ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:怒髪衝天

 彼が冷たく燃える人間であることを、ミホノブルボンは知っていた。

 

 現実主義者に見える、理想主義者。思考は現実的だが、視座は常に理想と同じ高さに据えられている。

 

 トレーニングは厳しい。そう聴けば、大抵の人間は怒声が付きまとっているような印象を抱くだろう。

 だが、そんなことはない。あくまで彼はできることしかさせないし、怒ったところは見たことがなかった。

 

 ――――この日の、7時57分までは。

 

「お前、吐いた言葉は呑めんぞ」

 

 自分が怒られているわけではない。わかっていても、彼が常に身に纏う冷気が一斉に形をなし、攻撃態勢に入ったことがわかった。

 

 ぺたん、と耳が畳まれる。

 ここは生放送中、記者会見の場。シンボリルドルフ以来となる無敗の三冠ウマ娘の誕生を祝福し、これからの目的を聴く場。

 

 だから当初は、和やかに進んでいた。

 

 ――――どうやって距離の壁を克服したのか。

 ――――どうしてできると考えたのか。

 ――――これからの目標は。

 

 そう言った細々な質問に――――多少前までの質問と重複するような質問にも根気強く、参謀は答えていた。

 

 ミホノブルボンは、水を向けられたときだけ端的に答えるだけ。

 そういった応答が得意ではないからこそ、ミホノブルボンは参謀が事前に用意した『答教』という応答集を暗記し、暗記したそれらを組み合わせたり分離させたりすることで答えることに徹していたのである。

 

 場の空気が変わったのは、ある記者の質問からだった。

 

「キョーエイボーガンの走りについてはいかがですか?」

 

「彼女の走りは明らかに勝ちを意識したものでした。状況的にも実力的にも、最善手であったと思います」

 

 ある程度予想していたのか、これに対して参謀は滑らかに答えた。言い方にやや棘があるものの、それの口調からは理解と敬意が見えていたし、特に何が起こる質問でもなかった。

 

 この時点では。

 

「他になにか思うところはありませんか?」

 

「ありません」

 

「例えば、キョーエイボーガンは勝ちを目指していなかったのではないか、という言説もありますが」

 

「勝ちを目指さないウマ娘などいませんよ」

 

 この時点で、生徒会室のテレビで熱心に――――子供の巣立ちを見るようなにこやかさで――――見ていたルドルフは何かを察して生徒会室の扉を蹴破るように開け、廊下を全力で駆け出した。

 

 ――――ああ、これはまずいかもしれない

 

 そういう世話焼きお父さんのような気質が、彼女にはある。

 

「ですが、彼女の走りはどう考えても最後まで保つものではありませんでした」

 

「無理かもしれない。ただ、最後まで保たせなければ勝てない。その認識は正しいものですよ」

 

「キョーエイボーガンが実力も弁えずにくだらないことをしたばかりに、負けかけた。あれがなければもっといいタイムが出せていました、残念と思われませんか?」

 

 ミホノブルボンは、ピキッときたのを感じた。

 共に走った自分こそが、キョーエイボーガンの必死さを知っている。

 彼女の破滅への逃走は、捨鉢の決断ではない。勝つという目標に向けての、やむを得ざる覚悟からなる決断だった。

 

 ――――彼女は本気で勝つ気でしたよ

 

 マスターと一緒に編纂した一問一答集――――『答教』に反した答えを言おうとしたミホノブルボンの反射神経より早く、机が両手で叩かれた。

 

「お前、吐いた言葉は呑めんぞ」

 

 パイプ椅子が後ろに倒れ、けたたましい音が鳴る。

 普段はウマ娘という種族の特性――――耳と鼻が普通の人間より利く、という――――を慮って大きな音を立てないように振る舞ってきた彼がこんなことをやらかすことこそが、事の異常事態を何よりも雄弁に表していた。

 

「敗者を貶す権利は勝者にすらない。夢に向かって努力し、GⅠという舞台に上がったウマ娘を、支援してきたトレーナーをくだらないと断じる権利は、お前にはない」

 

 くだらないミスをして、負けた。

 そのことを、ミスをしたことを笑うのは、まだわかる。それは無神経ながら、人の本能だ。

 

 だがそれでも、そのミスがあったからどうせ勝つ気がなかったのだとか、努力が足りなかったのだとか、ガヤガヤと言い募るのは許せない。

 周りの人間が言うのはいい。そのミスした人間の過程をつぶさに見てきた人間が言うのは、正当な権利だ。

 

 だが過程も見ずに結果だけで論じ、断ずる。これほど悪しきこともない。

 

 助けを求めるように周りを見回す質問を投げた月刊ターフの記者。

 やりやがったこいつ……と目を逸らすテレビ関係者、仲間の記者。なぜか乙名史という馴染みの記者だけが、顔を輝かせて東条隼瀬を見つめていた。

 

「弁えずに、と言ったな。ではキョーエイボーガンは、負けることがわかっていた上でブルボンのために弁えるべきだとでも言いたいのか」

 

「そうでは……」

 

「お前はまず、キョーエイボーガンを侮辱した。彼女の真摯さと、夢への熱意を侮辱した。そして勝者のブルボンをも侮辱した。彼女の得た栄冠は、他でもない彼女の力で勝ち得たものだ。誰かの忖度や、遠慮で勝ち得たものではない。負けたウマ娘たちも、ブルボンを勝たせるために走ったわけでもなければ、負けるために走ったわけでもない」

 

 全員が、勝つために走った。

 99%破滅するとわかっていても、1%にかけたキョーエイボーガンも。

 ブルボンの脚を鈍らせることで駆け引き勝負に持ち込もうとして、最後の最後の力押しに負けたライスシャワーも。

 最後まで自分を曲げず、ミホノブルボンを最終直線で差し切ることに殉じた結果大差の3着になったマチカネタンホイザも。

 仕掛け、敗れていったウマ娘たちも。

 

 ミホノブルボンの三冠のために控えていたわけではない。忖度したわけでもない。

 彼女らはただ、過去の自分のために走っていた。今の自分のために走っていた。未来の自分のために走っていた。

 

 キョーエイボーガンは弁えなかったと、この記者は言った。ならば、他のウマ娘は弁えていたとでもいいたいのか。ミホノブルボンは弁えていたウマ娘の中で走り、なんの苦もなく三冠目をとったと言いたいのか。

 

「ミホノブルボンはお前ごときの下賤な気遣いを必要とするような強さではない」

 

 割と驚異的な運動神経を披露して机を一足飛びに飛び越え、東条隼瀬は立ち尽くす記者の前に立った。

 

 ――――どけ! 俺はお兄さまだぞ!

 

 なんか聞き覚えのある声がして、ミホノブルボンは左の耳をぴょこんと立てた。

 続いて響く足音にも、聞き覚えがある。

 

「わかったら、今すぐ出ていけ。自分の足で出ていくのが嫌なら、俺が出て行かせてやろうか」

 

 頭1つ分は大きい男に――――しかも殺意に近い眼差しに見下され、記者の動きが止まる。

 宣誓した言葉が実行に移されるその前に、深緑の閃光が記者と隼瀬との間に割り込み、黒いなにかが後ろから突っ込んできた。

 

「……間に合ったな」

 

「待て! 待て隼瀬! 冷静になれ!」

 

 ふぅ、と息を吐くシンボリルドルフと、後ろから警備員に羽交い締めにされながら、参謀を後ろから羽交い締めにする男。

 まごうことなき皇帝とまごうことなき不審者の乱入に、記者陣がざわついた。

 

「……何故止める、お前らが!」

 

 ちらりと視線を交わした両者は、素早く意思疎通を計る。

 その末に口を開いたのは、将軍だった。

 

「お前の気持ちはわかる。敗けた俺のほうが、あいつの言う言葉の意味はわかる。だがお前、これからどうするんだ。ここで記者をぶん投げて、お前が謹慎になったあとのブルボンはどうするんだ」

 

「確かにそうだ。だが、あいつはウマ娘が尋常でない努力を積んで、必死に目指そうとしている心を! ……侮辱したんだぞ」

 

 心を!で怒りのボルテージが上がり、侮辱したんだぞで下がる。

 努めて理性的であろうとする男の自制心の乱高下を感じながら、【将軍】はジリジリと後ろに下がって問題の記者との距離を離した。

 

「俺はお前に負けた! ブルボンにライスは負けた! その敗北を、全身全霊での負けを! 正統な勝者を! ライスと並ぶ堂々たる敗者を! こいつは侮辱した! 俺のほうがキレてる!」

 

 記者の言うことは、ライスシャワーにも当てはまる。必死に走っての負けが、空気を読んだ負けに貶められている。

 

「そんな俺が止めているんだ。こんなくだらないやつの為に、外にぶん投げたら謹慎何ヶ月かを喰らうかもしれないお前を止めているんだ。そこを、察してくれ」

 

 確かにそうだと、東条隼瀬は冷静さを取り戻した頭で考えた。

 勝者を持ち上げるために、敗者を侮辱する。そうしようとしたのがこの記者で、自分はまず負けたウマ娘たちへの言いようでキレた。そして、ブルボンの栄冠に薄汚い手で触ろうとしたことにキレた。

 

 前者は義憤で、後者は私憤。義憤より私憤のほうが、遥かに感情の目方は重い。

 その私憤を抑えて、この男は止めに来たのだ。

 

「………………俺が悪かった」

 

「よし。離すぞ」

 

「ああ」

 

 くるりと身を翻して戻る間に警備員に連行されていく将軍と入れ替わるように、皇帝が来た。

 

「みっともない姿を見せたな」

 

「いや」

 

 短い返事。事が収まったことを感じたのか、シンボリルドルフは記者をジロリと見てからその場を駆けつつ去っていく。

 

 ――――何かするつもりか

 

 沈黙が支配する会場の中で、倒れたパイプ椅子が再び立ち上がる音だけが響いた。

 

「ブルボン。晴れの舞台をこんなにして悪かった」

 

「気になさらないでください、マスター」

 

 あそこで笑って済ませるのが大人だと、ミホノブルボンにはわかっている。そっちのほうが賢いと、ミホノブルボンは知っている。

 

「私は、『嬉しい』と感じました。マスターが私の走りを真に見て、感じて、私とライバルたちとの戦いを見てくださっていた。でなければ、ああいう反応はできないと思いますから」

 

 正直な、だからこそ一部の人間にはキツい物言いをして、ミホノブルボンは続けた。

 

「あそこで怒ってくれるマスターで、『良かった』です」

 

 尻尾がふわふわと、きつく握りしめられた男の拳を撫でる。

 

 自らの短慮と、それを発端とした余波――――主に親しい人にかける迷惑――――を苦慮しているのだろう男は、しかし後悔自体はしていなかった。

 言うべきことは言った。ただ、親しいひとに迷惑をかけるのが心苦しい。

 

 その親しいひとの最たる存在が、よくやったと撫でるように尻尾を動かしているのを感じて、東条隼瀬は少しだけ心が軽くなった。

 

「……そうか」

 

「はい」

 

 その後は件の記者が退室を命じられ、少し気まずい空気が流れながらも質疑応答が続いた。

 

 ――――このあと、出たいレースはありますか?

 ――――ジャパンカップです。有馬記念にも興味があります

 

 このように主に質問者は月刊トゥインクルの乙名史記者であり、回答者はブルボンだったが、それなりに続いてお開きになった。

 

 そして、謝罪行脚――――テレビ関係者や他の記者、なによりもブルボンの父への――――をし終えた翌日の朝。

 東条隼瀬は呼び出しを受けて理事長室へと向かった。

 

「処罰!! 謹慎1週間! 罰金!」

 

「罰金と1週間。それだけですか」

 

 ちびっこ敏腕理事長の秋川やよいに告げられた判決は、思ったよりも遥かに軽いものだった。

 前似たようなことをやったときは、将軍共々それなりの期間の謹慎だったというのに。

 

「うむ! 一応、体面というものがあるからな!」

 

 URAは、新しいスターの誕生に水を差されたくない。

 トレセン学園としては、あの怒りは正当な物だと唱えている。

 メディア関係としても、もはやとやかく言う気も失せている。なによりも傘下の企業やメディア共々徹底抗戦の態勢に入った四方名家の一角とやり合いたくはない。

 ただでさえ、丸外騒動の際に一戦ふっかけてものの見事に敗けているのだ。

 

 全部月刊ターフが悪い。実際そうだし、そういう風にしよう。

 そういうことで、そういうことになった。

 

「URAからも、この件に関しては何も言ってきません。ただし……その、なんと言いますか」

 

「ジャパンカップ、有馬。どちらか、あるいはどちらも、ですか?」

 

「的中! ジャパンカップに出てほしい、という対案……お願いが来ている!」

 

「別にそれは構いません。ブルボンも興味があるようでしたし」

 

 ただ、解せないところがある。

 なぜ、ジャパンカップに出させたいのか、である。

 

 もし1つだけという縛りで対案を出すなら、参謀であれば有馬記念に出てくれと言う。

 有馬記念は国内最大のレース。当然、この年もっとも注目を集めるウマ娘の出走があれば否が応でも盛り上がるだろう。

 

 それなのに何故、ジャパンカップなのか。

 

「国際GⅠになるんですよ。それも、今年から」

 

 理事長に促され、秘書の駿川たづなが代わりに答えた。

 

 スペシャルウィークが世界的なスターウマ娘、欧州最強クラスのブロワイエをジャパンカップで負かしてから3年。

 やっと格式が認められ、国際GⅠ――――日本だけでなく、世界が認める権威ある競走へと変わった。それはわかる。

 

「それはわかります。国際GⅠとなってから初の競走は国内勢に勝って欲しいということでしょう。ですが、トウカイテイオーがいます。なんならルドルフもいる。マックイーンは骨折していますが、充分な陣容で臨めるはずです」

 

「トウカイテイオーは最近浮き沈みの激しい、安定感に欠けるレース展開を繰り広げています」

 

 春天で無敗の夢が破れた。

 まあそれは長距離適性に問題があったから、トウカイテイオーの射程が2400メートルくらいまでだったからとか、そういうことで説明はつく。

 だが怪我明けの秋の天皇賞2000メートルでも、全くいいところがなかった。シンボリルドルフに続く2番人気に推されたものの、ダイタクヘリオスとメジロパーマーの超高速ペースに巻き込まれる。

 そして後ろにピッタリ付いたシンボリルドルフの圧に負けて早めに仕掛けて7着惨敗。

 

 シンボリルドルフが最後までレース展開を読み切って、テイオーと逃げコンビが下がってきたところで3人まとめてぶち抜いて圧勝したのとは、対照的な負け方をしてしまった。

 

 逃げコンビはその数週間後に行われた菊花賞のキョーエイボーガンのように逆噴射して沈んで惨敗。

 収穫と言えば11番人気のウマ娘が生涯最高クラスの走りを見せたことだが、結局皇帝の神威を前に普通に振り切られて負けた。

 

 そんなこともあって、必勝体制を敷きたいジャパンカップに出走してくる日本のウマ娘たちの中には、安定感のある娘がいない。

 

 外国からくるメンツが相当豪華なだけに、不安だと言うのがURAの本音なのだろう。

 

「相手が悪かっただけで、トウカイテイオーならなんとかするでしょう。というか、あいつ。あの安定感の化身は、ルドルフはどうしたのですか?」

 

「貴方が『皇帝の走ってるところ見たーい!』と言えば出るとは思いますが、現状出走登録されていません。つまり、出ないものと思われます」

 

 ――――俺が駄々をこねたぐらいじゃあいつは動かんよ。

 

 余程そう言ってやりたかったが、理事長とたづなさんは今回のことでもっとも迷惑をかけた相手である。茶化す気にはならない。

 

「話し合いをして、体調を見てから決めます。怪我する可能性が高いと思ったら出走させることはできません。それを先方に伝えてください」

 

「URAも無理はさせたくはないと思いますから、構わないと思いますよ」

 

 ――――それはそれとして、罰金は払ってくださいね。

 

 ――――はい。

 

 天引きお願いしますという言葉と共に頭を下げ、迷惑をかけたことを謝罪して、参謀は取り戻した冷静さと共に理事長室を後にした。




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