僕のおしごと 作:駒木
竜王戦第五局。今度こそ名人が竜王奪取なるかということでこの日も大阪会館には結構な人数が集まっていた。
一日目のおやつ過ぎぐらいから、名人が定跡から外れる。三間飛車を指している時点で近くの生石さんが「寿司……」と呟いていたのを忘れない。ご馳走様です。
「この囲い、見覚えないが……。何だこれ?」
「これで守れるのか?随分とバランス悪くね?」
「竜王もそう思ったのか、長考増えたな」
棋士室でもそんな感じで名人の意図が読めずに困惑していた。名人の研究結果がわからない形に突入したせいで誰もが頭を抱える。名人の対局だともう見慣れた光景だ。
「おい、碓氷。これ御城将棋だな?……知ってたんだろ」
「本当に使うとは思いませんでしたけど。『十年前の研究で驚いたから、こっちは二百年以上前の棋譜引っ張ってきたよ。どう対処する?』って感じに名人は考えているかと。名人が竜王を認めたんですよ。盤上真理を探る相手として」
「お前はどこで名人がこれを使うって知ったんだよ?」
「竜王戦の挑決で。面白い棋譜多いから何か発見あったら教えてくれって言われまして。大槌師匠にも棋譜集め手伝ってもらいました」
将棋の棋譜とはいえ御城将棋は、めちゃくちゃな棋譜が多いから記録上残してるだけで、見向きもしないような棋士も多い。定跡なんて知ったことかと指しているものもあるし、御城将棋という特徴から途中で指し手が当時の将軍やご家老に変わって、意図が変わってる棋譜も複数。
それを研究する意味があるのかと言われたら、棋士としては微妙かもしれないけど、盤面真理を求める名人としては面白かったらしい。
偶然の一手なのかわからないが、面白い一手も多い御城将棋。将軍の前だったからか普段指さないような手もあるので変化手を考えるだけで面白いし、乱戦力戦になった時に考える力をつけさせるという意味でも重宝した。
天衣ちゃんにも結構考えさせたし。
「膨大な量ある中から三間飛車を的中させんなよ」
「振り飛車の可能性は高いと思ってましたよ?名人、このシリーズでは振り飛車使っていませんでしたから」
「まあ、なあ。んで、何で三間飛車だと思った?」
「この棋譜、検討のし甲斐がたくさんあるからです。変化手いっぱいで楽しいですよ?」
「なるほど。名人が選ぶわけだ」
初日はそんな困惑を隠せない終わり方だった。名人が封じ手をして終わり。大盤解説は釈迦堂さんと神鍋さんの師弟が行なっていることもあってTVの視聴率も良いらしい。というか、このシリーズは世間的にも注目度が高いのだろう。
「それで兄弟子。いつにします?」
「……後でスケジュール教えるから、そっちで合わせてくれ」
「わかりました」
約束を忘れない。美味しいお寿司を食べられることが決まって僕はホクホクだ。
次の日も棋士室に集まって竜王戦に集中した。特に検討に至っては無限の可能性があったので将棋盤はフル稼働だった。
「左攻め、桂馬の高飛び、馬を作ってもいいか……?時間足りねえな、これ」
「竜王もしっかり考えていますけど、名人の方が研究しているだけあって時間消費が少ない。竜王だって最善手を指してるはずなんですが」
「変化手が多すぎる。全部を読み切るなんてソフトでも難しいんじゃない……?」
人間の脳じゃ考えられるパターンに限りがある。いくら三連続限定合駒を読み切った竜王でも、全部の変化手から詰みまでは読めないだろう。いくら持ち時間の長い竜王戦といえども。
そもそもその読みを、名人に外されたら考えていた時間が無駄になる。昔の人が自由自在に指したものだからこそ、対応がしづらい御城将棋。
全く通らない変化手ももちろんあるけど、それはお互いに潰し合う。それでもたくさんある道筋が二人を疲弊させるけど、やっぱり名人は研究しきれなかった変化手を見せてくれることを楽しんでいる。
これタイトル戦なんだけど。しかも大記録がかかった、日本中が注目する。政府の方々も今日こそはと思っているのに二百年前の棋譜を持ち出したことを知って困惑してたって鹿路庭さんがLINEをくれた。
「昔の棋譜も、掘り起こすかあ」
「ですね。バカにできないってわかりましたし。名人が使ってくるなら対処できるように研究しないと虐殺されますよ。最新の研究が全てってわけじゃないですからね。ワクチンできた!って喜んでいても、奨励会員が三日後にその解決策見付けたなんて話ザラですし」
最新の研究も全く最新じゃなかったとか、この将棋界でよくある。最新の研究が過去の戦法によって覆されるとかも多々。だから僕達棋士は研究を続けるんだけど、どうしたって時間に限りはある。
だからこそ面白いし、棋戦が楽しくなるんだけど。
生石さんが大槌師匠に少し古い研究を分けてもらうことを決めた頃、盤面が動いた。名人が怒涛の攻めを始めたのだ。
もう名人には終局が見えているのかもしれない。
竜王も大阪の勝負師特有の粘り強い将棋をするけど、それを名人が食い破る。竜王の持ち味は薄い防御で足りる息継ぎをさせない攻撃だと思ったけど、なんか最近って防御に重きを置くようになったんだよね。指す将棋が変化したんだろうか。
結局、夜の九時過ぎ。竜王が頭を下げたことで終局。
名人がタイトル通算100期と永世竜王の称号を手にした。前人未到の偉業に対局室には大量のフラッシュが焚かれて、ニュース速報も大量に流れ始める。
「八一は残念だったが、四・五局目は良い将棋だった。これであいつはただの八段か」
「来年にはすぐにまた竜王に挑戦すると思いますけどね。他のタイトルも駆け上がってくるかもしれませんよ?それこそ玉将とか」
「そん時はそん時だな。しっかし名人も大変だな。終わってすぐ移動して、東京ですぐに国民栄誉賞の授与式と記者会見をぶっ続けなんて。明日でいいだろうに」
「政府の支持率回復のためでしたっけ?それに巻き込まれた名人は災難ですよね。そんなもの要らないとか思ってそう」
勝負も終わったので、大阪会館からみんな退散。天衣ちゃんと晶さんと一緒に家に戻って、お風呂に入ってから名人の記者会見を見ていた。
嫌そうな顔で記念品の筆や硯を受け取って、そのまま記者の質問に答える顔は不機嫌だ。というより疲れてる?いくら五局目が神奈川だったからってそのままデスマーチは。
ああ、九頭竜さんと感想戦できてないから不満なんだ。感想戦よりもこっちを優先させられたから。
『この偉業を達成した上で、戦いたい相手などはおられるのでしょうか?近年ではコンピューターやソフト、AIの発展が著しいので、そういった人以外との対戦も視野に入れているのでしょうか?』
『いいえ。機械は機械でしかありません。私が指したい相手はあくまで人間。そして今注目しているのは女性の躍進。私は公式戦で女性と戦ったことがありません。それでも、女性の方々の驚くような棋譜や、私でも指せるかわからない名譜がいくつも存在します。制度や立場の問題から様々な障害がある女性でも、素晴らしい将棋を指す。私が知らない光景を見せてくれる。だから──私は女性と、研ぎ澄まされた空気の中で指してみたい。そう考えています』
名人の堂々とした宣言。それに隣で見ていた天衣ちゃんは目を丸くしてテレビの奥の名人をじっと見つめていた。
『男女で将棋の能力は変わりません。男だから強い、女だから弱いなんてことは、あり得ない。それを示す棋譜はいくらでもあるのに、認めない風潮が嘆かわしい。事実、棋士を負かす女流棋士も、奨励会を順調に駆け上がる女性も、小学生でありながら奨励会に進もうとする才女もいる。これから女性も、どんどんとこちらへ来るでしょう。その時、不甲斐ない将棋を指さないために牙を研ぎ続けるだけです。
私は今回このような賞をいただき、皆さんが偉業だなんだと持て囃してくれますが。将棋の普及や女性の躍進に繋がった釈迦堂里奈女流名跡こそこの賞を受け取るに相応しい人物だと思う。私の為したことなど、彼女の足元にも及ばない。私はタイトルを獲った回数が多いということで表彰されましたが、最年少竜王となり、八段昇段の記録を作った九頭竜八段や、史上最年少プロ棋士となった碓氷六段と比べれば、ただ実績を積み上げただけの先を歩く人でしょう。彼らならどちらかがこの記録に届く可能性も十分あります。彼らこそ将棋界の星なのだから。私はあくまで、案内役でしょう。
私はもう舗装されきった道を歩いてきただけですが、女性は道ならぬ道を自分の足で踏み越えている方々です。そんな方々の将棋に対する意欲を、執念を、熱意を。私は尊重する。その上で、盤面で見せてほしい。私が望むのはそれだけです』
僕の名前はおろか、天衣ちゃんのことも示唆されてる。これはこの後ネットが荒れそうだなあ。全国放送でこんなこと言っちゃって、名人は何を考えているのか。
いや、本心を語ってるだけだ。疲れて頭が働いていないんじゃないだろうか。
『今日私が使った戦術の元になった棋譜は、江戸時代のとある将軍と大奥に務める女性との間で行われた将棋になります。私は脳科学には詳しくないので男女の性差が脳の働きに差があるのかもしれませんが、この棋譜を見た時にその柔軟さと視点の違いに気付き、呆然としました。事実、将軍が負けています。この将軍は将棋が好きなことで有名だったので、それほど価値のある棋譜だったのでしょう。
将棋は二人で指します。そして、成立してから一千年以上経つのに果てがありません。その果てを解明してくれるのは、これまで研究を続けてきた男性ではなく、女性なのではと。最近は思います。ですから、女性と盤を挟んで奥深さを探求したい。その日を渇望します』
それからもいくつか質問があったが、その女性への言及がインパクトありすぎて他はあまり耳に入ってこなかった。
なるほど、天衣ちゃんや鹿路庭さんと積極的に指そうとしていたのはそういう意図があったのか。それに女流のことも結構確認していることが意外だった。
面白い棋譜はもちろんあったけど、そこまで注目していただなんて。
「……名人には参るわね。こんなこと言われたら、頑張るしかないじゃない」
「期待に押し潰されないでよ?」
「大丈夫よ。お兄ちゃんと二等分だもの」
二、かなあ。他にも結構示唆されてたから注目と期待されているのは数人いるけど。
まあ、良いモチベーションになったかな。これで結果がついてくれば最高なんだけど。指導にも力が入っちゃうなあ。僕もまだまだ頑張らないと。