ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
・在りし日の日常を共に過ごしたウマ娘の持つ技術が克明に記された本
この人、怒るんだ。
ミホノブルボンは、そんなことを思った。
マスター。自分のすべてを預けるほどの信頼を示す言葉として適当だと思ったそんな呼び方で、東条隼瀬というひとのことを呼んでいる。
お父さん。優しくて、穏やかで、沈着なひと。
マスター。優しくて、落ち着いた、怜悧なひと。
――――似ている
そう思って、ミホノブルボンは彼を見てきた。
だがミホノブルボンは、怒っている父を見た記憶がなかった。触れた機械を破壊しても、無茶な夢を抱いても、頑としてそれを曲げなくても、怒られたことは一度もなかった。
代わりに、父からたしなめられたことはある。それはよくないよ、と。こうした方がいいよ、と。
割と人の心がない物言いをしていた――――というか、心の機微に理解を示さない――――ミホノブルボンは、そうしてなんとなく人格とか、情という不定形なプログラムをインストールすることに成功した。
――――怒る。マスターでも、怒る。
その怒りは正当なものだというのはわかる。怖いとは思わない。単純に、意外だった。
ただ、お父さんとマスターは違うんだと、明確にわかった。最初は完璧に同一視していた。お父さん、と呼び間違えかけることすらあった。時を、日々を、記憶を重ねていくところがあったのが、昨日完璧に乖離した。
『お父さんと夏祭りに行くと決まったとき、あなたはぴょんぴょんして頭をぶつけたりしませんでした。もともと明確に違う感情を抱いていたのを、対人関係の貧弱さから同一視していただけでしょう。わたしの方がうまくやれますよ、マスターブルボン』
恥をほじくり返した挙げ句に造反を試みたブルツーver3が『あー』という断末魔を残してさっくりと粛清される中で、ミホノブルボンはコンコンとドアを叩いた。
「ブルボンか。入れ」
足音でそれとわかったのだろう。
誰何するでもなく名を呼ばれ、ぴょこんと尻尾を振りながら、ミホノブルボンは部室に入った。
「身体はどうだ」
「状態、疲労(中)。やや疲れが残っていると推測されます」
「そうか。代わりの指導はあいつがやってくれるということだから、今は身体を動かすにとどめて休息に励むことだ」
「はい」
休息と言っても、練習をしないというわけではない。
朝練と昼練をやめて、放課後の練習を少しする。身体が動きを忘れ去らないように、走り方を思い出すように、程よい運動をする。
その指揮を及ばずながら代行させてくれと将軍に言われ、参謀は頭を下げて感謝し、任せていた。
だからこの一週間は、将軍の指揮を受けることになる。
ではなぜここに来たのかと言えば、今後の相談のためである。
本来は記者会見の後にやるつもりだったが、色々あって翌日の昼、つまり今に流れた。
「さて、このあとのレースだが……我々はクラシック三冠を目指していた。故にその後の予定を一切立てていない。まず、ブルボン。君の意見を聴こう」
「私はジャパンカップに出たい、と考えています」
昼休み、本来ならばトレーニングに精を出しているはずの時間に部室に顔を出したミホノブルボンは、偽らざる気持ちを言葉にした。
「ジャパンカップ。なぜだ?」
「はい、マスター。私が目指すべき理想は、ルドルフ会長に近いものがあると感じています」
シンボリルドルフは、万人が否定されず挑戦を選べる世界を作ろうとしている。
ミホノブルボンは、挑戦者を阻む否定材料の尽くを切り伏せ、道を開くことを理想とする。
手段も目的も違うが、それら2つは非常に似通ったところがあった。主に、誰かのための光明であろうとする、というところが。
「ルドルフ会長はジャパンカップに挑み、そして勝ちました。これは、まさしく偉業です。その偉業を、私でもできると証明したいと考えています」
ルドルフの偉業は、かつて必然だと受け止められた。
血統、才能、戦法。それら全てが、完璧。王道の中の王道。彼女は当時――――今もだが――――それほどに、圧倒的な存在だったのだ。
ミホノブルボンは、その対極にある。
大したことのない血統、然程ない才能、邪道と呼べる戦法。
「――――なによりも私は今、重大なエラーを抱えています」
常に凪いでいたはずの青く深い瞳には、闘争心がある。対抗心がある。自分の力を試してみたいという、成熟したウマ娘ならば誰でも持つ本能がある。
(……ライスシャワーにあてられたか)
【領域】というものは、自分の心の一部を表出化させて構築するものらしい。
シンボリルドルフと領域をぶつけ合ったとあるウマ娘はしばらくの間、鹿毛のウマ娘を見ると道を譲ってしまう程に畏れることになったという。
領域をぶつけ合うというのは心をぶつけ合うと言うことでもあるらしいから、シンボリルドルフと激突した彼女は、その強さに、絶対たる力にあてられて怯んだ。そう考えられる。
――――ミホノブルボンとライスシャワーの領域の競り合いは、シニアでもそうない規模のものだった。おそらく……互いに互いの領域の影響を受けている。互いのことを、理解し過ぎているほどに理解してしまっている
皇帝からのそんな忠告を受けているからこそ、わかる。
ミホノブルボンは、ライスシャワーの執念とも呼べる闘争心にあてられているのだと。
勝ちたいという感情は、ミホノブルボンにもある。むしろ、彼女はその気持ちが強い方だ。
だが彼女は、特定の誰かを意識したことはなかった。
なのに今、本質的に……言語化を必要としない程に深く理解してしまった。
だから、
「勝ちたい、と。戦いたい、と。そう感じています」
「ライスシャワーの勝利への執念が伝染った、というべきだろうな。それは」
「……無用なものでしょうか」
「いや。いずれ、必要になるものだ」
実力が同等ならば、最後に勝敗を決めるのは執念の差になる。
勝利への渇望の質と、量。
リギルにはまだデビュー前ながらそのどちらも持ち合わせたテイエムオペラオーという怪物の卵がいる。
そういうやつらはなんというか、接戦に強い。というか、接戦でしか勝たない。ハナ差とかクビ差とか、傍から見ていてハラハラする勝ち方をする。
そういうのがあまり心臓によろしくないというのもあって、参謀は力でゴリ押して勝つ方を選んだ。そちらの方が指導しやすい、というのも勿論あるが。
「今年のジャパンカップは国際GⅠとなって初の開催となる。国外から有力なウマ娘が来るだろう」
「マスターは海外で学ばれたと聴きました」
「……ああ。ルドルフか」
「はい。ルドルフ会長にはマスターの話をたくさん喋っていただいています」
――――エアグルーヴも似たようなこと言ってたな。
そんなことを思い出しつつ、参謀は遅くなった朝食を頬張った。
皇帝臨御、第2次皇帝臨御、その後すぐに将軍が来て、そのあとに無敗の三冠の一般ウマ娘が来る。
そういうこともあって、彼は結局朝食を食べていない。今はもう昼だが。
「外国のウマ娘はどうなんだ、とか。そういう事が訊きたいのだろう」
「はい」
「舐めるべきではない。ただ、恐れることもない。日本で戦うならば、君ならば勝てる」
「一般的には海外の方がレベルが高い、と呼ばれていますが」
「ん……NPBとMLBのような差だな。やっていることは同じだが、環境が違う。レベルと言うより、要は適応できるかできないかだ」
彼が留学して感じたことは、日本の芝は世界一だということである。
やたら高速バ場だ、とか。だから怪我が多いんだ、とかそういうことを言われるが、実際のところ高速バ場と故障率の間にはそこまで相関関係はない。
綺麗に整えられた日本の芝は軽く、ウマ娘たちにとってこの上なく走りやすい。だから速度が出る。それだけのことなのだ。
一方で海外の芝は、割と自然なままにされている。だから重い。
「日本で尊ばれるのは、なにか。3つ挙げてみろ」
「スピード、スタミナ、パワーです」
「では、最も重要視するべきものは?」
「スピードです」
「そうだ。しかし海外では、脚に絡みつく重い芝を踏みしめるパワー、パワーを維持するにたるスタミナが要求される。スピードはまあ、3番目だな」
重要なことには代わりはない。だが、その順序は変わる。
「この傾向は、フランスが特に顕著だ。ロンシャンなどは芝が重いくせに高低差が最大10メートルもある。だから俺は無意識に、評論家からは不必要だと言われるほどに足腰の出力の高さに拘ってしまう」
海外に行くとは限らない。日本国内で満足することもあり得る。
だが可能な限り広汎な選択肢を与えてやりたい。
東条隼瀬は、そう考えていた。
「そのための坂路ですか」
「そうだ。君の場合は本質的にはスプリンターだから、スピードの絶対値は足りている。だからそれを維持する為のスタミナとパワーを何とかすればいい。そのために、坂路で走らせ続けた」
虐待施設扱いされたこともある坂路だが、無敗の三冠ウマ娘の製造に成功した今となってはすっかり最新鋭の設備として市民権を得ている。
「だから……そうだな。芝の違いも加味して、海外勢が出せる実力は8割ほどになる。ならば勝てる」
「ダートのウマ娘が芝で走るようなものでしょうか」
「ああ。感覚としてはそれに近い」
国際GⅠ認定後初のレース。日本という国でトゥインクルシリーズがはじまって以来、はじめての国際GⅠ。
集まってくる海外のメンツはどれも見たことのあるものだが、真に恐るべき相手は別にいる。
(トウカイテイオー……)
絶不調なら楽勝。不調でも快勝。普通でも圧勝。好調でも勝てる。だが、絶好調で突っ込まれると負ける可能性がある。
秋の天皇賞でとんでもなくひどい負け方をしたことから評価は下がっているが、ホームアドバンテージを得たハイパー絶好調ルドルフに勝てるウマ娘は地上に存在しない。
(となるとやはり、今年の大阪杯くらいの実力にまで戻してきていると考えるべきだろうな)
春の天皇賞で敗けて骨折し、秋の天皇賞で復帰。そこでエクストリームハイパー絶好調ルドルフに粉砕されて2連敗。
だが、実力自体はある。
春の天皇賞は距離適性を克服できなかったが故に負けただけ。
怪我明け同士がぶつかった秋の天皇賞は、相手が悪かったとしか言いようがない。
ただそれでも、ミホノブルボンに負けはない。
「ジャパンカップへの調整メニューは作っておく。だがわかっているだろうが、俺はこれから一週間謹慎になる。一応謹慎と言っても外を出歩いたりできるし、おそらく君を指導しても文句は言われないだろう。だがやはり、謹慎の形は守るべきだと思う」
「はい」
「なので君には、その間休養を命ずる。菊花賞での走りは素晴らしいものだった。しかし、脚を著しく疲弊させるものであったこともまた、確かだ。ジャパンカップに出たいならば休み、言われた通りのメニューを如何に質良くこなせるかを競え」
「了解しました。マスター」
退室していくミホノブルボンには、切り札がある。ライスシャワー相手にも切らなかった鬼札が。
――――いや、切らなかったのではない。切れなかったのだ。
あの切り札を切るために必要なのは、異常とも言える闘争心。
絶対に先頭は譲らないという、手段の目的化とも言うべき執念。それが、ミホノブルボンには足りなかった。
何故ならば、ミホノブルボンにとって先頭を駆けるのは手段だったからだ。
三冠ウマ娘になりたい。
だから、レースに勝たなければならない。
そのためには、ラップ走法をしなければならない。
だから、先頭を駆ける。
これはとてもマトモな、健全な思考だと言える。
しかし例えばライスシャワーは、手段を目的化するほどの執念があった。
勝つためにミホノブルボンを追い抜くのではなく、ミホノブルボンを追い抜くために勝つ。
レースに勝つという本来の目的を手段にしてしまう程の、執着があった。
中には誰よりも速く先頭を駆けたいという、本来ならば勝利のための近道でしかない手段にやたら拘るウマ娘も居た。
そういうウマ娘たちを傍から見れば、手段が目的化しているように見えるだろう。
ただそういう手合いは、時に恐ろしいほどの力を発揮する。それはひとえに、執念故だ。
闘争心は諸刃の剣。
闘争心は自分より強い相手と戦うときは武器になる。奮い立たせ、実力の差を覆す一助になる。
だが力押しと冷静沈着なレース運びこそが信条のミホノブルボンにとって、闘争心は毒になりうる。
ミホノブルボンは自分でも、剥き出しになった闘争心に戸惑っているようだった。つまり、まるで制御できていない。
そんな彼女に『休め』とただ言っても、最悪勝手に練習してしまうことが考えられる。
だから、言ったのだ。『休み、言われた通りのメニューを如何に質良くこなせるかを競え』と。
こう言えばミホノブルボンの闘争心は、限られた練習を如何に質の良いものにするかという方向に向く。
(闘争心を御せれば、ブルボンは強くなる。ルドルフを力押しで倒せる程に)
――――ただまぁ、御せるまでは相当掛かりやすくはなるだろう
そして、御せたその時には。
積もった埃を撫でて払い、スノーホワイトの表紙を広げた。
――――好きなんです。雪は音を吸って、静かな世界を作ってくれるから
「……使いどきを間違えるなよ、東条隼瀬」
静寂の色をした本を閉じる。
まだ口の中に残る、苦い味がした。
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【再】トウカイテイオーのサイドストーリーについて
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