ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:道無き道を

 君はどんなウマ娘になりたいんだ、と。そう聴かれた。

 周りのトレーナーたちが素質へ、才能へ語りかけているのに対して、その人だけがミホノブルボンという個人を見ていた。

 

 彼女の父は、そういうトレーナーだった。自分の娘が明らかにスプリンターとしての天稟を持っていたとしても、ステイヤーとしての調教をつけてくれるような。

 そんな人を探しますと、ミホノブルボンは見送りに来てくれた父に向かってそう言った。

 

 ――――ブルボン。トレーナーとは、そういうものではない

 

 三冠ウマ娘になりたいという意思を曲げないであろう娘がトレセン学園に向かう間際の駅のホームで、父は静かに頭を振った。

 

 夢を応援するといえば、聴こえはいい。だが実のところ、求められるのは結果なのだ。

 トレーナーが善人であるとか悪人であるとか、そういうことではない。彼らにも生活があって、ウマ娘たちにも生活がある。

 

 夢を追ったけど一銭にもなりませんでしたでは、だめなのだ。

 

『君はどんなウマ娘になりたいんだ?』

 

 トレセン学園に来る前ならばすぐ答えられていたであろうその問いに答えられなかったのは、父の言葉が現実味を帯びていたからかもしれない。

 

 トレーナーは才能を見る。現実を見る。夢を見るのはウマ娘と、ウマ娘を見る観客だけだ。

 誰かが、現実を見なければならない。でなければ、この厳しい世界を生き抜くことはできない。

 娘の夢を肯定したい父として、そしてあくまでも現実的な視点に立った元トレーナーとして。

 

 ――――トレーナーとは、そういうものではない

 

 つまりこの言葉は、その狭間から発された言葉なのだ。

 

「なぜ、そう訊かれるのですか?」

 

「スカウトされているのに、気分が乗っていないように見えたからだ」

 

 ミホノブルボンの夢。

 それは、口にするのは簡単だ。わかりきっている。クラシック三冠の達成。はじめて現地で見たあの熱気、歓声。日本ダービーを走る、後に三冠に輝いたウマ娘。

 

 ああなりたいと。そう思ったその日から、ミホノブルボンの夢は決まっているのだ。

 

「私の夢は、クラシック三冠です」

 

 無茶だ、と誰かが言った。記憶データベースに蓄積され続けた、よくある反応。

 

「なぜクラシック三冠を目指す?」

 

「……私が初めて観戦したレース、日本ダービーにおいて後の三冠ウマ娘の走る姿を見ました。そのときに獲得したステータス、『憧れ』が現在も私を動かしています」

 

「そうか。なら、お前も三冠ウマ娘にならないか?」

 

 あまりにも軽い勧誘だった。少なくとも、ブルボンの才能を見抜き、育てようとしている他トレーナーたちにはそう聴こえた。

 

「質問があります。貴方の言う三冠とは中距離・長距離のレース。皐月賞・日本ダービー・菊花賞で間違いありませんか?」

 

「ああ」

 

「私の母は短距離・マイルを主戦場としたウマ娘であったと、お父さんから聴いています。従って私もそうであるだろうと言われていましたし、現状はそうです」

 

 距離の壁、という思想がある。

 ステイヤーを母に持つウマ娘は、ステイヤーとしての才能を持つ。スプリンターを母に持つウマ娘は、スプリンターとしての才能を持つ。つまるところ距離適性は血統で決まるという、そういう思想である。

 

 その思想の体現者こそが、メジロ家だろう。天皇賞をこそ至高のものと考える彼ら一族は、代々優秀なステイヤーを輩出してきた。

 

「私の夢は、この思想に反するものです。貴方は、どう思われますか?」

 

「スタミナは努力で補える。距離の壁は、強靭な意志と血を吐くような努力で破壊できる」

 

 夢を叶えるとは、そういうことだ。死ぬほど努力して、努力して、努力して。それ以外の全てを犠牲にして掴むチャンスを手に入れる。

 

「トレーナーとは、平坦な道の砂利を掃除するためにいるのではない。夢を大地に引きずり落とし、道なき道を舗装するためにこそいる」

 

(……この人を)

 

 信じてみようと、ミホノブルボンはそう思った。夢が手の届かないソラにあることを隠すことなく伝え、進むべき道が地獄であることも伝え、それでも良いならばこの手を掴めと差し伸べてきたこの人を。

 

「これからどうぞよろしくお願いします。おと……マスター」

 

 

 それから間髪を入れず、過酷なトレーニングがはじまった。身体の状態を確かめ、どれほどの負荷に耐えうるか導き出し、その限界寸前まで負荷をかける。

 切り立った断崖絶壁へ走らされ、止まれと言われたところで止まる。一歩でも過ぎれば故障するであろう地点を正確に見抜き、峠の走り屋のごとく限界ギリギリを走らせる。

 

 周りから心配されるほどの素直さで、ミホノブルボンは課せられたメニューを正確にこなした。それは素直というより愚直であり、トレーニングというよりは虐待に近かった。

 

 優秀なウマ娘というのは、気性難が多い。それはあるいは自分の優秀な能力が故障によって損なわれないための――――限界ギリギリを踏み越えない、といった――――防衛本能からくるのかもしれないと思うほどの、圧倒的なトレーニング量。

 

 普通のウマ娘であれば投げ出していた。普通以上であったならば、逃げだしていた。賢いウマ娘であれば、自分の夢を諦めたかもしれない。

 

 だが、ミホノブルボンは優秀で愚かなウマ娘だった。

 

 坂路を1日8本走るという気狂いじみたトレーニングが、故障しにくく負荷が大きいというその性質が、自分に最もあっていることをやっているうちに悟った。それは彼女が優秀だからこそわかり得たことだった。

 

 そして彼女は、夢を諦められるほどの賢さはなかった。朝練を終えて教室へ移動する最中、見かねに見かねたベテラントレーナーから『このままでは潰れる。手続きと彼への説得は私がやっておくし、理事長へも手を回してあげるから壊れる前にこちらに来なさい』と言われたときも、これっぽっちも移籍する気が湧かなかった。

 

 ベテラントレーナーは、良い人だった。このままでは折角の才能が新人に潰されるだろうということは最早トレセン学園のトレーナーの中では噂になりつつあったし、その過酷なトレーニングを強いている本人はバ耳東風の知らん顔。

 引き抜き行為というものは減給、ともすれば解雇に繋がる。このベテラントレーナーは、それでも動いた。それはミホノブルボンの才能を惜しんだということもあるだろうし、地獄のトレーニングに対して文句も言わずに従う彼女の姿が見るに堪えないということもあっただろう。

 

 担当ウマ娘の従順さに甘えるのは、新人トレーナーにはありがちなことだ。

 サブトレーナーとは比較にならない権限を持つメイントレーナーになって、自分の理想を実現しようとウマ娘を酷使する。それはありがちだし、ベテラントレーナーたちにも経験がある。が、それにも限度がある。

 

「私は三冠ウマ娘になるという目標のために行動しています。マスターの課すトレーニングは確かに過酷なものですが、故障に気を使い、私の弱点を補うために必要なものです」

 

 そう言って、失礼しますと頭を下げた。

 その中身が間違ったものであれ、心配してくれること自体は嬉しい。

 しかし嬉しいからトレーニングをやめるかと言えば、そうではなかった。

 

 トレーニングは、厳しい。夢を追うにあたって文句というものを吐かないようにプログラムされているミホノブルボンですら、弱音を吐いてしまいそうな程に苦しい。だが、なんの成果ももたらさない苦しさではない。

 

 古代スパルタ人の末裔だなんだと言われているミホノブルボンのトレーナーは、坂路練習を終えると丹念なマッサージとケア、詳細な食事管理で明日に疲れが出ないように尽力している。

 現にミホノブルボンは、これほどまでに苦しいトレーニングをしながらも筋肉痛以外の痛みや不調を感じたことがない。

 

 1000メートル、1200メートル、1400メートル、1600メートル。短距離からマイルまでの距離ですら、ミホノブルボンは今まで息を切らしながら駆け抜けていた。

 

 だが、今は軽度な息切れすらしない。

 

 スタミナがついたのだと、ミホノブルボンはこのときに初めて実感した。

 

「むやみに走るのではなく、タイマーを内蔵して走るのだ。自分の時間感覚を研ぎ澄まし、レースの時間配分を把握しろ。そして、脚と頭を連動させろ。いいか――――」

 

 そんな達成感と高揚感に包まれる彼女に対し、彼は言った。

 

「――――レコードタイムから逆算して区間タイムを割り出す。そしてそれを更新し続ければ、お前は誰にだって勝てるのだ」

 

 心の中にいる、あの三冠ウマ娘にすら。

 

 それは、殺し文句だった。振り返ってみてみると、マスターはやる気を煽るのがうまい。

 ストップウォッチを片手に、寝る寸前まで体内時計の調律に挑む。そんな機械じみた調整をしていたミホノブルボンは、朝起きたときにそう思った。

 

「メイクデビューが決まった」

 

 そんな日々が続く中でも、ミホノブルボンのやることは変わらない。坂路を走り、ストップウォッチで体内時計を限りなく精緻に調律する。

 相当苦しかったトレーニングがやや苦しい程度にまで慣れれば追加され、慣れれば慣れただけ追加される。

 そんな果てのない日常の中で唐突にそう言われたとき、ミホノブルボンは驚いた。もう3ヶ月経ったのだという事実に、である。

 

 メイクデビューは7月の2週で、これまでにどれくらいのトレーニングを積むか、どれくらいの成果を上げるか。

 そういうフローチャートは提示されていたし、読んだ。加えて言うならば、実力もそのとおりに推移した。しかし、提示されたフローチャートに終わりがあるという考えがトレーニングをこなす毎日の中で抜け落ちていた。

 

 思えば、クリスマスも祝わなかった。ケーキを食べた記憶はデータベースに保存されているからわかるとして、お正月やら入学式はいつ過ぎたのか。

 

 虚空を見つめながら疑問符を浮かべるミホノブルボンの意識が身体の中に帰ってくるのを見計らったように、ミホノブルボンのトレーナーは続けた。

 

「距離は1600メートル。今のお前なら走り切れるだろうし、基本は今まで通り坂路での調教になる。わかったな」

 

「承知しました」

 

 そして迎えたメイクデビュー、ミホノブルボンはものの見事に出遅れた。凄まじいを通り越して、ある種の芸術性すら感じられる出遅れだった。実況に『これはとんでもない出遅れ!』と叫ばれる程度にはひどい出遅れだった。

 8ハロン、1600メートル。出遅れが致命傷になりがちな短距離とは違い、それなりに距離はあるが、それでも出遅れするとしないとでは大きな違いがある。

 

 が、ミホノブルボンは200メートルで後続に追いつき、400メートルで中団に躍り出て、800メートル時点で差し切り、そしてそれ以後の800メートル、影すら踏ませることなく逃げ切った。

 

 出遅れ込みでも1ハロン12.8近辺をひたすら刻み続けての勝利に観客が沸き立つ中。

 ミホノブルボンは調律を終えた体内時計に自信を持ちつつ、トレーナーに向かって頭を下げた。

 

「バッドステータス、『出遅れ』の発生を確認。申し訳ありません、マスター」

 

「今の君の実力であれば10回走れば1回の出遅れがある。今回はそれを引いた、ただそれだけのこと。いちいち陳謝は無用だ」

 

「はい、マスター」

 

「それと、皐月賞ではもう少しペースを下げないとバテる。自己ベストを目指すより、理想のタイムを目指せ」

 

「了解しました。これよりはじまる実戦の中で、最適のラップタイムを見つけ出します」

 

 勝利の喜びというものは、あった。胸が熱くなるような、脚が軽くなるようなステータスの変調。

 だが一方で、ミホノブルボンはこうも思った。

 

 勝つのは当たり前だ、と。

 なぜならば、努力してきたから。それだけのことをやってきたから。この勝利は目の前にあるものを手にとったという、ただそれだけのことなのだ。

 

「加えて言おう。君の実力であれば、勝って当然だ。そして君ならば、この当然の範囲を来年の4月2週までに皐月賞を覆う程に拡大させることができるだろう」

 

「はい。私とマスターであれば、可能であろうと予測されます」

 

「次の出走は12月3週、朝日杯FSだ。こちらとしてもそれまで、それなりの対策を立てる。その後の調教スケジュールはいくつか用意してあるから、取り敢えず12月までは坂路だ」

 

 じろりと、怜悧な目がミホノブルボンを見据えた。それは単なる冷静さとか、冷徹さとか、酷薄さとか、そういうものではない。自ら決定した目的のために突き進む、研ぎ澄まされた刃のような美しい光。

 

 この眼は常に、問いかけてくる。お前は自分の夢のために、どれほどのことができるのかと。どれほどのものを捨てられるのかと。

 

 怖い眼だと思った。だけどなぜだか、恐ろしくはなかった。




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