ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:アナザー・ワン

 ――――エアグルーヴに言われてから、ずっと考えていた。

 

 サイレンススズカ。彼女のことを。

 二度と現れないであろう、特異な戦法を編み出した不世出の天才。

 

 そして、自分が潰したウマ娘。

 女の命が髪ならば、ウマ娘の命はガラスの脚。その脚を、折った。折ってしまった。

 

 ――――健康管理は任せろ。ただ、走った距離、時間はおよそでいいから伝えること。いいな?

 

 ――――はい。わかりました

 

 儚げな、陽に触れると溶けてしまいそうな雪のような笑みを覚えている。

 従順で、自信家で、自負心が強くて、負けん気もある。理想と言っていい心理と、怪我のしにくいしなやかな肉体を持った天才。

 

 それが、サイレンススズカだった。

 

 ――――では、走るのは任せる。どうにも、俺が口を出さない方がいいらしいからな

 

 ――――どうにも?

 

 ――――ルドルフもそうだった

 

 ――――ああ……会長は、そうですね。でも私は……

 

 美しいエメラルドグリーンの瞳をパチリと瞬かせて、笑う。

 

 ――――お前、よく笑うようになったな

 

 ――――はい。トレーナーさんと編み上げた戦法が、とてもしっくり来て。走るのがとても楽しいんです

 

 マイルチャンピオンシップでも、香港でも。彼女は、実に楽しそうに走っていた。

 心から、楽しんでいる。その姿はともかく、そのためにすべての苦難を甘受できる。そんな、努力を惜しまぬ精神性を評価してはいた。

 

 ――――それは構わないが、スズカ。他にも趣味を見つけろよ。ずっと走り続けられるわけでもないんだ

 

 ――――……読書、とか。でもやっぱり、走ることが一番ですね。引退しても、走る意味がなくなっても、私は走っていると思います

 

 ……そんな彼女が走れなくなったら。

 あの時はただただ、行く先になんの障害もない道が拓けている気がして、そんなことは考えもしなかった。

 

 ――――引退後も、か

 

 その疾駆する姿が鮮やかであればあるほど、美しければ美しいほど、走れなくなる。

 限界を超えて、決められた距離を駆け抜ける。競い、争い、鎬を削って、不用意に全力を超える全力を出してしまって脚が壊れる。それまでの全力が出せなくなる。

 

 そんなウマ娘を、数多く知っている。

 

 ――――難しい、でしょうか

 

 逃げはただでさえ、脚に負担が掛かる。

 特に彼女の走り方は、加速→減速→溜め→加速と言う手順を踏む。

 つまり2度の加速を行う都合上、負荷も相当なものになるのだ。

 

 そのことを理解して、スズカは難しいかどうかを訊いた。

 彼女もスターウマ娘が引退したあと満足に走れなくなる、みたいな話を聴いている。怪我をして歩けなくなるし、最悪死ぬ。

 

 それが自分に振りかからないとも限らないことも、理解している。

 

 ――――まあ、なんとかしよう

 

 その答えのどこが気に入ったのか。彼女は微笑んで、言った。

 

 ――――はい。なんとかしてください、トレーナーさん

 

 柔らかい笑みに込められた期待を、信頼を。

 自分は見事に裏切った。夢を叶えると約束したのに、完全に叶えさせることもできなかった。

 

 走ることを生きがいにしているスズカから、走ることを奪いかけた。他でもない自分の無能さで。

 

 死んでしまいたいと思った。彼女の夢を支えられないくせに、信頼にすら応えられないくせに、トレーナー面して偉そうな口をきく。

 

 死ぬべきだ。こんな無能は。それが贖罪だ。せめてもの義務だ。

 そう思って瞑目して、身体の動きを止めた。

 

 まだ、やれることがある。

 死ぬのは、逃げだ。彼女の故障の原因を解明し、リハビリに付き添うことこそが、最後までトレーナーとしての義務を果たすということだ。

 

 ――――トレーナーさんのせいではありません

 

 優しい彼女は、言った。

 

 周りも言った。同じようなことを。

 だがその優しさが、辛かった。トレーナーさんと呼ばれるたびに、そう呼ばれる資格がないと思った。

 

 ともあれ、その後もサイレンススズカのリハビリに付き添った。持てる全知を、全能を尽くして彼女の実力が戻るところまで付き添った。

 

 だが、こうも思う。

 このリハビリ期間があれば、サイレンススズカはもっと強くなれた。速くなれた。夢を叶えられたかもしれない。スピードの向こう側へ、完全なる一歩を踏み出せていたかも知れない。

 

 ――――トレーナーさん

 

 そんなある時。

 見た目にも出るほどに疲れていた身体を引きずるようにして、呼び出された教室に赴いた。

 茜色の夕焼けが彼女の明るい栗毛を照らし、溶け込むように柔らかな光を放っている。

 

 ――――すみません。忙しいところを

 

 ――――いや

 

 ――――ここ、覚えていますか。私が作戦を忘れてしまったとき、記憶力のトレーニング代わりに、ふたりで神経衰弱をしたりして。私、負けっぱなしでしたけど

 

 ――――ああ。覚えているよ

 

 短く返す。顔も見られず俯いたままの自分に何を思ったのか、サイレンススズカはゆっくりと切り出した。

 

 ――――私、海外へ遠征しようと思っています。だから……

 

 髪が揺れる音がした。上体の動きから、俯いたことがわかる。

 

 ――――だから、現地の方に指導をお願いしたいと思うんです。ですから

 

 口籠る。

 彼女には、言い出すべき権利もある。怪我を防げなかった無能を相手に言い出しづらさを感じる必要など無い。

 

 だからその言い淀みが彼女の本質的な善性から出ていたことを知っていた。

 その善性に甘えていた。彼女の才能を輝かせるのは他ならぬ自分であると、分不相応なことを思っていた。

 

 ――――契約終了か

 

 ――――…………はい

 

 終わりを言い出すのは、自分であるべきだ。何となく、そう直感した。言い出しづらそうにしているが、彼女は結局のところ言うだろう。

 だが、その間に苦しむ。言ったあとも、苦しむ。優しすぎる程に優しい娘だから。

 

 だからせめて、その苦しみを取り除くのが義務だ。そう思った。

 

 ――――アメリカのトレーナー、だったな。性別にこだわりはあるか?

 

 ――――できれば、女性をお願いします

 

 ――――わかった、探しておく。いや……探しておいて構わないかな、サイレンススズカ

 

 ――――はい。お願いします

 

 お願いします、トレーナーさん。

 いつものそれを、言わなかった。

 それはたぶん、彼女なりの決別だったのだろうと思う。

 

 ――――私のこと……

 

 彼女は何かを、言いかけた。言いかけて、やめて、仄暗くなってきた沈みかけの夕焼けにあわせるように、笑う。

 

 それは久しぶりに見た、彼女の笑顔だった。

 

 ――――ありがとうございました。今まで

 

 ――――ああ。迷惑ばかりかけて、申し訳なかった。間違え続けて、申し訳なかった。これは俺の本心だ

 

 挨拶を交わして、一方的に謝罪を叩きつけて、一足早く教室を出る。

 廊下をしばらく歩いてから振り向いても、サイレンススズカは後ろにいない。

 

 実にバカらしいことだが、このとき自覚した。

 そうなったのだ。これが、契約を終えるということなのだ。

 

 終わった。どこまでも広がっていたと思っていた道が。

 未練たらたらに、残念だと思った。しかし同時に、こうも思った。

 

 彼女にとっては、ここで終わってよかったのかもしれない、と。

 天才には、天才を。自分はどうやらスズカ――――もうそうやって呼ぶ資格もないから言い方を変えるが、サイレンススズカには釣り合わなかった。

 

 

「マスター」

 

 

 トレーナーさん、ではない。

 静かな声が、沈んでいた意識を浮上させた。

 

 ぼやけた視界いっぱいに、ミホノブルボンの顔があった。無表情の中に心配を孕んだ、どこか優しげな顔。

 

「……寝てたのか」

 

「はい。食べ終わった直後、倒れるように。怖い夢でも見ていたのですか?」

 

「俺は、なにか言ったか」

 

「泣いていました」

 

 目尻を拭うと、確かに濡れている。

 心配をかけたのだろう。なぜかエプロン――――灰色の、上の辺りに蹄鉄とpaka−pakaと白い刺繍が施されたやつ――――を使われていることに気づきつつ、わしゃわしゃと栗毛を撫でた。

 

「バカな夢を見たんだよ。笑い泣きだ」

 

「バカな夢、ですか」

 

 心配そうなものからいつものサイボーグフェイスに戻ったブルボンは首を傾げ、尻尾が揺れる。

 純粋で、裏表がない。パチパチと瞬く瞳の青さが、膿んで熱を持った傷口を冷やした。

 

「そうだ。然程才能もないくせに自分なら天才をもっと輝かせられると、天才について行けると、自分の実力を過信して背伸びしたバカの夢だ」

 

 なんとか完食した食事と、デザート。おそらく食べ終わったあとに体力を使い果たして寝たのだろう。

 

 そんな考察している男を他所にブッシュドノエルの欠片がちらほら見受けられる皿を片付けながら、ミホノブルボンは淡々と述べた。

 

「過信も背伸びも自信に繋がります。過信とは過ぎたる自信のことであり、背伸びは届かないものに手を伸ばす、ということです。自信はないよりも、あるにこしたことはありません。背伸びをしなければ、進歩もありません。凡そ偉業を為した人間は、自分に自信がある者です。進歩をするために身体を伸ばした者です」

 

「……唐突に知能を上げてきたな、お前」

 

「お父さんが励ますときに言ってくれました。私の言葉ではありません。この言葉でマスターが少しでも元気になったならば、父も喜ぶと思います」

 

 マスター。

 

 その呼び方を、なんの違和感もなく受け入れた。マスターというのは、明らかにおかしい呼び方だ。普通、トレーナーと呼ぶ。あるいはトレーナーくんとか………トレーナーさんとか。

 

 それなのにミホノブルボンの呼び方を糺そうとしないのは、無意識になんとなく歓迎しているのかもしれない。

 

 トレーナーと呼ばれないことを。

 

 食器を手際よく洗い、ぬぐい、拭く。

 そんな彼女を、黙って見ていた。食洗機を使わずにアナログなやり方で一枚一枚片付けていく姿には、篤実さがある。どんな物事も一歩ずつ進んでいこうという性格が、そのまま表れていた。

 

「マスター」

 

 夢で見た記憶が整理できる程度の時間。

 そんなそれなりの時間で洗い物を終えて、ミホノブルボンはトコトコとやってきた。耳が不安げに垂れているあたり、何かをやらかしたのだろうか。

 ものが爆発した時に出る特有の、鼻をつくような煙の匂いはしないが。

 

「プレゼントです」

 

 綺麗に洗った手で、ミホノブルボンは2日前くらいから部室の一角に鎮座していた茶色の紙袋からマフラーを取り出した。

 黒い。好きな色を知っていたのか、知らずに黒にしたのか。どちらにせよ、嬉しかった。

 

「マスターは大人ですので、私がサンタさんの代わりになろうと思いまして」

 

「ありがとう、ブルボン」

 

 軽く巻いてみると、温かい。肌触りもいい。

 手袋でなかったことを感謝しつつ、ふと疑問を持った。

 

「これ、どこで買ったんだ?」

 

 上質なマフラーである。そして、手触りもいい。デザインもシンプルで癖がない。

 

「申し訳ありません。手縫いです」

 

 手縫いとは思えない精密な出来に感嘆しつつ、おもむろにミホノブルボンの頭を撫でた。

 最近なんというか、わんこ感が増してきている。オーダーを聞き逃すまいと耳をピコピコさせて、なぜか尻尾をブンブン振り回して、どこにでもトコトコと付いてくる。

 

 実家の犬にやるような感覚で、東条隼瀬はミホノブルボンの頭を適当に撫でていた。

 

「これは返礼だ。君の言うところの、サンタさんの代わりだな」

 

「ありがとうございます」

 

 自分が渡したのと同じような紙袋を受け取り、開く。

 その中には、ミホノブルボンの勝負服と同色の手袋が入っていた。

 

「君の体質があるだろう」

 

「はい。機械に触れると、もれなく何故か爆発します」

 

「そう、それ。それはなんというか……機械をレンチンしてしまうような静電気が出ているかららしいのだ。だからその静電気を遮蔽するような造りになっている」

 

 こくこくとバカっぽい動作で頷くブルボンに犬感を感じつつ、参謀は続けた。

 

「一応2セット用意してある。ひとつはよそ行き用。ひとつは室内用。まだ試作品だが、少なくとも今よりはマシになるはずだ」

 

「……ありがとうございます、マスター」

 

 すぐさま付けて、スマホを触る。

 度重なる小規模な爆発で画面がバキバキになっているスマートフォンは、なんとびっくり耐え抜いた。

 

「マスター、壊れません」

 

「ああ」

 

 部室中の機械に触れまくるブルボンの無邪気さに救われるような思いになりながら、クリスマスの夜は更けていく。

 

 ――――あいつは今、何をしているのだろうか

 

 そんな、引っかかるような思いを抱えながら。




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