僕のおしごと 作:駒木
春。無事に引っ越しと転入も済んだ土曜日。
今日は対局もなかったためにお昼から天衣ちゃんと晶さんが来ることになっている。研修会の試験も受かったのでこれから例会がある日には僕の家に寄るそうだ。
僕の家はまだ建てられてから三年ほどしか経っていない綺麗な場所。将棋会館まで歩いて二十分というのは中々に好立地。対局の前に歩いて気分を整えたいからこれくらい離れている方が都合が良かった。
部屋は1LDKロフト付きの三階の部屋。エレベーターも建物の中にあるので登り降りも楽チン。
「迷わなかった?」
「晶に住所伝えておけば問題ないわ」
うーん。すっかりお嬢様が板についている。前まではお姫様だったんだけど、あの大きな屋敷で暮らすようになってから晶さんに頼ることが多い。
一人で塞ぎ込むよりよっぽど良いけどね。
「暁人先生。こちら旦那様から引っ越し祝いだ」
「え?わざわざすみません。弘天さんによろしくお伝えください」
晶さんからそんなことを伝えられて、その後ろにはガタイの良い黒服の男の人が二人掛かりで大きなものを運んでいた。
え、何それ。
その巨大なものはリビングに運ばれる。1LDKという構造だからか、リビングにその大きなものが運ばれる。リビングなんて食卓とテレビくらいしか置いてないけど。
「あの。アレなんです?」
「最近話題のソファーだ。ちょっと組み替えるだけでベッドになる」
「ああ。CMで見た覚えがあります。ソファはなかったので良いですけど、僕ってあのロフトの上で布団で眠ってますよ?」
ロフト付きの部屋だからそこに敷布団を敷いて寝ている。唯一の部屋は研究部屋にしているためパソコンと将棋盤に本でスペースはいっぱい。布団とかベッドに拘りがなかったから寝る場所なんてどこでも良かったんだけど。
「アレはわたし用よ」
「……ん?天衣ちゃん、なんだって?」
「だから、わたしが例会とかで遅くなってどうしても泊まらなくちゃいけなくなった時用のベッド代わりってこと。もちろん掛け布団も持ってこさせたわ」
夜叉神家に僕の住処が侵食されている。いや僕も天衣ちゃんの指導のためにあちらの邸宅で泊まることもあるし、僕用の布団も用意してもらってるけど。
あんなお屋敷と僕の部屋は違うんだぞ……?
「……迷惑だった?」
「ああ、いや。大丈夫だよ。そうだよね、もしも急に体調が悪くなったりしたら神戸まで戻るのも大変だし、ホテルを取るのも非効率だ。そういう時のための備えってことでしょ?」
「……まあ、それで良いわ」
「一応私の寝袋も置かせてもらうぞ。先生の親御さんからも生活チェックを言いつけられているからな」
「え?晶さんも敷布団を用意したら良いのに。あの食卓ズラせばスペースありますよ。ベッドはこれ以上置けないでしょうけど、敷布団くらいなら良いのに。クローゼットも余裕ありますよ?」
寝袋なんて使ったことがないけど、絶対寝づらいはずだ。晶さんは天衣ちゃんの護衛兼ドライバーなんだから疲れを残さないようにして欲しいのに。
というか、お客さんを寝袋で寝させるのは僕が忍びない。良い大人の女性だし。
「……お嬢様」
「良いのよ。これからじっくり追い詰めていけば良いんだから」
二人が小声で話してるけどなんだろう?敷布団を追加で持ってくる話だろうか。
黒服の男の人たちがテキパキとソファを組み立てて、包装に使っていたダンボールなどを全部回収していった。仕事が早い。
「そういえばお兄ちゃん。編入した学校って空女王と一緒の場所?」
「へ?いや、違う場所にしたよ。あっちは嫌ってるだろうし、空さんは有名だからね。これで将棋関係者が増えたら学校生活大変になっちゃうよ。だからその理由言って空さんの学校を職員さんに聞いて別にした」
「そ。……順位戦の対戦表発表されてたけど、九頭竜四段と戦うのね」
「そうだね。研究は始めてるけど、僕はいつも通り戦うだけだよ」
それから一緒にお昼を外へ食べに行って、部屋で将棋を指した。次の日に道場に行くことを決めて、夜には本当に二人は泊まっていった。晶さん用の敷布団も急いで買ってきたようで、二人が下で、僕がロフトで眠った。
・
四月下旬。順位戦の二戦目が大阪の将棋会館で行われた。例年であれば順位戦はもうしばらく後になってから始まるのだが、今将棋界は中学生棋士が産まれたことでブームになっている。そのためスケジュールが前倒しになっていた。
今日注目の対戦カードは中学生棋士となった二人。九頭竜と碓氷が戦うのはプロになってからの公式戦では初だ。
これを嗅ぎつけた記者団が会館の外に待っている。二人が会館に入ってくる時でさえ写真や質問が飛び交った。
今二人は静かに座席に座っているが、闘争心は剥き出しだ。棋士番号から九頭竜が上座に座っている。
既に順位戦の一戦目を終えたが、そこで既に明暗が別れている。
九頭竜は次の碓氷を意識しすぎたのか、大失着をして初戦を黒星スタート。碓氷は逆に普段通りに指して勝利していた。
次世代のスターとして注目される二人。振り駒の結果、碓氷が先手となった。
いつも通り碓氷は振り飛車をしようとしたが、まずは角道は開ける。そんな定跡通りのスタート。
数手進んだ時点で九頭龍が早速仕掛けた。後手番一手損角換わり。九頭竜の得意戦法だ。これができるために九頭竜は後手で喜んだ。本来不利になるはずの手で勝てる魔法のような戦法。これは地力があってこそだ。
前回三段リーグでは九頭竜が先手だったためにできなかった戦法だ。
碓氷が振り飛車派なことはわかっている。一手損角換わりは相居飛車を強いる戦法だ。使える振り飛車は限られてくる。
(さあ、どう来る?)
九頭竜はそう身構えたが、目の前の少年は全く意に返さず淡々と自陣を整えた。相手が後手になった時点でこうなると予測していたのだろう。
それもそのはず。奨励会の頃から九頭竜はこの後手番一手損角換わりの代名詞として知られている。得意戦法で来るなんて順当の一言だろう。
そして碓氷は一手損角換わりに対する振り飛車としてダイレクト向かい飛車を選択。いくつか棋譜が残っている戦型になった。
二人とも最初は定跡通りに進め、動いたのは中盤に差し掛かってから。
それはいきなり来た。
ビシッと駒音が響く。開戦の合図だった。だがそれはあまりにも突然すぎた。
(は……?五6歩?その歩になんの意味がある?)
何かを咎める手でもなく、大駒の進路を止める手でもない。ただ捨てにしか思えない一手。とはいえ歩だから捨てるにしても安いだろう。
だからってまるで一手手番を寄越すような一手を仕掛けてくるとは九頭竜も思わなかった。
(俺の戦法を乱すため?それとも何か手があるのか?……定跡からは確実に逸れたが、この一手は予想してなかっ──!?)
気付いた瞬間、九頭竜は自分の持ち駒を見る。まだまともにぶつかっていないので持っているのは歩ぐらい。そして状況を見て、歩では対処できないと知る。
(これ、飛車が上がって来るための橋頭堡か!一手損角換わりで戻した俺のリードを強引に取り返して来た!これに対処すれば手番があっちに戻る。対処しなければこれを皮切りに突っ込んで来る……。そんな唐突に、こんな中盤の一手で手番が変わるのか!?)
九頭竜は月光会長と指したために高速の寄せを味わったことがあった。それと同じことを今された気分だ。
これを回避するために少し考え、歩を無視して攻めることにした。もう少し陣形を整えてから攻めたかった。まだ碓氷の守りも完成していない。そう思っていたのが甘かったのだと九頭竜は痛感していた。
だが無理な攻めはこの場面を想定していた碓氷に対処され、逆に仕返しとばかりに飛車による猛攻を受けた。九頭竜の完成していない守りが飛車と銀によって攻められる。
九頭竜もプロだ。困惑こそすれど、対処もするし果敢に攻めていく。お互い防御を薄く攻めていく将棋を指したために、持ち駒が増えて急戦が加速した。
(一見薄そうなのに、崩せない!角の守りに角で攻めきれないなんてあるか!?肉を切らせて骨を断つなんて言葉があるけど、碓氷の場合は極氷で守ってるのに何故か崩せない!──いや、こっちが攻めるのと同時に向こうも攻めるから、結果としてあれで防御が間に合ってしまう!)
碓氷の攻めが的確すぎるからこそだった。九頭竜はお昼に何を食べたのかも忘れて全てのリソースを注ぎ込んでいった。
だが。
「負けました……」
「ありがとうございました」
結局一手分のリードを守り切られて、九頭竜は負けた。お互いに失着などなく、純粋な勝負の結果だろう。
感想戦で、九頭竜はどうしてもあの歩について聞いてみたかった。
「あの歩は、相当研究してきたのか?」
「あー……。実は、最近女流の棋譜を並べることが多くて。それで振り飛車側が定跡を外す時に面白いのを思い付いて。それを弟子と一緒に確認してみたらいけるんじゃないかってなりまして」
「へえ……って、弟子ぃ!?おま、もう弟子がいるのか!?プロになったばかりだろ!」
女流の棋譜を並べていることだけでも驚きなのに、更なる爆弾発言で九頭竜は思わず叫んでしまった。他の対局が終わっていて助かった点だろう。
まだ十三歳。中学生。だというのに弟子がいるという。
弟子なんてそれこそ三十後半、四十辺りで持つ人が大半だ。子育てなどに一段落が済んでようやく他の子を、というのが真っ当な弟子の取り方。
「僕がプロになったらその子を弟子にすることを決めてたんですよ。ほら、アレです。記者会見の時に泣いちゃった件の」
「ああ、そうなのか……。歳下、だよな?」
「小学三年生ですね。凄く強いですよ。本人の意向で学生の大会には出ていませんけど、今月研修会に入りました」
「え。女流の棋譜を並べてるって、その子女の子なのか?」
「はい。僕もたまに負けるくらい強いですよ」
将棋なのだから実力に差があってもたまには負けることもある。それでも今負けた存在が強いと言うのだから、それだけで九頭竜は背中に冷たいものが流れた。それは誰の心配だったのか。
同門のお姉さんか、姉弟子か。それとも。
それとは別に、どうしても聞きたくなってしまった。
「その子、可愛い?」
「可愛いですね」
「姉弟子とどっちが?」
「……その辺りは人それぞれでは?僕はお姫様みたいだと思ってますけど」
「写真とかないの?」
「……研修会で黒服のお嬢様のような子がいたら、多分その子が僕の弟子です。保護者の方がどの子よりも可愛かったと豪語してましたので」
「そっかー。いいなー、可愛いJS」
「……JSってなんです?」
「おまっ!俺だけ汚れてるような無害アピールいらないから!」
「……僕の弟子をいかがわしい目で見るんですね。九頭竜さんは」
ジトッとした目で見られた九頭竜は「誤解だー!」と叫ぶことになる。
これが後々のJS研なる派閥を作ってしまう男の姿であった。
この頃の八一くんには全然勝てると思うの。