ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:虚空に轟く

 嵐のようなプレッシャーに弾かれることなく、ミホノブルボンは完璧を更に極めたスタートを切った。

 誰よりも速くゲートを出て、誰よりも速くゴール板を駆け抜ける。逃げウマ娘の考えることは、これだけでいいとよく言われる。

 

 だが、そうではない。逃げウマ娘の真髄は、主導権を握ることにある。

 少なくとも序盤は、逃げウマ娘を基準にしてレースは展開されるのだ。

 

 それが強大な存在であればあるほど、後を追うウマ娘たちはその逃げウマ娘を追い抜くことを最終目的までのマイルストーンにして走る。

 正確無比なラップタイムを刻み続けるミホノブルボンはスタートに成功した瞬間、レースを間接的に支配する基準値になれる。

 

 シンボリルドルフは、そうやすやすとそうなることを許さない。

 平常を保つことを許さない威圧感と、左右に振れて迫り来るような揺らぐ歩法。

 

 弾かれたように、シンボリルドルフの両横のウマ娘が強制的に逃げ体勢に入った。

 

 ――――逃げなければ

 

 ――――この怪物から、距離を取らなくては

 

 抜群のスタートを切ったミホノブルボンを視界に入れず、二人のウマ娘は駆けていく。

 

(よし、完成)

 

 領域を構築するための導火線。連鎖のラインは整った。

 後は事がどう推移しようと、先頭集団の2番手につくことを心がけていればいい。そうすれば半分を越えたあたりでマーク対象と掛かって疲れた二人を抜き去り、領域を構築。

 加速し、ミホノブルボンを抜き去って勝つ。

 

 彼女の領域は神聖不可侵、無敵にして絶対の雷撃の帝城。発動している領域を雷神の鎚で打ち砕く無敵の領域。発動した時点で、勝利は決まる。

 

 故に開始4秒で、シンボリルドルフは一気に盤面を進めた。

 所謂、チェック。メジロパーマーやダイタクヘリオスに通用した頭を塞ぐという戦法が通じるなんて思っていない。そもそもあれは初見殺しであって、メジロパーマーあたりなら2度目で対応できる。

 だから、即座に頭を塞いでチェックメイト、とはならない。だが、どうにもならない状況は作れる。

 

(さぁ、どうする)

 

 『このまま』を維持できれば、私の勝ちだぞ。

 

 ミホノブルボン目掛けて駆けていく二人。差しウマ娘のふたり。

 掛かった――――スタミナの損耗を度外視した速度相手では流石に分が悪いのか、ミホノブルボンの影が踏まれる。

 

 どっちでもいい。掛からせた二人が抜こうが、抜くまいが。

 どちらを選んでも勝てるという、理不尽な二択を突きつけることが大事なのだ。そのことを彼女は、他でもない東条隼瀬から学んだ。

 

 ――――参謀くん。これは貴方が教えてくれたことだ

 

 シンボリルドルフは古い呼び名で彼を親しげに呼んで、そう思った。

 

 ――――如何にもそれは、俺が教えてやったことだ

 

 東条隼瀬は、いかにもな顔をしながらそう思った。

 

 ――――だから、予想がつく。なにをやってくるか

 

 というか、レースでは事前予測くらいしか役に立たない男が序盤で読み違えていたら存在価値というものがない。終盤はまあ、仕方ないとして流せもするが。

 

 ミホノブルボンがやったことは、シンプルだった。

 加速も減速もしない。ただ外に目をやり、掛かり切ったウマ娘と目を合わせた。それだけ。

 

 ミホノブルボンは、安定感の代名詞である。それはトゥインクルシリーズに登録されてから1着しかとっていないから、ではない。

 人は1着しかとらないウマ娘の代名詞には『化け物』を使う。あるいは『シンボリルドルフ』。

 

 では何故安定感の代名詞であるかと言えば、そのラップ走法にこそ秘密がある。

 ミホノブルボンのレースを見る。見ると、ラップタイムはほとんど均一な値を刻んでいる。

 菊花賞後はシニアへの適応のためか一時ラップ走法を捨てて新しい衣を身に纏ったが、その後ある程度は通用すると見るやすぐに古い衣をその上から着た。

 

 そのことによって、彼女は幻惑する術を手にした。ラップ走法か、逃げ差しか。その偽装はたいてい天才と呼ばれるウマ娘たちから一瞬で看破されたものの、わかりやすすぎるほどにわかりやすいミホノブルボンの戦法が、多少なりともカモフラージュされたことは確かである。

 

 確かであるが、その印象は強烈だった。サイボーグだのガンダムだの言われる程度には、ミホノブルボン=正確無比なラップを刻んで走るウマ娘、というイメージは定着している。

 

 そんなウマ娘が、加速もしない。それどころかしれーっと冷めた目で――――彼女はデフォルトでこんな目である――――見てくる。

 

 

 やばい。

 

 

 掛かった2人は、冷水をぶっかけられたように正気に戻った。少なくとも彼女たち自身はそう思った。

 実のところそれは、プラス方面に突っ走る掛かりからマイナス方面に突っ走る掛かりへ変容しただけに過ぎない。

 

 自分の圧倒的な速度を利用し、抜き去りに来るウマ娘たちを牽制する。

 それは東条隼瀬とサイレンススズカが組んでいたときの最大の仮想敵、サニーブライアンが得意とする戦法だった。

 

 ――――恐るべきは、サニーブライアン。逃げウマ娘を逃げさせない達人

 

 東条隼瀬は相対したこともないサニーブライアンをそう高く評価していたし、自分が成長させた――――と思うほどに、彼は当時自信家だった――――サイレンススズカの前に立ちはだかるならばあいつだろうと確信していた。

 結局サニーブライアンは故障から復帰できずに引退した。そして本来継承すべきサイレンススズカは変な方向に進化し、ごちゃごちゃ技術を使うよりラッシュで押し切る生粋のパワー系の方向に行ってしまった。

 

 だがその研究は無駄になっていない。

 

 セイウンスカイ以外に後継者がいないと断言できる程に断絶傾向にあったサニーブライアンの戦法は、息づいている。

 

 ミホノブルボンという、ウマ娘によって。

 

 ずるずると、落ちていく2人。落ち着きを取り戻したかに見えて、そうではない。落ち着きすぎるほどに落ち着いてしまい、勝負勘が眠ってしまった。

 

(流石、やるな)

 

 その動作は、ミホノブルボン本来のものではない。増設されたプログラム。おそらく、サニーブライアンあたりの戦法か。

 そこまで読み切って、シンボリルドルフは次の策に打って出た。それは相手の視界を挑発するように掠めて抜き去り、挑発するというものである。

 

 闘争心を刺激されてシンボリルドルフを追い始めた瞬間、加速する。そしてムキになって抜き去りに来た瞬間、更に加速。

 

 ウマ娘は、抜く相手を常に見ているわけではない。見ながら抜くことはすなわち、進行方向から目を切るということである。かなりの速度で動くウマ娘は、本能的に進行方向から目を切ることを嫌う。

 それは本能というべきものだった。進行方向から目を逸らして、転ぶ。ぶつかって怪我をする。その恐怖が、本能と幼い頃の教育によって刷り込まれている。

 

 故に、どうやって抜き去るのか。それは抜き去り態勢に入る前の速度を頭に入れ、ある程度移動先を予測してから動く。

 シンボリルドルフは、それを予想していた。だからこそある程度加速した上で、挑発に乗り抜き去ろうとしたウマ娘の予測を超える速度を出してわざと並ぶ。

 

 ――――遊ばれている!

 

 並んでしまったウマ娘は、シンボリルドルフが醸し出す威圧感に怯み、その怯みを怒りへのバネにして憤怒した。

 自分を使って遊んできたシンボリルドルフに怒り、シンボリルドルフに怯んだ自分に怒る。

 

 その憤怒は即ち、速度につながった。

 それを見たシンボリルドルフは少しだけ、これみよがしに加速してみせたのである。

 

 その加速を見て弄ばれた手品のタネを看破したのか、勝ったとばかりに笑って更に速度を上げて抜き去りにかかるウマ娘。

 彼女を横目でチラリと見て、シンボリルドルフは『あとは勝手にやってくれ』とばかりにすーっと逆噴射してバ群に飲まれていく。

 

 意図的で芸術的な、そしてバ群の好位置にすっぽり収まるように仕組まれた逆噴射。視野の広さ、俯瞰風景。それが、シンボリルドルフにこの芸術的な移動を可能にさせた。

 

 後続集団をもその加速に巻き込み、万が一にも後ろから背中を差されないように消耗を誘う。

 そして自ら『ルナ間違えちゃった』とばかりに減速し、徹底的に振り回す。振り回すだけ振り回して、消耗を強いる。

 

 遊ばれた。そう確信していたウマ娘は、内心舌打ちして臍を噬んだ。

 無理に加速した結果、ミホノブルボンに近づき過ぎた。そうなればこのまま追い抜いてハナを奪って逃げ切るか、ここまでの消耗の対価として得たリードを徐々に切り崩して元の鞘に戻るか。

 

 考え込む彼女は、ギョッとした。ミホノブルボンが減速でもしたかのように、近くに居る。抜こうと思えば抜きされるほど近くに。

 

 これが数秒後のことであれば、彼女は迷いなく抜き去っていただろう。

 だがシンボリルドルフに挑発された挙げ句振り回され、そしてこのざまになっているという自覚が彼女の決断を鈍らせた。

 

(抜くか。だが……)

 

 そう逡巡している間も、好機は不気味に彼女の前で動かない。相変わらず抜こうと思えば抜きされるほど近くに、ミホノブルボンはいる。

 

(……いや、これ以上ペースを乱されては)

 

 そうして、彼女は後退を決断した。決断した瞬間に、ラップタイムの埋め合わせでもするようにミホノブルボンがやや加速して去っていく。

 

 これらに代表されるような大小無数の駆け引きが、前半4ハロン、800メートルまで続いた。

 シンボリルドルフと、東条隼瀬。同じ視座に立ち、互角の力量を有する二人の作戦立案能力は当然ながら全くの互角であった。

 

 シンボリルドルフが立てた作戦を事前に予想し、ミホノブルボンに伝える。伝えられた通り、ミホノブルボンが動く。

 大きく分けて7度目の激突の末でも、ふたりの状況は変わらない。ミホノブルボンは逃げ、シンボリルドルフは好位に付けてとどまる。

 

 観客にはわからない駆け引きの末、彼女らを包む状況は刻一刻と疲労の色を濃くしていたが、読み合い自体に変化はない。

 互いが互いの動きを見事に洞察して捌き切る。その繰り返しであり、状況は表面上変化を見せなかった。

 

 シンボリルドルフを囲むように配置されてしまったウマ娘たちは網にされたりミサイルにされたりと忙しい。だが徐々に徐々に、武器を鈍らされていく。身体のキレを落とされていく。

 

 シンボリルドルフは、遊んでいるようにみえた。自分と一緒に遊んでくれる相手を見つけた童女のように天真爛漫に遊んでいるように見えた。

 だがそうではなかった。彼女にとって、膠着こそが望みなのである。繰り返しになるが、彼女は前半4秒で勝つための盤面を整えてある。

 その整えた盤面をひっくり返されないために彼女は積極的に動き、対局相手の頭とミホノブルボンの頭を現状への対処へと向かわせる。

 

 細々と動き続け、最終局面までひたすらに膠着状態を維持し続ける。相手に、回天の機を与えない。それこそがシンボリルドルフの勝機である。

 

 ――――あと400メートル

 

 半分を越したら、3人抜く。そうすれば領域を構築するための条件が満たされる。

 そしてミホノブルボンを抜いて勝つ。

 

(このまま息をつかせないことだ。対処に奔走させることだ)

 

 東条隼瀬に頭を使われると負けかねない。

 だからひたすら奔走させる。その隙を与えない。

 

(これが理不尽な二択というやつだよ、参謀くん)

 

 前と同じことを、彼女は思った。

 奔走しなければ罠にハマる。奔走すればこの自分に有利な状況を崩せない。

 

(勝てる)

 

 勝てる。

 その後に、こんな言葉が続いた。

 

 ――――こんな簡単に?

 

 ――――私の杖に。最愛のひとに。こんなかんたんに勝てるのか

 

 有能だから愛しているのではない。

 見た目がいいから愛しているのではない。

 そのわかりにくいが繊細で優しい心根を、万難を排して無理を貫く信念を、理想に共鳴し献身してくれる精神を愛している。

 だからここであっさり勝っても、シンボリルドルフの愛は揺らがない。多少自分が彼のことを過大評価していた。時の運が自分に向いた。それだけのこと。

 

 だが、そうではない。

 

(私は勝てると思っている。その予測が正しければつまり彼は今、負けると思っているはずだ)

 

 その負けを粛々と受け入れるのか。そんなに諦めのいい人だったか。

 そもそも、おかしい。ただ単に受けに回っていることが。彼の戦法は主導権を握ることに重きをおいていたはずではないか。それがシンボリルドルフという小娘に主導権を握られっぱなしでいるのはおかしい。

 

 膠着こそが勝ち筋。シンボリルドルフはそう思っていたし、それは正しいと考えていた。だがそれこそが陥穽だとすれば、どうなる。

 

(私が何か、見落としている)

 

 自分の判断力よりも、シンボリルドルフは心からの信頼を預ける、刎頚の仲の男のことを信じていた。

 

 考える。考えて、考えて、背筋に戦慄が奔った。

 

(そういうことか)

 

 固めたはずの、踏みしめていたはずの大地が崩れるような感覚。

 自分にとって有利であったはずの膠着が反転して、色を変える。自分にとって有利な色から、自分にとって不利な色へ。

 

 彼女は正直、気分が高揚している。

 だからこそ、本来の攻めっけの強さが出てきていた。

 4秒で勝利への道筋を描き、駆け引きを仕掛け続けて膠着させ、勝つ。主導権を握り続けて相手を振り回す。

 

 その作戦の前提を、彼女はミホノブルボンに置いていた。ミホノブルボンの安定感。彼女の正確無比なラップ走法。

 逃げ差しという冷却期間を経て一層その正確性を増したそれを、評価していた。信じていた。

 

 彼女は、自らが戦局を用意したと思っていた。膠着させればさせるほど、有利になるであろう戦局を用意したと思っている。

 

 その戦局で、彼女は度々理不尽な二択を突きつけた。

 それを彼は事前に予測し、ミホノブルボンはそれに従って回避し続けてきている。

 

 おそらくミホノブルボンは答案用紙を与えられていたのだろうが、その答案を使うべき状況を適切に洞察して正答となる動きを取っているミホノブルボンの実力は、やはり極めて高いと言わざるを得ない。

 

 シンボリルドルフの仕掛ける駆け引きは、一つ間違えれば即座に総崩れになるほどに切れ味の鋭いものである。

 普通のトレーナーなら、ウマ娘なら、対応し切るだけでも素晴らしいと両手を上げて褒めるに足る。

 

 だが、相手は東条隼瀬である。対処のついでにクロスカウンターじみた逆撃を仕掛けてきても何らおかしくない。逆に、そうでなければおかしい。少なくともシンボリルドルフはそう思う。

 

 実のところ当人は、事前準備の段階で『これは隙がないな』とか思っている。

 

 逆撃を喰らわせる隙もない。利用できる切っ掛けもない。だから防衛に専念しよう。

 東条隼瀬は内心シンボリルドルフの怒濤の攻勢に舌を巻いていた。彼は実のところ洞穴に籠もる熊のように引っ込んでいるだけだった。

 

 

 要は、過大評価である。

 

 

 だが膠着こそが彼の望むことだというのはその通りだった。

 

 ――――ああ、これは無理だ

 

 現場レベルでは勝てない。裏をかけない。戦術レベルで太刀打ちできない。

 東条隼瀬は端から自分の能力の低さを自覚していたし、シンボリルドルフの能力の高さを認めていた。だからさらっと、切り捨てた。

 

 駆け引きに勝ち切るのは無理だ。一手先、ルドルフの仕掛けてくることは予測できるが、三手先――――ルドルフに逆撃を食らわしたその後を予測できない。

 だが、仕掛けられる駆け引きをいなすことだけならなんとかなる。あらゆる仕掛け方を洞察して、事前のその全てに回答を付けておけばいい。

 

 一問一答なら、なんとかなる。それ以上は無理。

 

 そんな潔すぎる割り切りこそ、彼の非凡さだった。要は、彼は現場レベルの智を捨てたのである。

 現にこのレースがはじまって以来続いている駆け引きに綿々と続くものはなく、単発が連続して放たれているだけに過ぎない。

 

 性質が智に傾くものならば、自分の智慧に自信があるものならば、一問一答に際して答えを出すのではなく、裏の裏をかこうとする。

 

 それを、彼はしなかった。ある程度、自分の才能を冷めた眼で観ていた。

 まあ、こんなもんだろうと。ルドルフには勝てないと。それは別に恥じることでもないと。

 

 ――――どう足掻いても、できないものはできない。ルドルフには勝てない。ただ、できないでは済ませられない。なら、別の角度から切り込めばいい

 

 

 だから東条隼瀬は、事前に勝つことにした。

 

 

 裏をかけないから、一問一答を続けることで勝てるような盤面を整えた。

 そしてその上に、シンボリルドルフは自分の理想の盤面を描いた。

 

 つまり、どういうことか。

 ミホノブルボンは、端から本気で走っていなかった。高速でのラップ走法を行ってきた過去の実績と大阪杯での圧倒的な走りを土台にして、彼女は自分以外の全員をだまくらかしたのだ。

 

 シンボリルドルフを騙し切ることはできない。

 東条隼瀬はそのことを知っていた。だが、彼女を取り巻く環境そのものを騙せば、擬似的に彼女を騙し切れる。

 

 彼女の出力は、現在57.3%。いつもより大体3割減。

 最初の1100メートルは流す。頑張って騙す。ミホノブルボンはいつも通り圧巻の速度で走ってるよーと思わせる。そのための牽制であり、そのための実績。

 

 ミホノブルボンはラップ走法の使い手だと、阪神レース場の芝2000メートルのレコードを叩き出せるスピードを持つと、天皇賞春を3分11秒で走り切れるほどの化け物じみたスタミナを持つと。

 彼女が阪神レース場2000メートルで見せた走りは、隙のあるものだった。無敵に近い速度で走りながら、直前で失速する。それもわざとらしさのない、完璧なスタミナ切れ。

 

 故にルドルフ以外のウマ娘は、スタミナ切れした残り200メートルで差し切ることに主眼を置いた。というか、置かざるを得なかった。なにせ、それ以外勝ち筋がないのだから。

 

 そしてミホノブルボンは残り1100メートルを、全力で走る。

 前半をスタミナ温存に費やしたミホノブルボンの全力と、前半それなりに動いて消耗したルドルフの領域込みでの全力。

 ルドルフの優れた頭脳は、2秒とかからずに結論を出した。たぶんギリギリで、差しきれない。あと100メートルあれば差しきれるが、仁川の坂込みの1100メートルならば無理。

 

 

 問い。

 普通にやればどんな相手でも差し切る脚の持ち主に勝つにはどうすればいいですか?

 

 答え。

 物理的に差しきれないほどのリードを開けばいい。

 

 問い。

 物理的に差しきれないリードとは、なんですか?

 

 答え。

 (相手の最高秒速−自分の最高秒速)で相手に必要な距離を見定めましょう。

 

 それが1100メートル。たぶん彼は求めたのではなく、1100メートルになるように調節したのだろう。

 だったら1000メートル地点で領域を広げて勝てばいい。そういう人もいるだろうが、そうはいかない。

 

 シンボリルドルフの領域は、レースの後半になって三人を抜くことが発動トリガーである。

 1000メートル地点でスパートをかければ、領域を構築することができない。つまり最高速が落ちる。最高速が落ちれば、残り1200メートルでも差しきれない。

 

 あっぱれ。君は真実、サイレンススズカのトレーナーだ。

 そう言い切ってしまえるほどの脳筋戦法。

 

 あの皇帝陛下には、まともに戦ったら勝てない。特に領域を構築されれば勝てない。

 なら、二択を差し上げればいい。

 

 

 過半を超えてスパートをかけ、領域を広げても勝ち目のない戦いに挑みますか?

 

 過半を超えずにスパートをかけ、領域抜きで勝ち目のない戦いに挑みますか?

 

 

 どちらを選んでも負ける。選ばなくとも負ける、真に理不尽な二択。チェックではなく、チェックメイト。

 彼女が真に俯瞰できれば――――空撮したり、テレビで見たりして横からの風景を見られれば、気づけただろう。だが彼女は後ろからしかミホノブルボンを見れない。

 

 横から見ると、どれくらいの速度で走っているかはわかりやすい。

 だが後ろから見ると、どれくらいの速度で走っているかはわかりにくい。

 

 

 ――――ルドルフ。これは俺が教えてやったことだ

 

 

 選択の余地を奪う。進むべき道を固定化して予想を容易くし、どちらを選んでも負ける、選ばなくとも負ける状況を突きつける。

 そんな声が、聴こえて。

 シンボリルドルフは、心から笑った。不敵に、楽しげに。

 

 ――――貴方が理不尽な二択を解錠するなら、私は壊してみせよう

 

 残り1200メートル。前には3人。

 シンボリルドルフは、本気でスパートをかけた。低姿勢で、大きく脚を踏み出す。それは小さな頃、彼と作り上げた走る形。

 

 ライオン丸だとか、そう言われていた頃。

 

 大きくなる身体、長くなる脚にしっくり来るように誂えた靴は、今でも完璧にフィットしている。

 

 残り1187メートル。1人抜く。

 残り1164メートル。2人抜く。

 残り1126メートル。3人抜く。

 

 全力で走らなければ差しきれない。全力で走れば過半は超えない。憎たらしいほど完璧な計算式。

 半分を超えていない。だから、領域は構築できない。確かにそうだ。合っている。貴方たちに、皇帝の神威を見せることはできない。

 

 貴方が知っている私の領域は、もう使えない。だから、貴方が知らないわたしの領域を使う。

 

「轟け雷霆、暴威を見せろ」

 

 本来ならば打ち砕くべき領域に対して降り注ぐはずの3対の雷霆が、シンボリルドルフの躯体を直撃する。

 

 曇天覆う暗闇の中。自らの雷霆を受けて帯電する身体の中で、アメジストの右眼だけが不気味に光っていた。




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