ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
《トウカイテイオー仕掛けた! テイオー動いた!》
興奮気味の実況。その声を聴いたわけではないだろうが、メジロパーマーは明らかに加速を計っていた。
しかし、中山では下り坂を抜けた瞬間にコーナーがある。下り坂で加速の絶頂に至れば、コーナーを曲がり切ることができない。
普通なら。
(普通じゃない!)
メジロパーマーは、叫んだ。
コーナーで、更に加速。重心を下げつつ右脚を踏み出し、身体を右側に傾斜。
転倒寸前の姿勢を驚異的な体幹で支え、左脚を出して重心を元に戻す。
時速70キロ近い速度を持った肉体に遠心力が作用し、ミホノブルボンの肉体が外に振れる。
振れた瞬間に右脚を出して、内側に重心を引き戻す。
一歩間違えれば転倒、故障。下手をしなくとも、生命の危機。ビルとビルとの間に掛けられた鉄骨の橋を渡るような危険に自らの身を晒しても、一切動揺しない機械のような精神。
練り上げられた肉体。頑丈さを活かした膨大な反復練習が根底にあるであろう――――誰にでもできる基礎技術の極み。
(すごい……)
見惚れた。ここがどこかを忘れてしまうほどに、ミホノブルボンのコーナリングは極められていた。
才能のきらめきではない。断じて、そうではない。あれは才能があるからできたのだとは、誰にも言わせない。
メジロパーマーだから、わかる。メジロ家の落ちこぼれだからこそ、わかる。あれは才能も何もなくて、ただ努力するしかなかったが故に得られた技巧だと。
そんな彼女を、一陣の風が抜き去った。ぶっつけ本番、去年の皐月賞以来の中山。ブランクを感じさせない走り。
遠心力を制御するミホノブルボンとは違い、その風は遠心力を利用して外に膨らみながら、無駄なくメジロパーマーを躱していく。
――――トウカイテイオー。一瞬の閃き、瞬時の加速。才能溢れる彼女は泥臭く歯を食いしばり、悲鳴を上げる脚を駆る。
もう、2度折れた。癖がついているだろうし、脆いことは証明されている。なのに、トウカイテイオーは本気で走っていた。
怪我をしたウマ娘は、本気で走れないと言われる。それはなにも実力が落ちたからだけではない。
問題はむしろ、心にある。
――――あの時のように全力を出せば、また折れるのではないか。
骨が折れる音。肉を裂く痛み。一歩踏み出すたびに、リフレインする恐怖の記憶。
トウカイテイオーは2度とも、骨が折れていることに気づかなかった。日本ダービーでも春の天皇賞でも、骨が折れているのに走り切った。
では、トラウマはないのではないか。
知覚していないのだから、恐怖を感じることはないのではないか。理解のない人間は、そう言う。
だが、メジロパーマーは知っている。
京都ステークスと函館記念を骨折したことに気づかず走りきった彼女は、レース後に骨折が判明した彼女は、知っている。
折れているという自覚がない骨折の方が、恐ろしいと。
自分では、わからない。だから、ふとした時に思うのだ。
――――もしかしたら折れているかも、と。
脚が疲れた。脚が回らない。ちょっと痛い。違和感がある。
レース中によくあるそれらを感じる度に、思うのだ。
もしかしたら。
骨折しても、自分は気づかない。気づけなかった。だからこそ、思う。ひょっとしたら折れているのではないか、と。
ずっと、ずっと。その不安を抱えて、呑み込んで、メジロパーマーは走っている。だから、トウカイテイオーの偉大さがわかる。
(私だって――――!)
同じ雑草だった。
同じ挫折をした。
その二人を追う。ミホノブルボンを追う。トウカイテイオーを追う。
だが、メジロパーマーはついぞ追いつくことはできなかった。
少なくとも、このレース中は。
(……いける。やれる。勝てる)
身体から、トモから奏でられる危険信号を無視して、トウカイテイオーは駆けていた。自分の脚のバネ、諸刃の剣であることを自覚したそれを最大限活かして、彼女はミホノブルボンを追っていた。
――――スタートしたとき、少し滑った。あれかな
トモの痛みに見当をつけて、忘れる。無視する。瞼を開く。
(勝つ!)
遠い。まだ、4バ身くらいの差がある。
だが、きっと。いや、必ず。ミホノブルボンのこの速さは続かない。どこかで必ず、息を入れる。入れた瞬間に抜き去って、差し切る。
下り坂を下りきって、ミホノブルボンの姿が僅かに近づいた。
それは本当に、ほんの僅かな減速。メジロパーマーを抜き去って安堵したのか、あるいはスタミナが尽きたのか。そう疑われることすらない、ほんの僅かな速度の目減り。
それは油断でも安堵でもなかった。下り坂で付き過ぎたスピードを削ぎ落とし、脚への負担を減らす。ミホノブルボンが耳にタコができるほどに何回も刷り込まれた癖。
その癖を未来のために息を入れる動作に繋げて、ミホノブルボンは独走態勢を崩しつつあった。
芝。程よく手入れされたそれを、思い切り踏む。弾むような柔軟性のある膝と足首。芝の弾みを以てそれらを更に稼働させるためのバネにして、トウカイテイオーは左脚で芝を削り、天へ跳ねた。
大外を爆走していたミホノブルボンによって剥げた芝は、思ったほどのバネにはならない。ならなかったが、本命はそこではない。
(楽しい……!)
自分より強いウマ娘。メジロマックイーンと、シンボリルドルフ。
トウカイテイオーはその二人にしか、負けたと思ったことはない。自分より強いと、思ったことはなかった。
――――目標でもない。無敗に向けて超えるべき壁でもなければ、2度敗けた今となっては超えなければならないわけでもない。
超えたい壁。それが、トウカイテイオーにとってのミホノブルボン。自分ができなかったことを達成したウマ娘。
ステイヤーとしての才能はおろか、中距離としての才能はこれっぽっちもない。そんな状態から、無敗の三冠を自ら戴いた君臨者。
走るのが楽しい。競うのが楽しい。
春の天皇賞以降、ずっと考えていたことが――――なんのために走るのかと考えていた自分がバカらしく感じてしまう程に、今が楽しい。
今の瞬間、トウカイテイオーはウマ娘としての幸福の極みにあった。
遥かなる蒼穹、届かない高みに手を伸ばし、掴み取る。
迫る。追い詰める。追い抜く。ライスシャワーと同質であり、異質な領域。ライスシャワーのそれが直接的に個人を追い抜くものであるならば、トウカイテイオーのそれは追い抜く自分になるためのもの。
「できるよね」
自信がある。今までできなかったことが、土壇場の今になってできるという、確信がある。
果てのない大空に飛び上がる。届かないものに手を伸ばす。ただそれだけの領域。
簡潔で無駄のないそれを、トウカイテイオーは即興詩のごとく瞬時に完成させた。
距離が縮まる。最後の直線に入る直前。スパート態勢をとるトウカイテイオーの半身が、ミホノブルボンの影と重なる。
これまで誰一人として――――ライスシャワーですら捕捉できなかったミホノブルボンの影を捉えたのは、トウカイテイオー。
だが。
(縮まらない……!)
雲と雲の間を跳ねるように空を駆けるトウカイテイオーに対して、ミホノブルボンは更に突き放すように、弾かれたように加速した。
息を入れ終えたミホノブルボンは、スプリンターとしての脚を使ったのだ。長距離を走るために全開というわけにはいかないが、それでもトウカイテイオーより少し遅いくらいの速度は出ている。
少し遅い。ならば、時間をかければ縮められる。
だが、前に待っているのは坂。中山の短い直線を守るための防壁のように聳え立つ高低差2.2 メートルの坂。
そこで、差が開く。坂路の申し子に、坂路で勝つことはできない。
更には、ミホノブルボンは内にいる。トウカイテイオーは外。内と外の差となっている微妙なロスが、ミホノブルボンとトウカイテイオーの差を一定に保っていた。
ミホノブルボンの領域は、開かない。開けないのか、まだ札を切ることを渋っているのか。
(勝つ)
――――絶対に!
決意が心を染め上げ、景色が変わっていく。
青い空は赤く染まり、燃え上がるように熱が増す。整えられた芝から活火山のように溶岩を噴き出す、荒れ果てた大地へ。
領域の向こう側ではなく、領域の二階層目へ。トウカイテイオーは到達した。
――――不死鳥のように、復活してくれ。
去年の今頃。年度代表ウマ娘に輝いたとき。まだ骨折を1度しかしていなかったとき。
新しく作り上げられた勝負服には、復活を祈願するような思いが込められていた。立ち上がれと、怪我に負けるなと、背中を押されるような気持ちだった。
その気持ちは、右脚と共に春の天皇賞で折れた。だが今再び不死鳥のように、鍛え直された剣のように、炎の中から新生した。
赤い翼。焔のようなそれで空を駆け、勝つ。自分の上をいくミホノブルボンに勝つ。
「テイオー伝説は――――」
奥歯が砕けそうな程に食いしばって、心の枷を噛み砕く。
負荷を掛け続けている脚で芝を更に踏みしめて、トウカイテイオーは2度目の加速に入った。
両脚が砕けてもいい。圧し折れてもいい。絶対にまた立ち上がる。だから、走り切らせろ。全力を超えた全力で。
「――――ここからだぁぁぁあ!!!」
その咆哮は、観客の大声援に打ち消されて消えていく。それでも聴こえたのか、気迫に押されたのか、ミホノブルボンはやっとトウカイテイオーの方を向いた。
同色の、青い瞳。ミホノブルボンの深みのある青とは違い、トウカイテイオーのそれは青空のように透き通っている。
ミホノブルボンは、掛かっていた自分が落ち着いていくのを感じた。トウカイテイオーの瞳には、調和があった。自分にはない、闘志と冷静さの調和が。
自分を闘志で染め上げ、制御を将軍に任せているライスシャワーとは違う、自力による調和。
(これが、私の目指すべき、理想)
漠然とした理想が、わかった。だが、わかって即座にできるほどの才能はミホノブルボンにない。これから何度も、何度も、併走する中で自分の中に染み込ませて、やっと習得できるかどうか。
だが、今はできない。トウカイテイオーが当たり前のように行った、2段階進化。コツを掴めば一瞬で極致まで至るなどということは、できない。
(そして、今の私では領域すらも造れない)
掛かった。振り向いたときに。たぶん、掛かったらダメなのだ。領域を構築するには、掛かってはならない。
だから、その原因になる焦燥や闘走心を厄介なものと感じて遠ざけていた。本能的に察知していたからこそ、忌むべきものとしてしか見られなかった。
――――現在、90メートルに渡る坂の中腹。ゴールまで167メートル。迫るのはトウカイテイオー、その後ろにはメジロパーマー、ナイスネイチャ。リードは1バ身。残り128メートル地点で追いつかれると推定。となると、最終直線70メートル内では、追いつけない。
総合的なポテンシャルでは勝っている。だが、局地的なポテンシャルで負けている。だから負ける。そう思った。
――――時に精神は肉体を超越する
菊花賞のあと、そう言われた。なぜライスシャワーがあそこまで追い縋れたのか。それがわからないから訊いて、聴いた。実に合理的でないその言葉を。
ぐっと、胸を張るように身を反らす。空気抵抗が大きくなって、更に縮まる差。
縮まる。焦る。危機感が募る。当初の想定を超えてきたトウカイテイオーが、更に想定を超えて迫る。
無理はしない。それをモットーに、ミホノブルボンはレースをしてきた。
ラップ走法だってスパート時にかかる溜めと加速による緩急がもたらす身体への負荷を軽減するためのものだ。
ピシリと、音が鳴った。
それまでミホノブルボンをミホノブルボンたらしめてきた、鋼鉄の仮面。どんなときも涼しい顔をしていると、楽勝を続けてきたと言われる由縁。
(いやだ)
負けるのが嫌だ。
子供のような、そんな感情。トウカイテイオーが思わず笑みを溢すほどの、凄絶な闘走心が眼から白雷となって迸る。
「――――思考停止。全リソース、走行機能へ譲渡」
距離を測る。時を計る。
精密機械のような計測能力。最大にして唯一の長所の為に割いていた能力を、維持の為に脳に送っていた酸素を全て走行機能へ回す。
スタートのときにしか使うなと言われた、擬似的な諸刃の剣。膝と足首の柔軟性を再起動させ、痛む肺を無理矢理膨らませる。
自分の身体なのだから、言うことくらい聴け。
ミホノブルボンはそのとき、精神が身体の外へ流出する音を聴いた。
「点火」
燃やし尽くす。残っているスタミナの全てを。余力がどうとかこのあとはどうするかとか、一切排除して全てを燃やす。
坂を越えた。ミホノブルボンとトウカイテイオーとの差は、坂を経ても縮まらなかった。そして、広がりもしなかった。
1バ身。
クラシック級であった頃、その距離は一瞬だった。一息一足のもとに詰められるものでしかなかった。トウカイテイオーにとっては、そうだった。
2分の1とか、そういう細かいのはいらない。一瞬で抜き去れるのだから。
(直線だ――――!)
70メートル。ゴール板が、手を伸ばせばすぐ掴めるほどに近くに見える。
30メートル前から、トウカイテイオーの脚は重かった。脚は疲労で重く、疲労で重い脚を動かすためのトモは痛む。
自分の領域に、引きずり込んだ。トウカイテイオーの闘志が焔と燃える領域に。
だが、ミホノブルボンは抗っている。感情という重力とは無縁の宇宙でしか飛翔できないはずの彼女は、重力が全てを支配するトウカイテイオーの領域の中でも飛行を続けていた。
お互い、消耗していた。実力者同士の叩き合いは精神を損耗させ、肉体の疲労を加速させる。
疲れ切った2人にメジロパーマーとナイスネイチャが迫る。少しずつ、少しずつ、2位までとそれ以下との差が縮まる。縮まっていく。
――――50メートル
トウカイテイオーは浮き上がりがちな身体を更に低くして、大きな一歩を芝に刻んだ。
空気抵抗を減らし、一歩を大きくすることで脚の回転数を減らしてトモにかかる負担を和らげる。
――――40メートル
ミホノブルボンは、変えなかった。
スタートダッシュ。彼女が一番自信を持つ走法。見事な出遅れをかましたあの時から、彼女のマスターと共に研究して得た武器。
――――30メートル
メジロパーマーを躱して、ナイスネイチャが迫る。迫ったナイスネイチャを再び、苦悶の表情を浮かべながらもメジロパーマーが差す。
もつれるようにして、差し差されながら上位を目指す。
――――20メートル
トウカイテイオーは息を吸いかけ、荒く大きな息を吐いた。ミホノブルボンは、肺が破裂するほど大きく息を吸った。
――――10メートル
ミホノブルボンの影を踏みしめて、トウカイテイオーは飛翔した。残っている全てを賭けた、正真正銘最後のスパート。
ミホノブルボンはそれを横眼で見て、つんのめるような姿勢を鋼鉄の体幹で維持したままにゴール板へと突き進む。
大外の芝が荒れていなかったら。
スタート時に滑りかけて、トモを痛めなかったら。
適性外の100メートルがなければ。
間違いなく、トウカイテイオーが勝っていた。
そう言われ続け、ミホノブルボンは頷き続けた。そうなれば、私が負けていただろうと。
だがトウカイテイオーは、そのもしもを認めなかった。彼女が見ていたのは、揺らぐことのない真実。覆し難い事実。
1着、ミホノブルボン。
2着、トウカイテイオー。
差は2分の1バ身。それまで影すら踏ませなかった無敗の三冠ウマ娘は、影を踏ませてもなお底力を見せて勝ち切った。
※骨は折れてません
64人の兄貴達、感想ありがとナス!
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