ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:トゥインクルスピリッツ グランドスラム

 中山レース場を、大歓声が包んでいた。

 

 トウカイテイオー。ナイスネイチャ。メジロパーマー。そして、ミホノブルボン。

 日本トゥインクルシリーズの隆盛が感じられるほどに見事な――――玄人にも素人にも楽しめる、そんなレースだったのだ。

 

「ブルボン。おめでとう」

 

「テイオーさん」

 

 赤い、不死鳥のような勝負服。

 差し出された手を握って、ミホノブルボンは息を整えた。

 

「……色々、言いたいこととか訊きたいこととか、あったんだけどね」

 

 眼を瞑る。青色の中で渦巻いていた様々な思いがリセットされ、蒼穹のような澄み切った色に戻った。

 

「次は、ボクが勝つから」

 

 アドレナリンが出続けているような、しかしあくまでも冷静な青色の瞳。

 自分の理想である闘走心と理性の融合を果たしたトウカイテイオーの眼差しを臆せずに見返すミホノブルボンは、瞬き一つしなかった。自分の到達点である境地へと一足飛びに跳躍した姿から、眼を離したくなかった。

 

 一瞬でも長く、深く、見る。見て、視て、観る。

 ミホノブルボンは、理想へ跳躍することはできない。農夫のような篤実さで、一歩ずつ進んでいくしかない。

 

「テイオーさんの次のレースはいつでしょうか」

 

「……たぶん、大阪杯かな」

 

 トモがそろそろ痛んできた。興奮と競争の快楽が麻薬のように怪我を忘れさせていたが、トウカイテイオーはそろそろ本格的に、怪我を自覚しつつある。

 

 大阪杯。来年の4月1週にあるそれは、春の中長距離GⅠの嚆矢である。

 大阪杯、春の天皇賞、宝塚。大抵のシニア級中長距離ウマ娘は、春の三冠と呼ばれるそれらを目指す。

 

 トウカイテイオーが日本ダービーで骨折したとき、復帰レースに選んだのも大阪杯だった。

 故障時期こそズレるが、今回のはそこまでひどいものではないという自覚があった。経験豊富だからこそ――――悲しいことに、と言えるが――――わかる。たぶん、来年の春頃には復帰できると。

 

「はい。では、大阪杯で」

 

「うん。今回は負けたけど、次は負けないよ」

 

 ウイニングライブに出たい。

 そんな気持ちを抱いたままにぴょんぴょんと跳ねて身体の調子の良さをアピールしつつ、トウカイテイオーは去っていく。

 

「ブルボン」

 

 その声を聴いて、ぱたぱたと尻尾が揺れた。耳が声のした方向に向き、くるりとそちらへ向き直る。

 

「掴んだようだな。何かを」

 

「はい、マスター。ミホノブルボン、到達すべき《理想》を掴んで帰還しました」

 

「ならあとは俺の仕事だ」

 

 ひょい、と。ミホノブルボンの膝の裏と背中に手を回し、抱き上げながら参謀は言った。

 

 目指すべき場所がわかっているならば、舗装してみせる。

 1年前は誰もが笑った、三冠ウマ娘という夢への道程を見事に舗装しきったあの時のように。

 

「はい。舗装され次第、駆け抜けてみせます」

 

「ああ。だが、今は休むことだ」

 

 回した腕から伝わる体温は、極めて高い。その熱から、菊花賞以上の激戦だったことがわかる。

 消耗の度合いは距離では測れない。無論最有力の指標にはなり得るが、それだけではない。

 

(少なくとも年内まで休養だな……)

 

 始動は新年。徐々に身体を動かして行って、3月からレースに出て、グランドスラムでも目指そうか。

 無論ブルボン次第ではあるが、クラシック三冠並みの偉業となるのは春シニア三冠・秋シニア三冠の全勝、グランドスラムくらいなものである。

 

 一年の締めくくりとなるウイニングライブ――――トウカイテイオーとナイスネイチャを左右に侍らせての『NEXT FRONTIER』をつつがなく終え、ミホノブルボンは完全なる休養に入った。

 完全休養と言っても、何も動かないというわけではないが、坂路のような高負荷な練習はしない。ゆるく、なまらない程度に身体を動かす。

 

 そんな日々を過ごす中で、ミホノブルボンは問うた。

 

「マスターは、ご実家に帰られないのですか?」

 

「仕事がある」

 

 にべもない。そして、たいていの社会人に突き刺さるであろう切実な理由。

 参謀こと東条隼瀬は、現在論文を書くことに精を出していた。

 

「では、マスターは大晦日もトレセン学園にいらっしゃるという認識でよろしいでしょうか?」

 

「いや、大阪に行く。だから一日中いるわけではないな」

 

「大阪、ですか」

 

「ああ。学会での発表がある」

 

 トレーナーというのは、死ぬほど忙しい。死ぬほどというのは比喩でなく、事実である。

 

 1月。

 ウマ娘が実家から帰還。実家に行っていた間の体型の変化、疲労度の変化を加味し、一年間のおおまかのトレーニングスケジュールとレースローテーションを作る。ちなみに新年はじまって1週間経たずに重賞レースが開催されるため、陣営によってはここから既に実戦がはじまる。

 

 2月。

 続々と始動しはじめる他陣営のウマ娘たちの偵察、分析。他ウマ娘のローテーションの確認。自分たちが担当するウマ娘たちの新年ボケを確認し、トレーニングスケジュールを調整。ダートのGⅠがあるため、ダートウマ娘を抱える陣営の活動が活発化する。

 

 3月。

 本格的に重賞レースがはじまる。クラシック初戦に向けてのトライアルもはじまるため、王道を行く巨大陣営――――リギルとかスピカとかカノープスとか――――は、ここから本格化。

 

 4月から6月。

 皐月賞、大阪杯、春の天皇賞、宝塚記念など、前半期のGⅠラッシュが開始。怪我への対応、勝つことを前提に出したレースでの敗北による賞金額の調整など誤算が頻発し、ローテーションの変更及び調子の調整、トレーニングの変更などを強いられる。

 

 7月から8月。

 夏合宿。濃密なスケジュールを組むことが要求され、大きく実力を伸ばすウマ娘も出てくる。そのため、成果によってはスケジュールの調整がまた必要となり、ローテーションとトレーニングプランを柔軟に変更していかなければならない。

 

 9月から12月。

 疲労がたまり、怪我が頻発する。そのためトレーナーの仕事も加速度的に増え、それまで結構楽をできていたサブトレーナーたちの眼が死ぬ。怪我もそうだが、出走登録ミス、賞金額の調整ミスなど、シャレにならないミスも頻発する。

 

 そして、12月4週。有馬記念が終わると、やっとトレーナーたちは一息吐けるのだ。

 もっとも年末から三が日が終わるまでの僅かな期間だが、とにもかくにもレースは無くなる。

 

 あぁ、暇だ。

 ということで、ここから学会。一年間の経験をもとに論文を書いたり、レポートにしたり、新規のトレーニングプランを提唱したり、三が日って何?って感じでひたすら続く。

 

 その学会で最も盛んなのが、シンボリ派閥。その中核が東条一門であり、東条一門のナンバー2が東条隼瀬である。

 20代中盤の若造がナンバー2にのし上がれる東条一門とは……?となるが、中長距離ウマ娘としてはなんの才能もなかった寒門のウマ娘を2年間無敗でGⅠを7勝した三冠ウマ娘とした実績は大きい。

 

 そして何よりも、このクソ忙しい仕事に就きながらレポートを書いて論文を発表して……とできる人間がそもそも少ない、というものもある。

 

 つまり何が言いたいかといえば、東条隼瀬は相変わらず死ぬほど忙しかった。

 

「……」

 

 ぱた、ぱた。

 ゴロゴロと転がっていたベッドを、力なく尻尾が叩く。

 まだ若干疲労している脚を掛け布団で包みながら、ミホノブルボンは不満を感じた自分に気づいた。

 

「マスターは、テイオーさんの走りを見て何を思われましたか?」

 

 それは別に今訊かないでも良いことである。

 必要とあれば東条隼瀬はミホノブルボンに話すだろうし、どのみち大阪杯の前に聴くことになる。

 

 それに、自分の意見もまとまっていない。相手に意見することを求めるのならば、最低限自分の意見をまとめ、別の視点を提供する必要がある。なのに、今の自分はそれをしていない。

 

 だがあえて、ミホノブルボンは問うた。訊いた。それは理屈ではなく、感情。マスターとお話ししたいという、欲望という感情からきたものだった。

 

「末恐ろしい、と感じた」

 

「末恐ろしい、ですか。今ではなく」

 

「今? まあ今も恐ろしいだろうが、真に恐るべきところは才能の底が見えないことだ。だから、末恐ろしい」

 

 しかし。

 万年筆を左回りにくるくると回しながら、ぐるりと椅子を回して背後に居る質問者に向き直る。

 

 こっちを向いてくれたことが嬉しくて、ミホノブルボンはちょっと胸のあたりがポカポカした。

 

「だが、その末が来るかと言えば、たぶん来ない」

 

「それは、底がないからでしょうか」

 

「いや、怪我だ。あいつは巨大な才能に比して著しく身体が脆い。というより、あの才能をまともに扱える頑丈さを持つ身体が極めて稀少だ。だから3歩進んで2歩下がるということを繰り返す羽目になる」

 

 現にトウカイテイオーは、また怪我をした。

 左中臀筋の損傷。これまでの怪我の歴史――――左足首の骨折と右脚の剥離骨折――――よりは遥かに軽症だし後遺症も残らないが、それでもミホノブルボンがピンピンしていることを考えるとやはり脆いと言わざるを得ない。

 

「負けたとでも思ったか、お前は」

 

「……負けたくないとは、思いました。つまり、負けかけていたという認識があったものと思います」

 

「まぁ、あいつはお前が1年かけて得た物をたった1回のレースでものにできる。しかもより精緻に、よりグレードアップさせたものを、だ」

 

 領域の2段階目。

 本能と理性の融合。

 

 ミホノブルボンが求めても得られなかったものを、トウカイテイオーは一足飛びに獲得した。

 練習した時間は、確実にミホノブルボンが上である。トウカイテイオーは怪我をしていたし、そもそもそんなに負荷をかけた練習をすることができない。

 

 無論これは比較対象が悪いというのもある。トウカイテイオーは平均以上の練習をしているし、制限された短い時間の中でこの上なく集中してこなしている。

 しかしミホノブルボンほど長く、集中して練習しているウマ娘もいない。

 

「だがそれを嘆いていても仕方がない。一歩一歩進んでいく。それしかできないのだからな」

 

「はい」

 

 超高速でグルグル回っている万年筆を再び握り、論文を書いていく。

 ミホノブルボンには、一足飛びに跳躍する才能はない。だが、歩き続ける精神力と歩き続けても壊れない脚がある。

 

(……大阪杯)

 

 本能と理性の折り合いが付けば、マスターが策を講じられる。

 自分が策を実行できれば、必ず勝てる。その確信がある。

 

 現在は12月28日。大阪杯は4月4日。

 ほぼ3ヶ月の間を使って、自分はトウカイテイオーに追いつけるのか。

 そんなことを考えながら、購買部で買ってきた『瞑想〜ヨガの真髄〜』という謎の本から精神力を鍛える術を学ぼうとするなど、ミホノブルボンは思っきり迷走していた。

 

 迷走していたが、彼女の懸念は杞憂で終わる。

 大阪杯。トウカイテイオーとの第3次対決となるはずだったこの戦いに、彼女は有馬記念での怪我の治療が長引いて現れなかったのである。

 

 となると2000メートルでミホノブルボンに敵うウマ娘がいるわけもないが、そんな未来は誰も知らない。

 

 論文を淡々と書き終えた男は、瞑想に入ろうとして寝入ってしまった栗毛の少女を見て少し笑い、顔に覆いかぶさった本をベッドの脇に置いた。

 

「……もう1本書くか」

 

 引き出しに仕込んだ二段底からスノーホワイトの本を取り、表紙を撫でる。

 凝った首を回して鳴らし、東条隼瀬は疲れを見せずに机に向かった。




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