僕のおしごと 作:駒木
竜王戦も終わって年末が近付いてきた頃。九頭竜さんに頼まれてある場を整えていた。
とはいえ、珍しいものじゃない。ただの研究会だ。場所も将棋会館の空いている棋士室にしたので集合する手間もなかった。関東式の誰かの家に集まって研究会の方が秘匿性があるけど、誰かさんのようにJS研という見られて困るものにはしないからこれでいい。
どうせ会うのは本人と弟子だけなんだから。天衣ちゃんにはご足労になっちゃったけど、名人研と生石さん以外とも研究会をやってみるのは面白いと思って承諾した。
天衣ちゃんと合流してから棋士室に行くと、既に九頭龍さんと雛鶴さんはいた。
「すみません、九頭竜さん。お待たせしてしまって」
「いいよ。夜叉神ちゃんが遠いのはわかってるんだから。こっちこそ、研究会受けてくれて助かる」
お互いの師匠の前に、相手の弟子が座る。師匠同士、弟子同士でもいいんだけど、それだったら研究会じゃなくてもできる。
それに竜王戦の時にちょっと生意気な口を聞いたからそのお詫びもある。
ぶっちゃけ相手の強さがわかっていないので、どちらも平手で指す。特に雛鶴さんは相手が強いと強くなる女流帝位タイプなのか、波がありすぎる焙烙さんタイプなのかわからない。今日も強いのか弱いのかわからないためにこれが一番いい。
「えっと。平手でいいんですか……?」
「九頭竜さんにも平手で指してもらうから。事前にそう決めてたし、これでいい」
そういうわけで始める。以前見たように何が何でも相掛かりというのはやめたらしくて、序盤も勉強し始めたようだ。生石さんも振り飛車を教えたって言ってたけど、振り飛車は使ってこなかった。僕が振り飛車党というのもあるだろうけど、師匠が居飛車だからな。
まあ、それでもちょっと突つけば脆く崩れそうな危ない指し回しなんだけど。
気分としては指導対局だ。天衣ちゃんにやるものではなく、道場にいるような子供にやることと一緒。天衣ちゃんなら実力がわかってるから本気で色々試せるけど、今は雛鶴さんの実力、指し方を知りたいからお互いゆっくり考えられるような戦術を使っている。
バシバシ飛車で捌いたら指導にならない。
囲いも作って駒がぶつかり合って終盤に入って。彼女は盤面にのめり込むように集中する。これが噂の終盤力か。
「こうこうこうこうこう……うん、ここ!」
長考の末に指した2三金。
うん、悪くない。堅実で丁寧な一手だ。
だからこそ、咎めてみよう。駒台から7六銀打ち。積極的に攻めているし、自分の読みに自信があるのだろう。そして防御力にも、終盤に対する意識も。
今彼女は酷くバランスを崩している。この終盤に辿り着くために序盤の指し回しを覚えて。様々な戦法に触れて、逆転しようとして。
だからこそ、経験が圧倒的に足らない。定跡を学び始めたのはここ一ヶ月のことじゃないだろうか。竜王戦が終わって九頭竜さんに教わったのだろう。将棋図巧を解いたことは凄いと思うし、僕は全部を解いていないからその価値を正しく把握できていない。
それが自信になっているんだろうけど、彼女の場合その詰に至る局面に入ったり、それこそひっくり返せる程度の局面なら強いんだろう。だけど、その前から崩れてしまえばひっくり返せないという事実は変わっていない。生石さんと話した時のまま。そんなすぐには変わらない。
詰ますことに意識が行きすぎて、防衛にあまり意識を割いていない。だからこっちの奇襲に対して、対処しようとして思考が止まる。多くの攻め筋から最適解を持ってこられたとしても、手番がひっくり返ることを想定していない攻めをすれば、途端に脆くなる。
一見意味のない、僕の銀打ち。いや、正確には本当に意味のない一手だ。けど、何か意味があるのではないかと確認してしまう。これが例会だったり大会だったら勿体無い時間消費だ。自分の読みを信じていたからこそ、予想外の一手に混乱する。完全に信じられる自信も備わっていない。
また長考して、その銀を無視して攻撃を続ける。僕は意地悪くその攻撃を無視して攻めを続けた。また考え込むけど、やはり無視して飛車を進めてきた。
十分でしょ。
「負けました」
「え?……あっ!ありがとうございました!」
僕が頭を下げて、雛鶴さんも頭を下げる。感想戦を始める前に、隣の局面を覗き込む。僕達と違ってまだ決着がついていなかった。
九頭竜さんは伊達眼鏡をつけたままウンウン唸ってるし、天衣ちゃんも扇子を持ちながら違う違うって呟いている。
それから十分ほどして、天衣ちゃんが負けた。
「はぁ〜……。疲れた。夜叉神ちゃん強すぎ」
「ありがとうございます。九頭竜八段に指していただき、良い経験になりました」
「そっちは……え?ここで終わり?どっちが勝ったんだ?」
「わたしが勝ちました。ししょー」
「……碓氷、何手詰?十九?」
「ですね。確認も終わったので終わらせました」
四人での研究会だったから棋譜は取ってないけど、この一局くらいならすぐに思い返せる。
まずは僕と雛鶴さんの将棋だ。
「最後の攻めから話すね。何で最後にこんな無理な攻めをしたんだろうって思ったでしょ?」
「はい。受かっている攻めだったので無視して攻めました。正解、だったんですよね?」
「うん。僕が勝つとしたら金を防いで、そこから竜で攻めなくちゃいけないけど。逆転するには三十手以上必要だね。そこまで長い将棋を指すつもりもなかったから終わらせたけど」
「あー、碓氷?あいのどこが悪かったんだ?」
九頭竜さんに聞かれて、思ったことをそのまま言う。雛鶴さんのために助言すると決めていたから、嘘偽らざる本心をそのままに。
「この将棋ではなく、彼女について言いますけど。やっぱり経験と時間が圧倒的に足りません。九頭竜さんと指すのもいいでしょうが、九頭竜さん以外の強い人と数多く指さないと九頭竜さんだけに勝てる子になりますね」
「対人経験。しかも強い人か。同学年とか、ちょっと上の級くらいなら勝てるんだよ」
「これだけ終盤が読めればそうでしょう。ただ定跡をしっかりと学んでいて経験値のある少し強い人には中盤までの差が大きくて捲れません。それと、雛鶴さんは防衛に対する意識が低いですね。確かに将棋は相手の王を捕まえるボードゲームですが、その前に自分の王が捕まればそれまでです。それに持ち時間もある。僕の無駄攻めにも長く考え込みましたから。防御を考えず殴り合いになったら、速攻が大好きな女流の皆さん相手には厳しいかと」
将棋は自分のリードを保って相手を追い詰めるのが一番効率がいい。だから序盤の定跡をしっかり勉強するし、新しい戦法などが出てきたらそれの対策を考える。その序盤と中盤でリードを取られないようにと訓練し始めたんだろうけど、まだ付け焼き刃。
上位者には勝てない。
それに女流の中には深く考えずに直感で指す人が何人かいる。それでタイトルホルダーにもなっているんだからその人たちと戦った際にどうなるか。雛鶴さんも女流タイトルを目指しているらしいし。それを聞いたのに目標がタイトルじゃなくて九頭竜さんの聞き手なんだからどういうことって頭を捻ったけど。
「雛鶴さんの読む力は確かに凄い。でも、読み過ぎている。全く要らない、必要のない手ですら読んでいるのでしょう。……何て言うんですかね。終盤のように追い込まれないと目の前に集中できない。最適解を最適解だと理解するまでに時間がかかる。……遊び将棋、はリスクが高いし。うーん」
「それこそ小学生名人戦でも出ればいいんじゃない?同レベルの相手は多いでしょ。それか街の将棋道場に行くとか、地方大会に出るとか。さっさと級を上げて女流の大会に出るとか」
天衣ちゃんもアドバイスをくれる。やっぱり人に教えるのは難しい。僕は最初が天衣ちゃんでかなり楽させてもらっている分、二番目以降の弟子を育てる時に苦労しそうだ。
天衣ちゃんは下地がしっかりし過ぎていたし、精神面も物凄く完成されている。我慢強いし、意欲もある。下地がない子を教えるのは大変だ。
「将棋以外の、何か一つに集中できることをやらせてみるとかですかね。ゲームとか、映画鑑賞とか。頭を休ませる、将棋のことを考えない時間を作ってあえてゆとりを作るとか。急がば回れとも言いますし」
「姉弟子もサッカーとかで息抜きしてるからなあ。あいにもそういうの探させようか」
「何でそこでおばさんの名前が出てくるんですか?ししょー……」
「いやだって身近な例だし。ウチの一門でサッカー見に行くことは恒例行事だったんだぞ?今年は色々あって行ってないけど、その辺りも師匠と話し合うか。あいにはいつも苦労させてるから、そういう息抜きも大事だってわかってもらわないと」
そうそう。名人だって四六時中将棋のこと考えてるわけじゃないんだから。休みの日はスマホでポケ○ンGOやってるそうだし。脳をずっと働かせていると疲れちゃうんだからそういう息抜きは大事。
僕だって小説読んだり映画見たりしてボーッとしている時間がある。そうやってガス抜きしないと逆にいい将棋ができない。パフォーマンスが低下しちゃうんだとか何とか。師匠や天祐さんが言ってた。
雛鶴さんが空さんを敵視しているのは恋のライバルだからだろうな。でもそれが将棋に出るのはまずいと思う。銀を使えば好転した状況であまり銀を使いたがらない子だなと思った。そういうところも問題点だけど、人の恋路には口を出さない。
そういう余計な思考を将棋の際にしちゃうからダメなんだろうけど、そこら辺は九頭竜さんに任せる。
それからは天衣ちゃんへ九頭竜さんがアドバイスしたり、師匠と弟子同士で指したりして解散になった。これ以降は天衣ちゃんが空さんと女王を賭けて戦うかもしれないので距離を置くことに。
「どう?雛鶴さんと指して面白かった?」
「面白くはないわよ。序盤中盤をもっと指せるようにならなければ負ける理由も、楽しくなる理由もないわ。お兄ちゃんみたいにあえて泳がせなければ今はまだ吹っ飛ばせる」
「今はまだ、ね。意識改革とかその辺りはあまり口出したくないからなあ。意欲や目標が大事だと思ってるけど、そこまで他所のお弟子さんに口出すのはヤダ。それも恋愛がらみになると余計に」
潜在能力自体は高いんだけどね。それを活かしきれていないのが現状。
特に将棋の源全てが九頭竜さん関係というのがマズイ。これで九頭竜さんが彼女でも作って内弟子は終わりだってなったら、彼女はもう将棋を指さないんじゃないだろうか。それぐらい彼女は九頭竜さんに依存してしまっている。
「……でも本当に、九頭竜さんが誰かと付き合ったらどうするんだろう?」
「略奪愛でも仕掛けるんじゃない?」
「……天衣ちゃんは難しい言葉を知ってるなあ」
「感心するところそこ?……実際あの子、そこに関しては諦め悪いと思うわよ?独占力も高いし、しょっちゅうくっつきに行ってるし、周りの女は年下だろうが年上だろうが関係なく威嚇しにいくし。竜王戦第四局の前夜祭で披露宴もどきやったって自慢されたわ」
なにそれ。前夜祭を何だと思ってるんだ……?そんなことを月光会長が許可したということが信じられない。将棋の普及になることは積極的にする人だけど、それは普及に繋がるのだろうか。
確かに第四局は「ひな鶴」だったからそういうことができたんだろうけど。だからってなあ。雛鶴さんの両親も一緒になってそれをしたってことは親公認?
「そんな状況なのに、九頭竜さんって第三局の後はずっと空さんとつきっきりでVSやってたの……?」
「そんなことしてたの?」
「らしいよ?自分を見つめ直すだかで。今までで一番指してきたのは空さんだから、復調するなら空さんに頼るのが良いって思ったらしいね。後から九頭竜さんが教えてくれたよ」
「それでちゃんと勝ったんだから、その対処法は合ってたってことよね」
スランプの脱出方法なんて人それぞれだからなあ。でも九頭竜さんは竜王戦で負けてから調子が良くて勝ち続けている。生石さんが言うように将棋が崩れなかったパターンだ。
僕も名人と指して崩れなかったから、兄弟子にはおかしいと散々言われたけど。そんなにおかしいことだろうか。
天衣ちゃんが大阪に来るともう泊まっていくのが当たり前になったな。別に迷惑でもないから良いんだけど。むしろこれが日常になっている。天衣ちゃんと晶さんとご飯を食べて、順番にお風呂に入って。電気を消して寝る。
この生活にも慣れてきたけど、このまま学校を卒業して将棋一本になったらこの生活も変わるんだろうか。そんな四ヶ月ほど先のことを考えながら、眠りに就いた。
・
夜、お手洗いに行きたくなって目覚めた。わたしもこのアパートで過ごすのがすっかり慣れたわね。三人で過ごすにはちょっと手狭だけど、お兄ちゃんがいる部屋だから窮屈じゃない。むしろ近くに感じられて良い。
お手洗いの電気を消して手を洗って。ベッドに戻ろうと思ってふとハシゴの上、お兄ちゃんが寝ているスペースが気になった。晶も起きている様子がないから、登ってみてお兄ちゃんとご対面。
小さな寝息を立てて眠っているお兄ちゃん。起きている様子はない。
……可愛い寝顔してるわね。こうして見ると女の子っぽいというか、男性というよりは辛うじて男の子って感じ。これで髪を伸ばしてちゃんとお手入れしてメイクでもしたらそこら辺の女顔負けの美少女になるんじゃないかしら。背は結構伸びて160後半はあるのに。
ネットで女装のこと書かれていたから気にはなったけど、今度やってもらおうかしら?絶対似合うと思うわ。もう十五になるのに全然髭生えてこないし。手とかも手入れしてないくせにスベスベで羨ましいって晶が言ってたわね。……色白すぎて不安にもなる。
帰ってくる時に九頭竜八段の恋愛話をしたからというわけじゃないけど。お兄ちゃんのことが気になった。雛鶴ほど独占力が強いとは思わないけど、正直お兄ちゃんはモテるから心配する。ネットではもちろん、研修会でも年が近いから本気で好きな女もいる。わたしの学校にだっている。
ルックスが良くて、将棋も強くて愛想もいい。将棋に関わっている女からすれば憧れにもなる。お兄ちゃんはあまり周りのそういう声に気付いていないけど、わたしはよく聞く。弟子だからこそ、やっかみを受ける。そういうのは全部実力で黙らせてきたけど。
「そういえば、お兄ちゃんの女の好みとか知らないのよね……」
特に公言しているわけでもなし。そういう話をしたことがないからまるでわからない。鹿路庭さん相手に靡くことはなかったし、わたしから見ても美人な空女王や晶とはなんてことなく話している。
好みが全くわからないわ。
「……予約しておこうかしら」
眠っている間に悪いとも思うけど。
無防備な、鈍感なお兄ちゃんが悪いってことで。
寝息を立てる可愛らしい唇に、そっと唇を重ねる。柔らかいというか、不思議な感触。もう一回とか思っちゃうけど、起きられても困る。
やってから顔が熱くなってきたけど、そのままお兄ちゃんの布団に潜り込む。今日は普段やらないことだらけだ。でも、何だか甘えたくなった。そのまま、熱い顔はお兄ちゃんの胸に隠す。
次の日の朝。起きたら驚いた顔を見せたお兄ちゃんと晶が面白かった。
──お兄ちゃんは誰にも渡さないんだから。