ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
ミホノブルボンはライスシャワーのことを信頼していたし、ライバルだと思っている。
そもそも彼女は、基本的に敬語で話す。
マスコミ、トレーナー、同期、後輩。社会人――――彼女は身分は学生ではあるがアスリートであり、現に並の社会人の何倍も稼ぎ、何倍も注目されている――――として、話し方はちゃんとしなければならない。
つまり砕けた話し方をする場合、人に応じて言語のリソースパックを起動し直さなければならないのである。
だがその点、敬語はいちいち人に応じて喋り方を変えなくともよい。自分より立場が上でも下でも誰であっても、基本的に敬語で済む。
だから、ミホノブルボンは特定の人物を除いてフルネーム+さんで呼んでいる。
ともだちであるサクラバクシンオーもサクラバクシンオーさんであるし、ルームメイトであるニシノフラワーもニシノフラワーさん。
マスター、ルドルフ会長など、目上で親しい人間には特別な呼称や下の名前+役職名で対応しているわけだが、単純に下の名前を呼ぶこともある。
数少ない例外のひとりめが、最近追加されたトウカイテイオー。全ウマ娘でも屈指のコミュニケーション能力を駆使して、彼女はテイオーさんと呼ばれている。
そして唯一呼び捨てにされるのが、ライスシャワーだった。ミホノブルボンは彼女のことを、単にライスと呼ぶ。
そんな親しいウマ娘が、不調に悩んでいる。
その原因が自分にあるであろうことも、自分が陥っている状況に近いということもわかる。
だが、ミホノブルボンは特にこれと言った解決策を見いだせなかった。
闘志を湧き出させるには、どうすればいいか。そんなことは考えたこともなかったからである。
たぶんわかるであろう彼女のマスターは、求められない限り動かない。参謀という渾名の通り、彼は訊かれたら答える、求められたら動くというスタンスを貫いていた。
トレーナーとして指導するときは自分から口を出すじゃないか、と言われるかもしれないが、それは『指導するということを求められているからトレーナーとして契約している』からであって、自分からしゃしゃり出てきているわけではない。
(ですがライスならなんとかするでしょう)
あの、身を灼かれるような闘志を知っている。日本ダービーから感じはじめ、菊花賞で完成した感のある蒼い焔。
あんな熱いものを持っているウマ娘が、コロッと負けることなどあるだろうか。
マチカネタンホイザとライスシャワーは、実数値的にはまあ互角であると言っていい。ライスシャワーの方が強者に強いと言うか、数値化できない部分で優れているので世間の評価はライスシャワー>>マチカネタンホイザとなっているが、実力は拮抗している。
拮抗しているなら、精神的優越を勝ち取れるであろうライスシャワーが勝つ。
ミホノブルボンは、そう考えていた。だからある程度心配しつつも、彼女は自分のやりたいことをやっていた。
それはつまり、チョコ作りである。
カカオ豆を買ってきて、水で洗う。ひたすらに洗う。何度洗っても濁る水を入れ替えて洗う。
ミホノブルボンは、こういう単純作業に向いていた。何も考えていないことが多いからである。
数時間かけてひたすら洗い、十数分洗っても一切水が濁らない程に綺麗にしてから干す。水気が抜けるまでひたすら干す。
(干し飯……)
ニシノフラワーの『光合成をして何を考えているんだろう』という視線に気づくことなく、ぽけーっと干されたカカオ豆を見る。ひたすらに見る。ついでにライスシャワーのことも考えて、連想ゲームじみた着想を得ながらカカオ豆を焼き、火を通す。
触れた物を爆弾に変えるタイプのウマ娘が無造作に機械に触れたことに軽くビクッとしたニシノフラワー。
豆がパチパチ爆ぜる音を聴くたびにビビる彼女の反応に気づくことなく華麗にスルーしつつ、手袋をすることで機械に触れることができるようになった少女は次にカカオ豆の皮を剥いてすり鉢に入れた。
ライスシャワー(43キロ)をかるーく上空10メートルくらいぶん投げられる程の怪力でゴリゴリと勢いよくすり潰していき、無表情のままにひたすらゴリゴリゴリゴリ。
ものすごく凄まじい粘り気を発揮するようになったカカオ豆のペーストをぺろりと舐める頃には、ニシノフラワーはスヤスヤと寝ていた。
ということでひとまず手を休めてすり鉢の中のカカオ豆ペーストをゴムベラで小さな金属ボウルに移し、お風呂に入ってミホノブルボンは寝た。眠かったのである。
そして翌日の練習後、ミホノブルボンはすり鉢をお湯につけてカカオ豆ペーストを温めつつ、ひたすらに混ぜた。鬼のように混ぜて、カカオ豆の残滓、つぶつぶが消え去るまで混ぜ終えて、ミホノブルボンは寝た。
さすがのブルボンも、坂路練習のあとに8時間ゴリゴリし続けるのには疲れた。
ということで翌日、ミホノブルボンはゴリゴリを再開してしばらくしたあとに砂糖をドバーッと混ぜてチョコレートもどきを作り出した。
指に付けたチョコレートをぺろりと舐めるが、やや苦い。なのでその度に砂糖を継ぎ足して、いい感じになった時、しばらく混ぜてから一粒だけチョコレートを作る。
このとき、ミホノブルボンは集中力が極限まで高まっていた。なにせ、やることがない。考えることもない。虚無でいるのにも限界がある。
なので必然的に、ミホノブルボンはチョコを作りながら自分を見つめ直すことができた。
ただひたすらに、目の前のことに打ち込む。例えばカカオ豆をひたすらにすり潰す。
その何もすることの無い虚無さが、ミホノブルボンに精神的成長の余地を与えていた。
闘走心の制御。その完成形が有馬記念のときのトウカイテイオーだということを、ミホノブルボンは知っている。
――――末恐ろしい
基本的に過大評価も過小評価もしない――――と、ミホノブルボンは思っている――――マスターが、そう言った。
末恐ろしい。つまり、未来がある。あそこから更に、トウカイテイオーは飛翔できるのだ。
そのためには、まず追いつかなければ話にならない。
(闘志と理性の共存)
ライスシャワーは、焔だ。
最初からスタミナという酸素を喰らい尽くすように燃え盛り、その熱で相手を疲弊させ、射程に入れば焼き尽くす。
トウカイテイオーは、鳥だ。
理性と言う卵の殻で最大限消耗を防ぐ。
だが最終局面になると闘志の翼で殻を打ち砕き、空高く舞い上がる。
では自分は、どうすればいいのか。
自分の行き場のない闘志は、どうすればいいのか。
その答えは、出ない。そう簡単に出るほどの才能があれば、彼女はここまで努力をしなくとも三冠ウマ娘になれていただろう。
(そのヒントはやはり――――)
ライスシャワー。白と黒、理性と本能、氷と焔。正反対ながら、尊敬できる好敵手。
彼女にこそ、ある。
(目黒記念を、見たい)
ライスシャワーの新年度初レース。彼女の闘志が焔となるところを見られれば、何かをつかめる。そんな気がする。
ミホノブルボンの力は今、ズレている。歯車が少し、噛み合わない。指針と実働が違うところを向いている。そんなことはわかっているのだ。
だが、その直し方がわからない。ライスシャワーを見れば、菊花賞のときの自分には脅威にしか、異物にしか見えなかったそれを感じれば、何かが。
何かが得られる。そう思っていた。
だから、言ったのだ。バレンタインのチョコを一緒に食べたあと。
「マスター、私はライスのレースを見に行きたいです」
少し驚くかな、とは思っていた。
本来、目黒記念があるその日は練習をする予定だった。そしてミホノブルボンは、どんなに厳しい練習を課されても拒否したことはない。逃げたこともない。彼女はただひたすらに、愚直に挑んできた。
「そうか。では行こうか」
「……よろしいのですか?」
「よろしくないことをしようとしていたのか?」
質問を質問でサラリと返す。
だがその言葉からは、ミホノブルボンへの信頼が窺えた。
「お前が練習ではなくレースを見に行きたいというのだから、それなりの理由があるのだろう」
自分の人差し指についた溶けたチョコレートを舌で舐めとって、参謀は怜悧な相貌を崩さないままに言葉を続ける。
「であれば、受け入れてやるのがトレーナーというものだ」
「……マスターは」
ミホノブルボンは、基本的に人の心を斟酌して話す。サイボーグ扱いされても、目からビームを撃てると噂されてビビられても、ロケットパンチをしてくると思われても、彼女が思ったのは『周りを怖がらせてしまって申し訳ない』ということだけだった。
だからしばらく、ミホノブルボンは黙っていた。その沈黙に何かを感じたのか、東条隼瀬も何も言わない。
「マスターは、私のために計画を立ててくださいます。それは精密で精緻で余白のない、だからこそ完璧なものです。だからこそ私がこうやって……自分の欲望に従った動きをすることを、好まないだろうと推察していました。誤解をしていたことを、深く陳謝致します」
「謝る必要はない。事実その通りなのだから」
ぴこん、と。ミホノブルボンの尻尾が器用にクエスチョン・マークを描いた。
「その通りならば何故今回、観戦の許可をいただけたのでしょうか?」
「最近、わかった」
東条隼瀬は、ミホノブルボンを自分の管制下に置きたかった。そうすることで事故を、偶然を、運命すらも支配下におけると思ったからだ
それは傲慢であるかもしれない。
だが、日々を全力で生きれば生きるほど、日々の最善を極めれば極めるほど、人は運命を乗り越えられると、そう信じたくなるものである。
その最善が、自分にとっては管理することだった。夢を叶えるための『能力』と『経験』を推察して逆算し、第三者的な視点で見て正しいトレーニングと正しい休息と正しい食事をさせる。
自主性もいらない。個性もいらない。あのときは、本気でそう思っていた。ただ、自分の指示を従順にこなしてくれるウマ娘が欲しいと思っていた。
無論それは、最効率だからだ。完璧な管理下においてこそ、夢への最短距離を歩めるからだ。
だが、私心もあった。今となっては、わかる。
個性も何もなく完璧に管理することこそが正解なのだと、証明したかった。
あのとき。自分の才能に自信を持ち、好き勝手に走ることを許して、失敗したあのとき。
誰もが、被害者であるはずの彼女すら『貴方は悪くない』と言うあのときのミスを、逆説的に証明してほしかった。
完璧な管理をしていなかったから。自信を持ちすぎていたから。傲っていたから。
そう結論づけてほしいがために、夢を持つひたむきさを持つウマ娘を完璧な管理下に置くことで、彼女が持つ夢を叶えることで――――ミホノブルボンが三冠の夢を果たすことで、証明してほしかった。
トレーナーが最善を極めれば、運命や事故など乗り越えられるのだと。偶然が牙を剥く余地など無いのだと。
――――果たして。ミホノブルボンは三冠ウマ娘に輝いた。そして最後まで、怪我をしなかった。今も元気に走っている。
完璧な管理をした。その自信が、自負がある。一瞬たりとも気を緩めなかった。その自覚がある。
だからこそ。
だからこそ、事故は起こらなかった。自分が完璧に、適切に、労力を惜しむことなく管理すれば運命を、怪我を、偶然を、事故をねじ伏せられる。ミホノブルボンが、そのことを証明した。
あのときの自分は、ミスをした。自分に、才能があると勘違いしていた。サイレンススズカという気づけば走っているかのような破天荒な天才を補佐できると思っていた。彼女を好きにさせた上で、管理できると傲っていた。
驕慢だ。度し難い悪だ。
才能のない人間の自信ほど、質の悪いものもない。
彼女の――――サイレンススズカの才能を、美しい翼を、身の程知らずの無知蒙昧の徒がへし折った。
もっと高く、速く。彼女は翔べていたはずだった。
アメリカで無双して、フランスに行って。今の時点でも、充分に強い。何も知らない人間が見ればそう思うかもしれない。
だが、違う。今の彼女は、楽しそうではない。単に放映されていないだけかもしれないがあの恍惚とした求道者の笑みを――――狂気すら感じる最果てを目指す彼女が彼女たる由縁を、ここ2年のサイレンススズカは見せていない。
控えめに。
そう、本当に控えめに笑うだけ。笑って、俯く。ただそれだけ。
――――俺は間違えた。それは揺るぎのない事実だ。だからこそ、もう二度と間違えない
そう思っていたからこそ、ミホノブルボンを管理した。食事からトレーニングのすべてを。
だが、有馬記念。
管制下から解き放たれたミホノブルボンは、立派に走った。自分だけでトウカイテイオーという天才を打倒した。
――――それほどの才能がないものが、放任をするべきではない。俺には臨機応変の才能がないから、なにもかもを管理しなければならない
有馬記念以前は、そう思っていた。疑いすらしなかった。
だが、今は思うのだ。
「完璧に管理するという思想こそが傲慢なのではないか、と。そう思った。だからこそ、負荷のかからない自由ならば許すべきではないか、本人の意志を尊重するべきではないか、と」
もっと練習したい。その希望は想定の範囲内であれば許可できるが、想定の範囲を一歩でも踏み出せば絶対に許可できない。
何故なら、それを許可できるほどの有能さは自分に無いから。
だが、観戦ならば。少なくとも、肉体に負荷はかからない。故障のリスクはない。
少しだけ、思う。
たぶん単純に、嬉しかったのだ。夢への固執以外の意志を見せるという成長を果たしたミホノブルボンが。
管理の中で育った仔犬が、自分の意志で外へ踏み出そうとしている。
「……成長したな、ブルボン」
それが嬉しくもある。だが。
ぴーんと立った耳と耳の間を縫うように手を伸ばして栗毛に触れながら、東条隼瀬は少し寂しげに笑った。
40人の兄貴たち、感想ありがとナス!
ゴレム兄貴、nwk2兄貴、っっっっt兄貴、評価ありがとナス!