僕のおしごと   作:駒木

13 / 33
雛鶴あいの戦法ですが、原作三巻の内容からこういうことするんじゃ、と思って使わせています。


13 強情相掛かり

 四月に入って少しして。土曜日に久しぶりに実家に帰ってゆっくりしつつ両親の勧めでお土産をいくつか買って。

 日曜日に大阪に帰ってきた。両親に車で送ってもらい、そのまま両親は神戸の夜叉神宅に行くのだという。僕は将棋会館に用事があったからいいけど。

 天衣ちゃんも今日例会があるとのことで将棋会館に来ているという。例会って僕達棋士なら観覧しても良いわけで、一回くらい観に行こうかな。天衣ちゃんがどんな感じで例会に挑んでいるのか知らない。

 本当に師匠失格じゃないだろうか。うん、一回くらい確認しておこう。

 そう考えて受付を通ろうとしたら空さんがいた。今日は対局なかったのかな。制服だけど、臨戦態勢じゃないというか。

 

「こんにちは、空女王。今日はお休みですか?」

「そうだけど、スケジュールの確認よ。もうすぐ女王戦が始まるから」

「ああ……。女流帝位とですね。女流玉将との対局見ましたよ」

 

 女流帝位と月夜見坂女流玉将との一戦、天衣ちゃんの後学のために生中継で見たけど80手かかってなかった。女流帝位がノリにノッて大興奮の大爆発。一方的に叩きのめしていた。

 全五戦三勝先取の女王戦がこれから始まるけど、全国各地で行われるからそのスケジュール確認に来たんだろう。四月の下旬からだったかな。学校へ出す欠席届のための書類をもらいに来たっていうのもありそう。

 僕もお世話になってるし。

 ああ、ちょうど会えたんだから渡しておこう。

 

「タイミング良かったです。昨日京都に戻ってお土産買ってきたので。ありきたりですけど生八ツ橋とあぶらとり紙です。清滝家とは別にあるので、これは女王が家に持って帰ってください」

「ありがと。桂香さんも喜ぶと思う」

「なら良かった。桂香さんは今日例会ですか?」

「そのはず。確認まではしてないけど、例会に欠席するとは思えないから」

「ありがとうございます。じゃあ顔を出してきますね」

 

 連盟職員さんにも生八ツ橋のお土産を渡して、許可をもらって例会をこっそり見守る。晶さんを見付けたと思ったらその近くに竜王もいた。

 晶さんに声をかけた後、竜王にも声をかける。

 

「竜王、お久しぶりです」

「お、碓氷も来たのか。今日は対局なかったんだ」

「久しぶりに土日休みでしたよ。なので昨日京都戻ってました」

「……お前、土日休み久しぶりって嫌味?」

「え?対局なくて天衣ちゃんへの指導もお休みもらっただけですけど?」

「だから、これまでは結構な頻度で対局あったんだろ?勝ってるってことは結構暇な俺への嫌味じゃないのか?」

「ああー……。だってこの時期は竜王戦のランキング戦と玉将戦がメインですし、それ以外だと今って新人戦ばかりじゃないですか。参加資格なくなった僕達は暇で当然だと思いますけど?」

 

 NHK杯や他のタイトル予選に勝っていなければこの時期棋士は暇だ。去年みたいに順位戦も時期を繰り上げていないならなおさら。

 竜王は去年他の棋戦を投げ捨てていて、今年に入ってからも十一連敗していた。軒並み予選で負けていたら暇だと思う。

 その代わり内弟子の指導に力を入れられると思うんだけど。

 

「「あ」」

 

 そんなことを考えていると、研修会で動きがあった。まさかの天衣ちゃんと雛鶴さんが指すことに。そのせいで僕と竜王が思わず声を出してしまった。

 師匠同士が近くにいるのは問題かなと思って僕は晶さんの隣に移動。そのまま晶さんに雛鶴さんの説明をする。

 天衣ちゃんの方が級が上のため、まさかの香車落ち。何でそんな無謀な組み合わせを?同い年だからって級に差がある二人を、香車落ちにしてまで組ませるのだろうか。幹事の久留野七段も何か考えがあるんだろうけど。

 香車落ちはまだ先だと思ったから教えてないぞ。どうしよう。駒落ちなんて奨励会に入るまで使わないと思ってたのに。相手が使ってくるからセオリーは知ってそうだけど。

 

 天衣ちゃんは研修会に所属するようになってまだ二年目。女流としても踏み出したからそんな無理な対戦相手を与えられるとも思ってなかった。研修会入りを賭けた入会試験の相手は奨励会に入ってからだし、そういうハンデをつける対局はする確率は低いはずだった。

 天衣ちゃんの実力は言わずもがな。そして勝ち星が関係する例会だから相手の実力をしっかりと見定めないといけないので実力差がありすぎる対局にはならないと思ってた。

 だから、この対局はどうなんだろうと疑問に思ってしまったわけで。雛鶴さんの実力を知らないからこそっていうこともあるんだけど。

 そして始まってすぐ。

 

「え……?」

 

「どうかしたのか?先生」

 

「ああ、天衣ちゃんの相手の雛鶴さん。まさかこんな序盤で定跡から外れてくるなんて思わなくて」

 

 まだ10手目だ。天衣ちゃんも香車落ちで指すなんて初めてだろうけど、それでも平手と共通する定跡はある。そもそも香車という駒がないのだから、それだけ有利な空いている右側、雛鶴さんから見たら左側を攻めるべきなのに右へ攻めている。

 これには天衣ちゃんも口をへの字にしている。僕達側から天衣ちゃんの表情がよく見えるけど、音を口にしていないだけマシか。

 

 天衣ちゃんは崩れた定跡から、まずは守りを固めていく。右に守りを置く美濃囲い。本来振り飛車での守りだけど、攻められていないから香車がなくても大丈夫だと考えたんだろう。その守りで天衣ちゃんは戦うつもりだ。

 将棋歴四ヶ月には負けないと。絶対の自信を持って決心した戦術。

 一方雛鶴さんはその美濃囲いを知らないのか、やっぱり定跡なんて関係なく駒を進める。飛車先の歩を進めてるけど、形だけ見れば相掛かりっぽい。だけど、天衣ちゃんは振り飛車だから相掛かりにはならない。

 まるで初心者だ。期間を考えればまさしく初心者だけど、そんな人物をわざわざ竜王が弟子にするだろうか。相手を見ずに、相掛かりを進めているような。

 

 気持ち悪い。彼女には何が見えているんだ?その将棋の先に、誰を見ているんだ。

 天衣ちゃんが、映っていない。将棋に見えない。彼女は、誰と戦っているつもりなんだ?

 序盤が終わって中盤。ビシッと鋭い駒音がする。雛鶴さんの飛車を追い詰める銀の一手。飛車を逃がすか無視して攻めに出るか。どちらにしても選択を迫られる一手。

 あの銀にも気付かなかったとしたら。彼女の強みは終盤なのだろうか。でもこのグダグダな戦局から、いくら終盤が強くても盛り返せるのか。

 あの銀は天衣ちゃんからの挑戦状だ。目を覚ませと。いつまで寝ぼけているのかと。

 

 竜王の弟子なら、早く応えろと。

 雛鶴さんは、飛車を逃した。スペースのある横へ向かったけど、攻めるためでもない。守るために引いたわけでもない中途半端な、飛車の使い方を知らないような一手。ただ飛車を失わないための一手。

 それと同時に、天衣ちゃんのスイッチが、入ってしまった。

 

「違うわ」

 

 長考もなしに続く津波のような波状攻撃。飛車を、攻守の要を逃したことで獰猛な獣達が相手の玉目掛けて襲いかかる。

 強制的に終盤へ移行、正確にはそのサインを見逃した雛鶴さんだが、あそこからどう切り返すのか。それを待っていたけど。

 粘り強い守りを少し見せて、詰まされてしまう。合駒も見逃して、彼女の守りは剥がれていく。

 ちらりと、竜王を横目で見てみた。竜王もこの展開は予想外のようで口が開いていた。

 

 やっぱりあれは彼女本来の実力じゃないのだろう。あれじゃあどこにでもいるただの少女だ。

 雛鶴さんは最後まで抗おうとする。そう言えば最近、竜王と神鍋さんが戦後最長の総手数の棋譜を残してたっけ。だから最後まで諦めずに粘ろうとしたんだろうけど。

 その勝負は、もうついている。二方向から来る攻めを、片方しか守れていない時点で攻撃の手を止められない。対処できる金や飛車がいない。銀じゃ力不足だ。

 

 そして、天衣ちゃんが攻撃の手を緩めた。逃げた先の飛車の前に、駒音もさせずにチョンと駒台から歩を置く。

 侮辱的な一手に見えるかもしれない。そしてそれをされるまで気付かなかったのは彼女だ。

 周りで息を呑む音がする。天衣ちゃんに向ける目線が鋭くなる。特に天衣ちゃんをライバル視してそうな女の子の目線が、痛い。どちらかというと雛鶴さんの友達だろうか。

 逆に力のある人はため息をついているほどだ。もうすぐ奨励会に上がれるような中学生の男子達。彼らは天衣ちゃんの意図を察していた。侮辱的な手じゃないとわかっていたから。

 

 まるで相手に一手譲るような、戦場ではない場所への歩。譲っても問題ないからこそできること。

 もう、詰んでいると相手へ教える一手。

 雛鶴さんはその一手を見て大きく目を丸くして。盤面を覗き込み、駒台を見て。

 その一手のことを理解した。

 

「ま、け……ました」

「ありがとうございました」

 

 天衣ちゃんは綺麗にお辞儀をして、目を伏せたまま小物入れを持って立ち上がった。彼女がいつも持っている小物袋。そこに入っている扇子は、今日は途中で仕舞っていた。いつも激戦の時は左手に握っていたそれ。

 開かれるどころか、相手にその姿を見せることもなく終わった。将棋盤の影で隠れていて遠くから見ている僕にすら見えないまま仕舞っていた。

 研修会は対戦結果を幹事に勝者が伝えて、対局が全て終わればそのまま帰っていい。だから久留野七段に勝敗を伝えて天衣ちゃんはそのまま部屋から出ていく。今日最後の対局だったんだろう。

 

 感想戦をやる状態じゃないと、わかったからこそ確認もせず出ていった。それが余計に他の女の子を怒らせたけど、それは違う。なのに、彼女の師匠であり棋士の僕はそれを口にできない。

 久留野さんの面目を潰すことになるし、彼女たちの師匠の顔に泥を塗ることになる。僕自身も一門に泥を塗る。だから、我慢した。

 晶さんに天衣ちゃんを追いかけてもらうけど、僕は聞くことがあった。雛鶴さんは泣き崩れて他の女の子に慰められているけど、それどころじゃない。

 

「久留野七段。さっきの対局はあれで同格だったんですね?」

「碓氷六段……。はい。私も始まる前までは……。違いますね。組み合わせを考えた時点では香車落ちが手合いだろうと思っていました。何しろ雛鶴さんの入会試験の二回戦を私が、三回戦を空女王が勤めたので。もちろん駒落ちですが」

 

 久留野さんが自分で確かめた?それで力を示して実際入会して、なのにあの始末?

 いくら竜王が驚いていたとはいえ、そこまで波があるのか?まさか焙烙さんみたいに強い時は凄く強くて、弱い時は自滅するほど弱いとか?

 

「今日変だなと思ったのは一局目です。級は上ですが、雛鶴さんの実力であれば余裕を持って勝てるであろう相手でした。けれど彼女は辛勝。二局目も同じような戦局で、三局目で彼女は負けました。何かおかしいとも思いましたが、体調不良でもなさそうですし対局をズラすわけにもいかずにそのまま続けましたが、ああいう結果でした。本来であれば、もっとできる子だと思っていたのですが……」

「そう、ですか」

 

 久留野さんの目が信用ならないとは思っていない。かなりの数の子供を見てきたこの人なら、それが適正だったんだろう。直接確かめてもいるんだから。

 そう思った結果が駒落ちでの虐殺。しかも、最後に余計なことをしなければ王手を仕掛けなければならないほど盤面も見えていない状態になるほど集中力を欠いた彼女。

 彼女が研修会に入って初めての例会のはずだ。二週間しか経っていない。それであれだけボロボロになるだろうか?入会試験より一局多かったとしても、久留野さんや空さんを相手にするよりはよっぽどマシなはず。

 竜王が何かしたのか。それとも入会試験が限界だったのか。

 二週間で、研修会に入って弱くなるなんてことがあるのか。対戦相手が弱くなってやる気がなくなる女流帝位じゃないんだから。

 

「わかりました。お時間を割いていただきありがとうございます。……それと、最後の一手については勘違いしている子にはフォローしていただけるのですか?」

「いえ。それはできません。あれを侮辱的な一手だと思っているのであれば、一手損角換わりはおろか二手損角交換も否定されなくちゃいけない。自分で気付かなければいけないことです」

「……厳しいですね」

「ここは学校じゃありませんから。棋士を育成するための機関です。……王手を宣言されることと先ほどの一手。どちらが屈辱的かというだけの話です」

 

 さっきの一手は盤面か棋譜を見なければ一手譲られたことを、詰んでいることを理解できない。けどここには他にも対局をしている人がいる。その中で「王手」という声が聞こえることは、集中力を失うかもしれない。

 天衣ちゃんは周りに配慮した。自分の他に対局している人を。

 研修会に参加している人達は棋士及び女流棋士になるために努力している人達だ。王手をかけられる前に詰みを見付けられて、その前に相手に「負けました」と認められる人を育成する場所。

 

 粘るのはいい。持将棋もいい。けど、負けていることを認められずに「負けました」と言えない人は棋士になれない。そして詰みを読めない弱い人間は落ちていくだけ。

 「王手」と言われるまで詰んでいることに気付けない人間に配慮するような場所じゃない。ここは棋士への登竜門であり、実力を高め合う場所。

 実力があることが大前提で、仲良しこよしの場所じゃない。そういうことだろう。

 

「お仕事中失礼しました。退席します」

「いえ。弟子のことですから当然でしょう。気にはかけます。二人ともね」

 

 やっぱり久留野さんは良い大人だ。それがわかって一礼してから立ち去る。竜王は雛鶴さんの方へ向かっていたけど、何か言うつもりはない。

 僕は僕の弟子が心配だ。

 下へ降りて一階の自販機の前のベンチ。そこでお茶のペットボトルを飲みながら座っている天衣ちゃんがいた。

 

「天衣ちゃん。大丈夫?」

「……気にしてないわよ。他にも実力がない相手は今までにもいたもの。……ただわたしが、あの子に期待しすぎただけ。たった四ヶ月しか将棋を知らない子。あの竜王の弟子。空女王に追い縋れるもう一人のあい(・・)。……お兄ちゃん。来週東京に行くのよね?」

「うん。金曜の夜からね」

「指しましょう?わたしはまず空女王に追いついて。──棋士になるわ」

「わかったよ、Principessa(プリンチペッサ)。これからはもう少し東京へ行く頻度を増やそうか」

「今度は何語?」

「イタリア語のはず。あ、『ゴキゲンの湯』にする?」

「どっちでも良いわ。もっと強くなって、あなたと戦いたいもの」

 

 それは公式戦でってことかな。棋戦によっては女流でも当たる可能性はあるけど、目標を高く持ってるのは良いことだ。

 この後桂香さんにお土産を渡して、師匠の家に寄ってお土産を渡した。師匠は天衣ちゃんが可愛くて仕方がなかったのか色々な手土産として将棋の本や簪、それにお小遣いとして一万円を渡して記念撮影をしていた。僕も写真撮られた。大槌師匠は最近寝たきりになってしまったので、孫弟子の来訪が嬉しかったのだろう。

 本当に棋士の皆さんって身内には甘い。師匠にとっては孫弟子に当たるし、年齢からしても孫に変わりないから可愛がってしまうのだろう。

 

 貰えるものは受け取らないと失礼なので、貰ったお金で美味しいスイーツを食べに行った。すっごく高くて三人で一万円を使ってしまった。怖い。

 僕の家に帰ってからは名人へ連絡を取って予定を聞き出して、研究会のセッティングをした。名人の都合が悪くてこっちにいる時に生石さんを訪ねれば良いや。

 生石さんは食べ物要らないとか言うから娘さんと奥さんへのお土産としてあぶらとり紙を買ってある。今度行った時に渡せば良いだろう。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。