ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:布石

 2度あることは3度あって然るべきだ。

 禍福は糾える縄の如し、という。禍が3度あったならば、福も3度あるべきだ。3度なければならないのだ。

 

 シンボリルドルフは愛弟子の3度目の骨折の知らせを聴いて、そう思った。

 彼女が皇帝であることを自らに課している。だからミホノブルボンとの決戦が迫っても、生活の軸を変えなかった。

 

 生徒会の業務を適切に処理し、請われれば――――いつもの如く請われなかったが――――後輩にアドバイスをする。

 そして彼女は、トウカイテイオーの見舞いの手紙を書いた。少なくとも彼女の心が落ち着くまでは、顔を出すべきではないと思ったから。

 

 春の天皇賞から宝塚記念までの期間、珍しく。本当に珍しく、ナリタブライアンは真面目に仕事をしていた。今までサボることの方が多かったのに、である。

 どこかでその気まぐれが途切れると思ったが、意外や意外。その『気まぐれ』は、宝塚記念1日前の今日まで続いている。

 

「らしくないな、ブライアン」

 

「そういうアンタはいつも通りだな。今くらい、休んでもいいだろ」

 

 夢と現実の両立。生徒会長としての業務と、競技者兼偶像としての仕事。

 その夢に無垢な賛成票を投じているエアグルーヴが言えないことを、ナリタブライアンは言える。

 

「脇目を振って、勝てる相手じゃない。それはアンタが一番よくわかってるはずだ」

 

「評価しているんだな、ブライアン」

 

「…………まあな」

 

 食生活の改善だの、体質改善だの、出力と頑健さの均衡だの。

 リギルでサブトレをやっていた参謀に様々世話を焼かれた結果、『お前が独立したら、自分のトレーナーにならないか』と。

 暗にそういう誘いをして『姉の方がいい』と言われてからというもの、ナリタブライアンはひそやかにムキになっている。そういうところはあるが、それでも現実としての参謀はしっかり見ていた。

 

「アンタに勝てるやつがいるとは思わない。だが、あいつが負けるとも思えない」

 

「勝算の無い戦いはしないからな、彼は」

 

「そうだ。ついでに言えば1割の勝機があれば挑むような博徒だとはいえ、その1割を最初に引く。そういうやつだ」

 

「ふふ」

 

 笑う。淑やかな声だが、雰囲気が淑やかさとは対極にある。

 

「評価されたものだな、トレーナーくんは」

 

「隣に立っていたアンタでは見えないものが、他人には見える。そういうもんだろ」

 

「……ああ、過大評価として笑って流した、というわけではないよ。単純に、嬉しかった。それだけのことだ」

 

「嬉しい……?」

 

 それはいつもの惚気か。

 軽口を叩こうとした口が止まり、背筋が凍った。

 

「彼が望むのは、いつもの皇帝だ。だからこそ、私はいつもの姿勢を崩さない。安定感こそが、この私の最大にして最高の強みなのだから」

 

 テスト終了5分前になって必死こいて答案を埋めていく受験生のような、あるいは定期試験1週間前までぐうたら過ごし、1日前になって徹夜で頭に知識を詰め込む。

 そのような姿勢は、シンボリルドルフには似合わない。

 

「飲み慣れない水をいきなり飲むと腹を壊すという。私がいつもと変わらないペースを保つのは、最善を尽くすことを怠っているからではない。いつもと変えないことでこそ、最善を尽くせるものだから」

 

 ルドルフは、笑う。だがそれはどこまでも好戦的な、獲物を前にした微笑み。

 

 ――――お前はどーにも勇に偏るな

 

 とある年の、夏の1コマ。

 骨を鍛えるためと称してリフティングをしているナリタブライアンを見守りながら、東条隼瀬はそう言った。

 

 ――――そういうアンタは智に偏ってるだろうが

 

 ――――俺はその智を投げ捨てられる。君はどうだ?

 

 それは無理だと、そう思った。

 

 勇。つまりそれは、攻めっけが強いとか、才能やスペックに頼るとか、暴力的な力で敵をねじ伏せるとか、そういうこと。要は、頭を使った走りを好まない、ということ。

 切羽詰まって、知略戦を挑めるか。それはたぶん、無理だ。

 

 ――――ルドルフは均衡が取れている。本質的にはどちらなのか、そこまではわからないが

 

 ――――本質的には智だろ、あいつは。あの強さは、天性の理性の賜物だ

 

 ――――俺もそう思わんでもない。が、あそこまで見事に荒々しい勝負根性を、後天的に得られるものかな。どうにも、あの理性は後付けなんじゃないか?

 

 ――――得られてるから今年までで宝塚記念2連覇含む9冠を得てるんだろ

 

 それはそうだ。

 あの男はそう言って、疑問を振り払うように頷いた。

 

(アンタの言ってることは正しかった)

 

 シンボリルドルフの本質は、暴力的な才能にこそある。それを本質かと見まごうばかりの鋼鉄の理性で縛り上げ、統御している。

 

(……このことを知ってたら、あいつが勝つ。正しい情報を得て、正しい推測を立てられたときのあいつは負けない)

 

 だが、知らなかったら。

 それは、蟻の一穴になる。

 

(古代のやつも偉そうに、『天下の難事は必ず易きよりなり。千丈の堤も螻蟻の穴を以て潰ゆ』と言っていたじゃないか)

 

 ナリタブライアンは、どっちに勝ってほしいのかわからなかった。

 自分の行いを省みると、珍しく生徒会の仕事に精を出している。

 つまり見るにシンボリルドルフに勝ってほしいのだろう。

 だが、今彼女の本質を見て懸念を抱いた。となると、あいつに勝ってほしいのか。

 

 ――――私はあいつらの対決を、万の一の綻びもない堂々とした対決を見たいらしい

 

 自分が心から敬愛する、世界を見渡しても数少ない者たちによる直接対決。その対決が、運や天、環境などに左右されてほしくないのだ、と。

 だからこそ、自分はその環境を整備すべくらしくないことをしているのだ、と。

 

 そのことに気づくまで、ナリタブライアンはしばらくかかった。

 

 

 そして、17時。仕事を終え、シンボリルドルフはターフに歩いていく。

 レースの前日にやることは、そう多くはない。前日こそ熱心に詰め込むべき(と、彼女は思っている)勉強とは違い、レースの前日は試運転くらいな勢いでいい。

 

 シンボリルドルフもそうである。彼女は自分の脚が奏でる直前の調子に耳を傾け、風呂に入って身体を休める。

 

(明日か)

 

 手持無沙汰とばかりに脚をバタバタと上下に揺らして、ナリタブライアンは両手を左右に伸ばして大の字になって寝転ぶ。

 

 ――――戦うのか。あの二人が

 

(柄にもない)

 

 他人のレースで緊張するなど。

 止まっていた息を吐いて緊張を解きほぐし、テープを外して風呂に入り、寝る。

 

 

 決戦前夜。

 

 

 この日、柄にもなく、緊張する資格もないのに緊張するウマ娘は、多かった。

 そして起きてなお、緊張するウマ娘も多かった。それくらい、この一戦は注目を集めていた。

 

 そして、誰がどれだけ緊張しようとも日は昇る。

 

(今日……)

 

 緊張する資格を得ていたはずのウマ娘は、そして今やレースの行われる明日に向けて緊張する資格を失ったウマ娘は、折れてギプスに包まれた脚に触れた。

 

(今日、走るはずだったんだ)

 

 朝起きて、朝ごはんを食べる。鉄のフライパンにベーコンを敷いて、上に卵を落とす。それをぱふんと畳んで黄身を閉じ込め、パンに挟んで頬張る。

 食べることは大切だが、レースの前で過剰の摂取は禁物。だからそれくらいに留めて、レースの後――――勝った後に好きなだけ食べるのだ。

 

 宝塚記念で、勝ったあと。シンボリルドルフとミホノブルボンに――――カイチョーとブルボンに勝ったあと。はちみーを舐めて、ケーキを頬張って、そのあとはスピカのみんなでご馳走を食べて。

 

 そううまくはいかないかもしれないと、覚悟は決めていた。だがそれは、負ける覚悟だった。

 シンボリルドルフと、ミホノブルボン。日本トゥインクルシリーズの歴史に残る二人と戦う以上、勝つ覚悟と同じ質、同じ量の負ける覚悟が必要になる。

 

 覚悟を決めた。レースに備えた。それなのに、そもそも走れないとは、思わなかった。

 

「は、ははは、はは……!」

 

 乾いた、乾き切った笑い声。

 朝にふさわしい乾いた快活さと、朝にふさわしくない乾き切った絶望。

 

「なんで……」

 

 菊花賞もそうだった。積み上げて、積み上げて、最後になって勝負の場に立つことすら許されずに崩される。

 レースどころか、トレーニングにすら耐えきれなくなった脚を硬く覆うギプスに爪を立てて、静かに泣いた。

 

 泣いて、泣いて、泣いて。

 それでも逃げずに、テレビを点ける。

 

「逃げない。逃げてやるもんか」

 

 テレビの中には、阪神レース場が溢れるのではないかと思うほどの大観衆。余剰利益で頑張ってウイング席を作っていたが、それでもなお足りない。

 詰めかけ、立ち見でもいいからとやってきた観客たちに対して入場規制がかけられた程の大盛況が映し出されていた。

 

 もうすぐ、レースがはじまる。

 トウカイテイオーがいない、レースが。

 トウカイテイオーが走るはずだった、レースが。

 

 シンボリルドルフ対、ミホノブルボン。これから実現するのかどうかも怪しい、無敗の三冠同士の争い。互いに国内での黒星は無し。両者の頭上に掲げられた冠は20を越える。

 

 主な勝ちレースで表示されたものがGⅠで埋め尽くされスクロールする。

 普通は戦績にスクロールが必要になるほど、重賞を勝てない。それも、両者ともほとんどがGⅠ。ミホノブルボンは京都新聞杯以来、シンボリルドルフはサウジアラビアロイヤルカップ以来、低ランクの重賞に見向きもしていない。

 

 歴史に冠絶したウマ娘同士の戦いが、自分抜きではじまる。

 ギプスを握る手の力が強まるのを感じながら、トウカイテイオーは食い入るように画面を見た。

 

 実際感じられないなら、出走できないなら。その代わりになんとしてでも埋め合わせをする。それがリアルタイムで観戦するということ。二人の走りから目を離さないということ。

 

《時代に冠絶した両者! 時代を組み伏せ、従え、征服した両者が覇を競う宝塚記念!》

 

 一方は日本トゥインクルシリーズ界切っての選良。

 一方は本当にどこにでもいるような雑草。

 

《歴史に残るであろうレースが今――――スタートしました!》

 

 ガタン、と。喧騒に紛れて、重い音が鳴る。ゲートが開き、走り出す。本来は自分がいるはずだった枠番を見つめてしまう自分の未練を首を振って、トウカイテイオーは現実を見た。

 

 先頭に立ったのは、ミホノブルボン。珍しく、彼女はマークされていない。先頭集団をも突き離して、前へ前へと駆けていく。

 

 ――――相変わらず、速い

 

 トウカイテイオーは、そう素直に思った。

 だがなんの波乱もなくレースを20秒程見て、ちらりと画面全体に目をやる。

 

「……え?」

 

 疑問符が浮かぶ。そして彼女は骨折してから初めて、笑った。

 浮かんだ疑問を発声したときには既に、わかっていた。ミホノブルボンが何をするつもりなのか。

 

 この電撃的な理解力こそが、彼女が天才たる所以。

 

「布石だったんだ。全部……」

 

 その呟きは、テレビから流れる喧騒に消えていく。

 レースを走る全員。あるいは直接見ている全員。誰もが、ミホノブルボンの思惑に気づいていなかった。




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