僕のおしごと 作:駒木
これからもよろしくお願いします。
二月。僕の初めてのタイトル戦が始まる。最近の学校は受験一直線で同級生が受験で頑張っている姿を見て僕も頑張ろうと思えた。既に私立高校の受験結果は出始めているので結果が良かったり良くなかったりというのをあちこちで見るようになった。
みんなも戦ってるんだなあと思うと、僕の身も引き締まった。
盤王戦は持ち時間各四時間の一日制の五番勝負だ。これは予選の時から変わらない。変わるのは将棋をする場所が各地方の高級ホテルだったり旅館だったりするところだ。将棋会館以外で将棋をするのは記念対局以来。滅多なことがなければ基本は将棋会館で将棋をする。
タイトル戦は話題性とか協賛になってくださる企業の関係で色々な地方に向かわせられる。一日制だけど毎回前夜祭があって、地元の協賛の方々に挨拶したりする。その日は会場に泊まって、次の日に勝負。これがタイトル戦の流れだ。
盤王戦の第一戦は広島になった。広島の高級旅館がどうやら勝ち取ったようで前夜祭ではかなり歓迎された。僕が最年少でタイトル挑戦ということでかなり話題になったらしく、広島の旅館に詰め寄ったファンは想定以上だったらしい。
嬉しい誤算ですねと、月光会長が仰っていた。
僕は前夜祭に学校の制服で出席して、ありきたりな挨拶しかできなかった。名人と戦うのは久しぶりって感じがするだけで、これが初めてじゃない。
将棋盤の裏に記名したり、景品が当たるくじをしたり。そんな感じで前夜祭が終わってその後はすぐに寝て。
次の日の朝。僕が和服を着ていると生石さんが僕の部屋に来ていた。自分のタイトル戦で忙しいだろうに、同門で唯一のタイトル保持者だからと確認に来てくれていた。とてもありがたい。
「お、問題なく着れてるな。初めてのタイトル戦だから手間取ってないか心配してたが、杞憂だったか」
「最近は一人で着られるようにバンドとか色々あるので。結構楽でしたよ」
「確かに楽になったよな。ん、帯とかもズレてないな。ぶちかましてやれ、暁人」
「はい。行ってきます、兄弟子」
軽く背中を叩かれて、昨日のうちに案内された部屋へ向かう。照明とか確認をしていたので道に迷うことはなかった。記者達のフラッシュも気にせず入室する。流石にタイトル戦前に質問などはなかったらしい。そういうのは昨日のうちに済ませてある。
僕の方が早かったようで下座で待つ。数分後、名人もやってきた。挑決の時のように何か話すこともなく立会人の生石さんが諸々を確認した後に駒を並べていった。立会人の配慮も月光会長がしてくださった。
そして定刻になって。お願いしますと頭を下げた後に。
僕達は、ただただ深淵の中にいた。
────
不思議な感じだ。
身体も頭も、心までも。何もかもがフワフワしている。それだけならいいのに、この真っ暗な空間には中央に将棋盤が置かれていた。
誰も前に座っていないはずなのに勝手に駒が進んでいく。それが不思議でしょうがなかった。
僕の手は、僕の身体にきちんとくっ付いている。なのに僕の側である下座の駒は勝手に進んでいった。
辺りを見渡す。宇宙みたいにキラキラと点在する星のようなものがたくさんあった。
でも地球や月、太陽があるわけじゃなく。
ただ中央の将棋盤にだけスポットライトが当たっているかのように明るかった。
周りの光も気になる。でもそれ以上に僕は将棋バカなんだろう。将棋盤で行われている将棋がどうしても気になった。
僕の側が四間飛車だ。上座の方は左美濃。比較的オーソドックスな戦法同士だろう。
駒が進んでいく。指運に任せたかのような、軽快な僕の飛車。楽しそうに縦横無尽に駆け回っている。もちろん上座側もそれを咎めるように指してくる。
僕が振り回して、攻防一体の一手を指されて攻守が逆転して。
でも僕も負けじと守って攻めての切った張った。百手を余裕で超えてもまだ詰みが見えてこない。合駒が起きても全然終わりそうにない一戦。
これ、いつまでも続けたいなと思えた。僕も見たことがない盤面に移行して、どこまででも進められそうなほど終わりの見えない棋譜になるんじゃないかと思えた。
でもそれは幻だ。意図的に引き延ばそうとしなければとてつもなく長く、終わりの見えない将棋にはならない。時間制限もあるし、何よりこれは相手がいてこその勝負。
それでもお互い負けたくなくて。この終わりはどこだろうと考えて。
ああ、ここがきっと一番いい終着点だねって笑い合って。
決めたらそこへ一直線に進んでいった。
勿体無い、とは思わなかった。終わりのないことなんて存在しないし、将棋はどこかで終わりを迎えるもの。棋譜に残さず延々と続けるのは一人の棋士としてみっともないと思えた。だから美しく終わらせるように着地点を決めた。
スルスルとそこへ向かっていって、たまたまそれが下座側の勝ちになる戦いで。
決着が着いた瞬間、この空間には居られないよと言われたかのように。
足元に穴が空いて、そこに吸い込まれていった。
────
……変な夢を見ていた気がする。
目に入ったのはいつも通りスッキリとした名人の顔と。さっきまで夢で見ていた将棋盤と同じ盤面になっている高級な現実の将棋盤。
そして、めちゃくちゃに焚かれているフラッシュの数々。
え、寝てたわけじゃないよね?全く覚えがないんだけど……。
「碓氷六段!初戦勝ち星スタートおめでとうございます!」
僕が、勝った?そんな、全く指した覚えがないのに。
そんな記者団は無視して、名人と感想戦をする。以前とは違って声に出して確認をしたい場所を示した。それが珍しかったのか記者のフラッシュの数が増える。
名人に示した場所は問題なく解決した。今度は名人が声に出して確認したい盤面に移して、そこの検討を。
指した覚えがないのに、どういう変化筋があったのかちゃんと答えられた。なんだこれ、自分が指した覚えが全くないのに、自分の動きのようにしっくりくる。
そんなわけのわからない感想戦も終わって、本格的なインタビューになる。その第一声は勝敗云々ではなく、こんな言葉だった。
「あの、お二人とも。お食事を摂らなかった理由はなぜでしょうか……?旅館の方がお昼の確認に来られてもそのまま指し続けましたが」
「「え?」」
その言葉に僕も名人も首を傾げていた。お互い持ち時間は一時間以上余っており、朝に始めた勝負は午後二時過ぎに終わっていた。
午後二時ならご飯を食べていておかしくはないんだけど、僕は食べた覚えがなかった。名人も同じようで声までハモっていた。
「自覚がなかったのですか……?一応何度か声をかけていたようですが」
「そうなのですか?碓氷君、君は気付いたかい?」
「いえ……。それだけ将棋に集中していたのでしょうか。全く気が付きませんでした。言われてみればお腹が空いていますけど……」
「私もタイトル戦は100回以上やっているのに、初めての経験ですね。意図的にご飯を頼まなかったことはありますけど、お昼に気付かなかったのは初めてです」
僕もプロになってかなり対局をこなしてきたけど、お昼休憩に話しかけられて気付かなかったのは初めてだ。飲み物はそれなりに減っているから本能的に水分は補給していたみたいだけど。
僕達が食べていないと気付いて、これは僕達だけの問題じゃないと今更ながら気付いて立会人席の方へ顔を向ける。
「あの。立会人の方や記録員の方は大丈夫でしたか?」
「大丈夫じゃねえよ……。対局者が離れないのに俺達が離れられるわけがないだろ……。一緒に飯抜きだ」
「すみません……」
「それは悪いことをした。生石君も染谷君も記録員の飯田君もすまないことをしたね。ではこれから一緒にご飯にしようか。おそらく旅館の方に作っていただけるのだろう?」
立会人の生石さんはもちろん、副立会人の染谷さんも飯田さんも連れ立って食事の席へ向かった。その後に取材を受けることにして、まずは栄養補給だ。
飯田さんは名人が名前を覚えているとは思わずに驚いていた。飯田さんは今奨励会二段で棋士ではないために棋界の頂点が知っているとは思わなかったのだろう。
僕と名人の竜王戦の二戦目の記録員をしていた人だ。僕と名人がそう言うと更に驚いていた。棋譜も丁寧に書いてくださるし、こうして名人のタイトル戦に志願するほど僕達に興味を持ってくれている方なんだから忘れるわけがないのに。
わざわざ広島まで奨励会員が来るのは一苦労だ。いくら記録員を務めて給料が出るからって、ここまでの新幹線代を考えたら赤字になる。いや、移動費は連盟が持ってくれるんだったかな?僕はタイトル戦の記録員をやったことがないからわからない。
食事の席で注文した後に名人とさっきの棋譜について話し合う。さっきの感想戦程度じゃ全然掘り下げが足りなかった。というか何であんな結果になったのか本当にわからないんだから。
ご飯を食べてそれでも終わるわけがなく。結局研究会に回そうという話になった。その研究会だって盤王戦が終わらないとできない。それまでお預けっていうのはかなり遣る瀬無い。今すぐ解き明かしたいのにそれができないんだから。すごく長い気がしてくる。
ご飯の後にはインタビューを受けて、早めに終わったこともあってその日の内に大阪に帰ることにした。名人は飛行機で帰るらしい。僕達は新幹線だった。
家に帰る途中で天衣ちゃんからメールがあった。今どことのことだったので家に向かっていると言えば、学校が終わったらすぐに向かうと返事がきた。今日は平日だったから天衣ちゃんは普通に学校に行っていた。
天衣ちゃんが来る前に和服をクリーニングに出して家に帰る。やけに疲れたなと思って、生石さんに言われた通りに体重計に乗った。タイトル戦で体重を落とす奴が多いから、はっきりと数字を見ておいて次の対戦までに体重を戻しておけと口酸っぱく言われた。
その言い付けを守って体重計に乗ると。
「うわぁ……。二kgも落ちてる」
たった一戦、しかも四時間制の棋戦でこれだ。これ二日制の棋戦とかに出たらどうなっちゃうんだろう。
ちょっと不安になったのでタイトル戦経験者で同年代の頼れる同期に電話をかけてみる。
「もしもし、碓氷?お前からかけてくるなんて珍しいな」
「お時間いただいてすみません、九頭龍八段。ちょっとお伺いしたいことがって。タイトル戦の後って体重減ったりしましたか?」
「体重?全部終わったら三kgくらい落ちてたけど、一戦ごとに計りはしなかったな……。え、まさか?」
「はい。今帰ってきて乗ったら二kg減ってて」
「……そんなにカロリーを減らす対戦だったっていうのはわかる。俺もニコ生で見てたからな。っていうか食事抜いたからじゃないのか?」
「いや、あの後すぐ食べたんですよ?それでこのザマなので心配になっちゃって」
九頭龍さん、見ていてくれたのか。
いやでも、一回戦っただけでこれはマズイ。五回も戦ったら単純計算で十kgも落ちるってことになる。
名人と研究会や他の棋戦で戦った後はそんなことがなかったと思うんだけど。体重を計り始めたのが今回からだからイマイチわからない。
「とにかく食った方が良いぞ。棋士は最後は体力勝負だし」
「はい、そうですね。ありがとうございます」
「いや、大したこと言えてないし。……碓氷、このまま頑張れよ。タイトル獲っちまえ」
「激励ありがとうございます。それでは」
同期だから期待されているんだろうか。九頭龍さんは最高位タイトルの竜王を獲得したんだから、盤王くらい獲得してみせろって言ってるんだろう。
スタートダッシュは良かったんだからこのままならイケるかもしれないと思ってくれたんだろう。その期待には応えたい。けど相手は名人だ。そんな簡単にいくはずがない。
まずは荷物とか片付けようかと思っていたら天衣ちゃんと晶さんがやってきた。そしてすぐに体重計の記録ノートを見られて、即座に食事に行くと僕を引っ張ろうとした。
夕食の時間にはちょうど良かったし、さっき食べたはずなのにそれなりにお腹が空いていたので晶さんに車を出してもらってカツ屋さんに向かう。天衣ちゃんが夜叉神家のお金で払おうとしていたが、そこは師匠として断固として断った。
弟子に奢ってもらう師匠なんているわけがない。かなりのご年配ならまだしも、小学生に奢ってもらうわけにはいかないだろう。
「でもお兄ちゃん、本当に大丈夫なの?」
「体重は問題だけど、それ以外は大丈夫。あの不思議な感じも把握しないといけないんだよね……」
「……綺麗な棋譜だった。アレを崩したくなかったから、お昼休憩を挟まなかったの?」
「いやあ?全く気付かなかったんだよね。僕も名人も。二人とも気付いたら頭下げてたっていうか」
「はぁ!?」
「だから後でニコ生の様子を見ようかなって。あの時の僕達、どうなってたんだろう?」
そう言うと天衣ちゃんに白い目で明らかに呆れられていた。白い目で見られるなんて初めてのことかもしれない。
カツを美味しく食べた後は明日も平日ということで天衣ちゃんは神戸に帰した。学校があるのに僕の家に泊まるわけにもいかないからね。本来今日は来る予定がなかったんだし。
僕は次の日学校に行った後、家に戻ってきてから昨日の映像を見た。天衣ちゃんも二日続けて僕の家に来て一緒に初戦の振り返りをした。
いたって普通に指しているし、飲み物もしっかり飲んで持ち時間も使っている。異常なのは食事の確認に来た女将さんの言葉に二人とも全く反応を示さずに将棋を続けていること。その様子にニコ生のコメントが大量に流れて数分間サーバーダウンしたようだ。
僕が勝ったことやこのお昼拒否のことからすっごい話題になっているらしい。
僕だって普通に指せるなら指したかったよ……。