僕のおしごと   作:駒木

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1 始まり

 将棋。九×九マスで行われる漢字の駒を用いたボードゲーム。

 

 

 時期は九月。とある大きな会場を貸し切って、そこではアマチュアによる将棋大会が開かれていた。

 将棋アマ名人戦。各都道府県から代表を選出して、アマ名人になるために鎬を削る年一回の大会。優勝者はプロの名人と角落ちで戦えるというのが魅惑の大会だ。

 その決勝。テレビ撮影もされているその決勝で戦っているのは杖をつくような七十過ぎの老人と、三十代になったばかりの男性。

 

 七十過ぎの老人は道楽で将棋を続けていたが、それでも決勝まで勝ち上がってくる猛者。それもそのはず、彼は去年のアマ名人だ。今回と次に勝てば通称永世アマ名人の称号も得られる。アマには永世がないので仮になるが、それはそれで偉業だ。

 一方若い男性はこれが初のタイトル戦。だというのに老人の果敢な攻めを防いでいた。

 老人は攻めの将棋を。若い男性は受け将棋を。お互いがお互いの持ち味を出し切ったその棋戦は127手にも及んだ。最後には、老人の年齢を感じさせる皺だらけの手が、ゆっくりと駒から指を離して嗄れた声で呟いた。

 

「負けました」

「ありがとうございました」

 

 老人の攻めを耐え切った男の勝利。これによって男はアマ名人となった。アマ名人ともなればプロの世界でも通用するということでかなりの数の記者が新アマ名人を写真に収めていく。

 大会としてはこれで終わりだ。この後はお互い感想戦をして表彰式をやっておしまい。その前に持ち込んだ飲み物を口に含んでから、感想戦に移る。

 

「いやいや、夜叉神君。完敗だよ。老後の楽しみの老いぼれが将棋界を引っ張るのではなく、君のような若者が盛り上げてくれるなら嬉しいものだ。名人との記念対局、頑張ってくれ」

「はい。でも本当に、ギリギリでした……。見た目に似合わず若々しい将棋をなさる」

「これしか知らんからの」

 

 二人が雑談をしている間に、老人に近寄る少年がいた。まだ小学校低学年といったところか。その少年は片手に杖を持っていた。

 老人が歩行に使うためのものだ。

 

「これこれ、暁人(あきと)。まだ終わっておらん。観客席に戻れ」

「じいちゃん。何で銀打ちなんてしたの?ここ、角で逃げ道塞げば勝てたのに」

 

 暁人と呼ばれた少年は終着から数手だけ戻して、言った通りに角を置く。それが何だと二人とも思ったが、夜叉神が次の手を指し、暁人が次の手を指す。そうして都合十七手。

 詰んでいたのは夜叉神の王だった。

 

「ほっほっほ。いやあ、これは引退じゃの。暁人がわかる手をわからんかったのは、儂の時代は終わりじゃ」

「そんなこと言わないで来年も出てよ。僕もここに来るの楽しいし」

「いーや。終わりじゃ。夜叉神君。これが儂の孫じゃ。ええじゃろ?」

「……さすがご老公のお孫さんだ。僕の名前は夜叉神天祐(やしゃじんたかひろ)。君の名前は?」

碓氷暁人(うすいあきと)。小学一年生、です」

「そうか、小学校に入ったばかりか……。ご老公、彼を奨励会に入れるつもりですか?」

「まあの。年齢制限もあるし、暁人も興味があるという。大槌さんのところへ弟子入りさせたばかりじゃよ」

 

 大槌九段。振り飛車で猛威を振るったプロだ。既に現役を退いており、今は後進の育成に当たっている。その一人が暁人だ。

 

「ご老公。僕も暁人君と研究会をしたいんですが、いいですか?」

「まあ、京都と神戸なら近いからの。構わんよ。暁人が強くなるのも、君がアマ名人として躍進するのも楽しみじゃ」

 

 それから時間が合えば天祐は暁人と研究会という名の家族交流を行った。もちろん将棋も指したが、主に天祐の娘、天衣(あい)の自慢だった。

 まだ三歳になる前の天衣と暁人では将棋にならなかったが、それでも暁人も楽しそうに彼女と遊んでいた。彼らは将棋で繋がっていた。

 暁人の将棋は、祖父に似ず重厚な将棋を指していた。大駒をしっかり置いて、強烈な一撃をかます将棋。しかも大局観まであるので、その一撃はほぼほぼ間違えない。

 そんな暁人と将棋をした結果、天祐は月光名人との記念対局で二十三手詰を読み切り勝利。その勝利の様子はほどなくした研究会の日に告げられた。

 

「暁人君、君のおかげで勝てたと思う。ありがとう」

「そんなことないです。ね、天衣ちゃん」

「そうよ!お父様はサイキョーなの!暁人なんてボコボコにしちゃうんだから!」

 

 暁人のあぐらをした膝の上でそうはしゃぐ天衣。今日も黒のゴスロリ服が似合っていた。天祐はそこまで慕ってくれるなら自分の膝の上に来て欲しいと思っていたが、これは暁人が来た時の特別だった。

 そのままの体勢で暁人と天祐は将棋を指す。天衣ははしゃぎながらも、二人の将棋の邪魔だけはしない。

 天祐はそんな状態で盤面に集中し切っている暁人に感心していた。

 

(末恐ろしい。一度将棋を指せばもう盤面しか見ていない。月光会長に匹敵する静けさだ。……おっと。こんなことを考えている時点で失礼か)

 

 暁人は時期的な問題でまだ研修会にも入っていない。だが、それも時間の問題だ。師匠である大槌もしばらくしたら研修会に入れるという話をしているようで、そもそもアマチュア六段の天祐と平手で指せている時点でそのレベルは伺える。

 アマチュアの上位層は将棋に出会うのが遅かった天才たちと呼ばれる。年齢制限の問題でプロへの入り口である奨励会に入れず、それでも将棋を指したくてアマチュアの大会やネット将棋で戦う猛者たち。

 

 実力で言えば三段のレベルがあるとさえ言われている。プロ一歩手前、人によってはプロの下層であれば捲れるほどの実力であると。

 そんな天祐と平手で五分に指せる暁人はまさしく、天才としか言いようがない。

 そして驚くのが。振り飛車党である暁人は一撃のためにその飛車を捨てることもある。その先に勝利があるとわかれば、容赦無く飛車を切る。小学生故か、それとも。

 

 暁人は年齢の割に定跡を知っている。戦法も詳しい。そこは祖父と師匠が教えているらしい。だが、終盤は彼自身の才覚だ。そこに二人は手を加えていないらしい。

 その終盤力が発揮される前に、天祐は急いで暁人の王を囲んだ。とんでもないカウンターを受ける前に。天祐の本質は受け将棋だが、全部受けていては勝てないとわかって速攻を仕掛けることもある。

 それが天祐の躍進にも繋がった。

 

「負けました」

「ありがとうございました」

「やっぱりお父様が勝ったわ!暁人はわたしと指すくらいでちょうどいいのよ!」

 

 天衣はそう言うと、今度は天祐の膝の上に乗って暁人と指すつもりなのだろう。それに待ったをかけるのは天祐だ。

 

「天衣。棋譜を残してから。その後暁人君と指すといい」

「はーい」

 

 聞き分けのいい子だった。そして暁人も祖父や師匠に恵まれたからか、年齢の割に大人びた子だった。天衣と指す時はきちんと天衣に合わせて勝ったり負けたりしている。

 こうして碓氷家と夜叉神家の交流は続いた。暁人が師匠の所で研究会をしたり、研修会に入会してからも月に一度ほどは交流を続けた。天祐の仕事や暁人の状況に合わせたが、基本は日曜日に会うことになっていた。

 開催は両家どちらかのことが多かったが、たまには暁人の師匠繋がりで生石プロが営む将棋道場「ゴキゲンの湯」に顔を出してそこでお客と一緒に指したり、将棋を指さずにご飯を食べに行くだけの時もあった。

 

 そうして天祐は仕事と両立しながらアマ名人戦を五連覇。アマ七段に昇格し、通称永世アマ名人と世間では言われ始めるが、その時点でアマチュアの大会に出るのを辞めて仕事と家族のことに専念することとした。

 それと同年。とある記録が奨励会で生まれた。史上最年少である二段昇格。この少年、入品も史上最年少だったが、二段昇格すらも最年少だった。

 そしてなぜこの少年が注目されたかと言われれば。

 

「今後注目の棋士はいますか?」

「アマチュアの大会には出られませんが……。奨励会に素晴らしい少年がいます。その彼の躍進を心待ちにしています」

 

 そう、アマ名人の引退宣言の際に言われていたからだ。

 

 

 碓氷暁人は中学一年生になっていた。夜叉神天祐と出会って五年強。

 彼は三段リーグに挑んでいた。しかも今の所二勝という最高の滑り出し。十八戦する中で最初の二連戦を勝ち星で納めたのは幸先がいい。

 そんな彼は小学校高学年の頃に与えられた自室でパソコンを操作していた。パソコンには様々な棋譜を纏めたファイルとネット将棋ができるサイトが使えるだけのもの。それで彼にとっては十分だった。

 

 暁人は学校から帰ってくると予定がなければ学校の宿題を終わらせてすぐ将棋に打ち込む。三段リーグは半年にも渡る長期戦だ。その幸先が良いとはいえずっと集中し続けたら体力がもたない。

 そう言うわけでこの日は過去の天祐との将棋を並べていた。昔からすぐに思い起こせるようにと夜叉神家との将棋は全て棋譜に残していた。そんな五年以上の積み重ねが奨励会でも役に立っている。

 だからたまには原点に帰るために、暁人は懐かしの棋譜を広げていた。

 

 どれだけ棋譜を並べていたか。時計も気にせず将棋の内容を振り返っていた時、ドアをノックする音が聞こえた。夕飯の時間だろうと暁人は意識を復活させると、ドアの先にいたのは祖父だった。

 暁人の部屋は二階だ。一層足腰の弱くなった祖父が夕食を告げるためにわざわざ上がってくるとは思えなかった。今も杖を使って歩いている状態だ。

 

「爺ちゃん?どうかした?」

「暁人。制服を着なさい。神戸に行くぞ」

「神戸?今から?」

 

 神戸と言われて思い浮かぶのは夜叉神家だ。むしろそれくらいしか思い浮かばなかった。師匠の家は大阪、将棋会館も大阪。

 その上制服と言われて嫌な予感がした。思わず机に広がった棋譜に目が向く。

 

「天祐君と奥さんが亡くなった。交通事故だそうだ」

 

 ガツンと鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。そうとしか、言いようがなかった。

 ただ、それが事実なのだろうと祖父の様子から察した。すぐに制服に着替えて、両親と一緒に家族全員で車に乗り込む。

 運転は父。助手席に母が乗り、母がカーナビを操作しながら父は高速道路へ進む。

 

「天衣君を迎えに行く際に、トラックが突っ込んできたようじゃ。それが昨日の話。送別式や通夜はなしですぐに葬式を行うと」

「……天衣ちゃんは無事なの?」

「幸いなことに。ただ、あの家は引き払ってお祖父さんのところで暮らすことになるらしい」

 

 天衣は七歳になったばかりだ。まだまだこれからの少女。これまで親しくしていた妹のような子がいきなりそんなことになって、今どうしているか。それが不安で不安で仕方がなかった。

 携帯電話に彼女の家の電話番号は入っていた。だが、それではきっと繋がらない。天祐の番号も入っていたが、それだって通じるかどうか。

 もし昨日の内に知れたら。何が何でも彼女の元へ駆けつけただろうに。そんな後悔ばかりが募る。

 

 斎場に着くと、礼儀的なことは全て両親がしてくれた。暁人は祖父を伴って会場に入って行く。

 関係者席。棺に一番近い席。そこに黒く小さな影があった。とても小さく、誰も寄り添っていなかった。そこへ辿り着く前に大きな二つの棺を見て。黒縁で囲まれた笑顔の二人を見て。

 締め付けられる胸を押さえながらも、暁人は進む。大切な少女を孤独にしないために。

 暁人は彼女の前へ行って、膝を着いた。椅子に座りながら伏せている彼女と目線を合わせるために。ここにいることを伝えるために。

 

「天衣ちゃん。遅くなってごめん」

「あき、と。お兄ちゃん……」

 

 濡羽色の髪をした、愛らしい少女。その愛らしさを損なうほどの悲痛な表情をした、たった一人の子どもがそこにいた。

 その少女はゆっくりと、目の前の少年に手を伸ばす。少年もしっかりとその手を取った。ここにいるよと、教えるために。

 それがわかったからか、少女は少年の胸に飛び込む。嗚咽交じりに、今まで我慢してきたものを吐き出すように。

 

「お父様が……!お母様がぁ……!」

「うん。早すぎた。僕は結局、約束を守れなかった……」

「あぁ……。あああああああああああっ!」

「天衣ちゃん、将棋を指そう。僕じゃきっと二人の代わりにはなれない。けど、僕は君に将棋から離れて欲しくない」

 

 その言葉に対する返事はなかった。それでも彼女は必死に、首を縦に振る。

 暁人は代わりにはなれなくても。彼女のことを守っていくことをここに誓った。

 

「僕は棋士になる。だから天衣ちゃんも、女王になろう。二人で最高の棋譜を作ろう」

 

 二人とした約束を守るために。暁人と天衣はそれを実現するために。

 ここに二人だけの誓いを立てた。

 




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