僕のおしごと 作:駒木
暁人はその日、京都駅で待ち合わせをしていた。普段は大阪に住んでいるが大阪で出掛けようものならちょっと噂されかねないので暁人はあえて地元である京都を選んでいた。
神戸を選ばなかったのは、相手の地元だからこそ行き慣れていていると思い新鮮さを求めて京都を選んだ。実のところ彼女はあまり京都に来たことがなかったのでそういう意味も込めて楽しめるだろうと暁人は考えていた。
地元の人にバレないようにいつもは着たことのないようなお洒落な私服を着ていた。上は茶色のジャケット、下は黒のスラックス。頭には変装用の野球帽を被って、年相応の若者であることを見せ付けていた。一応自分が有名だという自覚があるのだ。だから顔は見えないようにしている。
ちょっと早目に待っていて約束の時間の少し前に駅の前へリムジンが着く。そこから降りてくるのは予想通り天衣。
天衣の格好はいつもの黒いゴスロリではなく空色のワンピースを着ていた。そして麦わら帽子も被っている。これなら黒い服で印象的な天衣だとバレないだろう。大阪でも神戸でもないので天衣がいるとも思われない。
天衣は女流棋士の最年少タイトル記録を獲得したために連日テレビに出たため、顔も知られている。大阪で二人で歩いていたらすぐ噂になるだろう。九頭竜と空が歩いていたらすぐ掲示板やSNSで情報が流れる。そういうのを避けるために暁人は京都を選んだ。
暁人の出身が京都だと、あまり知られていない。関西出身だと知られていても暁人があまり京都のことを話していないので知っている人しか知らない。それも込みで暁人は出掛けるなら京都が良いと考えていた。
リムジンの運転席の窓が開き、晶が顔を見せる。
「では先生。お嬢様をお願いいたします」
「晶さんがついて来ないのは珍しいですね」
「お二人で出掛けるという約束をしているのに私がいてはお邪魔でしょう。ではお嬢様、夜七時にこちらへ迎えに来ますので」
「ええ、お願い」
晶さんはすぐにリムジンを動かして帰ってしまう。駅の近くで車が停まっているのはマズイので神戸に戻ったかどこかで時間を潰しに行ったのだろう。
二人になった暁人と天衣はどちらからともなく手を握って歩き出す。
「それでどこに行くの?全部任せちゃったけど」
「午前中は映画行こうか。僕が行きたい場所で良いんだよね?」
「ええ。わたしってお兄ちゃんのこと将棋でしか知らないなと思って。食事の好みは知ってるけど、その他のことってあまり知らないのよ。映画とか小説とか見てるのは知ってるけど、そのくらいしかプライベートを知らないわ」
「まあ、プライベートなんてそんなものでしょ。天衣ちゃんが来たら将棋やっちゃうんだし」
「将棋で繋がってるからこそでしょうね。将棋以上に大切なものなんてないもの」
それが二人の関係性。昔からずっと変わらない、二人の繋がり。
将棋以外のプライベートなんてどれだけ知っているのか。暁人は神戸の家に何度も行って泊まりもしているので天衣のことをかなり知っている。天衣の両親からも色々と聞いているので天衣のことばかり知られている。
だというのに天衣は暁人のことをあまり知らない。暁人が神戸の家に来たからといって暁人が自分の趣味に耽るわけでもなく、やはり将棋の話ばかり。天衣の進路の話を弘天としたりして暁人自身の話はしない。京都の家にお邪魔することもなかった。
暁人の実家に行ったことがないのは暁人の家族があまり将棋のことを詳しくないからだ。祖父ならもちろん詳しいが、両親はそこまで将棋に興味がないと言える。息子が頑張っているので応援こそするものの暁人がもたらした記録がどれだけすごいものなのか理解もしていなかったりする。
そして暁人の休日の使い方も問題があった。平日はもちろん、休日の多くは大槌門下に顔を出したり研修会に顔を出していた。そして都合が合えば神戸の夜叉神家に顔を出す。そんな生活を繰り返していたために京都に行く機会がなかった。
父親的にも休みの日は家でゆっくりしたかったということもある。そんな中他の家族が遊びに来ているというのも休まらないだろう。天祐はそんなことを気にしなかったので日曜日だろうが暁人を呼び出していたが、これは天祐の感覚がおかしいと言える。
そういうわけで天衣は今日初めて暁人の家族に会うのだ。
「映画を観た後は僕の家に行って、母さんが作ってくれるご飯食べて。その後は買い物に行こうか」
「お兄ちゃんのご両親ね。結局一度も会ったことがなかったわ」
「二人とも将棋に興味ないから。僕の大阪の家も三ヶ月に一回くらいしか見に来ないし。後は三者面談とかないと大阪に来ないから会う機会がないよ」
「これだけ交流が長いのに不思議な話よね。お祖父様とは何回もお会いしているけれど」
「お爺ちゃんは天祐さんのライバルだったからね。まあでも、今日は母さんが張り切ってるから。会うのを楽しみにしてたよ」
「それはまた、なんで?」
「ニュースで天衣ちゃんのこと見たんだって。それで僕の弟子だってわかってびっくりしたとか。僕が棋士になった時点で弟子の女の子のことは伝えてたし、その弟子が僕のアパートに来るって伝えておいたんだけど。この前根掘り葉掘り聞かれたよ」
暁人も何が何だかという状態だった。
全部伝えておいたことを改めて説明するのは面倒だと暁人は思っていた。両親に事細かい説明をしてなんとか理解してもらい、今度家に連れて来なさいと言われたので今日連れて行くことにした。
話している間に映画館に着く。
観る映画は海外のアクション物。世界的に有名なアメリカ系列のヒーロー物だ。
「こういうのが好きなの?」
「頭空っぽにして見られるからね。ストーリーとか気にせずただ二時間ボーッと出来る時間っていいものだよ?」
「確かに頭の休憩にも良いかもね」
ドリンクだけ買ってシアーターに入る。休日なだけあって結構な席が埋まっていた。二人の席は後ろ目の中央の席。ここを選んだのは音響的にも画面的にもかなりバランスが良いと暁人が長年の経験で思っていたから。
映画の内容的にはアクション盛り盛りの悪役とヒーローが暴れるもの。それの吹き替えではなく英語字幕のものだった。
アクションだらけだったので本当に大筋だけ理解していればわかる内容だったので頭を使うことはなかった。予算を相当かけたのかアクションもかなり派手でビルの倒壊はもちろん、街一つがボロボロになる始末。
その派手さに現実的じゃないと思った天衣だったが、それこそが創作というものかと納得もしていた。CG技術自体も凄くて本当に物が崩壊していたり役者が浮いているようにも見えた。
技術の結晶を、見られた。
使われている技術などは素晴らしいものだと理解できた天衣だからこそ、見終わった後に暁人に質問をしていた。
「お兄ちゃん。どうして字幕付きで見たの?音と画面下の文字を追うのって疲れない?」
「あー。僕は慣れちゃったからなあ。聞こえてくる音と自分が変換する意味が違うっていうのは割と慣れてて。それと吹き替えがあまり好きじゃないんだよね。なんか本当に別人感が凄くて。役者さんの生の声が聞こえるのが好きっていうかさ」
「……そういうところで並行思考について鍛えてる?これはありそう……」
「こらこら。本当に息抜きなんだから将棋から頭を離す。僕はそこまで考えてないよ」
「むしろ無意識にしているからこそ鍛えられているんじゃない?」
「脳科学とかは興味ないからなあ」
映画館からはバスで移動して暁人の実家へ。
実家に行くと暁人の母が天衣のあまりの可愛らしさに玄関でハグをしていた。もう一人頑張って女の子を産めば良かったかしらなどと言う始末。
家ではThe・家庭料理を食べてこういうのも久しぶりだと天衣はうんうんと頷きながらパクついた。その様子に母親はメロメロだったようでずっと可愛いと連呼していた。
食後には天衣が祖父と将棋を一局だけ指した。結果は天衣の圧勝。九年前の段階で下り坂に陥った棋力で新進気鋭の天衣の相手は無茶だった。
その一局が終わって、祖父は感慨深そうに天衣の頭を撫でた。
「老いぼれの願望を聞いてくれてありがとう。君には天祐君の将棋がしっかりと根付いておる。暁人、この子をちゃんと導いてあげなさい」
「わかってるよ、爺ちゃん」
祖父から天祐と戦ったアマチュア時代の棋譜を貰って。
その後はブティックに行って暁人は天衣に服を買っていた。
タイトル獲得記念だ。これから暑くなってくるのでそれでも外出時に暑くならないようにとサマードレスを。薄めのエメラルドグリーンのドレスに着替えて出て来た天衣があまりにも似合っていたので拍手をしながら迎えてしまった。
その服に似合うようなヒールサンダルも同時に購入。ブティックはこういう合わせやすい物も一式で購入できるのが良いところだ。ついでに小さいポシェットも買っていた。
暁人はなんだかんだこうやって天衣に物を与えるのが好きだったりする。
というか、中学生が持っている大金の使い道なんてこれくらいしかない。
将棋のために必要な物を買っても勝ち星がえらいことになっている暁人の年収はウン千万だったりする。七大タイトル挑戦もしている上に負けたタイトル戦だってほとんどが予選最終戦辺りまで行っていたり、それこそ一般棋戦では優勝していたり。
お金の使い先なんてちょっと豪華な食事と天衣へのプレゼントくらいしかないのだ。
天衣も貰って嬉しいので受け取るのは拒否しない。そうなると天衣への物はかなり増えていく。
着替えた天衣と一緒に京都の街を歩く。歴女の面がある天衣は京都の街に大興奮。暁人も地元のことなのでわかる範囲で説明をしつつ、お気に入りのお茶屋さんでティータイムにした。
「最中と栗最中?」
「そう。これと抹茶のセットが好きでね。研修会で昇級するとよく母さんに連れてきてもらったよ。爺ちゃんと一緒のことも多かったけど」
「渋い趣味だったのね」
「抹茶がダメなら他にも飲み物はあるよ?」
「良いのよ。今日はお兄ちゃんを知る日なんだから」
結局抹茶が苦かったようで、あまり進まなかったが天衣は飲みきっていた。最中は気に入ったようで持ち帰りも頼むほど。
抹茶については幼少期から好きだった暁人の味覚がおかしいと言うべきだ。京都の本格的なお抹茶というやつで本当に苦味が強い。なのに暁人は子供の時からこれと最中の組み合わせが好きだった。
暁人は舌がバカというわけではないのだが、抹茶に特に好みが合致したのだろう。昔から結構珍しく思われていて注文した瞬間にお店の人に久しぶりだねえと言われてしまったほどだ。帰ってきたら来るようにしているが、それでも京都に帰ってきたのは半年ぶりくらいになる。レアキャラ扱いもおかしくはないだろう。
ティータイムが終わった後も京都観光は続く。山城桜花の会場にも行き、もう参加することのない女流の場も改めて。
陽が落ちて、もうすぐ帰りの時間ということで京都駅へ向かった。
「こんな感じで良かったの?僕のことが知りたいっていうのは」
「うん。お兄ちゃんが育った街を知れた。全然知らなかったことを知れた。十分よ」
「天衣ちゃんが満足なら良いんだけど。また時間があったら京都に来る?流石に今日だけじゃ回り切るなんてできなかったし」
「そうね。また来たいわ。──ねえ、
天衣が覚悟を持って何かを言おうとした時、暁人の方から「プルルルルル!」という音が聞こえる。電話の着信音だ。
天衣は勢いが削がれてしまったので、電話をどうぞと手で示す。暁人はごめんと言ってから電話を取る。相手は大阪の将棋会館。
何だろうと思いつつ、暁人は出る。
「はいもしもし。碓氷です」
「こんばんは。碓氷六段。今お時間よろしいですか?」
「月光会長?大丈夫ですけど、できたら手短にお願いしたいです」
「そうですか。では端的に。碓氷六段、来月の月末に夜叉神初段と記念対局をしていただきたいのです」
「……天衣ちゃんは目の前にいるので僕から伝えましょうか?」
「そうしていただけると助かります。ポスター用の写真を撮ったりインタビューがあったりするのでできれば来週中にお二人にはこちらへ顔を出していただいてスケジュールの調整をしてもらえればなと」
急な話に暁人は驚く。天衣も電話の内容は聞こえていないが自分に関わることのようだと思って眉を潜めていた。
「あの、どういう理由の記念対局なんですか?タイトルを獲ったから?」
「そうです。今日本中があなたたち師弟に注目しています。将棋の普及にはこれ以上ない宣伝だと、東京の方でもそういう企画が動きまして。ただ申し訳ないのですが既に旅館も抑えてしまっていて、日程をずらすことやそもそも開催できないような状況ではないことは留意ください」
「来月ってことはもうそこまで進行しているってことですよね……。わかりました。僕は構いません。ただ天衣ちゃんにはもう少し手心を。まだ小学五年生なので」
「あなたの四段昇段記者会見を見た時からわかっていますよ。女王関連でのこちらからのゴリ押しはこれで最後です」
「お願いします。それじゃあ、用事がありますのでこれで」
「お忙しいところ失礼しました。それでは」
電話が切れたところで天衣に内容の説明をする。
天衣も暁人との記念対局ならと了承。来週、既に日曜日なのでもう今週だが一緒に将棋会館に行くことを決めた。
それと、暁人として清算しなければならないことがある。
「ねえ、天衣ちゃん。さっき言おうとしてたことって……」
「良いの。記念対局の方が大事だから。気にしないで」
「僕が気にする。気になって眠れなくなるくらいだ。だから僕の方から伝えなくちゃいけない。──もし天衣ちゃんの気持ちが変わらないなら。僕は君が好きだ。だから僕は君の気持ちに応えたい」
「……………………………………ぇ?」
突然の不意打ちに天衣の思考がフリーズする。
鈍感だと思ってた相手からの、まさかの告白。何とか振り向かせようと色々と画策して様々な手段を講じようとしていた第一歩が今日のお出掛けのはずだった。
だというのにその一歩目で、まさかの相手からの告白。こんなの想定しろという方が無理だ。
「天衣ちゃんがいつからそうなったのかわからないけど、絶対僕の方が好きになったの早いからね?……かといって五歳差って結構大きいし、十歳より前に言ったらお遊びだって思われそうだし……。あと世間体とかも気にしてて」
「…………」
「どれだけ本気になって良いのかわからなかった。君は純粋に僕のことを兄として好きなのかどうかもわからなかったし、師匠として尊敬しているだけだって言われたらわからなかった。僕たちは幼い時から近すぎたんだ。九頭竜さんと空さんの関係性に近いけど、年齢差で言ったら九頭竜さんと雛鶴さんと同じ。それに年齢だけ見たら僕は高校生で君は小学生だ。だから色々と怖かったのはある。けど、君は変わらなかった。その気持ちが変わらないなら、僕と恋人になろう」
暁人が差し出す手に、天衣はすぐに握り返せなかった。顔は真っ赤になって脳がフリーズしていたからだ。そんなそぶりを一切見せなかった好きな人からの逆告白。
それは本能か。望む関係に至れるというのだから、天衣はそのチャンスを逃せなかった。
だから、暁人の手を取る。
「これからもよろしくね、天衣ちゃん」
「……これで、恋人?」
「うん。周りには隠さないといけないけどね」
「ああ、条例とかあるんだったわね……。お兄ちゃんがロリコンって言われないように気を付けないと。ロリコンじゃないのよね?」
「天衣ちゃんだから好きなんだよ。僕の好きなタイプのこと、晶さんから聞いてない?かなりボカしたけど天衣ちゃんのこと言ってたつもりなんだけど」
「……明日もう一回電話しても良い?今日のことが夢じゃないって確かめたい」
「ふふ、良いよ」
繋いだ手のまま京都駅へ向かう。
体格差もあるために周りから見たら妹の手を引っ張る兄に見えるだろう。仲の良い兄妹にしか見られないだろう。
実際朝はそう見られていたはずだ。それで良いと天衣も思っていた。
だというのに今は違う関係だ。兄と妹のようであって、将棋の師弟で、幼馴染で。
恋人だ。
七時ちょうどに駅に着いたために既に迎えのリムジンがロータリーに着いていた。暁人が後部座席のドアを開けて天衣をエスコートする。そして買ったものが入っている袋を助手席に置いて晶にお礼を言う。
「晶さん、お迎えありがとうございます。来週僕も天衣ちゃんも将棋会館に向かう用事ができたので平日の放課後に都合の良い日に会館に行きます」
「わかりました。先生は家まで送らなくて大丈夫ですか?」
「バスですぐですから。天衣ちゃんもまた明日」
「うん、また明日……」
素直な天衣に晶はおや?と思ったものの帰るのが遅れても困るのですぐに車を発進させた。
京都駅を離れてすぐ、後部座席の天衣が顔を手で塞ぎながら横にコテンと倒れこむ。
「お嬢様?お疲れですか?」
「そうじゃなくて……。お兄ちゃんに告白されちゃった……」
「…………はぁ⁉︎」
告白したのではなく告白されたのはどういうことだと晶は運転しながら大いに慌てた。
暁人の様子から恋愛感情なんて全く見られなかった。だというのに暁人が告白したというのだ。
天衣は次の日の朝、学校に行く前に電話をかけた。そして昨日のことが夢ではないと知ってその日一日はずっと頭がふわふわした状態で過ごしていた。
弘天なんてその話を聞いて婚約のための血判書を作成しようとするほど。そんな話が晶から回ってきたが、暁人は呆れながらとんでもないことを言う。
「そんなものなくても、僕は天衣ちゃん一筋ですよ?七年以上好きなのに今更誰かを好きになれると思うんですか?」
それが決め手となり、夜叉神家では二人を婚約関係だと公認した。十六歳になったら事実婚をさせようと。世間の評価などもあるのでそんな最速で動くのはマズイと考え、結婚は伸ばすが婚約なら良いだろうとした。
碓氷家ではそのことが後から伝えられて、暁人はそんな重要なことをなぜ話さなかったのかと怒られたりもした。