僕のおしごと 作:駒木
正直に言ってしまって、僕にとって順位戦最後の日というのは全然緊張することはなかった。この日までに九勝していて、簡単な話最終戦を待つことなく昇格を確定させていたからだ。二年連続の昇級ということで来年からB級2組が決まった試合。
せっかくなのだからと、全勝通過をした。このことに天衣ちゃんがすぐにメールをくれたのが嬉しかった。対局も早めに終わってしまったので他の人たちを見る。
降格しそうな人にとっては崖っぷちだし、昇格するかどうかの人はここで逃すと一年を棒に振ることになる。今日までに結果が決まっていない人たちは本当に死に物狂いで対局に挑んでいる。
何で棋士が順位戦に力を入れるのか。名人位に挑戦したいということもあるだろうけど、一番の理由はクラスによって対局料の金額が決まるからだ。
棋士の対局料、その基本給は所属しているクラスによって決められている。だからタイトル戦で結構勝っていてもクラスが低ければ年収で見ると低かったりする。僕も一年目はそんなに金額は高くなかった。けど昇級してからはかなり収入が増えた。
タイトルは獲ってないのに去年から比べると下手したら倍増くらいしている。子供向けのイベントとかに出ておらず、平日は学校にも行っているから仕事も多くない。
なのに収入が増えたのは昇級したからだ。
C級2組にずっといると収入という意味ではかなり差が出てくる。
そのC級2組にいるのに竜王なんて獲得してタイトル戦でも上の方に来る九頭竜さんは例外的な人だ。むしろ何であの人は順位戦で負けるんだろう?
棋界最強の称号は竜王だけど、やっぱり名誉があるのは名人だ。名人になるには厳しい順位戦を勝ち上がってA級に入り、そこでトップの成績を残さないと挑戦できない。瞬間的な最強で良いのなら竜王になれるけど、名人は長年の積み重ねを示す時間のかかるタイトルだ。若造じゃ挑戦もできない、格式のあるタイトル。
だからこの名人に挑むための順位戦が棋士のステータスを表す給料に反映される。段位じゃなく、ここ数年の実力で判断されるというのは給料の決め方として正しいのかもしれない。段位は獲得したら落ちたりしないから段位だけで給料を決めたら若手はずっと給料が上がらない。
実力社会だからこその措置だ。
九頭竜さんと蔵王九段の対局だけど、蔵王九段の戦法に翻弄された九頭竜さんが負けた。蔵王九段はこれを引退対局にしようとしていたので勝利で終えられて安堵したのか。それとも若い才能をどう思ったのか。それは僕には窺い知れない。
九頭竜さんは負けたものの、勝ち星の関係で昇級していた。
そしてもう一つの注目すべき対局。清滝九段と神鍋七段の対局は清滝九段の勝利。この結果から神鍋七段はB級1組に昇格して清滝九段もB級2組に残留していた。降格寸前だった清滝九段は何とか踏み留まった形だ。
来年のクラスも決まったということで順位戦の次の日に天衣ちゃんを連れて回らないお寿司屋さんに来ていた。お祝い事って何で焼肉かお寿司なんだろうね。美味しいから良いけど。
これは僕のお祝い兼これから始まる天衣ちゃんへの女王戦への激励会だ。四月から空さんと五番勝負をすることになるために初めてのタイトル戦に挑む弟子への景気付けみたいなもの。
「いやあ、でも良かったよ。弟子の方が先にタイトル戦に出るなんてことにならなくて」
「先生、そういうことはよくあるのか?」
「七大タイトルになると、師匠が出ていないのに弟子がタイトル戦に出るみたいなことはよくありますね。タイトル戦に出られる人は棋士でも極一部ですから」
「先生はそのタイトル戦にこの前挑戦しただろう?」
「ええ、まあ。トーナメントで勝ち上がらないといけないので段位や順位戦のクラスが上でもタイトル挑戦できない方はいます。山刀伐さんも今回初めてのタイトル戦ですから」
「そういうものか。あ、大将えんがわ」
「はいよ!」
お寿司を食べながら晶さんに質問をされる。僕や九頭竜さんがおかしいだけでタイトル戦に挑める人は少ない。みんなで名人に勝とうとして研鑽を積んでいる人達がタイトル戦の上位に来て、その人達に勝たないとタイトル戦に挑めない。
しかも挑んだ先が名人なことが多数。今名人が持っていないタイトルは玉将と帝位だけだ。生石さんや
「わたしはお兄ちゃんが師匠で良かったわ。タイトル経験がない師匠を持つと苦労しそうだもの」
「タイトルが全てってわけでもないんだけどね。でもやっぱり弟子が先にタイトル戦に出るのは悔しいみたいだよ?まあ、僕は意地で守らせてもらったけど」
「ふん。じゃあタイトルをもらってくるわ。浪速の白雪姫を一奨励会員に叩き落とす」
「三段リーグも大変そうだからね。重荷を下ろしてあげるのも優しさだよ」
空さん、三段編入試験で千日手からの負けを喫したみたいだ。ライバルを一人増やしてしまったらしい。椚二段も結局三段に昇段したみたいだし、また三段リーグは大変そうだ。
史上最年少棋士誕生か、初の女性棋士誕生か、三段復帰の古参が下克上を見せるのか。今回のリーグも話題性が抜群だ。天衣ちゃんが挑む時はそんなことにならなければ良いけど。
「一局目、神戸になったんだって?」
「そう。お互い関西で学生だから西日本中心になるんですって」
「その辺りは会長と、あとは弘天さんが手を回したんだろうね」
「おじいちゃまが?」
「将棋連盟の発展のために尽力してくださってるからね。孫娘のためならちょっとくらい力を貸すよ」
多分。そうじゃないと西日本で纏まる理由がわからない。一局くらいは関東でやった方が話題性があるのに移動のリスクを考えて西日本だけにしたのは弘天さんの力が大きいと思う。
あとは空さんも体が弱いから無理に北海道とかに行かせるわけにもいかなかったんだろう。
月光会長も天衣ちゃんと空さんを気に掛けているからスケジュールとかは融通を利かせているんだろうな。
「僕もかなり融通してもらったから、二人の対局も手を掛けてくれるよ。月光会長が大阪の人だからこそだろうね」
「やっぱり会長がどちらかで変わるの?」
「そこにいるかどうかって、結局目の届きやすさが違うから。あとは月光会長が清滝門下と兄弟関係だから空さんに手厚い援助をしてるんだろうね」
「一門に甘いのはどこも同じなのね。お兄ちゃんだってこうやってすぐに食事に連れ出すし」
「ご飯は僕が食べたいからっていうのもあるよ。僕一人じゃこんなお店にも来られないからちょうど良かったりするんだよね」
「あら。つまりわたしは都合の良い女ってわけね?」
「どこでそんな言葉覚えたのさ……」
一人での食事って味気なかったり恥ずかしかったりするから天衣ちゃんと晶さんがいるのはありがたかったりする。それを都合の良い女とは思ってないんだよなあ。
僕からしたら両親の代わりに天衣ちゃんを甘やかしてるようなものだし。
それに、天衣ちゃんが居て助かったことは僕にもたくさんある。彼女の笑顔が、純粋に将棋を楽しむ姿が、歳上の僕に負けて本気で悔しがる向上心が。
真摯に将棋に取り組む姿が、研究会や奨励会でどれだけ励みになったことか。
僕がやっていることなんてその恩返しでしかない。
「天衣ちゃん、タイトル獲ったら何か欲しいものある?あるなら用意するけど」
「それも将棋界の習わし?」
「そうだね。新人王とかの小タイトルだとそうでもないけど、女王は女流の正式タイトルだから一門でお祝いするよ。僕達の門下だと生石さんを祝う会でしかないけどね」
「それは名人が強すぎるからでしょ」
七大タイトルの保有者を出す一門なんてほとんどいない。A級棋士が出ても祝ってたらしいけど、そんなA級も今や生石さんだけ。居飛車が台頭しすぎた。
振り飛車一派だからこそ頑張りたいけど。ちょっとそういう慶事が少なくなっているからこそタイトル挑戦をした僕や最年少タイトル挑戦という女流記録を作った天衣ちゃんが注目される。
名人の一強を崩すことを期待されているということ。後は最近上がり調子の清滝門下に負けていられるかという思いもある。
基本棋士って負けず嫌いだから対抗心メラメラで勝とうとする。ワクチンの開発とか、新戦術の考案などをして一矢報いる。そういう向上心がないと棋士としてやっていけない。
勝負の世界で割と大事なものはメンタルだと、最近思うようになった。メンタルがダメダメだと良い将棋なんてできっこない。
「……そうね。なら欲しいものがあるわ」
「ん?何々?何が欲しいの?」
「ものじゃないかもしれないけど、お兄ちゃんの時間を一日ちょうだい」
「時間?一日空けておけばいいの?」
「ええ。それでお願い。あとはご飯とかもおねだりするかもだけど」
「それくらいは良いよ。じゃあタイトル獲ったら二人でどこかに遊びに行こうか」
「ええ。約束ね」
二人って初めてかも。必ず誰かしらと一緒にいたけど、僕と天衣ちゃんだけで遊びに行くことはなかった。天衣ちゃんが幼いから子供だけで遊びに行くってこともなかったんだろう。天衣ちゃんが今のお屋敷に引き取られてからは晶さんが基本的に一緒にいるから二人だけはなかった。
お寿司を食べ終わってその日は解散。
僕は色々なタイトル戦の予選に挑みつつこれといった激戦があったわけでもなく。
天衣ちゃんの女王戦一局目が始まった。
────
神戸のプリンスホテル。そこのスイートルームで行われる女王一局目。
天衣は対局が始まる前に晶を連れてホテルの近くの墓地に来ていた。そこには夜叉神家のお墓があるのだ。お花を添えて線香を挿して。
両手を合わせて意気込みを述べていた。
「行ってくるわ。お父様、お母様。そこで見守っていて」
言葉は短く、決意は強く。
天衣は部屋に戻ってすぐに着替えて決戦の場へ向かった。
そこには取材陣も連盟関係者もわんさかおり、対局者達が入場してくる。どちらも袴を着て入り、女王空は白と青の袴を、挑戦者の天衣は全体が黒く帯だけが赤い袴で入ってきた。
史上最年少タイトル挑戦者の天衣に焚かれるフラッシュの数が多い。二人とも将棋盤の前に座り天衣は扇子を手提げ袋から出す。
二人とも名人研で顔を合わせているために今更語ることはない。ただぶつかり合うだけだ。
空は矢倉を。天衣は三間飛車を。お互いの得意分野で叩き合う。
袖で駒が吹き飛ばないように気を付けながらお互いの大駒を食い合う。
「違う、違う違う違う!」
天衣の声が大きくなる。違うと判断したルートが頭から消えていき、天衣の中には一本道だけが残る。その筋道が間違いないように確認しながら天衣は金の頭打ちをする。
竜が包囲し、角が奥から狙いを定め。守りも重厚なまま天衣は一つ息を吐く。
「……負けました」
「ありがとうございました」
夜叉神天衣。
十歳四ヶ月で女流タイトル勝利記録樹立。