、それを沖野トレーナーは教えなかった。レースという短い時間の中で周囲を見渡し気を回しすぎることがどういう結果をもたらすかということを、彼は知っていたからである。
つまり、思考を単純化して長所を伸ばし、伸ばした長所で勝ちパターンを通す。それがスピカの基幹戦術。
背中合わせでほぼ完璧に役割分担しているリギルに反して、同じ方向を見た共同作業のような形である。
総括して、スピカのウマ娘は気質が単純でありながら頭の回るところのあるスペシャルウィーク以外は、そういうタイプだった。
スペシャルウィークは、テストの点数が悪い。破滅的と言っていい。しかし頭の巡りは悪くない。機転が利く、というのか。
現に自身のトゥインクル・シリーズにおける最終レースで、彼女はグラスワンダーに対して負けない手を打った。
負けない手というのはつまり、相手の勝ちパターンを封じることである。
グラスワンダーの勝ちパターンはマーク相手の後ろにつき圧をかけて消耗させながら最後に差し切るというもの。
スペシャルウィークは、それをさせなかった。グラスワンダーの後ろに付き、自分の勝ちパターンを崩しても相手の勝ちパターンを潰しに動いた。
まあ結局負けたわけだが、天敵と呼べるグラスワンダーに対してハナ差まで持ち込んだのはそういうわけである。
本能的に、悟ったのだ。自分の勝ちパターンにとってグラスワンダーの勝ちパターンは天敵であり、どうやっても勝てないということを。
その結果沖野トレーナーと相談して生まれたのが、自分の勝ちパターンを捨てることでグラスワンダーの勝ちパターンを捨てさせるという相殺の策。
「君が負けないために動く姿は想像できない。だが、こういう勝ち方もあるのだということを、知っておくだけでもいい」
「うん」
「君のやり方は未熟だが戦理に適っていた。本来先行脚質のウマ娘はレースの中央に位置し、全体を俯瞰し支配する力を持っている」
――――だから私は、まず相手の勝ちパターンを潰す。
シンボリルドルフは優しい師父のような表情を《皇帝》と言うべき覇気のあるものに変えて、そう言った。
「何故か。それは、相手の勝ちパターンを潰しさえすれば最悪でもスペック勝負に持ち込めるからだ。スペック勝負に持ち込めれば――――即ち負けないための戦いに持ち込めれば、私たちが勝つ」
負けないことに特化した影のような男が、背中を守ってくれているから。
その確かな信頼を感じて、テイオーはちょっとだけ妬いた。自分の尊敬する人が無邪気に信頼を預けている男を見ると、なんとなくもやりとする、というのか。
「しかし君は、逆だろう。そのやり方を教えよう。頭の働く朝の内に教えて、それからはプールでトレーニングだ」
「……うん! ボク、頑張るよ!」
リギルは、座学を重視する。
そう言われる所以、象徴のような授業を皇帝が自ら行っている中、無論走ることによるトレーニングをしていた者たちもいた。
「よっしゃあああ! 勝ちだ!」
ウオッカが叫ぶ。
実戦を経験してなにか一皮むけた感じのある彼女は、ライバルのダイワスカーレットにここ数週間勝ち続けている――――というと語弊があるが、勝ちが先行している。
「あああ!! 負けたぁー!」
悔しさを前面に出すダイワスカーレット。彼女はライバルなだけに、そして同じチームで同室なだけに、ウオッカがメキメキと力を付けつつあることを知っていた。
――――2000メートルであれば、10分割。2400メートルであれば、12分割。走るレースを1ハロンごとに分割してその中でレコードを更新し続ける
その走法が、彼女の理想。しかしその理想に近づくにはなによりも実力が足りない。
「どうだ?」
メジロマックイーンとゴールドシップの併走にあれこれ注文をつけていた男は、一区切りをつけてやってきた。
その後ろからはなんとなく、2人の芦毛ウマ娘が付いてくる。
「アンタが教えてくれた息を入れるやり方を教えたところだ」
「それだけであれか。やはり非凡だな」
ウオッカ。爆発力を持つ危険人物。
将来府中マイルウマ娘星人が攻めてきたら迎撃に出そうと決めている、そんな素質を持つウマ娘。
(よし、今度はエアグルーヴに指揮させて3人で潰そう。勝ちパターンを潰し切れば負けることはないはずだ。あとは地力でなんとでもなる)
そんなことを思われていることも知らず、非凡と褒められたことに耳をピコリと動かして胸を張る――――ターフに寝転んでいるから微弱な動きでしかないが――――ウオッカに比べて、連敗を重ねているダイワスカーレットの表情は暗い。
「ブルボン、彼女はどうだ」
「善戦していますが、基礎的なスペックの不足を確認。坂路トレーニングが必要です」
「確かにそうだ。だが……」
ぺらぺらと、沖野トレーナーからの引き継ぎ資料を捲る。
(そうもいかない)
脚が脆いというわけではない。ただ、熱を持ちやすい。そう書いてある。
つまり屈腱炎とか、そういう外的な要因によらない病気になりやすい。そういうウマ娘を坂路漬けにするのはよろしくない。
しかしそうもいかないと口に出せば、故障の懸念を伝えてしまうことになる。
「工夫でなんとでもなる」
「何か考えがお有りですか、マスター」
「それだけが取り柄だからな」
こちらの話を聴いていたであろうダイワスカーレットがむくりと起き上がったのを見て、手招く。
「ダイワスカーレット。勝ちたいか」
「はい……!」
「では、よく聴け」
はい、と。
返事をせずに即座に傾聴姿勢に入るあたり、勝利に飢えているのがわかる。
そんな彼女に左手を突き出して、東条隼瀬は指を鳴らした。
「これと」
ついで、右を鳴らす。
「これ。音の違いがわかるな。高い方が左、低いのが右だ」
「え、はい。わかりますけど……」
【右は5秒加速。左は5秒減速。聴いたらそう動け。最終コーナーにきたら、好きに走れ】
ウオッカの耳に入らないようにメモ帳に書いたその文面を見せ、閉じる。
「そして、振り向くことは禁止。そうすれば、ハナ差で勝てる」
「わかりました!」
たぶんわかってない。
だがまあ、やることをやってくれればそれでいい。
「ウオッカ、もう一本併走だ」
「おう!」
くるりと立ち上がったウオッカが自信満々と言った感じにゲートに立ち、パンと拳と掌を打ち付ける。
やる気十分といった感じのウオッカに比べて、ダイワスカーレットは少し首を傾げながらゲートに入った。
2人がゲートに入り、ほどなく。
ガコンという音がして、ゲートが開いた。やはりスタートからハナを切るのはダイワスカーレット。このウマ娘のスタートの良さは、天賦の才がある。
そんな彼女の耳に、左の音が届いた。
(え、減速?)
どういうわけ?と。
心の中の優等生の中身が呟くが、ダイワスカーレットはおとなしく減速した。
(ウオッカに早めに差されるんじゃ……)
だが、一向にやってこない。
最初のコーナー付近で、パチンと右が鳴った。
(加速ね)
ちらりと、レース中特有の広がった視界にウオッカの焦ったような顔が映る。
(焦ってる……? なら、このまま突き放してやろうかしら)
瞬間、左が鳴った。減速の合図である。
ここで突き放しておいた方がいいに決まっている。そう思いつつ、優等生なダイワスカーレットは従った。
(あー! 振り向きたい!)
そう思う。ウオッカを見て、対応して動きたい。それができない、このもどかしさ。
しかしもどかしいからと言って、やるといったことを翻すわけにもいかない。
指揮をしてくれているのは倒れた彼女のトレーナーがわざわざ頼んでくれた、当世随一のトレーナーなのである。
その後もいくつかの指示を受け、ダイワスカーレットはその都度忠実にその指示を守った。
そして、最終コーナーがやってくる。
(私が1番! 私が1番!)
念じるようにそんなことを思いつつ、全力を出して踏み込んで加速する。
その途端、ダイワスカーレットは心中で首を傾げた。
いつもよりも、脚が軽い。心も軽い。おそらく心の方はああせいこうせいと言われずに好きに走れるからであろうが。
ともかくダイワスカーレットは走った後だというのに、近頃ないほど快調なラストスパートに打って出た。
即座にウオッカが末脚を爆発させ、開いた差を埋めにかかる。
5。
4。
3。
2。
そして永遠に感じられた長い直線での1バ身を詰め、詰め切りかけたところがゴールだった。
負けた。
そのことは、詰め切れなかったウオッカが一番よくわかっている。
その悔しさを表に出そうとした瞬間、ライバルの感情が爆発した。
「勝った! 勝ったでしょアタシ! アタシが勝ったわ、今の!」
負けが込んでいたライバルに勝った。
そんな感情の爆発と共に、丁寧語の優等生が明後日の方向に飛んでいく。
その情けないロケット花火の断末魔のようなヒューッと言う音を、ウオッカは確かに聴いた。
「スカーレット」
「なによウオッカ! アタシの勝ち! 勝ちなんだ……」
「本性」
「か……ら」
巻かれたネジが回り切った人形のように、ピタリとダイワスカーレットの嬉しさの舞が止まる。
ミホーッとしているブルボン、後ろを向いて肩を震わせているブライアン、何故かビデオを回しているゴールドシップに、感情の爆発を微笑ましく見つめるマックイーン。
そして。
「……喜んでいるところ悪いが、種明かしをしていいか」
「……はい。お願いします、東条トレーナー」
スカーレット。お前、まだそれやるの?
ウオッカは、反射でそう言いかけて口をつぐんだ。後が怖かったのである。
Q.なんでこいつ現場指揮取れるの? 進化した?
A.してない。答えは次話。
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