ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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サイドストーリー:変わればこそ

 気づいたのは、いつからだったか。

 それはたぶん、初めて見たときだった。どこか、脳に引っかかっていた。

 

「君がおハナさんが言うところの参謀くんかい?」

 

 白い手袋をした手が差し伸べられる。手足が長くて、背が高い。頑丈というより、靭やかな身体。

 骨に負担が掛かるほどの柔らかさはない。だが骨に負担が掛かるほどの硬さもない。

 

「シンボリルドルフだ。よろしく」

 

 ――――爆発力ではなく、持続的な強さを

 

 遮二無二鍛える。我武者羅に上を目指す。

 ウマ娘もトレーナーも、そういうタイプが多い。後先を考えていない、今を生きることしか考えていない身体を作ることが多い。

 

 それは、正しくはある。今しか考えていないウマ娘と戦うのだ。こちらもそんな余裕はないし、未来を考えて今手を抜けば勝てるものも勝てない。

 だがシンボリルドルフは、そうではなかった。日本ダービーでも、常に余力を残して勝っていた。なにより鍛え上げられた身体の質が、彼女の視野の広さ、志操の高さを物語っていた。

 

「ああ、よろしく」

 

 映像で走るのを見てから、握手をして。

 そしてしばらくは、何もなかった。菊花賞までは、練習するところを見るだけだった。

 

 走るところを見れば見るほど、ライオン丸なのではないかと思った。自分にとっての原点、ヒーローなのではないかと。

 だが他のウマ娘と接する姿を見れば見るほど、ライオン丸ではないのではないかと思った。あの傍若無人、傲岸不遜の化身らしからぬフレンドリーさだと。

 

 そして、今。疑念は確信に変わった。

 

「お前だろう。ルドルフ」

 

 しおれた耳をぴーんと立たせて、パチパチと眼を瞬かせる。挙動不審に瞬かせて、また耳が垂れた。

 

「……うん。今更になるが、今日ここに君を呼び出したのもつまり、そういうことだ」

 

「だろうな」

 

 薄く勘づいていた。だが確信に変わったのはやはり、今日のレースを見てのことである。

 

「何故隠していたのかはよくわからないが、あの才能の持ち主が出てこないのもおかしい。そして君のちっこい頃の評判がなかったというのも、おかしい。同一人物だから当たり前だが、君はあの娘と互角の才能だ。なのに小さい頃の噂は聴かなかったし、濁されていた」

 

「それは私がやった。知られたくなかったんだ」

 

「そう、そこだ。何故知られたくなかったのか。そこがわからない」

 

 再会して即座にとはいかないにせよ、会っていたならば言って然るべきではないか。

 なにせこちらは名前を知らなかったが、ルドルフは名前を知っていたはずなのだ。

 

「……あまり、褒められたものではなかったからな」

 

「子供の頃の言行が、か?」

 

「ああ。貴方には立派になった私だけを見てほしかった」

 

 再会して、やはりあの時の少年だと知って。

 理想に賛同してもらって、打ち明けようとしたことは何度もあった。

 だが、振り返ってみると自分の理想と自分の過去は相剋している。自分の過去は今の自分の理想にそぐわないし、今の自分の理想は過去にそぐわない。

 

 失望されるのではないか、と。

 志を、在り方を認められている。そうわかっているからこそ、志が無く、在り方が正反対と言っていいほどに異なる過去を知られることを恐れた。

 

 だがそれを、口には出さなかった。ほんの少しだけ。ほんの少しだけでも、彼が自分のせいだと思ってしまうような要素を口には出したくなかった。

 

「過去の理想に反していた自分を見られたくなかったというわけか」

 

「私は貴方の理想でいたかった。ずっと」

 

 生まれながらの皇帝であったと。生まれながらに高邁な理想を抱いてきたのだと。

 そうでなければ、生まれながらのハンディキャップを克服してここまで来た、来てくれた。そんな彼の隣には立てない。

 

 両親からは、笑い話にされている。

 仕方ないよ、と。そういうこともあるよ、と。傑出した、傑出し過ぎた才能は幼い頃の君の人格には支え切れなかった。

 

 領域。生まれた頃からどうかはともかく、走れるようになってからは常に共にあった強大無比な雷撃が、人格に作用していたのではないか。

 人格が形成されるにつけて生成され、実力がつくと共に固定化し、決意と共に具現化する。

 そんな正しいプロセスを吹き飛ばす程の才能が彼女にはあった。故に人格形成が不充分なのに、領域を作れてしまった。

 

 だがそんなものは、言い訳だ。あの頃の自分に無自覚に踏み潰されて消えていった夢はいくつあったことだろう。

 だから、彼が苦しんでいた時に声をかけることができなかった。サイレンススズカのあれは、どう見ても事故だった。仕方なかった。

 

 しかし、その『仕方なかった』と言われることの苦しさを、救われなさを。そしてなによりも覆し難い過去の重さを、シンボリルドルフは知っていた。

 

「……失望したかい?」

 

「いや」

 

 鋼鉄の瞳が閉ざされ、首を振られる。

 

「生まれた時から傑出した人格を持っていることも、それを維持し続けることも、勿論素晴らしいことだ。不変であることは俺の理想でもあった」

 

 変わらないことこそが強さなのだと。

 頑なに、そう信じていた。だからこそ、ミホノブルボンにもそれを求めた。

 

 ラップ走法。普遍なる強さを刻み続ける走り方。

 逃げながら加速する、進化する、変化する強さを持たせることを恐れ、逃げた。

 

 だが、今は違う。

 

「自己を変化させることは、容易いことではない。俺の変化など小さなものだと、心から思う。だがそれでも変わるには色々なやつの助けを必要とした。それをお前は幼い頃に、ひとりでやり抜いた」

 

 ――――俺はお前を、心から尊敬する

 

 その言葉は、今まで彼に関わった誰が欠けても口に出せなかったことだった。

 

「理想を求め、自分を変えていく。過去を否定し、ここまで来て。そして今日、向き直って受け入れた。やはりお前は俺の全てをかけて仕えるに相応しい皇帝だ」

 

 やや虚空に目を向けながらそう言い切って、そして笑う。

 

 ――――まあ、一度反旗を翻し君の戦歴に泥を塗りつけた男の帰参を許してくれるならば、の話だが

 

「……変わったな、君も」

 

「ああ。だが、悪くないだろ」

 

「うん。好きだよ」

 

 ふふっ、と。いつもの皇帝に戻ったような余裕のある笑み。

 だがほんの少しだけ幼さが前に出ているような、今の彼女はそんな印象を与える顔をしていた。

 

 元々パーツだけ見れば可愛いと言える顔をしているのである。それを意志と雰囲気で引き締めて、かっこいいとか綺麗とかが似合う顔にしている。

 つまり今は、意志か雰囲気が欠けている。あるいは、どちらもか。

 

「俺も、君のことが好きだよ。もっとも俺は、変わる前も変わった後も、どちらも同じ質量の好きを向けているわけだが」

 

「それは私もだ。出会ったときも、変わる前も、変わった後も」

 

 似たもの同士というわけだ。

 ほぼ同時にそんなことを言って、笑う。片方はやや不器用そうに、片方はやや儚げに。

 

 卓上に置かれていた双子のティーカップにコーヒーを注ぎ、彼と彼女はカップの口を重ね合わせて同時に一口含んだ。

 夜に飲むにふさわしい暗さが、白いカップの中に満ちている。

 

「……君はこれから、過去に向き合うのだろう?」

 

「ああ。あいつは、俺のわがままを聞いてくれるかな」

 

「聞いてくれるさ。気質が善良で根が素直な子だから」

 

 それはわかっているさと言わんばかりに笑って、東条隼瀬はまた一口コーヒーを飲んだ。

 

「俺はトレーナーは無私であるべきだという信念に従って、これまで動いてきた。だがそれを今破ろうとしている。挑むのもそうだし、相手が相手だ」

 

「策が通じない、か」

 

「その通り」

 

 というか、そういうふうにしたのだ。なにせ走っている間は肉体を地上に残したまま、意識だけを高次元に上らせる――――要は何も考えないやつだったから。

 

「だが通じないなら通じないなりに、やりようはあるだろう」

 

「なんだそれは」

 

「信じる、ということさ」

 

「それで勝てたら苦労はせんだろうに」

 

 だが、そういう発想で事に当たるしかないというのも事実である。

 自信を持ったって勝てるというわけではない。自信を持っただけで勝てるならば、この世界で一番強いのはなんの努力もしない、根拠のない自信を持つうぬぼれやということになる。

 

「そう。苦労はしない。だからこそ貴方は今まで苦労をしてきたわけだ。だからこの際、信じ切ってみるのも手だと思う」

 

「自分でやってくれと言っておきながら、勝つべき方法を全く用意しないというのはな」

 

「トレーナーとウマ娘は二人三脚、持ちつ持たれつだよ」

 

 とは言っても限度があるだろうと思うし、なによりもミホノブルボンには日々迷惑をかけている。

 策を用意する。勝つ為の場を整える。だがその整えた場においても見通し難い霧が発生することがあるし、その霧の中を見通して齟齬を解消してくれたのは他ならぬ彼女自身である。

 

「迷惑をかけてもいい、と。君はそう言いたいわけか」

 

「この際、私の方が彼女の気持ちはわかる。これまで何度も勝つ為の場を整地し、勝機を作り、迷惑をかけられてきた。そんな人にやりたいことができた。となれば、今まで自分がやってきたように、迷惑をかけてほしい。恩を返したい。そう思うはずだ」

 

「そんなものかね」

 

「そんなものさ」

 

 シンボリルドルフは、笑った。

 東条隼瀬もまた、つられて笑った。

 

 そして夜が明け、6月14日の放課後。

 正門の少し横、路肩に止めた車の中。東条隼瀬は黙々と考えていた。

 

 どうするか、ということである。

 フランス語で書かれたニュースペーパーは、少し前に送られてきたもの。

 

「まだ時間はある。延ばしてどうにかなるものでもない。しかし性急に話を持ちかけるのも憚られる、か」

 

 自分の願望と、彼女の願望。どちらを優先させるべきかということなど、考えるまでもなく決まっている。

 ここはまず彼女の意見を聴く。その上でお願いしてみる。そうすべきだろう。

 

「マスター」

 

 こんこんと、窓が叩かれる。

 本気で叩けばぶち破れるであろう怪力の持ち主は、私服には着替えずそこにいた。

 

「早かったな」

 

「はい。マスターはわざわざ、私のために誘ってくださいましたから」

 

 自分の要望を一度断ったことを、マスターは少し気にしていらした。

 ミホノブルボンはそのあたりを察して、手に持った駄菓子を振った。

 

「なんだ、知っていたのか」

 

「はい。ですからこの通り、あんずぼーを」

 

「ああ……」

 

 あれはお出かけのためのというより、ご褒美というべきジョークだった。

 そんなに派手に遊ぶことはできないが、軽く遊びに行こう、という感じの。

 

 だが今回俺が枇杷を買ったのと似たような意味で買ったのか、と妙に納得して、車を発進させようとして、止まる。

 

「マスター」

 

「あれ、拾うのか。俺が?」

 

 歩道でわーわーと手を振ってアピールしている女。というか、少女。片手にメロンと何かのお菓子が入っているであろう箱、片手に箱詰めはちみー。いつも脚に使っているリムジンはどうしたとツッコみたくなる、そんな存在。

 

「おそらく、行き先は同じですから」

 

「まあ、それもそうだが……話したのか、お前」

 

「はい。今日言われました。『彼女、会いたがっていましたわ』と。そして返しました。おそらく今日、マスターが連れて行ってくださいます、と」

 

 声はともかくアクセントが酷似しているあたり、さすがの蓄音機性能というべきか。

 わーわー腕を振る芦毛――――色褪せたような色をした自分のそれとは違い、絹に紫陽花の色素をうっすらと混ぜ込んだような色の髪をした少女の前で、後ろの席の扉を開く。

 

「やはりお見舞いですのね……いつ出発いたしますの? 私も同行いたしますわ」

 

「はよ乗れ」




×:「はよ乗れ」
○:「メジロマックイーン」
◎:「目白魔区院」


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