僕のおしごと 作:駒木
天衣ちゃんが格上の空さんに女王戦で勝った。その事実に僕は奮起させられたんだと思う。タイトル戦で勝った。まだタイトルを奪取したわけでもないけど、五局の内の一局でしかないけど勝ちは勝ちだ。そう思うとどの棋戦でも気合が入った。
四月は年度切り替えのタイミングだから、実は棋士にとっては対局の少ない月だったりする。NHK杯とかの放送をしているから世間の目に触れる機会は多いし、名人戦もしているから一般的にはかなり話題になるけどそれ以外となるとタイトル戦は叡王戦しかない。
その叡王戦も七大タイトルじゃない上に優勝者はAIと戦わなくちゃいけないしほぼ絶対負けるとなると棋士としては好きなタイトル戦ではない。僕も負けちゃったから叡王戦は関係ないし、名人戦はクラスが違うからカスリもしないタイトル戦だ。
となると僕が戦う棋戦は一般棋戦の銀河戦に七大タイトルの棋帝、玉座、帝位の本戦と竜王戦のランキング戦が組まれるくらいだった。
盤王はシードをもらったから予選免除。そういうわけで色々と棋戦を戦い抜いた結果。
「碓氷暁人六段、棋帝戦挑戦者となりました!六月にある名人との五番勝負に挑みます!」
持ち時間の短い棋帝戦を勝ち上がり、また名人と戦える舞台を手にしていた。一次予選は一時間、二次予選は三時間という短い持ち時間で、本戦になってようやく四時間になったけど結局早指しをしなければいけないこの戦いは厳しいものがあった。
けど勝ってまた名人と戦えるんだ。四月に決まって六月にタイトル戦というちょっと時間が空く不思議なスケジュールだけどこれは準備ができると思っていいことだと思うことにしよう。
というか、相手の名人が忙しすぎる。生石兄弟子が持っている玉将以外全部のタイトルを持っているために六個のタイトルでは全部防衛戦をしなければいけないんだから。六月は名人の防衛をしながら僕との対局になる。
「いやいや、これが案外タイトルを多く持ってた方が楽なんだよ。予選も本戦もなくてただタイトル戦に集中できるからね。今の私は一般棋戦と順位戦、それに玉座戦以外はどっしりと構えていられる。スケジュールも決まっているからこうして名人研も開きやすくて助かる」
「そういうものですか?」
平日に東京に来て名人の家で指していた。僕はこの四月に学業から解放されて平日が空くようになった。空いたら空いたで月光会長にインタビューやら将棋指導やら解説やらの仕事を任されたから存外暇ってわけじゃないんだけど。
碓氷フィーバーなる言葉があるらしく、僕の関連商品は売れて僕が出演した番組の視聴率は良いようだ。僕の名前が使われるのはなんだかなあという気持ち。タイトルを獲ったわけでもないただの棋士なのに。去年みたいに中学生棋士とは呼ばれずただの棋士になる。
この名人研、今日は僕と名人と天衣ちゃんと鹿路庭さんに鏡洲さんしかいない。平日だしそんなものだろう。空さんは高校に進学したから普通に学校に通ってるんだろうし、山刀伐さんは解説のお仕事。清滝さんは女流の大会があって出場している。
天衣ちゃんは特別日課で午前中授業だったのですぐに新幹線に乗ってそのまま来た形だ。
僕は名人と指して、天衣ちゃんは鏡洲さんと指している。鏡洲さんも何回か参加して慣れたのか僕や名人ともバンバン指す。学びが多くて素晴らしいと歓喜していた。
「碓氷君、絶好調みたいじゃないか。今のところ七大タイトルは負けなしだって?」
「はい。棋帝以外でも名人に挑戦したいんですが、ここからは本当に強い人ばかりで苦戦しそうです」
「俺も九頭竜も負けましたよ。……おっと、世間話に花を咲かせてる場合じゃないな、こりゃ」
鏡洲さんも加わろうとしたら天衣ちゃんがバシン!と駒を叩きつけていた。こっちに集中しなさいと怒っているようだった。まあ、この盤面だと天衣ちゃんは集中を乱せないだろう。
一方鏡洲さんからすれば十五手詰が見えているから気が緩んだところで僕達の会話に入ってきたってところだろう。もう少ししたら鏡洲さんが投了するはずだ。
この前玉座戦で九頭竜さんに勝った。僕が先手をもらってそのまま振り飛車でなんとか押し切った形だった。美しくない盤面でただただ力で振り切るしかなかった。それだけ九頭竜さんが強く、一瞬でも美しい盤面を、なんて考えたら吹っ飛ばされると思ってできる限りの頭を回した結果盤面はグチャグチャの力戦になった。
両入玉したわけじゃないけど、かなり守りが薄い布陣になっていた。ちょっとでもミスったら負けていたと思う。先手じゃなかったら危なかった。本当にあの人は強すぎる。名人と一緒で気を抜けない。
ただ、九頭竜さんと戦う時は名人の時のようにあの変な空間に行くことはなかったんだよね。九頭竜さんとも何回か指せばあの状態になるだろうか。
僕と名人の対局も終わった頃、天衣ちゃんも勝っていた。師弟揃って勝ったのは嬉しい。
「いやいや、夜叉神ちゃん強すぎ。銀子ちゃんに勝ったのも納得だわ」
「一回で終わらせる気はないわ。このままタイトルも貰う」
「良い意気込みだ。三段リーグを思い出すな。……銀子ちゃんの方はこれで三段リーグの方で調子を崩さなきゃ良いけど」
「今のところ全勝スタートをしているので大丈夫じゃないですか?」
空さんは今やこの名人研に参加している身内なので三段リーグの戦績も確認している。まだ二戦しかしていないけど空さんは二勝している。これは女王戦の前の対局だから次がどうなるかわからないと鏡洲さんは心配しているんだろうけど、メンタルの維持なんて本人にしかできないからなあ。
対局が必要なら僕達はいくらでもする。せっかく同じ研究会にいるんだから利用してほしい。女王戦だけは僕は天衣ちゃんの味方だけど、それ以外だったらなんだってしよう。
ただまあその魔の三段リーグで、早速波乱が起きてるみたいなんだよね。
「椚君、いきなり黒が付いてしまったんですね。小学生棋士なんてものが期待されてるから凄く注目されていますけど、大丈夫でしょうか?」
「おや。彼が心配かい?碓氷君」
「僕や九頭竜さんに続く人間として期待されていますからね。特に僕が一期抜けなんてことをしてしまったので彼もできるだろうって一般の人が思ってしまう。それって重責なのかなと思いまして」
「当時はそんなこと思ってなかったくせに」
「それはそう。今も僕が早くタイトル獲って欲しいっていうマスコミのプレッシャーを知って思い至ったくらいだよ」
三段リーグの頃は天衣ちゃんの言うように重責なんて感じる暇がなかった。僕のことがあんまり注目されていなかったこととまさか一期抜けするとは思われていなかったせいで僕はスルスルと抜けていってしまった。最終戦が近くなってようやく大記録になるぞと騒がれ始めたくらいだ。
それと比べると最初から注目されている空さんと椚君、あと三段リーグに編入した辛香さんは大変だろうな。
「椚君は誰に負けたんだい?」
「三段リーグに編入した辛香さんという方です。確か生石兄弟子の奨励会同期だとかで兄弟子が少し話していましたよ。空さんを負かして編入したので実力は確かです」
「努力の人、というわけだね」
辛香さんのことは正直あまり知らない。兄弟子も上がってきたら気にすれば良いとしか言わなかったし。三段リーグの棋譜も集められないからどんな将棋だったのかもわからない。一般じゃ三段リーグの棋譜を集められなくなった。奨励会員じゃないとダメという形に規則が変わったらしい。
それだけ三段リーグも注目を浴びるようになったということだ。プロになる前にそんな注目を浴びてどうするんだろうとは思ってしまう。女流は女流としてプロで記録にも残るけど、奨励会なんて四段昇段以外であまり記録らしい記録を残してもプロになってからそこまで意味のある記録じゃないから、奨励会の記録なんてどうでも良いと思ってしまう僕はズレているのだろうか。
中学生棋士は全員タイトルを獲得したとか、そういう話はある。けどそんな少数のことじゃなくもっと有意義なデータを用いるべきじゃないだろうかと思ってしまう。
これ、天衣ちゃんが三段リーグに挑戦する時も大変そうだよなあ。
「三段リーグはまだ先の話よ。今は女王戦に集中するわ」
「それが良い。鏡洲さんどうでしたか?」
「三段リーグが長かった俺だからこそ言える。十分三段リーグでやっていけるだろ。その三段リーグに挑戦中の銀子ちゃんにも勝ち目はあるだろうな」
「勝ち目、ですか。どっちが強いとは断言されないんですね」
「十代なんてすぐに強くなる。しかも恋する乙女は最強だぞ?今銀子ちゃんの状態がわからないからなんとも言えないな」
「恋する乙女ですか」
そんなに強いものだろうか。空さんは確かに強くなった気がするけど空さんが九頭竜さんを好きなのはそれこそ昔からだし、もう一人の恋する乙女に分類される雛鶴さんはそこまでの成果を発揮していない。彼女は将棋経験がなさすぎて除去すべきか。
他の恋する乙女……。清滝さんは乙女という年齢ではないし、大人の恋愛事情に首を突っ込むのはどうかと思う。晶さんは将棋をやってないし、天衣ちゃんはどうなんだろう。そういう話をしたことがない。雛鶴さんの例があるから天衣ちゃんが早すぎるというわけでもない。
師匠だからって弟子の恋愛事情に首を突っ込むのはどうなんだ。聞くのも正直嫌だなぁ。
「そんなところでも性差が。面白い。だがそれなら適齢期の女性はもっと強いはずでは……?」
「もしそれが本当なら今頃女性が覇権を取ってますよ……。名人、迷信を信じないでください」
「恋する乙女同士が戦ったら勝敗は変わらないじゃない。少し考えればわかることですよ、名人」
名人が感心していたけど、鹿路庭さんと天衣ちゃんが否定する。
空さんが無敵だった理由が恋する乙女だったから、なんて話は勝負飯がカレーだったから勝てたとか、アイスを食べたから勝てたとかと同じような迷信でしかない。カレーを食べたって負ける時は負けるし、神奈川の有名な旅館だったら両対局者ともカレーを食べるんだから論も何もなくなる。
……祭神女流帝位が圧倒的だった理由が恋する乙女だったから、という説を出しそうになったけどやめた。天衣ちゃんに負けたこともあったし、棋士には負けたこともあるんだから結局全勝ではない。
僕達の研究の参考にもできない論なんだよね。男だから乙女にはなれない。しかも勝つために恋するなんて恋への侮辱でしかない。
恋ってもっと崇高で、相手のことを想って。とんだ我儘で自己愛的でめちゃくちゃで、それこそ周りも見えないくらい我武者羅に突き進むもので。
結局は、想いの押し付けだ。だから僕は我慢しなくちゃいけない。晶さんにそれとなく突かれるのは正直冷や汗もので困る。
僕は名人研の後もかなり調子が良かった。
そして天衣ちゃんは女王戦の二局目を落とし、イーブンに。女王は健在だと世間を賑わせた。
だけど五月の頭。第三局でまた世間を沸かせる対局結果になった。天衣ちゃんが快勝譜を残して女王へリーチをかけた。
小学生女王の誕生。空さんよりも二年も早い偉業達成なるか。そして空さんはこのまま三段リーグにも悪影響を及ぼしてしまうのか。そんな風にマスコミは騒ぐ。
でも三段リーグではまだ無敗の空さん。第四局は将棋界でかなりの注目を浴びることになった。
決戦の地は鹿児島の
「弟子に先にタイトル取られるのか?いやあ、師匠想いな弟子だな」
「兄弟子だって大槌師匠に同じことやったくせに」
「おう。お前が玉将に挑んでくればそんなことなかったかもしれなかったのにな」
「負けてくれるつもりだったんですか?」
「馬鹿言うな。真っ向から潰してやるよ」
最終調整で来ていたゴキゲンの湯で生石さんにそう揶揄われた。山刀伐さんを倒して防衛した、現在名人以外の唯一のタイトルホルダーの言葉は格が違った。
「というか生石さん、一応空さんの研究仲間でしょう?応援しなくて良いんですか?」
「それを言ったら夜叉神ちゃんなんて姪弟子で同門だぞ?この場合俺が夜叉神ちゃんを応援する方が筋が通ってる」
「確かに」
「銀子ちゃんも三段リーグで調子は悪くなさそうなんだがな。……お前、本当にあの子に何した?」
「前から言ってますけど、特別なことは何も。名人の個人レッスンを受けてるくらいですかね?」
「個人レッスンって名前のガチバトルだろ。それができる時点で小学生としてはありえないんだよな……。あの子は、俺達の場所まで来るぞ」
「その日が楽しみです」
それこそを僕は望んでいるんだから。最初は女王を目標にしていたけど、天衣ちゃんはそんなところで止まる子じゃない。女流に居続けたら女流帝位の言葉じゃないけど「才能が腐る」。名人と指せる実力が鈍ってしまう。
だから僕はもう女王以外の女流のタイトルには参加させる気がない。もう女流で天衣ちゃんと戦えるのは極少数だ。その極少数と勝ち上がった末に戦うくらいなら奨励会に集中させた方がいい。
マイナビだって正直実力差がありすぎる。今回女王を奪えなくても来年以降はどうしようと悩んでいるくらいだ。
だって今までが空さんと女流帝位の二強状態で、その二人に勝ち星をつけられる女流棋士は天衣ちゃん以外に二人しかいない。焙烙さんと登龍さんだけ。そんなピラミッドが完成されてしまった場所で燻る理由がない。
だから女王を奪えなかったら来年のマイナビをどうするか。しっかりと天衣ちゃんと話し合おう。女王に拘るのか、上のステージを見るのか。
そこは尊重させないと。女王なんて天衣ちゃんは両親との約束だからそんなに軽いものじゃない。
でもきっと、人生を左右する選択になる。このままタイトルを獲得できることが一番揉め事がない結果になる。願わくば、彼女に祝福を。