ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:皇帝と杖

「八冠目。おめでとう」

 

 威風堂々。

 皇帝の名に相応しい威容を漂わせて、シンボリルドルフは思想的後継者の打ち立てた偉業に対して賛辞をおくる。

 

 ここは生徒会室。皇帝の居城。

 そこに当たり前に、専用に誂えたインテリアのような自然さで、東条隼瀬は座っていた。

 

「お前にとっては中腹みたいなものだろう」

 

「八という数字はともかく、七を超えるのには運命的な何かを感じる。それに、私を抜きにしても偉大なことだ」

 

「抜きにすれば、ぶっちぎりで偉大だっただろうな」

 

 ルドルフの左耳が思案するようにペタリと伏せ、右耳がピコピコと興味深げに動く。

 

(おや)

 

 しかし水晶を模したイヤリングが涼やかな音を鳴らした瞬間には、彼女の耳はいつも通りのものになっていた。

 それは紛れもなく、彼女の優れた理性の証明であると言えるだろう。話していて唯一感情を乱す相手に対しても、こうもうまく取繕える、というのは。

 

(少し明るくなった、かな)

 

 元々、東条隼瀬という人間は軽口を叩かない。思っているより多弁だが、無駄口を叩かない人間なのだ。

 そんな彼も、対等な同志である自分と話すときは軽口を叩くし冗談も言う。

 

 そのことはよく、とてもよくわかっていた。

 だが、ギアの上がり方が早い。テンションが上がっている、とも言う。

 

「シニアへの一歩で躓く。そんなウマ娘は多い。いくらジャパンカップと有馬記念で勝ったとは言え……」

 

「心配していたわけだ、お前は」

 

 言い淀みを見て取ったのか、参謀という渾名らしからぬ怜悧さの無い瞳が少し笑った。

 

「……勝つか負けるかの、ではないよ。心配はしていたが、勝つことは疑っていなかった」

 

 変化した。明らかに。

 その変化が自分を相手にしているからなのか。つまり、素が出ているからなのか。そう考えられれば、シンボリルドルフはもう少し楽に生きていけたことだろう。

 

 シンボリルドルフには、ある種の鈍感さがある。

 彼女は自分の勝利を疑ったことはなかった。誰もが目指し、そして諦めていく三冠ウマ娘という存在を踏み台に飛翔しようなどと考える程度には、自己の力に対する正当な評価を下している。

 

 デビュー前から、思っていた。勝てるだろう、と。

 負けるかも知れないと思ったことなど、一度しかない。そしてその時は負けたわけだから、それもまた正当な評価だったと言える。

 

 だがその正当さから、彼女は一歩も外に出られなかった。

 

(私と話しているから、ではないな)

 

 これまた、実に正当な評価を彼女は下した。

 ここで自己過信に陥れるような愉快な性格をしていたら、彼女は14個目の栄冠を手にしていたに違いないのだ。

 

(となると、ブルボンか)

 

 東条隼瀬とミホノブルボンの帰校は、昨日。予定としては、1日遅れた。それは計画というものに拘り抜いてきた――――すべてを自分の管制下に置こうとしてきたここ3年の彼らしからぬ行動ではあった。

 

 だがそんな予定の変更などは、よくあることである。

 だからそれほど、シンボリルドルフは気に留めていなかった。

 

「疑ったことはなかった。まあ、いつも正確な判断を下すお前のことだからそうだろうな」

 

 ――――これ、お土産。

 

 そうして渡されたのは、お好み焼き。

 わー! やったー!とは思ったが、顔に出すほど子供ではない。

 

「ありがとう」

 

 ほんの少しだけ尻尾を揺らして、シンボリルドルフは謹厳さを崩さずに礼を述べた。

 

「……だが、珍しいな」

 

「昨日は勝利祝いに二人で食いだおれていたのだ。だからついでにお前も巻き込んでやろうと思ってな」

 

 巻き込み事故。

 

 そんな言葉が脳に浮かんで、シャボン玉のようにパチンと消える。

 

「昨日のうちに色々な人に渡してきて、お前が最後だ。ああ、テイオーにも渡したよ」

 

 ――――お前がいなかったおかげで楽に勝てたよ

 

 そう言ったらしい。リハビリをほぼ終わらせて、少しボーッとしていた彼女に向けて。

 

「気張ったことだろうな、それは」

 

「ああ。それはそれは」

 

 ――――ボクもう予定消化して動けないからビデオで復習するから! 次はボッコボコのメッタメタに勝つから! 覚悟しててよね!

 

 そう言ってシアタールームに突撃していったらしいことを聴いて、シンボリルドルフは得心がいった。

 シアタールームでバクスイテイオーになっていたのはそれが理由だったのか、と。

 

 伸び切った脚と背中にひょいっと手を回してから起こすかどうか少し悩んで、おぶって寮まで運んであげる最中も、トウカイテイオーは死んだように眠っていた。

 

「すごいやつだよ、あいつ」

 

「ああ。知っている」

 

 彼の言うあいつが誰を指すのか。

 彼の言うあいつのすごさはなんなのか。

 

 シンボリルドルフは、よく知っていた。

 

「まあともあれ……ただいま、ルドルフ」

 

 パチリと、血族であり容姿のよく似たテイオーのそれとは違う――――どちらかと言えばライスシャワーのような紫水晶の瞳を、シンボリルドルフは瞬かせた。

 

 ――――ただいま。

 

 それが何を指すのか。

 それは、わかった。彼が誰をすごいと言ったかわかったときのように。

 

 単に、大阪から帰っていた。そういうわけではない。

 彼は昨日の昼頃、帰ってきた。そして自分をスルーしてあいさつ回りをして、おそらく最後にここに来た。

 

 その意味を、シンボリルドルフは明哲な頭脳で理解していた。

 

「――――おかえり」

 

 参謀くん、とは言わなかった。

 昔の彼ではない。そして今までの彼ではない。大阪杯で何かがあって。そして新たな自分になって、彼は帰ってきたのだ。

 

「心配かけたな」

 

「たしかに。だが、君が他者に向けていた程ではないさ」

 

「それは……そうかもしれんな」

 

 自然に笑う。そんな彼を見て、彼女も自然に笑みがこぼれた。

 

 吹っ切れたわけではない。吹っ切れることは、おそらくない。サイレンススズカが再び彼と共に走らない限り、彼は未来永劫、異次元の逃亡者のことを引き摺り続ける。

 

 だが彼は引き摺るのではなく、背負うことを決めたのだ。誰もが挑んだことを、どうやってブルボンが達成したのかはわからない。

 わからないが、たぶんあの底知れぬ善良さと単純さで、するりと懐に入って難なく心に染入ったのだろう。

 

(それは、私にはできないことだ)

 

 無邪気に、無謀に突っ込む。

 かつてはできたことが、今はできない。

 

 ライオン丸とか――――一方的に、だが――――彼に言われていた頃の自分にはできた。そして、できる。

 だが、今はできない。それはウマ娘という種族全体の為に立ち上がると決めたときに、捨てたものだから。もう二度と、拾いあげられないものだから。

 

 無邪気さと無謀が彼の心を救ったことを知っている。何度も何度も読み返した手紙に書いてあった。

 自分ではない、ライオン丸の中の人。シンボリクリスエスに向けられた、誠心誠意を傾けて書かれたであろう文の中に、どうして救われたのかは書かれていた。

 

 そして、わかった。突発的な暴発が、自分が捨てたはずの本能が、人を救うことがあるのだと。

 

「嬉しいよ、とても。君の幸福は、私の幸福でもある」

 

「自分が立ち直ったことを他人から祝福されるのは幸せなことだ。それが親しいと感じていた人間ならば、なおさらな」

 

 おかえり。

 そして、ただいま。ただそれだけを、彼は言いに来たわけではない。

 

 無論その為ではあるだろうが、それだけではない。

 

「お前、出るんだろう。宝塚に」

 

「選ばれればの話だが……そうだ」

 

「ブルボンもそうだ。あいつと決めた前半戦のローテの終着駅が、宝塚記念になる」

 

 戦う。参謀くんと。

 共にではなく、相対する。

 

「そして君とブルボンの無敗伝説の終着駅も、そこになるわけか」

 

 思わず上がる口角。

 自分の上を行くかもしれない。そう認めた相手と干戈を交える。

 

 押し込めていたはずの本能が、彼女に闘走の悦楽を、歓喜の予感を感じさせていた。

 

「そうだ」

 

 ぴくりと、耳が立つ。

 負けを認めるような言説を向けられれば、たとえそれが軽口であろうが否定する。

 東条隼瀬は、今までの彼ならば決して行わなかった肯定を、シンボリルドルフに向けた。

 

「俺とブルボンの伝説が終わるならば、それはお前の手によってだろう。それがもっとも、相応しい」

 

 シンボリルドルフという、貴門の中の貴門。日本トゥインクルシリーズの血筋の結晶。

 ミホノブルボンというウマ娘の下剋上がおわるとすれば、その幕引きを行うにこれ以上の役者はいない。

 

 だがそれを蕭々と認めて負けを受け入れ、座して動かない人間であれば、シンボリルドルフはここまで惚れ込んでいない。

 無理を撥ね除け続けた精神性こそ、彼女のもっとも評価するところなのである。

 

「だが、逆も然りだと。君は、そう思っているだろう」

 

「ああ、そうだ」

 

 お前なら、俺のことはわかっているだろうと思っていた。

 そう言わんばかりの眼差し。

 

「そして壮麗なる皇帝の伝説を終わらせるに相応しいのは、なんでもない寒門の出のウマ娘であるべきだ」

 

 シンボリルドルフは、凱旋門で負けた。それは外的要因による負けであったが、負けは負け。

 それを一番認めているのは、負けた当人であるシンボリルドルフ自身だった。

 

 だが、伝説は続いている。明らかに調子がおかしかった彼女を指して負けたと言うのは、他ならぬ彼女自身のみである。

 

「勝てると言うのか。この私に」

 

「ああ」

 

 断言した。それは彼らしい、実に彼らしい端的な言葉。

 

「俺はお前のことを誰よりも知っている。誰よりも理解している。強さも、その偉大さも。だからこそ、言える。一度だけならば、確実に勝てる」

 

 その言葉に、闘走心が掻き立てられるのを感じた。抑えつけていた本能が、目を覚ます。そんな感覚。

 しかしそれらを抑えつけて、シンボリルドルフは僅かに笑った。

 

「私も、そうだ。君のことを知っている。理解している。その上で、言おう。私は君に負けることはない、と」

 

 鋼鉄の瞳が不敵な光を宿し、瞼に閉ざされる。

 

「ならば、見破り、打ち破ってみるといい」

 

 宝塚で。

 阪神レース場。芝、2200メートル。距離的にはミホノブルボン有利。経験から言えば、連覇した経験があるシンボリルドルフが有利。

 

 実力的には、シンボリルドルフ。

 しかし勢いがあるのは、ミホノブルボン。

 

 ミホノブルボンの『次』は、宝塚だ。

 誰もがそう思っていた。だからこその、大阪杯であろうと。

 

 だが、その予想は裏切られた。ひとりのウマ娘によって、である。




48人の兄貴たち、感想ありがとナス!

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