僕のおしごと 作:駒木
「決着!盤王戦は三勝一敗で名人が防衛に成功しました!」
そんな言葉がフラッシュと一緒に掛けられる。
お、終わったの?すっごい倦怠感で将棋が終わった感覚がない。
けど盤面はこの四戦ずっとそうだったように、変な空間でやっていたような将棋と全く同じもの。どう動かしたのかも全部頭に入っていて、その上で負けたということも覚えている。
勝ったのは初戦だけ。そこからは三連敗という結果だった。それが悔しい、という気持ち以上に凄い将棋を指したものだという実感と、途方もない疲れが押し寄せて感情が追い付かない。
居飛車にしろ相振り飛車にしろ、四戦全てで今までとは違う境地に到れたと思う。ここからどうなるのか、あの空間での将棋は本当に楽しかった。まだまだ将棋は続いていくんだなって思えたし、僕達の一生じゃ解明できないだろうって思えたのは本当に大きな収穫だった。
これまで以上に研究を頑張ろうって思えた棋戦だった。初めてのタイトル戦だとか、奪取できなかったこととか、そんなことを聞かれたけどイマイチ頭が回らない。
僕も名人も、とりあえず水分を摂取する。その後、名人が口を開いた。感想戦をしないと。気になる展開がたくさんある。
「ああ、時間が足りないな……。この後、防衛の記者会見をしなければならないのか」
「そうですね。感想戦は早めに切り上げないと……。それにこの感じ、また僕達ってご飯を抜いています。栄養的にも倒れるかもしれないですね」
「そうだね。この疲れは栄養不足もあるな……。碓氷君、今月の予定はどうだったかな?」
「NHK杯とか順位戦とかは平日なので今月の土日は空いていますよ。三月頭の土曜日だけは卒業式なので、それさえ終わればという感じです」
「そうか。もう語りたいことがありすぎる四局だった。早く研究会を開こう。他の人の意見も聞きたいから全員呼ぶとして、また私の家で良いかな?」
「名人に大阪までご足労いただくのもおかしな話ですし。主宰は名人ですから」
「しかし、大阪に住んでいる人が多いだろう?」
「かと言って大阪の将棋会館でするわけにもいかないですし……。僕の家は狭いので人数が増えた今、僕の家は向きませんよ」
「じゃあ私の家で。LINEで皆の予定を聞こう」
「そうですね。それが良いかと」
そんなことを話しながら駒を動かしていた。最低限確認したい場所だけ確認して、後は研究会に持ち越しだ。
お腹空いたな。倦怠感もそうだけど、空腹と頭を使いすぎたことによるトリプルパンチがかなり効いている。
でも長いタイトル戦もこれで終わりだ。早く家に帰って寝たいと思った。
記者の一言がなければ。
「あの……?名人と碓氷六段は研究会をしているのですか?それも名人の家に行くほど熱心に?」
「「あ」」
僕と名人が同時に惚けた声を出してしまった。
研究会は別段秘密の会合ってわけではない。将棋界では誰々と誰々が研究会を開いているよ、なんて話はすぐ聞こえてくる。大阪なんて将棋会館でやっているから見に行けばすぐにわかる。
ただ、僕達の研究会ってどうなんだって話なんだよね。さっきの発言で何回も研究会をやっているということはわかっちゃっただろうし、変に話題がある僕達だ。
記者が殺到するのは、目に見えていた。
まずい、疲れと空腹で僕も名人も何も考えずに話してた……。
「そ、その研究会はいつ頃から⁉︎碓氷六段が奨励会の頃ですか⁉︎」
「いえ、最近のことです。彼が棋士になってからですよ」
「他の参加者は?碓氷六段の弟子である夜叉神初段は⁉︎」
「ごめんなさい。参加者はノーコメントで」
「頻度はどのくらいで⁉︎」
さっきまで名人の防衛ばかり取り上げていたのに。凄い食いつきようだ。
なあなあで取りなして、この盤王戦の当たり前になった立会人と記録係も合わせての食事を旅館の一室で頂いた。流石にそこでは記者達が入ってこないように将棋連盟の職員さんが頑張ってくれた。
箸を持つ手が重たいものの、蟹のしゃぶしゃぶを食べる。脚がもう分けられていて、湯通しするだけで食べられる。それと蟹味噌でできた汁物と刺身をご飯でいただきながら名人と話す。
「いやあ、疲れ切った頭で会話するのはダメですね」
「そうだね。いや、発端は私にある。早く研究したいと、好奇心が抑えられなかった」
「それは僕もです。僕が気付けば止められたかもしれないので、お互い様でしょう」
蟹味噌って初めて味わったけど、なんというか独特だ。磯臭いというか、味噌っぽくないというか。脳味噌だからそう感じるのかもしれない。
そんなこんなで食事にありついていると、今日立会人だった九頭竜さんが神妙な顔付きで質問をしてくる。
「碓氷、名人と研究会してたんだな」
「ええ。ちょうど九頭竜八段と初めて棋士として戦った後のGWから。名人と山刀伐八段の研究会にお邪魔させていただいた形ですね」
「ってなると二年近くか。夜叉神ちゃんももちろん一緒だろ?」
「まあ。名人のご指名だったので」
「え?」
その言葉に九頭竜さんは名人の方を向く。名人も食べながらその視線に気付いたのか、うんうんと頷いていた。
「夜叉神君のことは父君の件で知っていてね。彼の娘が碓氷君の弟子になったと聞いたら居ても立ってもいられなかった。彼女はあの段階で碓氷君の攻撃的な将棋と夜叉神天祐アマ名人の受け将棋を高い次元で融合させていたよ。女性に注目していたからこそ、彼女の才覚には驚いた。君の姉弟子や女流帝位のような才能を感じられて良かった」
「その二人と同格ですか……」
「ああ。それに
「……やっぱり強くなるためには、研究会増やすかあ」
九頭竜さんはそんなことを言う。きっと雛鶴さんの育成方針のことだろう。
研修会や将棋会館の将棋道場でも将棋を学べるだろうけど、やっぱり上は知っておいたほうが良いと思う。清滝九段と相談するのも良いことだと思うんだけど。一門なんだし。
そんな清滝門下である空さんと清滝桂香さんをウチの研究会に引き抜こうとしているのはどうなんだか。研究会で学んだことをどうするかは彼女達次第だから、それを清滝門下に下ろしても僕はなんとも思わないけど。
名人も研究が進めば万々歳って思っていそうだから情報漏洩とか気にしていなさそうなんだよな。
「碓氷と夜叉神ちゃんが参加してるのって名人主宰の研究会だけか?」
「いえ、今のところは生石玉将ともたまに研究会をしていますよ。もっぱら腕が鈍っていないかの練習台にされていますけど」
「生石さんか。あの人は二週間だけって約束だったからなあ。誰かいないかなあ、あいも一緒で良いよって言ってくれるような研究会……」
名人の方を見るけど、名人は誘う気がないっぽい。
いや、多分九頭竜さんだけなら許可していたかもしれないけど。雛鶴さんが一緒というのがダメっぽい。
雛鶴さんのことを名人が知らないからだろう。名人からすれば九頭竜さんの弟子の女子小学生としか情報がない。女流棋士になったわけでもなく、研修会で圧倒的な結果を残したわけでもない。
それに名人ってそこまで大人数の研究会好きそうじゃないんだよな。僕達は五人でやっていたけど、そこに三人増やした。多分二桁は名人にとって多いのだろう。名人の家もそこまで大きくないし、研究会で人数が増えれば日程調整も大変だ。
名人は自分が研究をしたいからこその研究会。名人ありきの会で、僕達はパートナー兼名人のおこぼれをいただくような立ち位置の研究会に名人の意見なしに誘うことはできない。だから僕からは誘わない。
名人研の最低条件は何かしら名人へ寄与できる人だと名人が言っていた。その条件に雛鶴さんが合致しているかどうか。
一年後ならまだしも、まだ定跡が曖昧な子を迎え入れる余裕はないのかもしれない。
九頭竜さんと盤面真理を辿るなら、公式戦が良いと考えたとか。竜王戦第四・五局はとても素晴らしかった。アレが常時できるのなら研究会に誘うのかもしれないけど、九頭竜さんは良くも悪くも調子の波が激しい。山刀伐さんに三連敗したかと思ったら大逆転をしたり。七大タイトル戦ではそれこそA級だろうがB級一組に居る格上の棋士にも勝つのに、同じ級のはずの順位戦では成績が奮わなかったり。
まあ、僕がこうやって推測をいくつか立てても、名人の思惑が僕と同じとは限らない。他の理由で誘わないのかもしれないし、後から誘うかもしれないからね。
「碓氷は大阪で何か心当たりないか?」
「いやあ、僕も結構行動範囲が狭いので。まだ中学生の僕に人脈を期待しないでくださいよ」
「そりゃそうだ」
「特に大阪なんて将棋会館で研究会をしているじゃないですか。いっそ受付で聞いた方が有力な情報が出てくると思いますよ?」
「確かに。サンキュー」
研究会って結構諸刃の剣な部分もあるから誰でもOKですなんてしている研究会は少ないと思う。
空さんを加えることだって結構リスキーだと思ってるけど、空さん自身が参加したいと言っていたから天衣ちゃんとマイナビで戦うけど名人も許可を出したんだろう。
僕や名人のように戦う人と一緒に研究会をすると手の内がバレるかもしれない。そのリスクを背負ってでも研究会に参加するメリットが上回っていれば参加するだろう。
空さんはそのメリットを選んだわけだし、天衣ちゃんは空さんと一緒に棋譜を並べることを是とした。鹿路庭さんと一緒な時点で今更感はあるんだけど。
さすがに北海道だったので、この日はそのまま旅館でもう一泊した。名人は研究会のことを記者会見でのらりくらりと躱してくれて、話題にはなったけど大騒ぎにはならなかった。
そういうわけで金曜日。学校が終わってすぐ天衣ちゃんと晶さんを連れて名人の家にお邪魔した。そのまま名人の家でご飯も頂いて、そのまま夜まで盤王戦の振り返りを僕と天衣ちゃんと名人の三人で行った。
次の日の朝には山刀伐さんと鹿路庭さんも来て、お昼には空さんと清滝桂香さんも来た。鏡洲さんは今日対局で来られないと悔しそうに言っていた。
「いらっしゃいませ。空女王、清滝女流女流三級。清滝女流女流三級は初めまして、碓氷暁人です。見ての通り名人は盤から離れられないので」
「……話には聞いていたけど、その小娘が強くなるわけだわ。名人とあなたに鍛えられる小学生なんてこれ以上ない環境じゃない?」
「空女王も大差ないのでは?ずっと九頭竜八段と幼少期から指し続けていたわけですし。ああ、言い忘れていました。空女王、三段昇段おめでとうございます」
「ん、ありがと」
ずっと女王って呼んでたけど、空さんは最近昇段したんだった。そのお祝いは言ってなかった気がして今言うことになってしまった。椚二段と女性初三段か小学生で初三段かの昇格を争った対局で空さんが勝って昇段。あの日もニュースで緊急速報が流れるほど大騒ぎだった。
将棋ブームが起きているから、その流れに乗ってのことなんだろうけど。空さんの昇段確定はいいにしても椚二段もまだ勝ち星を稼げば次の三段リーグに間に合う形で昇段するのだとか。
僕はギリギリ中学生に上がってからの三段昇段だったからそこまで騒がれなかったな。中学生で三段入りした人は過去に何人もいて、その中で見事に中学生棋士になった人もいれば結局三段を抜ける頃には他の人と年齢が変わらなかったなんて人もいる。
本来三段に上がるだけなら話題にならないんだけど、今回はどっちも初の記録がかかっていたから盛り上がったんだろう。
後はアレだ。僕と坂梨さんが一年の間に連続して一期抜けなんてことをしたせいでこのままプロになれるかもと思われているわけだ。可能性としてはもちろんある話だけど、二人には外野の声なんてあまり気にせず頑張ってほしいと思ってる。
話を戻して将棋環境の話だけど、空さんの場合は師匠として清滝九段もいたわけで。天衣ちゃんも一応大槌師匠の門下だけど大槌師匠が直接指導したのは一度か二度。名人と山刀伐さんとは何度か指しているけど、指導をしてもらっているわけでもないし。感想戦を行うけど、それ以外は指し回しを教えたりなんてことはしていない。
この研究会って面白い棋譜があれば変化手を考えるけど、それ以外だとひたすらにVSをする研究会だ。自分で糧にして勝手に強くなってねという放任主義研究会だったりする。
ワクチン開発だとか、奇策を考えるとかは稀だ。たまたま対局を続けていってそんな光明が見えたら突き詰めていくけど、基本は戦ってばかり。
名人らしいといえば名人らしいけど。
今は天衣ちゃんと名人が盤王戦第一局の変化手を考えている。天衣ちゃんが名人側を。名人が僕側を。盤王戦で唯一負けた試合だからこそ名人は知りたいのだろう。二人とも来客があったというのに全く盤面から顔を逸らさない。
「碓氷六段初めまして。いつぞやは八つ橋とあぶらとり紙ありがとう。それとこの研究会のお誘いも」
「僕は生石兄弟子に橋渡しをされただけですので。マイナビ本戦一回戦の棋譜を見ましたが、ようやく仮免許をいただけたというのが信じられない指し回しでした。二年以内の昇級とのことですけど、あれだけ居飛車を指せるのであれば何も不安はないと思います」
「ほら言ったじゃない。桂香さんは凄いんだって」
「そ、そんなに褒められるなんて思ってなかったのよ⁉︎だって碓氷君って名人にも勝っちゃう人なのに、こんなにベタ褒めされるなんて予想できる⁉︎」
「八一だって褒めてたじゃない」
「八一君はほら、身内だし」
なんとなく清滝門下の力関係が垣間見える会話だった。元竜王なんだけどなあ。
女流棋士で居飛車を指す人は少ないから、このまま居飛車を極めていけば女流としての地位もしっかり確保できると思う。空さんもそういうスタイルだし。振り飛車だって指せるんだから相手への対策もかなりできる。
実際研究量が半端ないからマイナビ一回戦で釈迦堂女流名跡にも勝てたんだろう。というか、二回戦だって悪い将棋じゃなかった。しっかりと囲いも作って戦えていた。
相手が、祭神女流帝位じゃなければもう少し勝ち上がれたのかもしれない。
山刀伐さんもあっちに集中しているし、僕が説明しないとダメか。
「この研究会って基本的には名人が出す棋譜について研究することが大前提の場です。今日は盤王戦の第一局ですね。棋譜が提示されなければ全員でVSをするか、特定のテーマで戦うか。そんな感じです。あっちはもう四人で集中しているのでこっちは三人でやりましょうか」
ということで早速並べ始める。定跡から外れた辺りから話し合って、どんな変化手があるのかということを検証し合う。定跡から外れたところで棋譜を見ながらこうだったらどうだろうと僕と空さんで指す。棋譜通りに指さずこういう変化だったらどうだろうと指していく。
そもそもどうして僕がこんな道筋を選んだのか、言葉を交えながら指していく。
「え、ええ……?今はゆっくり考えられてるけど、タイトル戦の時はこれより圧倒的に短い時間で指していたのよね……?どうなってるの?」
「アレでも結構悩んだんですよ?変化手がいっぱいで、結局棋譜通りが一番の最短で綺麗な棋譜になるとわかったので名人と合わせて終着点にしたわけですし。泥沼にしようと思ったらこうやって分岐がたくさんありますから。今だって局面が大きく変わりそうなものだけピックアップして並べていますけど、本気でやろうと思ったらそっちみたいにのめり込むことになります」
清滝さんの言葉に答えるように名人達の盤面を見る。まだ四人とも現実に帰ってこないでブツブツと全員が何かしらの手を検討している。
空さんも顎に親指を当てながら必死に考えているようだ。清滝さんもノートにひたすら何かを書いている。
と思ったら、目を丸くされて僕の方を見てきた。なんだろう?
「……対局中に名人と意思疎通してたの?」
「え?ああ、まあ。ほら、僕と名人がたまに感想戦でやっていた無言のやつあるじゃないですか。あんな感じでお互いがどこに指したいのかわかったというか。九十八手目でこの終わりにしようと決めたんです。そこからはほぼノンストップだったのはニコ生でも確認できますよ」
「そんなことってできる……?」
「桂香さん。この将棋星人の言葉を真に受けようとしちゃダメ。将棋星人同士テレパシーを使ってるのよ」
空さんが会話に参加してきたと思ったら飛車で銀を奪われた。飛車の進軍を無視して僕側は角を進めて馬に成る。苦い顔をした空さんがまた考え始めるけど、さっきの言葉を考える。
テレパシー、なあ。確かにあの空間で名人と思考を一緒にしていた気もするけど、そんなこと人間にできるんだろうか。
長年の疑問もついでに解消しておこう。
「空女王。その将棋星人ってなんなんですか?確か九頭竜八段にも使っていたと記憶していますが」
「……アンタ達みたいな突拍子もない将棋バカのことよ。普通の人間はテレパシーも三連続限定合駒なんてものもできないの?わかる?」
「限定合駒は僕にもできませんよ……。それに四4銀の必至も」
僕と名人は波長が合ったとかそういうことでなんとかなりそうだけど、九頭竜さんの結果は純粋な実力だろう。
でも違う星の人だと思っちゃうほどに遠い憧れの人で、その人に追い付きたいから頑張る、かあ。
「ロマンチストですね、空女王は」
「バカにしてるの?」
「まさか。それだけ九頭竜さんのことが好きなんだなと思っただけです」
「……はぁ⁉︎」
それは今日一番、というか今まで聞いてきた中で一番の空さんの大声だった。顔も真っ赤にして睨まれてしまった。
あれ、まずかったかな。
「……えーと、気付かないと思ってました?これでも空女王とは四歳の時から面識があるので、あそこまで九頭竜八段にベッタリなら気付かない方がおかしいというか……」
「銀子ちゃん。八一君とある程度関係がある人ならみんな知ってるから……。碓氷君なんて同年代なんだし。この研究会だって八一君に追い付きたいから名人に八一君を誘わないようにしてくださいってお願いしたんじゃない」
「桂香さんっ⁉︎」
「あ、そうなんですか。なるほど……」
だから名人は九頭竜さんを誘わなかったのか。まあ、ここでイチャイチャされても困るし、九頭竜さんとはタイトル戦とか一般棋戦でぶつかれば良いと思ったのかな。
名人もタイトル通算100期の会見で女性と戦いたいって言ってたし。棋士の中でもそれなりに対局機会の多そうな九頭竜さんよりも今のところあまり戦う機会のない空さんと清滝さんを優先したってところかな。
天衣ちゃんも気付いてますよと伝えて、それからもしばらく指し続けた。清滝さんも途中途中で質問をしてどういう意図があったかとかを話していく。やっぱり清滝さんは勉強量が凄まじく深いのか似た流れの戦法や攻め方の話がスラスラ出てくる。出てこなくても研究ノートを見返してこれと見せてくれるのがわかりやすい。
「いや本当に清滝さん、後はこの知識を盤面で活かせれば無敵なのでは……?」
「それができたら苦労しないというか……。ああ、でも夜叉神さんに勝てた時は本当に悔しかったのよ?絶対に負けたって思える盤面で、まさか二歩で勝っちゃうなんて思わなくて。その時は夜叉神さんも何で?って顔してて。こんな歳下の凄い子から勝ち星奪っちゃって意味があるのかなあとか、そう言えば昔銀子ちゃんにも強く当たっちゃったなあとか色々思い直してね?それで銀子ちゃんのアドバイスで研究ノート見返して、ようやくここまで来られたって感じだから」
「でも桂香さん、最近調子いいじゃない。大丈夫、ちゃんと強くなってるよ」
そういえばそんなこともあった。
僕達はそれからも話を交えつつ指していくと、隣の決着が着いたようだった。
「フゥ〜……。ん?空女王と清滝君。来てたんだね、いらっしゃい」
「名人、本当に気付いてなかったんですか……?」
「僕も気付いてなかったなあ」
「わたしも」
名人がやっと挨拶をしたことに鹿路庭さんがびっくりしていたけど、山刀伐さんも天衣ちゃんも気付いてなかったようだ。それだけ集中していたんだろう。
ひと休憩いれようかと話題になったところで、和室の襖がスパーン!と開けられる。名人の娘さんだった。
「お父さん、もう三時過ぎてるんだけど⁉︎お父さんは良くても他の人はお客さんでご飯はウチで用意するって話だったでしょ!」
「いや、しかし……。中断するわけにもいかなくてだな」
「それに話を聞いてたら来客にも気付いてなくて碓氷君に対応任せてたって?この集まりの中心はお父さんのはずでしょ!皆さんすぐに食卓に来てください。お母さんが作った料理温め直してますから」
名人も娘さんには敵わないようだ。こういう姿を見ると本当にありふれている父親なんだけど。
空さんと清滝さんは移動中にお昼を済ませていたようで昼食を辞退していたけど、その代わりにデザートを用意されていてお茶会をしていた。その内容が恋バナで、娘さんも空さんの恋愛事情は知っていて揶揄っていた。清滝さんも娘さんも良い人がいないなんて言って愚痴り合っていた。
そんな食事が終わった後はまた検討の再開。夜九時には切り上げて順番に食事とお風呂のローテーションを回してそれぞれの客室で寝ることになった。女性陣は一緒に、僕は山刀伐さんと同室で。
次の日は早指しでそれぞれVSをしていた。初めて来た人は名人と指す決まりができたようで空さんと清滝さんは名人とぶつかってかなりやつれていた。
帰りは同じ新幹線で、二人は疲れていたけど僕と天衣ちゃんはマグネットの将棋盤で一戦をしていた。それを見て空さんがゲンナリとしながら呟く。
「あんた達、体力底なしなの……?」
「いや、慣れただけですよ。東京には結構な頻度で行っていますし、あっちに行ったら二人で指すことなんてほとんどありませんから。最後に指して解散って形です」
「習慣よ。わたしは師匠と戦うことが最後の調整になってるの。だからたくさん他の人と戦った後はこうしないと自分を崩しそうで嫌なのよ」
「……なるほど。そう言えば良いのね」
何か悪いことを思い付いたような空さんのことを追求することなく、大阪まで指し続けた。
駅に着いてからは晶さんが迎えを呼んでいたようでリムジンで全員を乗せてくれてそれぞれの家まで送ってくれた。空さんと清滝さんはリムジンに乗るのが初めてでソワソワとしていたけど、そうだよなあ。こんな高級車に乗る機会なんてまずないよなあと僕の感覚が狂っていたことを突き付けられた。
この後、三月に入ってすぐ。
将棋指しにとって一番長い一日と言われる順位戦最終日を迎える。