ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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出走表が欲しいみたいなことを言われたのでほんへ中に書いてみました。


サイドストーリー:勝ってきます

 ウマ娘の脚ほど、精密に扱うべきものもない。

 ガラスの脚。

 それは一度砕ければ、二度と元には戻らないというのもそうだが、時速70キロ近い速度で走るウマ娘であればこそ砕け散るような骨折が多いからこその、皮肉めいた比喩だった。

 

 

 ――――ただ、走る。

 

 

 それだけで、大金を稼ぐ。栄光を掴む。夢を叶える。夢を見せる。

 金というものに困ったことがない東条隼瀬からすれば大金というものは魅力的に映らないし、ふーんってな感じである。

 だがそれはともかく後ろ3つは魅力的に映る。栄光を掴み、己の夢を叶え、観客やあとに続くウマ娘たちに夢を見せる。

 

 無論誰もの脚が、大金を稼げるわけではない。栄光を掴めるわけではない。夢を叶えられるわけではない。夢を見せられるわけではない。

 

 だがミホノブルボンの細い脚には、それら全てがかかっていた。

 

 高価で美しい宝石を扱う研磨師のような手付きで脚に触れ、爪先にネイルを施す。

 走っている最中、爪が割れないように。アクシデントが起こらないように。

 

 ネイルアーティストもかくやという丁寧さで爪を補強し、乾かす。

 トレーナーという職業が如何に多才であることを求められるのか。その象徴のような一事を終えて、東条隼瀬は顔を上げた。

 

 祈りを捧げる神官のような、優美な所作。

 

 ――――ああ、この人はやっぱり貴門の出なんだ

 

 彼が以前担当していたと言っていい二人であればさらりと流しそうな何気ない所作。

 

「乾いたぞ」

 

「はい」

 

 洗練されている、というのか。トレーナー→執事→教官→トレーナーという複雑な将来像の変遷を辿った彼の動作には、シンボリルドルフと同じような香り立つような気品がある。

 

「一応細かく場合に分けて立てるには立てたが、作戦はあまりアテにするな。急造だし――――」

 

「長距離だから、ですか」

 

「そうだ」

 

 誤算というものは突発的に起こるものではなく、積み重なった結果起こるものである。

 東条隼瀬が「計画通り」と思っても、ミホノブルボンが「計画通り」と思っても、どこかで誰かが齟齬を起こす。

 その齟齬は、1ハロン200メートルごとに少しずつ、少しずつ積み重なっていく。

 

 その積み重なっていく齟齬が、誤算に至るまでにレースが終われば確実に勝てる。だが、今回のレースは最長距離GⅠ、天皇賞春。齟齬は絶対に積み重なるし、必ずや誤算にまで至る。

 

 そう。なにもライスシャワーがステイヤー――――長距離専門ウマ娘と呼ばれているのは、彼女自身の実力だけではない。

 長距離を走らせるトレーナーに必須のスキル、調整力。積み重なった齟齬を掃除する能力。臨機応変の才能。祝福の名を冠する少女の横には、その才能を持った人間がいる。

 

「長距離では、誤差が起こる。その誤差をなんとかするのがトレーナーだが、俺は一般的なトレーナーではない。基本戦略以外、無視しても構わない」

 

 だから予測できるだけ予測して、場面に分割して伝えた。予想すべきは全体の流れではなく、場面的な対処法。

 それは自分が立てた全体予想よりもミホノブルボンの判断を信じる、ということでもある。

 

「任せたぞ」

 

「はい、マスター」

 

「そして……」

 

 言い淀む。

 基本的にコミュニケーションを反射ではなく思考によって行う――――その場に合わせるというよりは自分の組み立てた会話に乗せていく形で行う彼にしては、珍しい言葉の濁し方。

 

 ミホノブルボンはそれをおかしいと感じつつも、指摘はしなかった。

 

「トレーナーとは、様々な仕事がある。だが本質的には勝負師だ。勝つことこそが本分だ」

 

 時には無理を押してでも、勝たせる。

 それが、トレーナーという仕事。全盛期の短いウマ娘たちに可能な限りの燃焼を。可能な限りの栄冠を。

 

「だが俺は今から、最低なことを言う」

 

 ちょっと顔を逸らしつつ、息を吐く。

 

 緊張しているらしい。らしくなく。

 常に冷静な彼には珍しい、そんなことが感じられる動作。

 

 跪くような体勢から立ち上がり、ミホノブルボンの手を取る。まるで懇願するように、東条隼瀬は言った。

 

「負けてもいい。無敗伝説が続こうが破れようが、そんなことはどうでもいい。無理して走り切らなくてもいい。無事に帰ってこい」

 

 パチパチと、ミホノブルボンの瞳が瞬いた。

 

 ――――勝ってこい

 

 今回も、同じような言葉が聴けると思っていた。疑っていなかった。

 

 どんな状況でも、たとえ不利でも。彼は勝ってこいと言い続けた。自分はそれに応え続けた。

 いや、違う。これまでずっと、不利だったのだ。今では中距離こそがミホノブルボンの本領発揮できる射程だと言われているが、彼女の本質はあくまでも短距離専門のスプリンターであり、そこから1ミリも変化していない。

 

 その不利が極限まで、つまり、行くところまで行ったから、こういうことを言っているのか。

 たぶん、そうではない。彼はおそらく、名前が気に食わないからそう言っている。

 

 天皇賞という、彼の心に深く刻まれたその名前が。

 

(スズ……サイレンススズカと会ったのは秋だった。そして、夢は秋に終わった)

 

 となると、春に会ったブルボンとの夢は春に終わるのでないか。

 全くもって根拠のないことだが、そんな妄想のような考えが浮かぶ。

 

 それを、ミホノブルボンは推し量ることはできない。彼女が推し量るには、あまりにも材料が足りない。

 ミホノブルボンは、過去を知らない。彼の過去を、サイレンススズカのことを知らない。

 

 知らなくていい。そう思っていた。いずれ話してくれるときが来るから、そのときに話してくれればいい、と。

 

 だから彼女は、東条隼瀬が何故ここまで思い悩んでいるかを知らない。だが理由はわからなくとも、思い悩んでいることは見てわかった。

 

「マスター。私はいつも通り、ちゃんと帰ってきます」

 

 そして。

 

「そしていつも通り、勝ってきます」

 

 驚いたように、鋼色の瞳が広がる。

 髪の色とマッチしているそれがいつも通りの大きさになると共に、ミホノブルボンの栗毛に大きな掌が乗った。

 

「――――ああ、勝ってこい。いつも通り」

 

「はい、マスター。いつも通り」

 

 僅かに笑い合って、二人は別れた。

 次に会うときも、笑い合って。このレースに、勝利して。

 

 ミホノブルボンは、パドックに向かった。

 通路を歩いているだけなのに身体を揺らす大歓声が、この一戦が特別なものであることを示していた。

 一部からコアな人気を博している新勝負服での2戦目。それだけではない。ミホノブルボンが、射程距離がもっとも短いスプリンターが、最長距離のGⅠ、天皇賞春に勝てるのか。

 

 いや、出れること自体が異常なのだ。

 そういう一般論が幅を利かせず、『勝てるのか』という議論に終始するあたりに、ミホノブルボンの積み上げてきた実績が表れていた。

 

「ライス」

 

 静かな。

 本当に静かに、影に溶け込むように。ライスシャワーは、佇んでいた。

 

「ブルボンさん。ありがとうございます。そして、ごめんなさい」

 

 挑戦に乗ってくれて。受け入れてくれて。

 将軍から、言われた。これは本来異常なことなのだと。いくら余裕を持たせているとはいえ、ローテーションを崩してまで挑戦に乗ってくれるなど有り得ないのだと。

 

 ――――そして、それほどまでにライバル視されている。特別視されている。それを踏まえて、挑まなくてはならないのだと。

 

 だからこその、ありがとうだった。ごめんなさいだった。

 

「本来、勝つのは貴方か、メジロマックイーンさんか、メジロパーマーさんか。或いはマチカネタンホイザさんか。この天皇賞春は、そういうレースでした」

 

 無機質な、サイボーグの名に相応しい眼。

 その奥にほのかに灯る闘志の焔を見て、ライスシャワーは察した。

 

 氷の理性と燃えるような闘志との間に、折り合いがついている。ミホノブルボンを掛からせることはできないのだと。

 

「ですが、私が出る以上、勝つのは私です。貴方は自らを不利にした。ですから、礼を言う必要はありません」

 

 ――――気にするな。ローテーションを崩したことも、3200メートルが得意だということも、京都レース場が得意だということも。こうして自分の得意なレースに引きずり込んで決戦するという形になったことも。

 

 ミホノブルボンは、暗にそう言っていた。

 気に病むことなどないのだと。礼を言うならば、謝罪するならば、余計なことなど考えずに全力を出すことのみを考えてくれ、と。

 

「勝つのは……ライスだよ」

 

「それでこそです」

 

 新年に入って腑抜けた――――その腑抜けの原因が誰の影響か、という話だが――――ライスシャワーではない、力強い断言。

 それを肯定し、光指す場所に立つ。暗い、ターフまでの通路の終わり。

 

「……ブルボンさんから出る?」

 

「いえ、ライスから」

 

 観客の歓声を先に受けるのは、どちらか。

 

 ライスシャワーは不利を承知で出てきた王者こそ――――ミホノブルボンこそ相応しいと思った。

 ミホノブルボンは闘志を漲らせて戦う挑戦者こそ――――ライスシャワーこそ相応しいと思った。

 

 どちらも、他者の心理を洞察することに長けている。ライスシャワーは先天的に、ミホノブルボンは無表情・無感情の男と関わるにつれて後天的に。

 

「では同時に、というのは」

 

「うん」

 

 ゴールまでは、同時とは行かない。

 ならば、最初の一歩くらいは。

 

 共通の認識のもと、二人は一歩を踏み出した。

 このレースが終わる頃には、どちらかが先に一歩を印す。どちらかが遅れて、一歩を印す。

 

(次は)

 

(次は)

 

 私が。

 ライスが。

 

 静かな闘志を胸に秘め、慣れた感じに、或いはにこやかに観客に手を振る。

 そしてパドックでのアピールを終えて、ミホノブルボンはゲートに入った。

 

 1枠1番。これほど、最も早くゲートに入るに相応しい枠番もない。

 

 1枠1番ミホノブルボン

 2枠2番トーワツカサ

 2枠3番ライスシャワー

 3枠4番ムッシュシュガー

 3枠5番マチカネタンホイザ

 4枠6番タケノビロード

 4枠7番ゴールデンアンク

 5枠8番シャコーハイパー

 5枠9番メジロパーマー

 6枠10番レットイットゴー

 6枠11番アイルトンシンボリ

 7枠12番ザムシード

 7枠13番イクノディクタス

 8枠14番メジロマックイーン

 8枠15番キョウワウィナー

 

 有力なウマ娘があちこちに散らばった形になる枠番。バ群に紛れることが少なくなったとはいえ、メジロマックイーンが最も不利な位置にいる。

 京都芝3200メートルをスプリンターが走るという絶対的な不利に目を瞑れば、この場合最も有利なのはミホノブルボンだった。

 

《メジロマックイーンに続いてキョウワウィナー、ゲートに入りました。最長距離GⅠ、天皇賞・春。最強の名を手にするのはどのウマ娘か!》

 

 メジロマックイーンの3連覇か。

 ミホノブルボンの、シンボリルドルフに続いての無敗での天皇賞制覇か。

 

《誰もが求める一帖の盾を求めて――――今、スタートしました!》

 

 0から1へ。

 電撃のような反応で、ミホノブルボンは飛び出した。




29人の兄貴たち、感想ありがとナス!

妖魔夜行@兄貴、銀鯖兄貴、さろmon兄貴、マッさん兄貴、ムーヒロ兄貴、量産型通行人AB兄貴、評価ありがとナス!

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