僕のおしごと   作:駒木

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31 似た者同士

 指宿の旅館で行われる女王戦第四局。ここには将棋ファンはもちろんのこと、記者や関係者が数多く訪れていた。この一局で女王が決まる可能性が高いために記者はその瞬間を見逃さないために集まっていた。女王はこれまで空銀子が不動の玉座にいる。空銀子は誰にも負けなかったために女王は代わり映えがしなかった。祭神雷ですら落とせなかった、女性棋士最高の称号。

 そこにリーチをかけたのがまだ小学生の夜叉神天衣。史上最年少の偉業を成そうとしている人物が、二勝一敗という結果で今日勝てば女王の座を奪取できるという場まで登りつめていた。もし今日勝てば女王の獲得年齢を大きく更新する。

 

 そして夜叉神の注目される年齢以外の理由は、やはり師匠の存在が大きいだろう。既に棋士の中で存在感を出している碓氷暁人はタイトルこそ獲得していないものの名人と渡り合える天才。その弟子としての才覚をしっかりと見せつけるかの如く成績を叩き出していた。

 奨励会にも進み、今回のこの結果だ。容姿も良いことからメディアはかなり騒ぎ立てていた。

 そんな夜叉神の準備が整って対局室へ向かう前に、暁人が廊下で待っていた。女王戦で顔を出せたのはこの第四局が初めて。それ以外の日程では全て対局が被っていて応援に来ることはできなかった。

 だからこそ、この大事な対局に顔を出せて良かったと思っていた。

 

「天衣ちゃん。君は僕にとって初めての弟子だけど。──断言するよ。君は最強で、最高の弟子だ。だから女性の一番の座を、奪えるよ」

「ありがとう、師匠。──行ってきます」

 

 天衣は第一局と同じ黒い着物で対局室へ向かう。

 高校生対小学生。その対面だけでも異色だというのに、それが女王という女性棋士の頂点を決めるタイトル戦で。しかも小学生が王手をかけている。

 少女は進む。わざわざ顔を出してくれた師匠と同じ場所には立てていない。だからこそ、同じ土俵に立つための通過点として亡き母との約束を果たす。

 座布団の上に座り、小物入れから扇子を取り出す。「天衣無縫」と書かれたその扇子。それを閉じたまま両手で持ち、対局者を待つ。

 のちの将棋界にも存在しない、高校生と小学生の女王戦第四局が始まろうとしていた。

 

・・・・・

 

 その対局は静かな始まりだった。天衣は四間飛車による振り飛車、空は一手損角換わりという立ち上がり。最初のうちは定跡通りに進み、決定的な動きはなかった。空がこの大一番で選択した戦術がとある弟弟子を彷彿とさせたが、記者達が少し慌てたが棋士関係者は特に何も思わなかった。

 何せすでにその弟弟子のタイトル戦の際にVSを散々していたと噂になっているのだ。その弟弟子の得意戦法を使ったところで記者が話のネタとして食い付く以外は、棋士からすれば平常な光景である。同門なのだから戦法が同じになっても何もおかしくはない。

 

 そんなことを言い始めたら、天衣だって振り飛車を使っているのは師匠と一門の影響だ。戦法一つで騒いでいたらキリがない。特にこの二人は女性どころか棋士からしても珍しいオールラウンダーだ。居飛車も振り飛車もどっちもできるのは珍しい。

 男性は圧倒的に居飛車、女性は振り飛車の数が大多数を占めている。対処法を研究しても自分では使えない戦法というのは棋士でも多々ある。だが彼女達はかなりの勉強量を己に課してどんな戦法でもある程度は使えるようになっていた。

 

 それこそが強くなるための手段だと幼少期から学んでいたのだ。

 空は棋士の世界を目指しつつ女性の世界でも無敗でいることを幼馴染みの隣に立つための条件だと勝手に自分で縛り付けたために小さい時に酷い暴言を吐いた生石玉将へ頭を下げて研究仲間になってもらった。居飛車は師匠と弟弟子との研究で学び、オールラウンダーとなった。

 天衣も元々は父の影響で居飛車派だった。だが暁人のことを理解するために振り飛車にも手を出し、大槌一門に入ることを前提として暁人から振り飛車も重点的に教わった。その結果ハイブリッドになったという、周りから見れば天才少女の出来上がり。

 

 この二人は実のところ共通点が多い。

 将棋の努力量が半端じゃないこと。後天的にオールラウンダーになったこと。奨励会に挑んでいること。女性の中では飛び抜けた才能を持っていること。

 将棋を通して、好きな人に振り向いて欲しいこと。

 少し年齢差があって、少し環境に差異があって。だが本質は似ている二人だ。女流棋士の頂点を決めるための舞台で激突することは必然の運命だったと言ってもいい。

 

 対局自体も、女性だからと、まだ学生だからと色眼鏡で見られるようなものではなかった。どの対局も百手を超える力戦ばかり。どちらに天秤が傾くのかも終盤までわからないほど拮抗した勝負。この三局の棋譜を見れば奨励会に属している人間はもちろんのこと、棋士でも感嘆の息を吐くほどの美しい棋譜ばかりだった。

 この第四局が動いたのは両対局者が持ち時間を一時間ほど消費した頃。女王の空が攻勢に出て定跡から脱した。防御を最低限の囲いと持ち駒でどうにかすると決めた空は攻勢に出る。

 

 そこからはずっと空が攻め続けた。一手損角換わりという先手のアドバンテージを覆せる戦法が功を奏して空はずっと攻め続ける。途中の昼食休憩でしっかりと栄養を取り、午後からの対局でも最適解を見つけ続けた。

 絶好調と呼んでもいい指運だった。頭で考える前にこれが最適なルートだと何処かで理解していた。相手がどう指すのか、どうすれば相手を追い詰められるのか。それが瞬時にわかってしまう。

 この状態がどういうことか、空は理解していた。

 

(これが八一達の見ている世界……。私もやっと追いつけたの?)

 

 八十手を超えて、まだ指し続ける。

 だが、おかしい。

 いくら攻めても相手の玉に届かないのだ。

 夜叉神天衣という女流棋士は短い手で相手を吹っ飛ばすことが多いために彼女は攻めるのが好きな人間だと思われている。所属している一門も誰もが振り飛車党であり、振り飛車なんてものは攻めて攻めての大駒の斬り合いだ。

 師匠も例に漏れずオールラウンダー寄りの振り飛車派であるため、そんな誤解が広まっても仕方がないだろう。公式戦で見せる姿から勝気な少女だと思われることが多い。

 

 だが、天衣の本質は父から譲り受けた受け将棋だ。彼女にもその才能が受け継がれており、我慢強い精神と才能がなければできない受け将棋を、まだ十歳で完璧にできていた。

 空はそんな才能を名人研で何度か見ていた。だからこそ天衣をあまり詳しく知らない人間よりも理解していたと言える。

 この状況は、誘い込まれたのだと。

 

「あなた、とても良い景色が見えているみたいね?でも残念。わたし、その領域は去年の五月に通り過ぎた場所なの。今はその上を、知ってる」

 

 飛車の暴威が、戦場を荒らす。

 空が使う将棋星人という人間が見ている領域に、空もこの対局で辿り着いた。将棋界でも一握りしか到達していない天才の領域だ。

 だが、その領域に辿り着いていた暁人とどれだけ対局を続けてきたか。空だって九頭竜とVSをしてきたためにその領域に近付いていただろう。

 空と天衣の差は、そんな将棋星人達の中でも更に上澄みの、神の位置に座する名人と、その名人と訳のわからない意思疎通を果たした暁人と本気でぶつかり合ったということが大きい。

 

 空も九頭竜と清滝という将棋のトッププロと戦ってきた。生石とも研究会を開いて実力を磨いてきた。

 だが天衣はその領域の上の景色を、二視点から学ぶことができていた。そして辛うじてであっても暁人と少しは同じ思考を共有できたのだ。

 天衣はそんな力を、出し惜しみもなく振るった。

 尊敬する女性として、自分の先を行く先輩として。この価値のあるタイトルで全力で叩き潰すことにした。

 それが最大の餞となると信じて。

 

 上の領域に侵食された空は最適解なんて見えなかった。それでも最善手を指し続け、百十一手で投了。

 空が頭を下げた瞬間に大量のフラッシュが焚かれた。

 女性で最も強い、棋士に最も近い女性の敗北。最強の頂を冠する、史上二人目の女王の誕生。

 記者がいることなんて御構い無しに二人は感想戦を始める。空はこの四戦が糧になるとわかったからこそこの一局も真剣に思い返したかった。奨励会での対局に活かしたかったために。

 天衣もそれに応えて自分の見えていたルートを示し続ける。だが、一方でこんなことを天衣は言った。

 

「でも、これってまだわたしも完璧じゃないのよ。うっすらと見えるだけ。あなたのルートは見えていたけれど、それ以上のルートは思い付いちゃっただけ。その思考の行き着く先や過程とかはすっ飛ばされて、でも今よりも良い手だなと思えたから指しただけなのよ」

「ふうん?よくそんな不確かなものに手を伸ばしたわね?」

「だって、そこがあの人達の見ている景色だから。そこに踏み込まなくちゃ、追い付けない。せめて同じ場所に立たないと対局もできないでしょう?いつまでも追いかけるだけじゃダメなのよ」

「……本当に、似た者同士ね。あなたと私」

 

 そこからの記者会見は大変だった。最年少記録の樹立。空への三段リーグへの懸念。小学生に負けたということでこれからの奨励会での対局では苦労するのではないかという質問が多かった。

 だが空は堂々と言い切る。

 

「この結果は偶然でも何でもありません。ただ夜叉神初段の方が強かった。それだけです。それこそ三段に昇段した私よりも。今回のことで思い知りました。彼女と三段リーグで闘いたくないので、私はさっさと三段を抜けることにします。彼女はすぐにも三段に上がってくるでしょうから」

 

 この発言は物議を交わしたがそれでも言いたかった。

 運で三回も勝てるほど将棋は優しい競技ではない。純粋に実力が劣っていたから負けたのだと空は胸を張っていた。

 そしてこの発言が正しかったと見せるように、彼女は女王戦が終わった後の三段リーグでも二連勝。これで六勝無敗という快進撃を続けていた。しかもどれも完勝譜と呼ばれるような一方的な結果であり、それを知った記者は空の言葉が間違っていなかったことと、そんな空に勝った天衣に恐怖を覚えた。

 

 天才の再来が、また奨励会を襲うと。師匠が師匠なら弟子も弟子だという認識を改めてしたのだ。

 記者会見も終わって、天衣はそのまま旅館に泊まることにした。記者会見は夕方にあったのでそこから神戸に帰るのは体力的に難しかったのだ。小学生なために体力も限界で、鹿児島からだと飛行機で帰るにしても吸収をそれなりに移動することになる。

 それよりは今日はしっかりと休んで、明日ゆっくりと帰ることにした。これは空も同じで二人とも昨日と同じ部屋に泊まることにした。

 部屋に戻る途中で暁人と晶が待っていた。全ての行程が終わって暁人は真っ先に彼女に祝福の言葉を言いたかったのだ。

 

「おめでとう、天衣ちゃん」

「ありがとう、お兄ちゃん。少しはあなたに近付けたかしら?」

「それはもちろん。三段リーグにいる空さんに三勝一敗。空さんの実力は疑いようがないし、天衣ちゃんは祭神さんにも勝ってる。間違いなく、女性の中で最強の存在だよ」

「お母様との約束は果たしたわ。これからはお父様との約束の番。──碓氷暁人との、公式戦よ」

「待ってる、って返すのが正解かな?」

「そうね。待ってなさい。絶対に、将棋であなたにぎゃふんって、言わせて、みる、んだから……」

 

 そこが体力の限界だったのか、天衣は前のめりに倒れそうになる。それを慌てて暁人が受け止めて晶と二人掛かりで部屋へ運んだ。着替えなどは晶が全て行い、世間では最強女性棋士の代替わりが騒がせている頃、その二代目小学生女王は眠り姫と化していた。

 そして公式戦ではないが、二人の対局は意外と早く決まる。

 暁人の二度目のタイトル戦。名人との棋帝戦ももう間も無くといったところ。その間も暁人はイベントへの出演や対局などで忙しかったが、将棋界でもとある計画が動こうとしていた。

 

 それは迅速に決まっていき、予算もスポンサーから快く降りてきた。

 なにせ話題性のある師弟。熱のある内にやっておきたいイベントではあった。

 暁人への負担は大きくなってしまうが、暁人自身は将棋界の発展に繋がるのならとあっさりと了承。本人も六月は忙しかったが、逆に早めの連絡だったために予定を空けられた。

 サプライズになるのは天衣側。サプライズを仕掛けられた天衣は想定通りに驚くことになる。

 女王になったからには様々な煩雑なことも増えていった。メディアへの出演にインタビューなど。そのサプライズもそういう一環だと受け入れた。

 

 ただそれが女王獲得をした褒美である暁人とのデート終わりに知らされるというのが気に食わなかったが。

 

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