僕のおしごと 作:駒木
三月末。NHK杯も終わって他の棋戦も小休止できるようになって、春休みに入った頃。初日の内に宿題を終わらせておこうと思って机に向かって宿題をやっていた。
食卓で勉強をしていたんだけど、勉強机はちゃんと別部屋にある。なのに何で食卓でやっているかというと。
「天衣ちゃん学校の宿題とかないの……?」
「終わってるわ。だから春休みは将棋漬け」
「二日目だよ……?」
「小学校の春休みの宿題なんてドリルをどこまでやって、自己採点して提出しなさいってくらいだもの。そんなの学校にいる間に終わらせたわ」
小学校ってそんな感じだったけ?既に配られてる教材を終わらせることだったら、初日に終わっててもおかしくないのか。
中学校は怠けないためにっていうのと、来年は三年生で受験だからって先生お手製のプリントを渡されている。配られたのが終業式の昨日なんだから終わってるはずがない。
「今日中に終わらせるからちょっと待ってて……」
「急がなくていいわよ。わたしも確認したいことがあるし」
そう言いながら天衣ちゃんはタブレットとにらめっこしている。動画を見ているんだろうか。誰かの対局の動画かな?イヤホンを片耳にだけつけて見ているらしい。
それはいいか。まずは宿題を終わらせよう。残りは社会と英語か。僕って苦手なものは残すタイプだったっけ?
そんな感じで静かな音が続く午後の昼下がり。休憩しようかなと思ったら晶さんがいつの間にかお菓子を用意してくれている。おやつには少し早い時間だったけど、用意してもらったんだから食べる。
ガトーショコラに舌鼓を打っていたら、携帯電話に着信の音が。誰かからの緊急連絡かと思って画面を見たら竜王からだった。
こんな真っ昼間になにぃ?正直出たくないんだけど。
「お兄ちゃん。表情が一気に死んでるわ」
「……急用かもしれないし、出るかあ。……もしもし?竜王ですか?」
『碓氷ぃ!助けて!お前しか頼れない、姉弟子に殺されるぅ!!』
「あ、いつものですね。お疲れ様です。また今度」
『切ろうとするんじゃねえ!?頼む、今回は本当に死ぬ!』
「また女流帝位が泊まりに来ました?将棋連盟には黙っておくので、何とか丸く収めてくださいね」
『何でお前はイカの味方なわけ!?違うから!ホント助けて!』
ええ……。女流帝位以外で空さんがブチ切れてる?そんなこと直近であったかなあ。
ああ、もしかして。
「また女子小学生の写真撮ったんですか?そのフォルダを見られたとか?」
『何でお前はそういうこと言うかな!?俺同期よ!!』
『八一……?またなの……?』
『ヒィ!悪化した!頼むよ、姉弟子を止められるのはお前しかいない!指し初め式で楽しそうに話してただろ!?』
あーあ。それ言っちゃうんだあ。よりにもよって竜王が。
絶対電話の向こうで空さんブチ切れてるよ。あなた関連の話をしていただけなのに。
僕って空さんとは同い年以上の関係性ないんだけど。でもこれ、空さんを止めないとマズイ案件かもしれない。もし無理心中とか起こったら大問題だもんなあ、将棋界にも世間的にも。
二人ともタイトルホルダーだし。
天衣ちゃんの目標のためにも止めますか。
「竜王、住所は?すぐ向かいます」
『助かる!福島の──!』
聞いた住所を晶さんに伝えて車を出してもらう。晶さんにお手数をかけてしまったから僕は頭を下げる。ほんと、ごめんなさい。
もちろんガトーショコラを食べてから出て来たけど。ちょっと遅れるくらい大丈夫だろう。それと天衣ちゃんを一人残しておくわけにもいかなかったので連れてきた。天衣ちゃんはタブレットの電源を落として、呆れながら尋ねてくる。そこまでして見る動画じゃなかったみたいだ。
「で?竜王は何をやらかしたの?昨日は師弟対決で恩返ししたんじゃなかった?」
「あ、そうなの?それは知らなかった。……空さんのブチ切れ具合からして、女性を家に泊めたんじゃないかな。だから前科がある女流帝位かと思ったんだけど」
「違ったと」
「みたいだね。だから相手はわかんない」
「それよりも先生。またあの男は女子小学生を盗撮しているのか?」
「盗撮じゃなくて同意の上みたいですけど。……はあ、気の乗らない」
車で十五分ほどして、竜王のいるアパートに着く。天衣ちゃん、古臭い建物ねなんて言わない。
指定された部屋のインターホンを押す。バタバタという音と共に思いっきり内側から扉が開いて涙と鼻水で汚い竜王が現れた。
「碓氷ぃい!おせえよ!」
「いや、車で送ってもらって急いだんですが。あ、天衣ちゃん離れて。危ない」
「ええ」
「夜叉神ちゃんが離れていく!?なぜ!」
「いや、顔見てください。竜王」
「八一ぃ……。本当に見境がないわね……?」
あ、空さんという名の修羅がいた。包丁片手に持ってない?本当に刺される直前だった?来て良かったんだか、放っておけば良かったんだか。
天衣ちゃんが着ている洋服、凄く高いブランド物なんだから鼻水で汚すわけにはいかない。誕生日プレゼントで贈ろうと思って晶さんに話を聞いて驚いたもんなあ。そんなブランド物着てるんだって。
結局同じような値段の、違う高級ブランドの服をプレゼントしたんだけど。小さい時って着飾ってこそだよね。天祐さんも語ってた。今日着てるのは僕が渡したものじゃないけど、ブランド物に変わりはない。
「あー、空女王?全面的に竜王が悪いのはわかってるので、まず包丁を降ろしませんか?」
「酷い!?しかも置くじゃなくて降ろすだけ!?」
「だって何かの拍子に落として空女王が足を怪我したらどうするんです?竜王が責任取って一生面倒見ますか?」
女の子を傷付けたら、それこそ一生物の責任がついてくる。そうなっても空さんは困らないだろうけど、その想像をしたのか空さんが恥ずかしがって包丁を戻しにいった。
うん、危ないからね。良かった良かった。
「ほ、ホントお前呼んで良かった……!姉弟子ずっと包丁離さなくて怖かったんだよ!」
「いや、年下の僕に頼らないでくれます?それで、何をやらかしたんですか?」
「……見てくれればわかる」
そう言うので案内された先にいたのは。
ランドセルを脇に置いた天衣ちゃんくらいの年齢の女の子だった。
「誘拐は犯罪ですよ。天衣ちゃん、110」
「わかったわ」
「待て待て待て!話を聞いてくれぇ!というかこの二人の連携息合いすぎ!?」
「わたしも負けていられません!何します?ししょー!」
「君は黙ってて!」
「師匠?」
え?竜王も弟子取ったの?それだけなら空さんがキレるとは思わないんだけど。女子小学生の弟子を取るくらいで怒ってたら他の女性問題はどうなるんだって話だし。
「……その小童。弟子にしてもらいたくて石川から単身殴り込みして、昨日ここに泊まったんですって」
「小童じゃないですー!」
「……男性一人暮らしの家に、女子小学生を泊めるのはちょっと」
「え、嘘!?お前から否定されるの!?お前だって夜叉神ちゃん泊めたりしてんじゃないの!」
「例会で遅くなった時だけですよ。それに彼女の保護者も一緒ですし」
空さんの説明で怒った理由を知って、僕の苦言に竜王が反論を言ってくるけど両家公認のお泊まりだ。僕も夜叉神家にお世話になってるし。僕の家は両親が定期的に様子を見に来るから大人の目もあるけど、ここはどうだろう。
とにかく、今回は問題な気がする。
「親御さんに泊める旨確認しましたか?流石に弟子入りの話が上がって、こんな小さい子が一人で親も連れずに大阪まで来るっておかしいと思うんですけど……」
「あ」
「確認してないんですね?空さんが怒るのも当然かと。連盟か師匠のどちらかにそういう嘆願書が届いていればいいんですけど、それもなしに女子小学生を保護者の了承なしに泊めたとなると犯罪だと思います。条例かどうかまでは覚えてないですけど」
一気に顔が青くなる竜王。気付いてなかったのだろうか。まあこれで空さんが怒った理由が嫉妬とかじゃなくて同門から犯罪者を出さないためとかってなるから、正当性が出てくるかな。
名前もわからない小学生も顔を青くしている。うん、これ親に言わずに来てると思う。度胸があるんだか、無鉄砲なのだか。
「というわけで連盟か清滝九段に相談するのが解決策だと思います」
「……お前、本当に俺より年下ぁ?」
「間違いなく。竜王って結構抜けてますよね……。というより、周りが見えてない?」
「うっ。心当たりがいくつも……」
「ししょー。この人とそっちの女の子、どなたですか?ししょーのお友達?」
話題転換だろうか。首を傾げながら尋ねる少女。言い逃れとしてもどうなんだ。
そして、その言葉に驚く隣の天衣ちゃん。え、という口をしたまま少女を見て、僕を見て。そして少女をあり得ないものでも見たかのように凝視している。
竜王は知ってるのに、僕のことは知らないのか。竜王の方が知名度は上だと思うけど、僕と竜王って結構セットで知られてるから片方だけ知ってるなんて珍しい。
それに竜王に弟子入りするような女の子が天衣ちゃんを知らないのも。女流になるのか棋士になるのか知らないけど、どっちにしろ天衣ちゃんのことは同年代の星じゃないのかな。
「碓氷六段、夜叉神女流一級。そこの小童、私のことも知らなかったわ。というか、八一以外のことを何も知らないのよ」
「それはまた……。プロに興味なくて将棋だけ指してる子もいるんでしょうけど、それで竜王の弟子になりたいとは」
「いやあ。この子、将棋に興味持って三ヶ月だって言うから。しょうがないというか」
「あー……。石川って言ってましたし、竜王戦をたまたま見て興味持って、という感じですか?」
時期的にはちょうど合うけど。それで親元を飛び出して許可もなく弟子入り希望。
師匠候補がこれなら弟子候補もこうなるのかな?
「凄いです!名探偵ですか?」
「いや、被害者だよ。天衣ちゃん帰ろうか。これ以上やれることないし。僕は黙っておきますよ」
「……あいちゃん?あなたもあいって言うの?」
「……それが何?」
「わたしの名前もあいって言うの!雛鶴あい!よろしくね!」
雛鶴。それって竜王戦最終局の旅館の名前だったような。向こうでは有名な苗字なのかな?
本当に名探偵なら僕は竜王という巨悪を捕まえるために頭を働かせるんだろうけど。むしろ隠蔽しようとしている悪い人じゃないだろうか。
「竜王、ひとまず問題は解決したみたいなので帰ります」
「ああ、ありが──いや、解決してなくね!?」
「連盟でも清滝九段でも、とにかく電話して事情を話すしかないと思いますけど。空女王が怒るのも当然の出来事でしたし。むしろ空女王に誠心誠意謝るのが筋じゃ?」
「ぐ、ぐぅ!」
「それでいいですか?空女王」
「ええ、ありがと。このクズ、小童のこと隠そうとしたし、押し倒したのよ。裸で。それを問い詰めたらあなたに電話し始めたわけ」
「……もう僕を巻き込まないでくれます?ホント、僕も天衣ちゃんも何も聞かなかったことにしますから……。空女王と清滝桂香さんってこんな苦労をしてたんですね……。今度京都の菓子折り、用意します……」
「わかってくれて嬉しいわ」
包丁を持ち出すのはやりすぎじゃとか、空さんって危ない人なんじゃって疑ったけど、空さん悪くないよ。そんなことを好きな人がしてたら、ずっと昔から好きな人がしてたら包丁くらい持ち出すよ……。
天衣ちゃんもドン引きして僕の後ろに隠れてる。これ、本当に世間様にバレたら将棋界が終わる……。
「まるで俺が裸で押し倒したみたいに言うのやめてくれます!?俺も被害者なんだけど!?」
「どっちでもそんな状況になってる時点でマズイって自覚してくださいよ!?ホント、棋界最強タイトル保持者って自覚あります!?」
「実感が追いついてねえんだよ!そんな自覚あったら十一連敗とかするか!」
「将棋の話じゃなくて人間としての話をしてるんですよ!昇段の時の記者会見で迷惑かけたから助けようかなって思った僕の善意返して!」
僕と竜王が取っ組み合いの掴み合いになって叫ぶ。いくら将棋が強いからって許されないこともあるの!それで問題になった棋士の大先輩いらっしゃったというのに!
「何で同門でもないただの新人王が竜王を助けなくちゃいけないんですか!」
「おまっ!新人王どころかチャレンジと青流も獲って新人戦総ナメした上に毎朝杯まで獲った神童が何言ってるんだ!」
「史上最年少竜王には勝てませんよ!」
「同期だろ!」
「僕の昇段同期は鏡洲さんと坂梨さんですぅ!例会の同期はまた別ですし!」
「俺を除け者にすんなよ!鏡洲さんたちはお前の半期後だろうが!」
「僕は学校もあるし、正式な弟子への指導もあって忙しいんですぅ!ネットでクズ竜王って叩かれてる人の尻拭いまでできませーん!」
「それを言ったら戦争だろうが!この
「八一、それ悪口じゃないから」
ありゃ。僕ってそんなに通称があるのか。恐れ多いなあ。
僕って新人王になったのに、六段に昇段しちゃったために防衛戦もせずに一期で新人王手放すんだよね。他の新人戦関連のタイトルも。
新人戦ってタイトル戦みたいに前年度優勝者が頂点で待ってるわけじゃなくて、予選免除になるだけだからタイトルホルダーがいない決勝もザラにあるんだけど。一般棋戦みたいだ。
最後の新人を名乗れなくなった期間は竜王の方が二ヶ月早いんだけど。怒鳴って疲れたから帰ろう。
「お邪魔しました」
「ほら、八一。師匠の家行くわよ。桂香さんにも怒られなさい」
「うえええ。桂香さんに怒られたくない〜!」
年下の女の子に耳を引っ張られているダメな年上をあまり視界に入れずに出ていく。下で待っていた晶さんにお礼を言いつつ、車で立ち去る。
「先生、何とかなったのか?」
「血を見ることはなかったので、解決でいいんじゃないでしょうか……」
「はあ。あれが竜王だなんて、将棋界はどうなっちゃうのかしら……」
「名人に頑張ってもらう?ああ、僕もそろそろ竜王戦の対局あったなあ」
6組は人が多くて勝ち上がるの大変だった。また決勝で神鍋さんと当たりそうなんだよな。あの人も勝率高いから激戦になるだろう。
そんなことを考えていたら、隣の天衣ちゃんが笑っていた。
「どうしたの?」
「ふふ。さっきのお兄ちゃん、普通の男の子だったなあって。竜王と取っ組み合いの喧嘩して……」
「至って普通の男子だけど」
「至って普通の男子は中学生で棋士にもなってないし、名人にも勝てないわよ」
天衣ちゃんの言葉に晶さんも大きく頷いていた。将棋のことは別にしてくれないかなあ。それ以外は他の中学三年生と変わらないと思うけど。
後日。例の雛鶴さんが竜王の内弟子になったと知って驚いた。女の子を内弟子って。一般家庭を既に築いているか男の子だったらわかるけど、大丈夫なんだろうか。
その報告を受けた後に空さんに会ったら案の定機嫌が悪かった。僕はもう関わらないぞ。
中学生棋士二人爆誕によって奨励会の因果が捻じ曲がりました。
歳下二人に負けた者が多く、メンタルボロボロ。昇段者が変わってます。