僕のおしごと 作:駒木
天衣ちゃんのマイナビ一斉予選の前に修行をしようという話になって久しぶりに「ゴキゲンの湯」に来ていた。女流は振り飛車が非常に多い。だからここの常連さん達は良い仮想敵になる。その時に生石さんから初情報を聞かされた。
「えっ。竜王も来てたんですか?あの居飛車しか指さない人が?」
「ああ。山刀伐との対局で振り飛車使ってただろ。二週間で鍛えてやった。というか、居飛車一筋のあいつが山刀伐に勝てるほどの振り飛車を俺以外に誰が教えられるんだよ」
「同門の誰もそんなことしませんからね。確かに。来るなって言ってた例の二週間ですか」
山刀伐さんから「八一くんに負けた〜。慰めて」というメールが来てたから棋譜を見たけど、限定合駒三連続で読み切るって凄いよね。何で振り飛車指してるんだろうとは思ったけど。
まあ、生石さんなら納得。
天衣ちゃんにはお客さんと指させているのに、僕らは雑談をしている。というか、実は棋譜の情報提供だったりする。
名人研の相振り飛車の棋譜を渡して生石さんにも検討してもらおうということで渡していた。将棋の全部なんてこの一生じゃ理解しきれない。コンピューターが発展してもこの先百年あっても足りないと投げるくらいなら、協力者を増やそうという話。
名人研に参加するつもりのない生石さんだけど、なら相振り飛車だけでも受け持ってもらおうという名人の差し金だったりする。とりあえず最近の五十局分を渡した。
「でも、二週間で振り飛車マスターですか。才能が違いますね」
「ああ。『不利飛車』なんて蔑称使ってたくせに、不出来ながらも振り飛車を使ってみせた。山刀伐の長年の努力を嘲笑ってるようで背筋が冷えたよ。……だが、山刀伐は全く折れてない。この棋譜を見りゃ分かる。竜王戦はどうなるか」
「僕は負けちゃったんで、気楽に観戦しますよ。他の棋戦に力入れます」
山刀伐さんはちょっとショックを受けていたけど、すぐに立ち直ってまた僕達と研究をしている。最近は名人と竜王戦があったから僕は参加しなかったけど、二人はちょくちょく研究をしていたらしい。
後からその時の研究ノートもらったけど。ズルい。ズルいものはズルい。
「竜王も一人で来たわけじゃないでしょう?弟子はどう思います?」
「あー、『ひな鶴』の娘さんな。脳内将棋盤が十一あることと詰め将棋はバケモノだと思った。……だが、それだけだ」
「十一って。僕でも三つかそこらを並行するのが限度ですよ。それに詰め将棋ですか。終盤が強かったりは?」
「その終盤が強かろうと、序盤中盤で圧倒しちまえば敵じゃない。詰め将棋に至るまでに相手を潰せばおしまいだ。特に早指しだと定跡をまともに知らないあの状態じゃ勝ちは続かねえよ」
さすが兄弟子。僕と思考回路が一緒だ。まあ、「ゴキゲンの湯」なんて付けちゃうほどの人なんだからゴキ中とかの速攻大好きなんだろうけど。
「女流なら通じる相手もいるだろうけど、今のままじゃタイトルホルダーには吹っ飛ばされるな。研修会も上の方は無理。奨励会に入る前に吹っ飛ばされる」
「それを竜王に教えました?」
「教えるか。人様の弟子に、しかも居飛車ヤローに。それにも気付けなかったらまだ師匠の器じゃないんだろうよ」
「……師匠の器ってなんでしょうね。僕もこれで良かったのかってずっと悩んでいます。天衣ちゃんへの指導は幼少期からの延長と、僕が奨励会の頃から感じていたことを伝えているだけ。それだけで強くなったのは天衣ちゃんの才能と努力の結果です。師匠らしいことってできてないなあって悩んでいて……」
「このバカが」
「イテッ」
生石さんに頭叩かれた。バカって言うなら頭叩かないで欲しい。余計バカになっちゃうじゃないか。
「師匠なんて結局、自分が経験したことしか伝えられねえんだよ。子育てと一緒だ。ちょっと先輩としてアドバイスする。ご褒美をあげる。一緒に将棋を指す。師匠なんてそんなもんだ。堅っ苦しく考えても無駄無駄。それで天衣ちゃんは不満を持ってないし、弱点とかあるわけでもないんだろ?十分じゃねえか」
「十分、ですか?」
「ああ。いくら師匠が親身になったって腐る奴は腐る。伸びない奴は伸びない。育てた奴が全員棋士になれるか?なれねえよ。そういう世界だ。天衣ちゃんは今楽しく将棋を指してる。勝ち星も順調に稼いでる。悩みを相談されたら真摯に聞いてやる。それでいいんだ。それにお前まだ中学生だろ。お前だって本当は庇護下にいないといけない年齢なんだからな」
まあ、義務教育通ってるし。僕も色々教わる側だ。研修会や奨励会ならアドバイスできるけど、棋士としては新人。女流については全然関われないから調べるくらいしかできない。
これからも失敗するだろう。情けない姿を見せるだろう。それでもいいと、兄弟子は言ってくれた。
「二人三脚で進めばいいんだよ。本当にわからなくなったら大人に聞け。お前さんらはまだそういう年齢だ」
「そうですね。焦らないようにします」
「おう。……それにしても、どっちも『あい』なあ。師匠が同期の中学生棋士となると偶然にしちゃあ出来過ぎだな」
「同い年で将棋の才能もある同じ名前ですからね。でもちょっと、将棋に関わるのが遅かったですかね?」
「目標がどこかにもよるだろ。女流なら今からでも全然間に合う。指導免許を取るとかでもな。今の所彼女は女流になって八一の聞き手をするのが目標らしいぞ?」
「ええー……。微妙に目標低ぅ」
女流棋士になるで頑張っている女の子もいるだろう。それこそ女流タイトルを取りたい、空さんのようになりたいって子もいるはずだ。
なのに目標が聞き手。しかも師匠の。
じゃあ師匠以外の聞き手はしたくないのか。女流で満足してタイトル戦には参加しても女流で居られる程度に流すのか。
楽観視がすぎないかなあ。
「やっぱり女流タイトルを持ってる人とは意識が違うなあ」
「そんなに関わりあったか?」
「天衣ちゃんが弟子になる前に雑談がてら結構聞き回ったんですよ。釈迦堂さんは将棋の普及、月夜見坂さんは竜王との公式対戦、供御飯さんは最近知ったんですけど観戦記者になりたくて。祭神さんは純粋に強い人と戦いたいからでしょうけど。タイトルホルダーじゃないですけど鹿路庭さんも向上心の塊ですし。女流ならまだしも、付属の仕事の聞き手がメインって」
「まあ、俺もそれ聞いてもし一緒に仕事することになったらこの子真剣にやってくれないんだろうなって思ったよ。意中の相手じゃないんだからな」
仕事は仕事でちゃんと誠意を持ってやらないとダメだよね。まだ小学生だからその辺りの意識がないんだろうな。
「そもそも、何で二週間とはいえ研究会受けたんです?生石さん僕以外とは奨励会のもう一人としかやってないんですよね?」
「そのもう一人ってのが銀子ちゃんでな。銀子ちゃんに頼まれて仕方がなく二週間だけってオチだ」
「え……?あの『おまえ、生石か?うちの師匠をいじめるな!!振り飛車なんて消えてなくなれっ!!』って啖呵を切った空さん?」
「そう。その銀子ちゃん」
昔将棋会館にやってきた清滝一門から空さんが一歩出てきて啖呵を切った事件。僕がたまたま大槌師匠に会って興味を持たれて棋士室に案内された時の話だ。その流れで生石さんの指導対局を受けていた時の話だからよく覚えている。同い年の女の子がすごいこと言ってたから印象深い。
その頃から振り飛車大好きな僕としては未だに空さんが苦手だったりする。最近は同族意識ができて険悪ではないけど。
「よく研究会やるつもりになりましたね……」
「彼女の研究量半端ないからな。俺も勉強になる」
「それ、僕に言っちゃって良かったんですか?」
「二週間奪ったお詫びだそうだ」
「律儀だなあ。空さんの恋路、うまくいくといいのに」
「お前も人の恋を応援したりするんだな」
「しますよ。横恋慕とかじゃなければ。まあ、竜王はそういう噂が多いのが心配ですけど」
「同期なのに随分違うよな。お前に女の影とかないのはどこで差がついたんだ?」
「別に今は恋愛とかいいですよ。自分のことと将棋のことと天衣ちゃんのことで手がいっぱいですから」
「……ふうん?こりゃ大変だ」
・
「天衣ちゃん、マイナビ本戦出場おめでとう」
「まだよ。挑戦者になるまでは通過点だもの」
八月上旬。僕の竜王戦と同時期にあったマイナビの一斉予選ではすごく強い人に当たることなく本戦に出場となっていた。それと驚いたことに清滝桂香さんも。彼女は今回の本戦で勝てば女流棋士としての資格を得る。
もう研修会も年齢ギリギリだったっけ。去年から調子がいいみたいとは天衣ちゃん談。研修会に何度も顔出せなかったし、あまり詳しくはない。晶さんもそこまで他人の成績を調べようとは思ってないだろうし。
連盟のHPを見れば戦績載ってるけど、そこまではしたくない。
「一回戦、月夜見坂女流玉将かあ」
「横歩取りが得意な人ね。女流帝位には吹っ飛ばされていたけど、女流では強い人でしょう?」
「奨励会にも挑戦した人だからね。名人だって勝率は七割……今期だけで言えば八割だ。最強の人でも二割は負けるんだから、油断したら負けるよ」
「わかってるわ」
そんなことを言いつつ、今日の本題はマイナビのことじゃない。正確には明日の明朝だけど、数年ぶりにある竜王戦の海外遠征。第一局をハワイでやっていて、その生中継を見ようと思っている。
最近買った高性能ノートパソコンにコードを挿してテレビに繋げる。これで大画面でネット中継を見られる。
大盤解説も合わせるとこうして見るのが一番だ。むしろこれだけのためにノートパソコンを買った。あとは名人との研究会で纏めたデータを見せる時くらいだろうか。
ハワイとは十九時間の時差がある。向こうの九時に対局開始なので天衣ちゃんは前泊をして僕の家で朝の三時半に起きて、四時からの対局を見る予定だ。
だから早めに寝る準備を済ませて、実際さっさと寝た。そして三時半に設定しておいたアラームに叩き起こされて目覚めたけど、晶さんは鳴った瞬間止めていた。ボディーガードってすごい。
三人眠いまま準備をして見守る。電気も点けて色々準備をする頃にはすっかり頭は回っていた。
先手は竜王。お互い角道を開けるスタンダードな始まり。その頃には晶さんが紅茶とラスクを用意してくれていた。ラスクは袋に入っているそこまで高くないもの。朝ご飯前にちょっとお腹にものを入れておこうくらいのもの。
お礼を言いつつ軽く食べて、三手目が終わっていた。竜王が飛車先の歩を進めていた。
「一手損角換わりかなあ」
「そうでしょうね。あの人は一局目、初対戦の相手にはその人の得意戦術を使うもの」
天衣ちゃんも同意してくれたように、名人は角交換。これに竜王が驚いてたけど、予想してなかったんだろうか。
名人は盤面真理を求める。たとえどんな記録がかかっていようと、その人が得意戦術とするのだから自負もあって詳しいはず。自分の知らない盤面が見られるかもしれないと期待して得意な戦型を調べて使う。
生石さんも昔それを喰らって、相振り飛車で調子を落としたって言ってたな。やってくることがわかっていても、実際にやられるのはよっぽど傷になったと。
僕の初対戦は奨励会しかデータがなかったし、記念対局ということもあって振り飛車じゃなく矢倉だったけど。
それでも負けたけどね。
竜王は初の防衛戦で浮足立ってるのかな?
それから竜王が穴熊を組んで、名人は薄い守りだけど攻守のバランスがいい陣形を組んでいた。結構広く駒が散っている。
「竜王は随分手堅いなあ。それに手が早いような……」
「そういえば直前くらいに竜王からLINE来てたわよね?嫌そうにしてたけど」
「ああ、そういう内容じゃなくて名人のこと聞かれたよ。三戦指してみてどうだったかっていう感想求められて。ありのまま『楽しかったし面白かったし強かった』って返しておいた」
「名人との対局を、しかも記録がかかった大勝負を楽しい、面白いって言えるのはお兄ちゃんくらいよ」
そうかなあ?僕はまだまだ名人と公式戦で戦う機会があるだろうし、名人は全盛期に戻って来てるというか、山刀伐さん曰く今が全盛期って言ってた。七冠獲った時よりも強いんだろうか。
実際に対面して指さなきゃ比較できないよなあ。
「竜王からもあり得ないって返ってきたけど。実際楽しかったんだからいいじゃない。新しい発見もいっぱいあったし。案外筋違い角もやり方いっぱいあるってわかったから」
「あの対局のニコ生、大変だったわ」
「……はちみつアルテナでいい?」
「物で釣ろうなんて、安直だわ。……それでいいけど」
そんな小言をもらいつつ、その日はゆっくりと対局を観戦して一日目は五十手目で終了。名人が封じ手をしていた。
明日も同じように観戦するつもりなのでさっさと寝た。また三時半のアラームで起こされて、のそのそと動き出す。
棋士って夜まで対局が長引くことが多いから夜遅くに寝るんだけど、その分朝は対局さえなければ寝てられる。
けど僕には学校がある。今は夏休みだからいいけど、これ若いからできる無茶だよなと思っていた。
封じ手も発表されて、やっぱり紅茶を飲みながら戦局を眺めるけど。
「うーん。まずいかな」
「どっちが?名人がハイペースで指してるのはわかるけど、そこまで悪い状況?まだ中盤なのに」
「ああ、うん。一見竜王が有利に見えるけど、竜もあるし、手番も握ってるけど。全部受け潰されてるよ」
「は?……待って。なら……違う、ダメ。……違う。違う……。ほ、本当に攻め筋がない……!?」
そう、攻めているはずなのに攻め筋がない。大駒の準備ができているのに、それを仕掛ける先も、有利にする道筋も、ない。
かといって角を犠牲にしてまで作った竜を橋頭堡にするの馬鹿らしいし、大駒を失う。駒得だけを考えれば竜王がとても有利に見えるけど、その先がない。
竜を生かしつつ攻める前に、名人に手番が回る。
駒得させて、実は歩とかの弱いとされる駒でじっくりと攻めている。毒攻めみたいだ。
「ど、どこから……?」
「流れが変わったのは、2三角かな。角を捨ててでも竜を作りに行ったでしょ。穴熊だから大丈夫だと思ったんだろうけど、角を捨ててまで金と桂馬をもらって、竜王を作って。竜王は最強の駒だけど孤立無援にしたら何も意味がないから。飛車はあくまで牽制で馬を作りにいけば金と桂馬がなくても攻められたはずだけど……。その変化手を並べようか」
竜王が長考に入ったみたいだし。
折りたたみ式の将棋盤を出して並べる。そこで2三角ではなく4四歩にする。と金狙いかつ牽制の歩だ。別に金を奪いにいかなくても自力で作ればいい。
多分竜王は初めての防衛戦で焦ってる。竜を簡単に作れる状況が産まれるんじゃなく、作らされていると思わないと。
「うん。下準備が足りない。今からじゃ攻め続ける前に息切れを起こすよ」
「で、息切れした後に名人はもらった角と準備していた歩で攻めるのね……。ここからなら角が二つあれば歩と銀で十分穴熊を削れる」
「そ。と金にしてもいいし、ここから名人はいくらでも攻められる。竜王が勝ち目というか逆転するなら穴熊の強化をしてまた150手以上の長丁場にすれば芽が出るかもだけど、攻めた瞬間に終わる。大阪名物の持将棋に持ち込んで、名人がミスすればってところかな」
長考が続いて昼食の注文を取りにきたスタッフさんが中に入る。竜王はホットサンドを頼むけど、名人はコーヒーだけだった。
持ち時間も逆転したし、おやつの時間もあるから無理に食べなくていいって考えかな。
「これ、もう……」
「守りを固められても、名人は三十手以上攻め続けられる。そして、それだけあれば穴熊は終わる。おやつを食べたって竜王の持ち時間を考えれば向こうの時間で五時前には決着が着くよ。名人のことだからおやつを食べて糖分補給して、夜は今日で終わりだからハワイの美味しいものを食べに行こうとか考えてるんじゃない?家族総出でハワイに行ったはずだし」
「家族サービスまで考えているとは、名人は凄いな……」
晶さんが呟くけど、実際すごい人だ。というか、僕もこの先を読めてるから名人が大ポカしない限りはそう推移するはず。
向こうがお昼休憩になったのと同時に僕達は外へ朝のランニングに行った。七時過ぎだからちょうど朝の散歩とかで人手があった。晶さんも一緒に走るらしい。いつもそうしてるらしいし、昨日もそうだった。
昨日初めて天衣ちゃんのランニングウェアを見たけど、最近のそういう運動着って可愛らしいもの多いんだね。知らなかった。テニスウェアみたいにピンクのラインが入っているし、背中のメーカーのロゴもピンクだった。
なんというか、よく似合っていて。でも言葉にするには的確なものが出てこなくて純粋に「可愛いね」としか言えなかった。もっと言葉の勉強しないとなあ。
僕と晶さんは黒いジャージだった。僕に至っては中学校のジャージだし。実用性大事。
三十分くらい軽めに走って、家に着いたら三人で朝ご飯を作った。最近料理に目覚めているらしく、気分転換で料理を習ってるとか。調理実習ではまったとか言ってた。
その朝ご飯を食べ終わった頃に竜王がようやく着手。長い長考の結果歩で攻めたけど、その瞬間名人が目を大きく開き、メガネを外してレンズを拭きながら大きく溜息をついた。息を吐いただけに聞こえなくもないけど、僕や山刀伐さんなら気付いただろう。
落胆の吐息だと。
名人はその歩を無視して手番を握った。そのままミスもせず攻め続け、穴熊が消えていき。
おやつ前。名人が玉の隣に金を打って、竜王が頭を下げた。
「いやあ。まさか相手が初の防衛戦第一局、海外の上に大記録が差し迫った将棋で落胆の様子を隠さないなんて」
「いつぞやの挑戦者に舌打ちするよりいいんじゃない?」
「どっちもどっちかな。さて、次の名人からのお呼びはいつになるんだか。天衣ちゃんのマイナビで東京に行くのが先かな?」
「同じ日に対局あったわよね?」
「玉将戦の対局だね。いやホント、東京行く回数多くない?」
「それだけ勝ってるってことでしょ」
「じゃあお互い頑張るってことで。横歩取りで指すよ」
「ええ、お願い」