ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:静謐の残響

 覚悟をして追いつきたいと思っても、その気持ちだけでどうにかなるものでもないと、『将軍』は知っている。

 彼は、現場指揮官である。全体を統御する君主より、絵図面を描く参謀より、一層現実的な視点を持っていた。

 

 菊花で勝つ。そのためにはやはり先行して好位に立ち、最終コーナーから直線にかけてスパートをかけて差し切る。これしかない。

 

(俺はつくづく、予測が苦手だ……)

 

 予測を立てるのは、全部あいつがやっていた。

 

 前日までの調子はこうだから、当日の調子はこう。だからレースはこうなる。出遅れる可能性は誰それ。そいつが出遅れたらこうなる。同時に二人出遅れたらこうなる。

 

 たぶんボートレースの予想屋あたりが天職であろう『参謀』の立てた未来図を持って現場に赴き、細かいところを修正してより現実に即した指示を出す。

 それが、『将軍』の仕事。校正する人であって、書く人ではない。

 

 つまり何が言いたいかといえば、だいたいの戦局はわかるが、あいつのような予測はできない。これまでの通例から言って、ミホノブルボンがハナに立ってレースを作る。

 距離の壁には期待できない。そんなもの、あいつが超えさせてくるだろうから。

 

 流石に不可能だろうと言う人もいる。短距離血統のウマ娘が3000メートルを駆けるのは常識的に考えてみれば無理だと。

 だがよく考えてみれば、気づくはずなのだ。あいつが常識を味方につけたことなど一度だって無いのだと。その上で勝ってきたからこそ、恐ろしいのだと。

 

(ライスは自分でレースを作るタイプじゃない)

 

 他人の作ったレースの中に潜み、終盤に塗り替える。典型的な先行型といえるタイプ。

 自分もそうだ。今まで、他人が引いた図面をちょこちょこと塗り替える形で指揮をしてきた。

 

 ここまで考えて、『将軍』は勘付いた。

 

「……だから逃げなのか」

 

 逃げは、序盤のレースを形造る。中盤にその形を崩され、終盤に負ける。それが、一般的な逃げである。

 

 あいつは自分の手で序盤を作ることができれば、確実にレースそのものを管制下におけるだろう。

 前提条件のない予測よりも、前提条件のある予測の方が精度が上がる。それは全く当たり前のことだ。

 

 あいつが担当したウマ娘は、皇帝を除いて全部逃げウマ娘である。それは偶然なのかもしれないが、あいつと『逃げ』が抜群のシナジーを発揮することは間違いない。

 

 どうしたものかと考える『将軍』の耳に、目下最も懸念すべき男の声が届いた。

 

「おい」

 

「おぉ!?」

 

「リギルの夏合宿にいかないか?」

 

 他人の驚愕など意に介さずに話を進める、この図太さには懐かしさすら覚える。リギルにいた時は、いつもこうだった。

 

「お前も行くのか?」

 

「ああ。リギル全体の練習メニューを考えることになる」

 

 その代わりに施設を借りられる。そういったところかと、『将軍』は納得した。

 そして同時に、ふと気づいた。

 

「それは……俺が行けばライスのも用意してくれるわけか」

 

「お前が嫌だと言うならばやらないが、今のところはそのつもりだ」

 

「……お前、良いのか。お前のメニューをこなせば、ライスは飛躍的に成長する。俺はそこのところがあまり、得意じゃないからな。その分伸びしろがあるから、より成長するのはライスの方だ。菊花で勝つかもしれないぜ?」

 

「いや、ブルボンは勝つよ」

 

 ――――こういうところだ

 

 自分の勝利を、自分が信じたウマ娘の勝利を疑わない。狼狽えない。揺らがない。一番の対抗バの前でも、一切曲げない。強直を通り越して狂直と言える精神性。

 

 その摩天楼のような精神的堅牢さに、あの皇帝ですら寄りかかったことがあるのを知っている。

 

「…………ああ。手抜きをするわけではないぞ」

 

「そこは一切心配してねぇよ。ただ、その、本人はどう思うんだ。ミホノブルボンは」

 

 ライバルに手を貸す。それも、全力で。

 実際のところ、彼からすれば『ウマ娘にとって大事な夏を預かる以上は全力でやる』という認識なのだろう。だが、不和とか不信の芽を生み出すには充分な土壌だ。

 

「俺があいつを信じているように、あいつは俺を信じている。お前が心配することでもない」

 

「……そりゃ、そうだな」

 

「ついでに言えば、こちらとしても利益があるからお前を誘っている。今のブルボンに必要なのは技術でも地力でもないからな」

 

 一拍だけ間を空けて、『参謀』は卓上にクリアファイルを置いた。

 

「まあ、考えておいてくれ。手の内を晒すのが嫌だというのなら、こなくてもいい。一応練習メニューの草案は渡しておくから、納得がいったら参加する。それでどうだ?」

 

 じゃあな、という言葉にまたな、と返してカリキュラムを見る。

 

 慨嘆した。

 なんでこんなに精緻に、しかも迅速に組めるのか。

 

(ここ、どういう理屈で時間配分決めたんだろうか……ライスのメニューの組み方、教えてもらうかな)

 

 トレーナーとは、複合職である。スポーツとしての指導者だけにとどまらず、医療、メンタルケア、ダンス、科学など多岐にわたる素養を要求される。

 

 それほどまでに優秀な人間は、正答を導くことができなくとも正答を見たら『これは合っている』とわかる。一見したらわかる。

 ライスシャワーというほぼ初見であるはずのウマ娘のために組まれた練習メニューは、これまで自分が組んできたどのメニューよりも優れている。それを素直に認められる器の広さが、『将軍』にはあった。

 

 鳴り響くチャイムにつられて、歩き出す。

 とりあえずこのメニューを参考にして今日は練習させてみようという気にはなっていた。

 

「いやいや、ライバルと一緒に夏合宿はやめておけよ。というか下手な練習メニューを組まれて、調子を崩されたらどうするんだ?」

 

 夏合宿を共同でやるかもしれない。

 そのことを聴きつけて、そんなことを言ってきた人もいた。

 

 東条ハナの甥であるが故にコネで中央トレセンに来た――――と、当初は思われていた――――男を嫌う人間は、それなりにいる。

 なにせ無愛想であるし、結果を出し続けている。今や叩く隙すらない。

 

「あいつ、人の心がないんか?」

 

 そういう言葉もある。だが『将軍』は、なによりも『参謀』を信頼していた。

 無論、敵である。クラシック戦線において、最大最強の敵である。故にレース中、かき乱しに来るかもしれない。ハイペースの逃げで潰しに来るくらいのことはするかもしれない。

 

 ――――だが、あいつは公正なやつだ

 

 策を立てる。策を仕込む。切り札を作る。レース中にはそれらを容赦なく切って、全身全霊で勝ちに来るだろう。

 だが、あくまでも正々堂々としている。練習を邪魔するとか、非効率なことをさせるとか、そういうことはしない。指導を任せられた以上、全力を懸ける。

 

「最大の敵を信頼してるってのも、我ながらおかしなものだと思うが……」

 

 そう、おかしい。この世界は夢を追う者ばかりの、綺麗なものじゃない。担当ウマ娘がGⅠを勝てば、大金が手に入る。三冠ウマ娘になればCMやグッズなどのインセンティブも手に入る。

 

 地方ですら、勝つために下剤を混ぜたりとかそういうことをしていたやつがいた。

 これが中央なら、どうか。賞金が跳ね上がるどころの騒ぎではないのだ。魔が差さないとも限らない。

 

 だがそんなことを、全く心配していない自分がいる。

 

「……信じていいって、ライスは思うな」

 

「おぉ……ライス、聴いてたのか」

 

「うん。お兄さま、なにか考えてたみたいだったから」

 

 ぬっと、影のようにライスシャワーが現れた。

 練習終わりだからか、頬が若干土で汚れている。

 

「だって、ブルボンさんのトレーナーさんだもん。無理だって言われて、無茶だって言われて、無謀だって言われて、それでもブルボンさんの意志を尊重したあの人は、たぶん、いい人だよ」

 

「…………いい人、か」

 

 いい人とか、わるい人とか、そういう言葉で人間は表せない。朝起きるまではいい人だったのに、夜寝るときはわるい人になっている。そういう人間もいるのだ。

 

 だがそれをわざわざ、ライスシャワーに伝えたくはない。

 

「うん。それにあの人は、ブルボンさんを信じてるだろうから」

 

 それはなんとなく、理解できた。

 あいつは、ミホノブルボンを信じている。彼女の積み上げてきた努力を、夢のために全てを捧げる献身を、そして自分の才能を。

 

 汚いことをするのが、人間だ。それまでを裏切れるのが、人間だ。

 

 だが『参謀』は努力を、献身を、才能を裏切るようなことはしない。

 自分もそうなりたいと、『将軍』は常に思ってきた。

 

 ――――だがこのウマ娘を、ライスシャワーを、俺はあいつほど信じているのか。

 ミホノブルボンを信じるほどに、疑っていないのか。人智を尽くしたと言えるのか。

 

「……ライス」

 

「なぁに、お兄さま?」

 

 本当に嬉しそうに、顔がほころぶ。

 幼くて、無邪気な信頼。その信頼に自分は応えられているのかと、彼は度々疑問に思っていた。

 

 そう、思ってきたし、思っていた。このときまでは。

 

「俺も、勝ちたい」

 

 今信頼に応えると、そう決めた。

 

 あいつに勝ちたい。

 ミホノブルボンに、ライスシャワーが勝ちたいように。

 

 ライスシャワーは、ミホノブルボンの背を追った。周りの批難や意見に己を曲げず、夢へ突き進む背中に彼女にとってのヒーローを見たから。

 

 彼も、かつて年下の同僚の背を追った。強烈な行動力と、捨身の覚悟を持った男を眩しく思った。外国人枠撤廃のとき、実質的に運動を率いた男の背を追った。

 

 

 ライスシャワーは、背を追って歯牙にもかけられなかったとき、気づいた。追うだけではなく、追いつかなければならないのだと。

 だがそれでも、駄目だった。皐月賞でのミホノブルボンは、やはり歯牙にもかけてくれなかった。

 

 彼も、追いつきたいと思った。だが、無理だった。グラスワンダーと、エルコンドルパサー。ふたりの――――そう、ふたりの極めて優秀なウマ娘を預けられて、あいつはイマイチ伸び悩むウマ娘を預けられたとき、追いつけると思った。

 だがその背は遠かった。初めての激突となった毎日王冠でも、絶対勝てると思っていた。

 

 金鯱賞での勝ち方を見た。だが、差せると思った。正直その時点では、ただの逃げウマ娘だったから。

 

 評論家たちも口を揃えて言っていた。

 リギルにしては珍しい非情さだと。近しい実力を持つ二人の対決に、やっと復活しかけてきた伸び悩むかつての天才を混ぜるのはどうなんだ、と。

 これは例えるならば、怪我から復活しかけている三冠ウマ娘に、これまで走ったこともない短距離・高松宮記念を走らせるようなものだ、と。

 

 ――――できるな

 

 ――――はい

 

 そういう会話を聴いた。策があるだろうことも察した。

 だが、あいつが担当した逃げウマ娘はそれほどでもなかった。サニーブライアンという生粋の逃げウマ娘と一緒に走ることになって、逃げという戦法を捨てさせられたのがその証拠だと思った。

 

 勝てる。捨ててしまえるような逃げは、敵じゃない。そう思っていた。

 

 だがそのウマ娘の逃げは、普通の逃げではなかった。

 あいつと同じく常に遥か先を行く逃亡者は影すら踏ませず、グラスワンダーとエルコンドルパサーを圧倒した。

 

 

 それからが、違った。ライスシャワーはすぐさま思い直した。勝ちたいと。追うのではなく、追いつくのでもなく、追い越すのだと。勝つのだと。

 だが、『将軍』はくすぶった。

 

 ミホノブルボンと『参謀』が組んだと聴いたとき、三冠ウマ娘を狙うと聴いたときも、あいつならまあなんとかするだろうとしか思わなかった。

 ……正直に言えば、組んだのが栗毛の逃げウマ娘と聴いた時点で、ちょっと震えるくらいに怖かったのだ。

 

「今、君と勝ちたい。あいつに」

 

「うん、お兄さま。ライス、勝つよ」

 

 なんでもないように、ライスシャワーは言う。笑って、楽しみだとでも言うように笑う。その小さな身体を、期待と不安で震わせながら言う。

 

 勝つ。追って、追いついて、追い越して勝つ。

 

「勝とう、ライス。菊花賞で。今ここから、あいつらの全てを糧にして」

 

 思い悩むミホノブルボンに比べて、ライスシャワーは単純だった。狙うところが明確だった。単純化され研がれた、刃のように澄んでいる。

 ライスシャワーの眼は、静かだった。闘志を湛えた眼は、静かに静かに、凪いでいた。

 

 名門のトレーナーと、寒門のウマ娘。

 寒門のトレーナーと、名門のウマ娘。

 

 何もかもが反対の二人は、ここでようやく向かい合った。




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