ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート 作:ルルマンド
「で、出走したいと」
ライスシャワーの懇願を受けて。
……いや、懇願とは言えないほどの強い眼差しを受けて、ミホノブルボンの心は揺れた。
春の天皇賞に出たい。走ってみたい。勝ちたい。春の盾を得たい。
メジロ家のように、天皇賞をとることが宿命付けられているわけではない。他の名門のように、非主流となりつつある距離に注力するのはちょっと……と、及び腰になっているわけではない。
寒門だからこそ、無邪気な憧れがある。
日本ダービーを制した者が世代1の名を得られるとするならば、春の天皇賞の制覇は最強の名を得ることを意味する。
「はい」
「春の天皇賞。ライスシャワーに誘われたのだな」
「はい」
「そうか。俺は反対だ」
ライスシャワーと走る。それ自体はいい。
ミホノブルボンの不調の原因は、闘走心の芽生えにある。それを齎したのはライスシャワーで、彼女と走ることによってより深く闘走心を感じることで折り合いをつけることができるかもしれない。
「宝塚でいいだろう。そこなら確実に勝てる」
「宝塚ではルドルフ会長とテイオーさんとのレースになります。まとめて3人を相手どるのは――――」
「まとめて?」
心の底から疑問を浮かべて、ああ、と頷く。
「まとめて、とはならない。宝塚ではルドルフに如何に勝つか。それが全てだ」
「テイオーさんもライスも、侮り難い敵だと思いますが」
「だがルドルフよりは下だ。あいつの上はいない。だからこそ、あいつは皇帝と呼ばれている」
心からの信頼を警戒に換えて、東条隼瀬は言い切った。
「トウカイテイオーもライスシャワーも素晴らしいウマ娘だ。優秀さも、侮りがたさも、強さも、弱さも。俺は知っている。だが、ルドルフが不動にして絶対のナンバーワンだ。だから宝塚でいくら難敵が増えようと問題にはならない。我々はルドルフに勝つことのみを考えればいいし、ルドルフに勝つということは即ち、レースを制することだ」
ミホノブルボンとしては、シンボリルドルフの強さを知っている。
だが、ライスシャワーとトウカイテイオーの強さを皮膚感で知っていた。それに比べてシンボリルドルフとは、相対した経験がない。
一方で東条隼瀬は、シンボリルドルフの強さを皮膚感で知っている。それが、両者の見解の相違に繋がっていた。
「ルドルフと五分でやり合うには、駆け引き抜きで逃げ切るしかないし、俺はそれができるやつをたった1人しか知らない。それも、彼女が理想的な成長曲線を描けばと言う仮定が付く」
「それほどですか」
「それほどだ。まあこれは、俺がルドルフのことを信じているからということもあるが、下方修正する必要はないと思う」
自分にルドルフ信者的な側面があることを、彼は自分自身で理解している。だが信者特有の絶対視をするに相応しい実力を持っていることを疑ったことは一度もない。
「先行、差し、追い込み。どんなに強くとも、この3脚質ではあいつには勝てない。あいつは3手先を読める。あいつより強く、あいつより頭がいい。そんなウマ娘は見たことがない」
そういうふうに力強く演説して、少し目を逸らして咳払いをする。
「話が逸れたが、宝塚でいい。そうではないか」
「……それは」
その通りだと思った。
長距離3200メートルは、ライスシャワーのホームである。自ら不利な場所に踏み込んで戦う必要は、全くない。
ライスシャワーが誘ったのも自分が有利だからではない。勝ち目が増えるからではない。
彼女にとって闘志を燃やす相手はやはりミホノブルボンなのだ。だからこそ、次に走るレースに誘った。それがたまたま、春天だった。それだけのことでしかない。
「マスターの仰ることは、正しいと思います。私の次の出走レースは宝塚記念。新年度がはじまったとき、私とマスターで決めた事です」
「そうだ」
「ライスの実力は、ルドルフ会長より劣る。ルドルフ会長に勝つことを、宝塚記念に勝つことを目指せば、自然と勝てる。それも、仰るとおりだと思います」
「当たり前だ」
「ですが私は、春天に出たいです。私は――――」
私は、なんなのか。何故、理屈の通ったマスターの言説に反抗しているのか。反論を企てているのか。それは、わからない。
わからないが、嫌なのだ。このままでは、宝塚記念でライスシャワーと相対するのは嫌なのだ。
「――――私は、片手間でライスと戦いたくはありません」
はじめての。
そう、はじめてのライバルだから。三冠に立ちはだかった、執念と闘志で喰らいついてきた好敵手だから。
自分にとっての、はじめて。個人を意識して走る。そういうことを、してこなかった。
それが間違っているとか、正しいとかではない。目標を、夢を、概念的な形があるようでないものを目指してきたミホノブルボンというウマ娘がはじめて意識した形あるもの。
「私は、ライスシャワーと戦いたい。戦うならば、全力を傾けたい。だからこそ、春の天皇賞に出たいです。マスター」
「事前に建てた計画をおしゃかにしても、か」
「はい。難しいでしょうか」
どいつもこいつも、似たようなことを。
栗毛。疵になって久しい、最強になれたはずのウマ娘が、ふと頭を過ぎった。
「なんとかしろというのだな」
「はい。なんとかしてください」
どいつもこいつも。
そんな言葉が、二度頭に浮かぶ。
かつて自分は、柔らかい笑みに込められた期待を、信頼を見事に裏切った。夢を叶えると約束したのに、完全に叶えさせることもできず、走ることすら奪いかけた。他でもない自分の無能さで。
死んでしまいたいと思った。彼女の夢を支えられなかった自分の無能さを嘆いて。
だが、こんな自分をまだ信じてくれるやつがいる。似たようなわがままを言って。
ミホノブルボンが、情動的な反応をして『何故』を考える。感情で動く。それは、確実な成長だ。
――――その言葉が聴きたかった。なんとかしよう。
そう言おうとした寸前で、ミホノブルボンは決意で満ちた青い瞳を滾らせて言った。
「マスターだけに、任せません。マスターだけに、なんとかしてくださいとは言いません。私がまず、なんとかできるよう努力します。なので、マスターの智慧を貸してください」
「……ああ。いくらでも貸してやる」
本気で拒否するつもりはなかった。
ミホノブルボンが自分の行動の不合理さを解析できなくても、出たいと言った以上春の天皇賞に出させてやるつもりだった。
大阪杯から春の天皇賞、春の天皇賞から宝塚というローテーションは、そうおかしいものではない。
余裕を持って作っていたローテーションからして、東条隼瀬は春の天皇賞に出たいと言い出してもなんとかなるようにしていたのである。
だがミホノブルボンに必要なこととはすなわち、自分の感情を自覚すること。
闘走心との折り合いが付けられないのは、自分の心の動きというものに鈍感だから。そこで自覚したことが、いつか大きな意味を持つ。
それが春の天皇賞で起きるとは限らない。負けてから得るかもしれないし、あるいは勝ってから得ることになるかもしれない。
だが、これからを――――ミホノブルボンが唯一絶対の強者になるには、必ず必要になってくる。
「ありがとうございます、マスター。そして、ご迷惑をおかけして申し訳ございません」
「いや」
そうではない。
たぶんこれが大阪杯の前だったら、このおバカなわんこっぽい少女に『私を信じてくださっていることを、嬉しく思います。ですからマスターは迷いなく、自分の判断を信じてください』などと言われなければ、彼は絶対にローテーションの変更を認めなかっただろう。
彼はローテーションを作るにあたって結構な余裕、機械的な言い方をすれば拡張性を持たせて作っていた。しかし拡張性があるのと拡張を許可するというのは別問題である。
事前に建てた計画を変更する。臨機応変に相対する。それはかつて彼がサイレンススズカにやったことで、そして失敗したことだった。
「俺に変更を認めさせたのは、他でもないお前だ。つまりお前が礼を言うべきは過去のお前にであって、俺ではない」
「それでも、です。マスターはいつも、私のわがままを聞いてくださいます」
三冠ウマ娘を目指したい。
今となってはおかしなことだが、彼女の抱いたそんな夢は荒唐無稽と謗られることが多かった。不可能であると。どうせならば天性のスピード――――一流のスプリンターになれるであろう脚を活かすべきである、と。
それなのに、ミホノブルボンは聞かなかった。ひたすらに、三冠ウマ娘になりたいと言い続けた。
その結果として夢を叶えたのだから美談になったと言えるが、失敗したら洒落では済まなかっただろう。単にウマ娘のわがままを正すことができず、才能をドブに捨てたということになっていたはずだ。
「ウマ娘のわがままを叶えてやれるのが、真のトレーナーというものだ」
俺はそうなりたい。
言葉にこそしなかったが、ミホノブルボンにはそれがわかった。
そして、挑戦すると決めてからはやることがある。つまり、勝つための算段をたてる、ということである。
春の天皇賞は日本のGⅠでは最長距離。3200メートルの芝コース。開催場所は京都レース場。要は、ちょっと距離が伸びた菊花賞みたいなものである。
しかし200メートルというのは実際走るウマ娘からすればちょっとでは済まない。特に、距離が長ければ長いほど逃げウマ娘は不利になる。
何故かと言えば、逃げウマ娘とは先頭を走ってこそのものだからである。先頭を走れば必然的に風の抵抗を受けることになり、距離が長ければ長いほどに受け続けなければならないからである。
だから、長距離での逃げは現実的ではない。少なくとも、有馬記念のように大外を爆走するみたいなことはできない。
(だがどのみち逃げ切る他に勝ち目はない)
出走登録をした後。ミホノブルボンのわがままを聴き入れて2週間後に発行された出走表を見て、しみじみ思う。
(……運がいいのやら悪いのやら)
1枠1番は、ミホノブルボン。
2枠3番にライスシャワー。
3枠5番にマチカネタンホイザ。
5枠9番にメジロパーマーがいて、8枠14番にメジロマックイーン。
春の天皇賞最有力候補のメジロマックイーンが一番不利な大外に置かれたのは素直に嬉しいし、何よりも1枠1番は嬉しい。これで勝率が12%上がった。
上がったが、2枠3番に嫌な名前がある。これであれば大外に置かれたほうがまだ良かったと思う程度には、最悪な配置。
ミホノブルボンがスタートダッシュ、ライスシャワーが斜めからスッとマークにつく。
たぶん自然な流れで、そうなる。メジロマックイーンとライスシャワーが逆だったらまだ、楽に勝てたのだが、そうはいかない。
ライスシャワーは、マーク型である。先行脚質ではあるが好位につくというより、台風の目になると見たウマ娘を差し切れる位置を常にキープしようとする。
だから――――例えばとんでもなく調子が悪いウマ娘をマークしてしまうと、諸共沈む。
それに対してメジロマックイーンはあくまで王道を行く好位追走型。豊富なスタミナを活かしてか仕掛けのタイミングが若干早く、中盤の終わりから終盤にかけて逃げウマ娘の如く突出することが多い。
要は両者ともロングスパートを得意とするが、仕掛けるタイミングが異なる。
この二人を両方とも相手取っていては、消耗が半端ではなくなる。相手だけタッグマッチを仕掛けてくる、というような状況になりかねない。
それはスタミナの問題ではなく、心理的消耗の問題である。いつだって追う者より、追われる者の方がキツいのだ。
追う者は相手を見て走るだけでいいが、追われる者は詰められている距離だとかゴールまでの距離だとか、そういうことをいちいち考えなければならない。
(……メジロパーマーだな)
軽くなった机横の引き出しを3回叩いて、引き出す。
そこには今や、日記帳しか入っていなかった。
次回、天皇賞春。
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