ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
夏合宿といえばやはり、普段よりも厳しいトレーニングを行うと思われがちである。
現に、リギルメンバーにとってはそうだった。彼女らは1日目で体力の限界を、2日目で適した練習を見極められ、3日目からはひたすら体力を刮ぎ落とされた。
4日目からは自主練習の時間が設けられ、今に至る。
朝から夕方までひたすら練習。こう聴くと『疲労がコツコツと溜まっていくんだろうなぁ』という予想が立つが、違う。
「あぁ……今日も元気デース……」
死んだ目をした二冠ウマ娘、エルコンドルパサーはデスソースをふりかけた朝食を食べつつ、彼方を見ながらそう呟いた。
そう、元気なのだ。異様な程に。
ウォームアップ、食事、クールダウン、マッサージ。全てが各々によって違い、各自の疲労回復のための最適解を極めている。
だから、疲労が残らない。よく寝て翌日を迎えれば常にフルパワーで練習に臨める。
キツいのは、心だけ。
走るのは楽しい。トレーニングも楽しい。強くなっているという実感がある。だが、限界の壁に正面衝突するようなトレーニングは、ひたすらにキツい。
キツいが、最善であり最良であることはわかる。身体がそう言っているし、夏合宿では付き物の故障者は出ていない。
料理のメニューも全員が同じでないし、ウォームアップも違う。クールダウンもマッサージも、ウマ娘によっていちいち異なる。
ぐうの音も出ない正論で無抵抗にぶん殴られているこの感覚を、リギルの面々は久々に思い出していた。
「ミホノブルボン。今日はこの皇帝が淀の坂の高低をうまく乗り越える術を教えよう」
「はい、ありがとうございます」
「そう、皇帝が坂の高低をうまく乗り越える術を!」
「……?」
そんな中でケロッとしている、化け物2人。
シンボリルドルフがケロッとしているのはわかる。なぜなら彼女は皇帝だから。
ミホノブルボンは、なぜ耐えられるのか。
確かに、あの鬼は言った。『ブルボンはトレーニングを控えめにして、ルドルフにレースの知識、経験を教えてもらう。そちらの方がためになる。そして君たちも良ければ、手ほどきしてやってほしい』、と。
それを聴いて、リギルの面々は思った。
そりゃあそうだ。こんな地獄の夏合宿について来れるクラシック級ウマ娘など存在しない。体力の限界も自分たちより早く来る。
だからトレーニングを早めに切り上げさせ、知識をつけさせるのはごく自然なことだ、と。
無論、自然ではなかった。
ミホノブルボンはリギルの面々と同じか、それ以上の練習をする。負荷の小さめ、いわば能力を増設するというより身体がよりキレを増すような、調整というべきメニューからはじまり、砂浜でひたすら走ったり、トモを鍛えるべくデッドリフトを担いだり。
それらをなんでもないような顔でこなし、同じくあくまで調整気味のトレーニングに励むシンボリルドルフの授業を受ける。
現場を指揮するのは、ライスシャワーのトレーナーである。彼は練習メニューの作成や調節などにかけては参謀役の男に負けるが、ウマ娘のやる気や調子をキープさせることにかけては天才的であると言えた。
その天稟は今も欠かさず発揮されている。
「……会長は何故あのように一部を強調されるのだろう?」
皇帝が坂の高低差をうまく乗り越える方法を教える。
それはたしかに、ミホノブルボンには必要なことだろう。シンボリルドルフはそれほど京都レース場での経験が豊富ではないが、菊花賞と春の天皇賞を勝った。
つまり、出走経験は少ないものの、勝利経験は豊富であると言える。だから教師役としては決して不適当な相手ではない。
だが、なぜ繰り返すのかがわからなかった。
恩着せがましいような言動をとるような方ではない。それがわかるからこそ、繰り返した理由がわからない。
「そりゃ、洒落だろ」
「……どこがだ?」
「皇帝が高低……」
「――――なるほど! しかし……」
気づけなかった。
エアグルーヴに、『将軍』が暗に指摘したその事実が重くのしかかる。
「女帝さん」
「なんだ、将軍」
「なぜ皇帝がダジャレを言うのか。その理由はわかるだろ?」
それは、わかる。
「親しみを出すため、だと聴いている」
「そう。そして何故、皇帝は親しみを感じさせようとしているか、わかる?」
「……わからない」
「うん、それはつまり、ウマ娘全体のためだ」
シンボリルドルフは、間違いなく有史以来最強のウマ娘の一角である。
そんな彼女が走れて語れる全盛期なのに、他のウマ娘たちは神威と言うべき威圧感を恐れてアドバイスを求めに来ない。
それは、損失である。皇帝の目の届く範囲は所詮ひとりぶんでしかない。だからアドバイスをするにしても、限界がある。
しかし、皇帝を見るウマ娘の目はそれこそ何百、何千。そんな彼女らが自ら分析し、アドバイスを求めにいけばどうなるだろうか。
シンボリルドルフはより多く、より適切で親身になった助言を行える。
「そういう壮大な計画がある、と俺は思うわけよ」
「くっ……私は副会長でありながらそんな遠大な計画の一端に気づかなかった、ということか……」
普段ならばここで、やる気がちょこっと下がるところである。
だがここからが、『将軍』の『将軍』たる由縁だった。
「違うな、女帝。貴女は気づかなくていいんだよ」
「……どういうことだ?」
「つまり、貴女と皇帝とは既に親しい。相談を持ちかけ、し合う間柄だ。そうだろ?」
「それはそうだが……」
「だからこそ、皇帝は君に気づかせないように巧みにダジャレを混ぜ込んでいる。ダジャレに気づくのは、彼女と親しくない相手でいいんだ。だから君が気づかないのは――――」
「会長の思惑通り、ということか!」
私は会長の掌の上で踊らされていたということか……!
そんな戦慄を覚えるエアグルーヴに駄目押すように、『将軍』は口を開いた。
「つまり貴女が会長の洒落を気づかなかったと悔いるのではなく、対象を絞ることに成功し、君に気づかせなかった会長を讃えるべきだ。そうだろ?」
「確かにそうだ……! 私は唐突に意味のわからない言葉をぶつけられ戸惑い、意味を解せず悔しく思っていた……だが、それはリトマス試験紙だったのだな!」
「そうそう」
嘘である。
エアグルーヴがダジャレの被験体になるのは単に思いついたときに側にいる確率が高いから。ダジャレの精度を下げることによって対象を絞るような高等技術を、あの皇帝ができようはずもない。
「気づけばダジャレの精度を指摘する。気づかなければそれはそれとして気に負わず、皇帝を讃える。それでいいと俺は思うな」
「確かに……!」
「ただ、精度の指摘にはどことどこがかかっているか、くらいにしておいた方がいい。下手に深いことを言うと、皇帝の進歩を阻害することになる」
「わかった、そうしよう」
モチベーターとして極めて有能なこの男は、エアグルーヴがシンボリルドルフのダジャレに気づけなかったときに己を責めるクセがあることを知っていた。
取り敢えずこう言っておけば、巧く噛み合うだろう。
そう判断して、全体を見渡す。
疲れもない。やる気の減衰もない。あとは練習中の然るべきタイミングに褒めて、なだめて気性を制御し、『参謀』に指定されたタイミングでぴったりやる気が尽きるように練習させる。
そんなふうに頑張っている男と対になっている『参謀』は今何をしているかと言えば、映像を見ていた。
「……」
首を回して骨を鳴らし、アイマスクをつけて椅子の背に身体を預ける。
――――今、俺にやれることはない
彼は、そう割り切っている。基本的に自己完結した目標を夢にしてきたミホノブルボンというウマ娘が成長するには、自分以外のウマ娘という存在がどうしても必要なのだ。
正直、合宿に行く気はなかった。その心理的成長はあくまでも、菊花のあとでやればいいと思っていた。だからこの夏は暑さ対策で休みをこまめに挟みながらいつも通り坂路を走らせる予定だった。
だが思ったよりも、ミホノブルボンの成長は早い。
その早さは決して歓迎できるものではないが、乗り越えれば更に強くなる。
――――ダービーで、布石は打った。菊花を勝つだけならば、できる。問題ない。だがその勝ちがミホノブルボンの成長に繋がるかと言えば、そうではない。
ライスシャワーは、同格である。同格を倒すために、一々奇策を用いているようではこれから――――古豪ひしめくシニア級ではやっていけない。
逃げウマは、勝つか負けるかのどちらかしかない。勝つときは自分の戦術を押し通せたときで、負けるときは相手の戦術に押し切られたとき。
クラシック級での敵は、ライスシャワーくらいなものである。だがシニア級では、各世代のライスシャワー枠が研磨された姿でゴロゴロいるのだ。
(限界ギリギリまで待つか……)
期限は菊花賞1週間前、そのあたり。そこまでに自分の新たなる目標を導き出せなければ、一旦やめさせて無理矢理にでも勝たせる。
「参謀くん、お疲れのようだね」
「見ての通りだ」
アイマスクを額の方へ押し上げ、椅子ごとくるりと振り向く。
焦げ茶の髪につられるように、一房の白い三日月のような髪がふわりと揺れる。
「どうだ、あいつ」
「ん……自己完結している強さが裏返ってきているという感じかな。これまでのレースで、なにか思うことがあったのだろうとは思うが……」
長所とは、短所でもある。
ミホノブルボンは、あらゆる面で自己完結している。目標にも、走法にも、他者の存在を必要としない。
「現状、どうにも集中し切れていない。自分でも足りないことがわかっていて、それが単なる練習で得られないことを知っている。君の『トレーニングは最低限にとどめ、座学に専念させる』という判断は正しかったと思うよ」
「そうだろうな」
シンボリルドルフはリハビリ中、とでも言おうか。
なんの比喩もなく日本の至宝である彼女は、リハビリに慎重を期すことを強いられている。去年から今までずっと、ゆっくりじっくり身体を練り上げているのだ。
この夏合宿でも、ハードなトレーニングは課されなかった。その余暇の時間を、後輩の教育に当ててくれているわけである。
もともと、シンボリの家と東条の家は仲が良い。西宮の家がメジロの家と共にあるように、東条はシンボリの家と共生関係にある。
とはいえこの厚意には、いずれ何らかの形で報いたい。
彼としては、そう思っていた。
「彼女の暗記力は目を見張るものがある。クイズ形式で何問か確認テストを行ってみたが、全問正解だった」
多くのウマ娘の悩みのタネである中間テストも問題なく通過していた。
それどころか、学年でも五指に入るほどの成績だったのである。
「読解問題をすべて落としてこの成績はすごいと、先生たちが褒めていたぞ。君の指導の賜物かな?」
「いや、もともとだな。あの暗記、力は――――」
スッ、と。鋼鉄の瞳から光が消える。
所謂ハイライトオフ、何を考えているかわからなくなるそんな眼差しが、シンボリルドルフは好きだった。
この瞳を見ると、初めてあった頃の得体の知れなさとか、そういった懐かしいものが思い出される。
「……そうするか」
「考えは纏まったようだね、参謀くん」
それは話し相手を放っておいて一人の世界に没入し、数分の後に帰ってきた男に対して使うには、優しすぎるほどの声音だった。
「…………そうだ。話をしていたな。何か言いたげな雰囲気だった。なんだ?」
「単刀直入に言うが、この際だ。目指すべきものを与えてしまってはどうかとも思う。君が後々のことを考えているのもわかるが、やはり大切なのは今ではないかな」
お前はここを目指せ。
そう命令するだけで、ミホノブルボンは精神的な安定を取り戻すだろう。それは極論を言えば、菊花のあとにあることであれば何でもいい。
それだけで、ひとまずの安定は買える。
「大切なのは今だ。それは間違いない。だから一応、策は施してある」
「第4コーナーの失速がそれかい?」
こいつやっぱり賢いな、と。そんな当たり前なことを、改めてトレーナーは思い直した。
「相手のスパートを早め、相手の視野を狭めるいい手だとは思うが……」
あの失速を見た仮想敵は、思うはずだ。
菊花賞でのミホノブルボンとの争いは、2400メートル地点か、その付近からだと。あのあと速度を取り戻したとはいえ、一度限界が来たという事実がそうさせる。
条件が決まれば必然、対策範囲も狭まる。2400メートルまで脚を溜めて、最後の600メートルで差す。オーソドックスな逃げウマの対策法をより京都レース場にあった形にチューンして、各陣営は仕掛けてくるだろう。
視野を狭めるとは、そういう意味である。
「目下最大の敵は、そこまで君たちを侮らない。そうではないかな」
「無論のこと、あいつは距離の壁など問題にしてもいないだろうな。ステイヤーとの勝負だと思ってくるはずだ」
「うん。そしてそうなれば、実質的な一騎打ちだ。そこまでして他陣営を牽制する意味は――――」
失速したことは、多少なりとも負けの可能性を生んだ。
日本ダービー。世代最強を決めるレース。ミホノブルボンにとっては、夢の中腹。そこでわざわざ、敗北に繋がりかねない行動を取らせる。
無論それが、未来の敗因への対策になるならば話は別だ。だがこの場合、リスクとリターンが繋がっていない。
「――――ない。うん、ないはずだ。君がそれを知らないはずがない」
他の目的があったのか、と。
話しながら、シンボリルドルフは気づいた。
「となると理由は他にある」
「俺には臨機応変の才能がない。思考があまり速いとは言えないからな。だから君みたいなのは、天敵だ。戦いたくはない」
じっくりと観察し、分析し、情報を集めてから煮詰めて考える。
だからこそ先の先まで物事を読めるが、長くても3分程度しかないウマ娘のレースでは考えている間に取り返しのつかないくらいの差をつけられかねない。
「だからまあ、色々考えているわけだ。そういう相手をどう倒すか、ということをな」
「なるほど……打った布石はひとつだが、策は1個ではなく布石の意味も1つではない、ということか」
思うに、と。
鋼鉄の瞳を眠たげに瞬かせた男は、腕を組みながらルドルフを見た。
「俺のことをよく知っている君すら、事態が動き出さない今の状態ではここまで気づかなかった。もっともこれは、君の能力が低いわけではない」
シンボリルドルフの恐るべき能力は即応力である。
事前にそれなりに考えて、対策を立てる。たとえそれが外れても、周りの動きから真意を察して駆け引きを仕掛けてその意図を破滅させる。まさしく、参謀からすれば味方にすればこれほど頼もしい者もなく、相手にすればまさしく天敵と言っていい。
「だから、菊花賞は勝てる。別に信頼してるから言ってるわけじゃない。勝算という裏付けがあって、俺は口にしているのだ」
「なるほど……」
少なくとも、この人を心配する必要はなさそうだ。
シンボリルドルフは、そう思った。
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