ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:領域縮小

 シンボリルドルフというウマ娘は、格が違う。

 ミホノブルボンは尻尾を触ってその存在を確かめながら、素直にそう思った。

 

 領域。自分も度々入っている、過集中空間。ゾーンらしきもの。

 

 厳しい古城のような、光差す聖堂のような空間に屹立する玉座、轟く雷霆。

 

 ぼんやりとした星と、闇夜のような宇宙。未だ漠然とした自分の領域とは、情報の濃度も密度も違う。

 支えにする物も、目指すべき場所も、全てを把握してそこにいる。だからこそトレセン学園の生徒会長を務めているのだと、ミホノブルボンは言われずともわかった。

 

 ――――茨の蔦

 

 それがおそらく、ライスシャワーの領域の片鱗。どことなく領域があやふやな自分とは違い、あの時に見たそれは確かな目的を持っていた。

 

 三冠ウマ娘になる。

 その目標は、ミホノブルボンにとっては遥か遠いものだった。だが今となっては、手を伸ばせば触れられるほど近くにある。

 

 これからというものを、考えるべきときが来たのかもしれない。

 ミホノブルボンは、そう思った。

 

 なぜ、自分の領域は宇宙なのか。

 それは宇宙を駆ける戦闘機のように速くなりたいと思ったからだろうと、ミホノブルボンは思っていた。

 

 だが、違う。勿論あのときテレビで見た戦闘機のように速くなりたいというのは嘘ではないが、本質的には違う。

 なぜ、宇宙なのか。それは、目標が遠かったからだ。あまりにも遠い、道すら見つけることができない目標に向かって駆けてきたからだ。だから未知の象徴である宇宙が、自分の領域になった。

 

(思えば、最も深く領域に潜れたのは皐月賞のときでした)

 

 皐月賞。クラシック路線の初戦、中山芝2000メートル。

 あの時のミホノブルボンは、なんの疑いもなく自分ならば未知のソラを駆けられると思った。クラシック路線という、遥かにあって存在しか知らなかった夢を駆けられると。

 

 日本ダービーでは、領域に潜るのが遅れた。しかもやっと入った領域には浅さがあって、その結果ライスシャワーの猛追に動揺した。

 

 ライスシャワーの猛追が、皐月賞のときに起こっていたらどうだろう。

 

 意味のない仮定ではあるが、ミホノブルボンは言い切れる。あの時の私であれば、歯牙にすらかけなかっただろう、と。動揺することもなかった。振り向くことも、なかった。

 

 実力は上がっている。それは間違いない。あの時の私は、今のように日本ダービーでレコードを出せなかった。

 だからこそ、わからない。実力が上がると共に、領域が浅く、小さくなった理由が。

 

「未知の航路を征く挑戦者ではなくなったからだろう」

 

 わからなくて、わからなくて、わからなければならないと思った結果、ミホノブルボンは最も信頼する人に相談を持ちかけた。

 新しく与えられた部室の掃除をしながら、彼女のマスターはたったの一拍も置かずに答えを出した。

 

「宇宙というのは、君にとっては未知と挑戦の象徴だった。君はこれまで、目標に進むだけだった。挑戦者だった。1600メートルは無理だと言われ、2000メートルは無理だと言われ、2400メートルは無理だと言われた」

 

 ――――言い方は悪いが、俺と君以外は誰も君が勝つとは思っちゃいなかった。

 

 彼女のトレーナーは、本棚を組み立てながらそう言った。

 

「今も3000メートルは無理だと言われています」

 

「だがこうも言われている。2度あったんだから今回も大丈夫だろう、と。つまりこれが、二冠とそれ以外の差だ」

 

 皐月賞をとっても、『あと2つだ』と思う人間は少ない。

 すごいとは思うだろう。速いとは思うだろう。だが別に、この時点で『皐月を取れたのだから三冠全てを得られる』と信じる人間はいない。

 

 だが日本ダービーが終わってみて、どうか。ミホノブルボンは2つ目をとった。それは単純にもう1回勝った、それだけのことだ。

 しかし世間の目は違ってくる。後1個だと、強く意識するようになる。

 

「ミホノブルボンはいけるのか。そういう世論だったのが、変わった。ミホノブルボンを止められるウマ娘はいるのか。日本ダービーを終えて、世間はそういうフェーズに至った。君もクラスメイトから言われるようになった。あと1つだと」

 

 あと1つ。

 その言葉は、とても軽い。今までできたことだろうという既知の風をまとって、その言葉はミホノブルボンに届く。

 

「つまり君は挑戦者ではなくなった。君自身も、あと1つだと思っている。自分に自信がある。今や夢に向かって明瞭な、明確な道を描ける。宇宙の暗中を駆ける必要はなくなった。そんな無茶をする必要はなく、用意された航路を駆ければ勝てる。だから未知と挑戦の象徴である宇宙は縮小をはじめている。そうではないか」

 

 そうだ、と。ミホノブルボンは思った。

 未知が輝く星の海を征く。闇の中を、見えない航路を辿って星へと進む。少なくとも、皐月賞のときはそうだった。

 

「無論これは、単なる劣化ではない。これまで君が抱いてきた夢――――未知によって形作られ、挑戦によって踏破してきた宇宙を、君は狭く感じている。それはつまり、君が成長したということに他ならない」

 

「蛹を破ることが必要、ということでしょうか」

 

「そうだ。だが、今は蛹を破れない。理由はわかるか?」

 

「クラシック三冠になっていないから、であろうと推測します」

 

「そうだ。二冠とはいえ、君はまだ夢の果てへ到達していない。蛹の中を窮屈に感じても、君はまだ羽化できるほどではない。つまり君は今、一番脆い状態だ。蛹に守られているがその中身たるやお粗末なもので、ぐちゃぐちゃのシチューのようになっている。故に君は間違いなく、菊花賞をこれまでのどのレースよりも最悪の状態で迎えることになる」

 

 なるだろうではなく、なると断言するあたりに、この男の美点と欠点が表れていた。

 

 それはともかくとして、夢を叶えるということはどういうことなのかを、ミホノブルボンは知っている。

 目指すことすら叶わなくて、目指せても達成できる保証などない。完走できる保証もない。最後の最後に少しでも躓けば、それまで積み上げてきたものが瓦解する。

 

 夢は、そういうものだ。

 

「今言っても無駄だろうが、焦る必要はない。菊花を勝てば自ずと身体は固まり、蛹は割れる。菊花賞を、長距離を駆けることによって、君はまた一歩前へ進める」

 

「では、今は何もできないということでしょうか」

 

「そうではない。蛹が空を夢見るように、君も新たな空を目指す夢見る権利がある」

 

 クラシック三冠以外の夢を、ミホノブルボンは見たことがない。

 だが、その夢はもうすぐ終わる。あと数ヶ月で、結末の良し悪しこそあれ必ず終わる。

 

 たった1年、たった1回の挑戦。泣いても笑っても、次はない。

 

「君はクラシック三冠の夢が終わったあと、何をしたいのか。そのあたりを考えれば、窮屈さも多少マシになるだろう」

 

 だろう。つまり、たぶん、ということである。

 

「マスターは、私になって欲しいものはありますか?」

 

「お前が望むものこそ、俺のなって欲しいものでもある」

 

 補佐することはできても、主導することはできない。

 一言で表すならば、それが彼の限界だった。補佐に特化しているのである。目標への道を舗装することはできても、目標を与えることはできない。

 

 ミホノブルボンは実直を通り越して愚直な、極めて意志の強いウマ娘である。

 その献身、命令に対しての絶対服従は忠誠という言葉が似合う程で、反面主体性に欠けるという欠点があった。

 

 ミホノブルボンにとって一緒にいて一番楽な相手は間違いなく、『ああせい』『こうせい』と指示をくれる人間である。

 その点、彼は的確な指示をくれた。想像の余地がないほどの管理体制を敷いた。朝ごはんは何を食べようか、と小一時間悩んだ経験のある彼女にとって、一挙手一投足指示してくれるのは有り難かった。その根拠を示して反論の余地を封殺してくる理屈っぽさも、彼女の性格に合っていた。

 

 ああしろ、と言う。こうしろ、と言う。知りたいことを問えば答えをくれるし、わからないと言えば教えてくれる。

 

 だが、向かうべき場所は示してくれない。

 それだけは自分で決めろ。そういうことなのかと、ミホノブルボンは思った。

 

 なぜ、自分は三冠ウマ娘になりたいと思ったのか。

 それは、日本ダービーを見たからだ。

 

 なぜ、日本ダービーを見てそう思ったのか。

 それは――――

 

 それは、何故だったか。

 

「ルドルフ会長は、どう思われますか」

 

 それがわからなくて、ミホノブルボンは生徒会室に足を運んだ。

 手元の書類に走らせるペンを止めて、シンボリルドルフは紫陽花の瞳を上げた。

 

 似ている。凪いだ瞳も、静かな雰囲気も。底の知れなさも。人格に一本通った芯をひたすら守り抜こうとする狂直さも。

 魂というものに型があるならば、あの二人は同型ではないが相似型だ。そういう確信が、ミホノブルボンにはある。

 

「君は私に、結論を聴きに来たのかな?」

 

「いえ」

 

「うん、それはよかった。参謀くんと君は、以心伝心。よく理解し合っていると思っていたからね」

 

 ペンをあるべきところへと戻し、シンボリルドルフは静かな笑みを湛えたままに手を組んだ。肘を机に付き、顎を沈める。

 いかにも、観察しているといった風情のある姿勢になって数秒後。皇帝の名を冠するウマ娘は口を開いた。

 

「君は、私がどうやって三冠後を見据えていたか気になった。参考意見を求めたくなった。そんなところかな」

 

「はい」

 

「だが……そうだな。私は、その質問に答えることができない。これは私が、彼の意図を汲んだからというわけではないよ。君は彼の想定したであろう最良の行動をとった」

 

 つまり、私はクラシック三冠を目指していなかったんだ。

 ミホノブルボンにとっても、おそらくはトウカイテイオーにとっても驚愕に値することを、シンボリルドルフは何でもないことのように言った。

 

「菊花賞には出ないつもりだった。当時の私の目指すべきはジャパンカップ。一意専心の心持ちであり、それ以外にはなかった」

 

「では、なぜ出られたのですか?」

 

 ついでに獲っておきたかったからとか、思いつきで、とか。そういう衝動的な理由ではない。

 浅い付き合いではあるが、それくらいはわかる。

 

「望まれたからさ。ファンや、君にはあまり馴染みがないかもしれないが、連枝や一門の方々。三冠ウマ娘となっていた方が通りも良かった、ということにして、私は菊花に臨むことにした」

 

 

 

 菊花賞からジャパンカップまでの間隔は、中1週。普通に考えて、無理である。当時から既に日本の宝であった彼女に、そんな無茶はさせたくない。

 

 トレーナーであった東条ハナは、当然止めた。怪我というものが輝かしい才能を曇らせ、あるいは破壊することを、彼女はよく知っている。シンボリルドルフの才能を誰よりも理解するからこそ、彼女は無茶を止めた。

 

 ジャパンカップは、1年に1度開催される。ここで回避しても、必ずしも致命的ではない。そんな理論立てをした現場指揮官であるライスシャワーのトレーナーも、同じだった。シンボリルドルフの力を信じていたからこそ、彼女ならば来年のジャパンカップでも問題なく勝てると信じていた。

 

 参謀役の男は、ただ黙って聴いていた。リギルという急速に勃興しつつあるチームを率いる女傑がわざわざ連れてきたこの甥は、この頃のシンボリルドルフにとってどうにもよくわからない存在だった。

 

 東条ハナも『将軍』も、シンボリルドルフの三冠を望む人間たちの持つ力を知っていた。ファンたちの熱意を知っていた。

 そんな中で、ある意味空気を読まない男が挙手した。

 

「菊花賞の手続きをミスした、ということにしましょう。そうすればシステム的に出走できませんから、直接ジャパンカップに出さざるを得ない。手続き役はもちろん私がやります」

 

 ごめん、ミスしちゃった。

 言葉にすればこれだけだが、それをすることでどうなるのかわかっているのか。

 

「……サブトレーナーに危ういことをやらせておいて、私が安穏とするわけにもいかない。監督不行届ということで、私が責任を負う」

 

 いや、発案者がやります。

 いや、本来は私が言うべきことだ。

 

「頑固者め……!」

 

「師匠譲りです。諦めてください」

 

 壮絶な責任の取り合いを見て、そのあまりの果断さに若干引いていたシンボリルドルフも正気を取り戻した。

 

「……菊花賞に勝つ、その後ジャパンカップでも勝つ。そう言った方法はないだろうか」

 

 そう問うたとき、どうする、と。

 二人は、そういった戦略を立て準備することを生業とする『参謀』を見た。

 

「知らん」

 

「そ、そうか……」

 

 断言された。3文字で。

 このときそれなりに、シンボリルドルフは凹んだ。彼女は自分の実力に自信があり、現にここまで無敗だったのである。

 

 今の彼女としては、彼からすれば本当にわからなかったから『知らん』と言ったとわかる。

 だがこのときの彼女は、異様な程親身になってくれたと思ったらいきなり突き放された、という感じだった。

 

「師匠。こいつ」

 

(こ、こいつ……?)

 

 シンボリルドルフは、ハイパー名門の出である。こんな雑な扱いを受けたことも、雑な呼ばれ方をしたこともない。

 

「何割の力を出せばジャパンカップで勝てると思われますか?」

 

「お前が私に訊くとは珍しいな」

 

「外国のことまでは知りませんでした。自身の無知を猛省するところです」

 

「そうか。……そうだな。やはり万全の状態でないと難しいだろう」

 

 万全なら勝てる。

 そう断言するところは、東条ハナが彼女たる由縁だった。

 

「わかりました」

 

 一礼して、向き直る。鋼色の眼がシンボリルドルフの頭の先からつま先までをつらりと眺めて、戻った。

 

「今知った。方法はある」

 

 冷徹な男は、そう言った。

 そしてその通り、シンボリルドルフは菊花賞を制した。ジャパンカップも有馬記念も、圧倒的な走りで制した。そしてついでに、宝塚記念も。

 

 故にこそ彼女はクラシック級において一切の負けを経験しなかった。

 彼女が負けたのはクラシック路線を終えた数年の冬。リギル三頭制解体の1ヶ月前に終わった、海外遠征においてである。

 

(懐かしきかな……っと)

 

 シンボリルドルフは、過去への追想をやめた。

 

「――――私は当時の彼に中1週間でのレースが万全の内にできるかどうか、万全で臨むにはどうすればいいかを訊いた」

 

「勝つための、ではなくですか」

 

「万全で挑めば勝てるさ。私はシンボリルドルフなのだから」

 

 自然と備わったような、無理のない自信がそこにはあった。

 ミホノブルボンは、わかった。自信を持てと彼が言ったのは、半ば騙し討ちのような形でホープフルステークスに出走させたのは、この人の姿を見てきたからだろう、と。

 

「少し、話が逸れた。ともかく私にとって三冠は通過点だった。そして今も私は通過点にいる。君の質問に答えることができないというのは、そういうことだよ」

 

「……ありがとうございました。ルドルフ会長」

 

「いや、何も力になれずすまない。これに懲りず、また来てくれ。なぜか他の娘は、私を避けがちでな……」

 

「それはルドルフ会長の実績が飛び抜けていること、更には威厳ある顔つきであることが原因であろうと推察します。少し知れば、印象は変わってくる。しかしその少しが踏み出せない。そういうことではないでしょうか」

 

「となるとやはり、アレが必要だな……」

 

 アレ?

 そう、ミホノブルボンは訊きそうになった。

 ミホノブルボンは、シンボリルドルフに対して尊敬の念を抱いていた。豊富な実績を鼻にかけず、真摯に対応してくれる。その姿勢は、彼女が好むところである。

 

 もっと親しくなりたいとは、思う。そのために必要なことは内面を知ることだとも思う。

 だがなんというか、『アレ』。そこに触れてはいけないような、そんな気がした。

 

 もう1回頭を下げてその場を後にする、その途上。

 

「ああ、ミホノブルボン。会長はまだ生徒会室にいるか?」

 

「はい。エアグルーヴ副会長」

 

 エアグルーヴと、ミホノブルボンはすれ違った。

 なんとなく嫌な予感がして振り返ってみれば、エアグルーヴは生徒会室に無事に入っていく。

 

(気のせい、でしょうか)

 

 取り敢えず彼女は、そう思うことにした。




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