ウマ娘 ワールドダービー 凱旋門レギュ『4:25:00』 ミホノブルボンチャート   作:ルルマンド

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あ、ラストルナちゃんです。


第三部 エクストラロード【逃亡者】
サイドストーリー:隣に


 自分の弱みとか、わがままとか。

 そういうのを曝け出したらどうなるのだろうかと、東条隼瀬は考えていた。

 

 シンボリルドルフの隣に立つ自分は、完璧であるべきだと考えていた。それをある程度流用する形でブルボンに接してきたし、そのことに関しての後悔はない。

 だがその姿勢が時と共に崩れてきたというのもまた、確かなことである。

 

「ブルボン」

 

 犬のような忠実さを持つウマ娘に、東条隼瀬は声をかけた。

 緩みきって横にたれた、リラックス状態の耳がピコンと立つ。

 

「はい、マスター」

 

 ほんとうに綺麗な瞳をしている。つねづね思っていたそんなことを、この時にまた彼は思った。

 すぐ隣に少女はいた。ホテルから貸し出された浴衣のような寝間着を着て、ソファの真ん中――――右端に詰めて座った男の隣に座っている。

 

「俺は君に訊いた。個室がいいか、と」

 

「はい」

 

 声が発せられると共に、少女よりも頭ひとつかふたつぶんは高い男の肩が微弱に揺れた。

 

「そして君は言ったな。うっかり機械を壊しかねないから個室ではなく、いつものようにマスターと同じ部屋にいたいですと」

 

 札幌レース場の近くの豪華なホテルに、東条隼瀬とミホノブルボンは泊まっていた。

 自分のためならばともかく、誰かのために金銭を使うことに躊躇いを覚えない男と、金銭感覚が鈍い少女。その結果として一泊約2万円程の一室に2ヶ月間逗留する予定で宿泊計画は組まれ、そして約1ヶ月が経過している。

 

「はい」

 

「俺はそれを承知した。そして今や宿泊すること1ヶ月に及ぶ。1ヶ月といえば、情報が集積されるには充分な時間だ。だからその上で言うのだが」

 

「はい」

 

「近くないか」

 

「いえ」

 

 ぎゅ、と。

 トレーナーとしての激務に耐えるために鍛え上げられた身体――――筋肉で引き締まった腰に回された栗毛の尻尾が、自分の方へと引き寄せるように動いた。

 

 部屋備え付けの露天風呂にかぽーんと入り、口でぶくぶく泡を発生させて遊んでいた彼女は、やや湿った髪を男の肩に乗せている。

 声を発生させる度に彼の肩が揺れたのは、つまりそういうことであった。

 

「いえ。つまりお前にとってこれが適切な距離だと。そういうわけか」

 

「はい」 

 

 掻き抱くように腰に回された栗毛の尻尾をちらりと見る彼には、ふと思い出されるものがあった。

 

 それは多分、5歳くらいのこと。

 ウマ娘の耳と尻尾の生態に慣れ、なによりもトレーナーとして体調を管理し身体の調子を見極めるという訓練の試金石として、親から小さな仔犬が与えられた頃のことだった。

 

 ――――いいか隼瀬。ウマ娘の感情を見るには耳と尻尾を見るのだ。だがしかし、触ってはいけない。耳も尻尾も我々にはないものだし、気になるのもわかるが、だめなものはだめなのだ

 

 散歩で疲れ切って膝の上で寝ている仔犬をそのままにしている息子に向けて、父はおもむろに口を開いた。

 

 ――――耳と尻尾を持つというと、やはり犬でしょう。私の犬は喜んでくれます。耳も尻尾も触れます。なのに駄目なのですか

 

 ――――お前の犬は優しいから我慢しているのであって、喜んでいるわけではない。あと犬は所詮犬。知能が低い。だがウマ娘は我々人間と同じく、高度な知能を持っている。そんな存在の耳や尻尾を触るのは、良くない。お前も知らない人間に触られるのは嫌だろう

 

 ――――なるほど、耳はわかります。私にもありますから。ですが尻尾はどうなのですか? あれは髪の延長みたいなものなのでは?

 

 ――――尻尾は尻の延長だ。女の尻を触るのは、言うまでもなく良くない。わかるな

 

 ――――わかりました

 

 あの頃は、色々未熟だった。世話をしていた仔犬を単に『犬』としか呼ばなかったあたりに、それが表れていた。

 そして人間とウマ娘という似ているようで非なる生物というものとの距離感というか、関係性をうまく飲み込めないでいた。

 

 そして、今も距離感を測りかねている。犬でもウマ娘とでもなく、ミホノブルボンと。

 

 この尻尾はなんだ?

 

 そう言うのは簡単だし、そう言えばおそらくブルボンは尻尾を引っ込めるだろう。

 だが耳と尻尾はウマ娘の感情をダイレクトに反映する部位である。

 

 彼女の心がそうしたい、というのだから、させてやればいい。

 

(こいつは俺のことをどう思っているのやら)

 

 3人分の座るスペースがある。そして端っこに座った。

 親しい異性であっても、多少の照れや遠慮があれば一個分の席を空けて座る。彼女にそういう常識があるかないかは別にして、少なくとも照れてもいないし遠慮もない関係を築けている、ということである。

 

(会った時にお父さん、と言い間違えていた。となると第二の父のような感覚なのか)

 

 ブルボンの父。まあURA関係者ではなくなったようだから実名を出さず、仮称でパパボン(第2候補:ブルパパ。不採用理由:パパボンの方が語呂がいいから)とする。

 そのパパボンは疑いようもなく優秀な父親である。男手ひとつでこんなにも善良で無垢な娘を育てられるというのは、素直にすごい。どうすごいのかはわからないが、ブルボンは娘としては世界でも屈指の存在であることは間違いない。

 そんな立派な父と影を重ねられるのは、とても光栄なことだと思う。

 

(なんにせよ、こいつの中で俺が家族カテゴリに編入されているのは間違いない)

 

 ブルボンは今、どこを見ているのかわからない。強いて言うならば虚空を見ている。

 

「ブルボン」

 

「はい」

 

 夕方の問答で言語リソースパックを使い果たした――――繰り返し使うものであり、使い切りのものではないはずだが――――感のあるミホノブルボンは、それでもいつも通りの規律ある言葉を返してくる。

 

「お前、本でも読んだらどうだ。ただ座っていても、つまらないだけだろう」

 

「いえ」

 

 やることなく虚空を見ているよりは、本を読んだ方が楽しいだろう。

 そんな発案を、ミホノブルボンはふるふると首を振って拒否した。

 

「じゃあ、テレビでも見るか」

 

「いえ」

 

「夜食として果物でも食べるか」

 

「マスター」

 

 はい、いえ、マスター。

 この3種しか言語を知らないロボットのようなミホノブルボンの静かに虚無を見つめていた瞳が、東条隼瀬を捉えた。

 

「私はマスターのお側にいられることで幸せを感じられます。本もテレビも果物も、薦めていただけるのは嬉しいですが、不要です」

 

 ふわふわと、風に揺られるすすきのように揺れる尻尾が右腕を撫でる。

 そうであれば、と。取り敢えず放っておいて、東条隼瀬は本を読む作業を再開した。

 

 札幌レース場は、国内では珍しい洋芝を備えたレース場である。気候も10月頃――――すなわち、凱旋門賞に行く頃のパリに似ている。

 なにも彼は、ミホノブルボンを無計画に連れ回しているわけではなかった。

 天皇賞春、宝塚記念などの激戦の疲れを癒やすための避暑地として連れてきたというのも嘘ではない。

 だが、主目的はミホノブルボンに海外遠征の了承を得られた際、即座に洋芝への適応を促すためだった。

 

 口を半開きにしてぽけーっとしている少女を見ると、あれほど頼もしいことを言ってくれた皇帝を超えしウマ娘と同一人物とは思えない。

 

「洋芝はスピードと言うよりも、パワーとスタミナが重要視される。日本とフランスのトゥインクルシリーズはやっていることは同じだが、中身は全く異なると言っていい。そこらへんは、問題ないと思うが」

 

「はい」

 

 相変わらずの言語リソース不足だったが、それは全くの事実だった。

 洋芝。ある者は脚に絡みつくようなと評する、クッション性の高い弾むような芝。坂路で鍛えまくった効果でスタミナとパワーを豊富に身に付けていたミホノブルボンにとって、それはあるいは日本の短く硬い芝よりもかえって走りやすかったのかも知れない。

 

 夏が終わるまでひたすらに脚を洋芝に慣らし、その後は坂路で脚に力と粘りを付け、外国のトゥインクルシリーズの概要をさらりと学ぶ。

 

 そうして、9月初旬。

 

「行くか。修羅の道を」

 

 札幌から帰ってきて早々、ミホノブルボンは生徒会室へと向かった。彼女のトレーナーは理事長に海外遠征をする旨の報告に向かっている。

 気を利かせたナリタブライアンがエアグルーヴを呼びにするりと生徒会室から抜けていく背中をちらりと見て、訪問者は頷いた。

 

「はい。マスターの望まれたことですから」

 

(望まれたこと、か)

 

 思えば、ルドルフは公的にこうせよとかああせよとか言われることはあったが、私的にこうしてくれと言われることはなかった。

 

「彼の望みはだいたいわかる。わかっているつもりだ。そして君が挑むべき壁の高さも、私は直接見たことがあるだけに知っている。それでも君は、挑むわけか」

 

「実行の困難さであれば、私のクラシック三冠も似たようなものでした」

 

 そう言えば、ミホノブルボンはスプリンターだったのだ。その本質を見間違って負けただけに、シンボリルドルフの中にその認識は常にある。常にあるが、それでも意外に思ってしまうのもまた、確かである。

 

「私は無謀な挑戦をさせてくださるトレーナーを求めていました。普通のトレーナーであれば、スプリンターをクラシック三冠へ輝かせるなど不可能です」

 

 そちらの才能があるウマ娘ですら、クラシック三冠をとることは難しい。才能が無くては土俵にすら立てず、努力しなければすぐさま引き擦り降ろされ、運が無ければ無残に敗れる。

 同期の質、怪我の有無。自分ではどうにもならないところで道を阻まれる嶮岨な道。それが、クラシックロードなのだ。

 

「私にはスプリンターとしてならば才能がありました。そんなウマ娘をクラシックロードへ進ませれば、トレーナーも無謀の誹りを免れないでしょう。そして高確率で、一冠も得られず失敗するでしょう。そうなれば、そのトレーナーの経歴は傷つきます。私はそれでも、無謀な挑戦をさせてくれる人が現れることを願っていました」

 

 果たして、その待ち人は現れた。

 

 君はどんなウマ娘になりたいんだ、と。そう聴かれた時。そのときに、ミホノブルボンは無謀を許されることの嬉しさを、難しさを知ったのだ。

 

「……私はマスターに、無謀を許していただきました。無謀を貫くための力添えをしていただきました。ならば今度は私がマスターの無謀を許し、貫くための力添えをする番だと。そう思います」

 

 ああ、よかったと。シンボリルドルフは心の底から安堵した。

 このふたりなら、大丈夫だと。どちらに何があっても、もう折れることはない。支え合うのでもなく、片方が支えるのでもなく、自然に寄り添っている。

 

「君が」

 

 自分がそうなれなかったことへの悔しさと、それを上回る喜び。それらをこめながら、『皇帝』ではなくなった少女は祝福の言葉を発した。

 

「あのときに彼の前に現れたのが、君でよかった。これからもどうか、彼を頼む。あれで少し、脆いひとなんだ」

 

「はい。私の力が及ぶ限り、全力で」

 

 伸ばされた手。宝塚記念のあとのように手袋に包まれているのではないシンボリルドルフの素手に、ミホノブルボンは触れた。

 

 パチリ、と。乾燥し始めた空気の中に静電気が散る。

 

「……そしてこれは、少し余計なことかもしれないが」

 

 まだわかる必要はない。

 そう言わんとする瞳を見て、ミホノブルボンはただ頷いた。

 

「さあ、他にも挨拶すべき相手がいるだろう。君はそう思っていないかもしれないが……君にぜひ挨拶したい、と思う者も扉の向こうに待っている」




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