ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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アナザーストーリー:皇帝の夢

 ミホノブルボンが、大阪杯に出る。

 それを聴いたトウカイテイオーは、臍を噬んだ。

 

 軽い筋損傷。本気を出し切った有馬記念のあとに得た負傷。

 無論、後悔はない。後悔はないが、それでも大阪杯に出たかった。

 

 芝2000メートル。お互い得意とする距離。そこで雌雄を決したかった。

 だが、トウカイテイオーは知っていた。自分の身体が無理のきかないものであると。

 

 デビューするまでは――――日本ダービーで骨折するまでは、そんなことを思いもしなかった。自分は無敵で、どこまでいつまでも走っていけると、毛ほどの疑いも抱いていなかった。

 

 今は、違う。自分が決して頑丈ではないことを知っている。

 若さ故の全能感、万能感。それらを失い、大地をしっかりと踏みしめる現実感覚を得た。それは進化なのか、あるいは退化なのか。

 

 トウカイテイオーには、わからない。

 

「それは変化だよ、テイオー」

 

 もやもやを解消するべく、相談を持ちかけた相手。

 シンボリルドルフは、断言した。

 

「君は強くなり、弱くなった。レースを観測する冷静さを得て、思い切りの良さが失われた。進化と退化は、表裏一体。そしてこれを人は、適応と呼ぶ」

 

 鳥が飛ぶことを必要としなくなればエネルギー効率のために翼を収縮するように。

 人間の小指が徐々に縮んでいくように。

 

「君は今の自分のために最適化した。長所は失せ、それと同時に短所も消えた。だがそれは恥じるでも誇るでもなく、当たり前に受け止めるべきものだ」

 

「短所を消すのはいいけどさ。長所は消えて欲しくなかったよ」

 

「長所と短所は裏返しだよ、テイオー。長所を裏返せば短所に見える。短所を裏返せば長所に見える」

 

 そう言うシンボリルドルフの機嫌は、妙にいい。豪華ではないが重厚な、歴史を感じさせる机に両肘をついた『皇帝』には、その異名にふさわしい雰囲気がある。

 

「でもカイチョーは、ずっと強いままじゃん」

 

「私も最初からこの通り強かったわけではないよ」

 

 無論、最初から強くはあった。

 だがそれは今とは似ても似つかない、異質なもの。

 

「カイチョーも短所を克服した、ってこと?」

 

「そうだ。そして、長所を失った。だがそれは私にとって、失ってもいい長所だった。だから、そう見えるのかもしれないな」

 

 そう、という意味は『完璧なように』ということであろうと、トウカイテイオーは解釈した。

 それは他ならぬトウカイテイオーが、シンボリルドルフほど完璧なウマ娘もいないと考えている証拠でもある。

 

「捨ててもいい長所を選んで捨てられるのが、すごいよね。ボクには選択権なんてなかったのにさ」

 

「そうだな。確かに私は選んだ。自分の捨てるべき長所を、短所を。それで私は強くなったと思うし、理想に近づいたと思う。だがそれによって失ったものが、ないとも限らないさ」

 

「それが、凱旋門賞?」

 

「それも、そのひとつだ」

 

 いいかい、と。

 ひとつ前置きして、シンボリルドルフは愛すべき愛弟子に話しかけた。

 

「私は幸いなことに、選べる立場に常にいた。それは天性の才能でもあるし、努力でもある。だが選べる立場にいるというのは、何かを選ばなければならない立場にいるということでもあるんだ」

 

「選べるからこその苦しさもある、ってこと?」

 

「そうだな。これは傲慢な言い方になるかも知れないが、私なりの経験則だ」

 

 選べない人間には選べないが故の、選べる人間には選べるが故の。

 そういう悩みが、必ずある。それもカイチョーの言った、長所と短所は表裏一体ということに繋がっている。

 

 物事には必ず、裏がある。どんなものでも、表一辺倒では存在し得ない。

 そんな当たり前のことを、トウカイテイオーは改めて気付かされた。

 

「……大阪杯は、どうなるかな」

 

 メジロマックイーン。トウカイテイオーのライバル。

 ミホノブルボン。トウカイテイオーのライバル。

 

 ライバル同士の、戦い。そこに居ない自分に耐え切れず、トウカイテイオーはここに来た。

 それを見透かしたかのように、シンボリルドルフは目を瞑った。

 

「試走になるだろうな」

 

「天皇賞の?」

 

 シンボリルドルフは眼を開けて、薄く怜悧に微笑んだ。同性でも見惚れる程の、氷のような凄絶な美貌。

 

「春の天皇賞であれば王道は、阪神大賞典だ」

 

 そう言えば、と。トウカイテイオーは思い直した。

 自分は大阪杯から春の天皇賞へとコマを進めた。だがそれは、故障明けだったから。故障明けだから、最も得意とする距離を試走として選んだ。

 

 万全で、本気で春の天皇賞に挑むというのならば、本来ならば去年のマックイーンのような阪神大賞典を経由したローテで臨むべきなのだ。

 

「じゃあなんで、ブルボンは……」

 

「その理由は君にあり、そして私にもある」

 

 その言葉が鼓膜を揺らし、脳に至る。

 そして瞬時に、トウカイテイオーのもやもやは晴れた。

 

「宝塚! ボクの次のレース!」

 

「そうだ」

 

「じゃあ、カイチョーも――――」

 

 宝塚記念は、ファン投票で選出されたウマ娘が出走を許されるグランプリである。

 しかしこの二人であれば、出走を表明さえすれば選ばれることは疑いようがない。

 

「私は今年の前半戦、脚の回復に努める。前回はやや急いでしまったから本調子ではなかったが……」

 

 それは今阪神レース場に居るはずの男のためでもあり、目の前にいるトウカイテイオーのためでもあった。

 その目論見はうまくいったりいかなかったりした訳だが、ともあれシンボリルドルフは走ってみてはじめて、自分の力がやや落ちていることに気が付いていた。

 

「宝塚では、テイオー。君に本気の皇帝を見せよう」

 

 本気じゃない? あれで?

 

 何処かの誰かではないが、うそでしょ……とも言いたくなる。

 だがトウカイテイオーが圧倒されたのはあくまで、技術面での話。秋の天皇賞におけるシンボリルドルフの勝ち方とはつまり位押しのようなものであり、力押しではない。

 

 あの時の彼女に、力押しできる程の実力はなかった。少なくとも、シンボリルドルフ自身はそう思っている。

 

「……カイチョーには、言ったよね。ボクはシンボリルドルフさんみたいな、強くてかっこいいウマ娘になります、って」

 

「ああ。覚えているよ」

 

「あれを言ったのは、昔のボク。だから、今のボクならこう言う」

 

 ――――ボクは皇帝を超える帝王になる

 

 もやもやを振り払った晴天の瞳。

 それを見て、シンボリルドルフは心の中で胸をなでおろした。

 

(今度はうまくいったぞ! 参謀くん!)

 

 旗鼓堂堂、勇往邁進、英気溌剌。傍から見ればそんな彼女は、結構気に病む質だった。

 だから未だに――――弁当の差し入れという形で迷惑を贖ってからも、結構気にしている。

 

 トウカイテイオーから発せられた相談という単語で、ぴょこんと心臓が跳ねたのだ。

 どうしよう。うまくやれるだろうか。そんなふうに思ってそわそわとした。だが、うまくやった。やり遂げられた。

 

「ブルボンにも勝つ! マックイーンにも勝つ! で、カイチョーにも勝つ!」

 

 耳が風を孕んだ帆のように張り、尻尾が活発に動く。

 明らかに絶好調となったトウカイテイオーを見て、微笑ましくなる。

 

 思想的後継者ではないが、自分の技術を余すことなく継承できるはずの天才が他ならぬ自分を超える為にやる気を出す。

 それは他に例えようもない、ひりつくような嬉しさをシンボリルドルフに与えていた。

 

 ひとりでガンガン盛り上がっていたトウカイテイオーと、それを優しい眼差しで見つめるシンボリルドルフ。親子のような柔らかい雰囲気は、トウカイテイオーのやや遠慮気味な一言が発せられるまでゆっくりと続く。

 

「……あのさ」

 

「うん?」

 

「カイチョーはさ。ブルボンを応援してる?」

 

「ああ。私は個人的に、ミホノブルボンを応援しているよ」

 

「それは……なんでかって、訊いていい?」

 

「もう訊いているじゃないか、テイオー」

 

 えへへー、と。

 人の懐に転がり込むことがうまい少女がずっと抱えていたであろう疑問に、シンボリルドルフは少し考えてから答えた。

 

「テイオー。我々は、何故走るのだと思う?」

 

「それは、ウマ娘の本能だから……」

 

「確かにそれはそうだ。だが、私は思う。ウマ娘たちが何もかもを擲って走るのは、その先に夢を見ているからだと」

 

 それは、トウカイテイオーにとっても納得できる理屈だった。

 彼女は本能的に走るのが好きだった。それは間違いがない。だが何故ここまで、遊びもせずにひたむきに、苦しいリハビリとトレーニングに打ち込めるかと言えば、それは目指すべきものがあるから。

 

 シンボリルドルフ。

 メジロマックイーン。

 ミホノブルボン。

 

 トウカイテイオーは目指すべきものを見据えて走り出し、走る最中にまた超えたいものを見出して、今もなお駆けている。

 

「夢が必要なんだ、テイオー。君にとっての私のような夢が、全てのウマ娘に必要なんだ」

 

 そして夢を追うには、希望が要る。それは或いは、世間という光かも知れない。世間が個人の夢を後押しし、道を照らす。

 本来であれば、それが理想だ。特定の個人に依らない体制。今のトウカイテイオーが、まさにそれだ。ジャパンカップで復活の片鱗を、有馬記念で復活を見せた彼女の復帰を、誰も彼もが待ちわびている。彼女の夢への道を、ファンの応援という声が照らしている。

 

 だがそれは、現実的ではない。

 

 ――――全てのウマ娘に幸福を

 

 その現実的ではない夢を描くために、現実的ではない絵の具は選べない。

 誰しもが、テイオーのような人気者になれるわけではない。彼女は特異的な――――後にも先にもないような、ファンを惹き付ける引力がある。

 

「幸福とは、私は夢への挑戦を祝福されることだと思う。夢への道を舗装してくれる誰かが、暗闇の中に一筋続く道を探り当てるために杖にはなってくれる誰かがいれば、どんな不可能な夢でも追っていける。実現できる」

 

 才能もある。財力もある。血統もある。

 それでも追えない夢があった。それでも無理だと言われる夢があった。

 

 

 ――――任せたぞ、ルドルフ

 

 ――――ああ、任された

 

 

 ――――参謀くん。準備はどうだい?

 

 ――――万事抜かりなく

 

 

 波長が合う。同じものを見れる。

 それだけでいい。そんなパートナーがいれば、どんな夢でも掌の中に掴み取れる。

 

「ミホノブルボンは、恵まれないウマ娘たちの希望になれる。目指すべき夢になれる。駆けていく先に輝く星になれる。そしてその星に焦がれるのは、ウマ娘だけではない」

 

 トレーナーもだ。

 自分の手で、歴史を覆す怪物を作り上げる。夢に向かって二人三脚で歩む。

 

 東条隼瀬とミホノブルボンは、その嚆矢になれる。

 

「さて、そろそろレースがはじまるようだ」

 

 ――――見ていくだろう、テイオー?

 

 腰に佩いた白い軍杖を触りつつ放たれたその言葉に、トウカイテイオーは頷いた。

 ミホノブルボンが、冬を超えてどうなったのか。冬の間リハビリに励んでいた自分との差が、どうなのか。

 

 画面の前のミホノブルボンは、その答えを持っているはずだった。




55人の兄貴たち、感想ありがとナス!

berylllium9012兄貴、nnoi兄貴、蒸気帝龍兄貴、さくらんぼの味噌煮兄貴、アキラァ!!兄貴、評価ありがとナス!

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