僕のおしごと 作:駒木
「新人王おめでとう、お兄ちゃん」
「先生おめでとう」
「ありがとうございます、二人とも」
六月末。僕達はとある焼き肉店に来ていた。来た理由は二人が言ってくれたけど僕が新人戦で優勝して初タイトルを獲ったから。お祝いと言ったらなんとなく高級なお肉というイメージがある。
家族にも伝えたけど、何故か天衣ちゃんと一緒に行きなさいと言われた。褒めてくれたけど、何でだろうか。言われた通りに連れてきたけど。
個室がある、来たこともない高級店。タブレットで注文して他のお客さんどころか店員さんとも極力顔を合わせない作りになっている。
乾杯をしてから晶さんがずっとお肉を焼いてくれて、僕達はそれの恩恵に預かっている。好きに注文していいと言ってあるので天衣ちゃんが食べたい物を複数注文して分け合っている形だ。
でも、新人王なあ。今回参加資格がある新人が少なかったからあまり対局数も多くなかった。それで勝ち上がって優勝となると、いささか実感が薄い。決勝の神鍋五段との対局は楽しかったし難しかったけど。
前に負けてたから、今回はリベンジできて良かった。
お、ハラミ美味しい。柔らかくてすぐに嚙み切れる。
「天衣ちゃんも調子良いね。研修会で今の所負けなしなんだって?」
「いいえ。今日負けたわ。ホント、みっともない」
「え?そうなの?大ポカしちゃった?」
「……反則負けしたの。頭の中の盤面と現実の盤面が噛み合わなくて、二歩をしちゃったの……」
「ああ、僕もそれあるなあ。二歩じゃなくてと金にしていない歩を横に動かしちゃってね。となると研修会とマイナビが不安だなあ」
純粋に棋力が上がって、対戦相手との読み合いが合わなくなっちゃったんだろう。相手が天衣ちゃんの読みについてこられず、最適解を進んだ天衣ちゃんがそのまま盤面を進めて搗ち合わず反則負け。
将棋界でたまに見られる光景だ。棋力が全く違う人達の戦いだったり、空気感でそうなってしまう。
「それはもう、実力者と数をこなして脳の動きと現実を合わせるしかないんだよね。僕も研修会の頃は生石玉将に手伝ってもらったよ」
「ずいぶん豪華な対戦相手ね。その玉将と今度記念対局するんでしょう?また名人とすると思ってたのに」
「名人とは昇段してすぐ指してもらったから、今度は別の相手とした方が広告になると思ったんだろうね。それに兄弟弟子だから話題性はあるよ。タイトルホルダー相手だし」
よくよく考えると生石さんにはずいぶんとお世話になってるな。幼少期からの指導に、ゴキゲンの湯での天衣ちゃんの指導。それに今回の記念対局。
今度菓子折りでも持っていこうか。
「でも、対戦相手のレベルを上げると逆にマイナビでポカをするかも……?うーん、僕とするか、会館の道場で指すくらいにしておこうか」
「それで良いの?わたし、弱くなってない?名人と指した時の様な将棋を指せていないと思うんだけど……」
ああ、不安にしちゃったか。でもそれはしょうがない。
名人や山刀伐さんと指して、トッププロを経験した。将棋の奥深さを身をもって経験した。だから天衣ちゃんも目指す場所を知ったんだろうけど、周りがそのレベルを知らない。
将棋は二人で指すものだ。そして相手ありきのもの。相手とのレベルが離れていたらそれは棋譜にならない。
美しい棋譜ではなく、今回みたいな反則負けや虐殺と呼ばれる棋譜になる。コンピューターの指す将棋に似てるっていうのかな。相手なんていないような面白みのないものになる。
天衣ちゃんが強すぎるためになる現象。まだプロどころか奨励会にも入っていない人が相手じゃ、余裕すぎるんだろう。
「天衣ちゃん。弱くなんてなってないよ。その証拠に、指導で僕が負ける回数が増えてきたでしょう?僕があえて自分と違う指し回しをしているからって、僕の読みについてきてるのは事実。ただその読みの深さが暴走してるだけなんだよ」
「暴走……。制御できなかったら、今日みたいに反則負けしちゃうのよね?」
「そうなるね。僕はひたすら生石さんと多面指しをして脳内と目の前を分離させたけど、これは僕の対処法だ。生石さんも同じようなことになったら護摩行をして落ち着かせたって言うし、やり方は人それぞれだよ」
結局何がきっかけで落ち着けたかわからないし、それこそ棋士の数だけその方法があるだろう。名人や山刀伐さんにも聞いてみようかな。
「お父様の棋譜を読み返してみるわ。わたしの原点はそこだもの」
「ああ、それは良い。原点を見つめ直すっていうのは棋士に限らず多くの競技者がやることだよ」
「方針が決まったらスッキリしたわ。お兄ちゃん、デザート食べて良い?」
「どうぞ。My Fair Lady」
「マイ、ふぇ……?」
「ああ、気にしないで。この前ボーッと見てた映画でそんなセリフがあっただけだから」
訝しみながらも天衣ちゃんはタブレットを使って注文していく。晶さんはなんか驚いてるけどどうしたんだろう。
ちゃんとアイスを三つ……違うな、四つ頼んでる。糖分は大事だから好きに食べると良いと思うけど、お腹冷やさないかだけ心配。
美味しそうに頬張ってる姿が可愛いから、なんでも良いけどね。
「お兄ちゃんの新人王も驚いたけど、九頭竜四段も驚きよね。竜王の挑戦者になったんだもの」
「もう昇段して七段だよ。五段をすっ飛ばして六段も一瞬で終わらせた史上最年少の」
「お兄ちゃんだって史上最年少の新人王でしょ?あと一年くらいはやることなすこと全部史上最年少ってつくわよ」
「それはそうだけど、七段と挑決の記録は九頭竜さんのものじゃないかな。玉将戦も棋帝戦も負けちゃったし」
七大タイトル関係はこれからまた予選を勝ち上がらないといけない。他にも色々な大会が始まるから忙しいんだよね。だからどれかに集中してっていうのも難しいし、学校もあるから出る大会を絞らないと。
棋戦もそうだけど、解説の仕事とかもあるからなあ。うーん、早く学校を卒業したい。
「ある意味九頭竜さんって賢い選択してるんだよね。一つの棋戦に集中すればあそこまでいけるって証明になっただろうし。それでもあの人の才覚があってこそだけど」
「むしろ集中しすぎてネットではボロクソに言われてるわよ?ヤフーのコメント欄酷かったわ」
「他の棋戦ほぼ全敗だし、順位戦もまだ二回しか勝ってないからね……。竜王戦はどの棋戦よりも高額だから、賞金目当てって言われても仕方がないよ」
あれは才能への嫉妬みたいなものだけどなあ。実際格上の棋士を多数屠ってるからそれ自体は凄い事。なのに同格との将棋に負け続けたら物申したくなるんだろう。
僕は今の所目立つような負け方をしていないためにそこまで叩かれていない。将棋界の発展のためにもそういう風評は減らすに限る。
それを言ったら弟子と関係者とはいえ女の人と一緒に食事はまずいのかもしれない。そこまでは気を張らなくて良いと思うけど。プライベートだって必要だ。……それにしては九頭竜さんは誰々と出歩いていたって話題になるけど。それが女性ばかりなのはどうなんだろう。
そうだ、九頭竜さんで思い出した。
「天衣ちゃん、将棋会館に行った時に不審者に写真撮られたりしてない?」
「はぁ?そんな変態がうろついてるの?」
「先生。それが本当なら護衛の数を増やさなくちゃいけなくなる。特徴は?」
「ああ、いや。僕も半信半疑で。可愛い女子小学生を探してるとかって噂で聞いただけで」
「間違いなく変質者だな。お嬢様の護衛を増やそう」
晶さんが携帯を取り出して連絡を始める。あれからも九頭竜さんに会うと写真を求められる。正直うっとおしく思ってきた頃だ。
この前本当に研修会に顔を出して子供達に囲まれたらしい。たくさんの女の子に囲まれちゃったぜって自慢してきた。けど天衣ちゃんは顔をチラリと見ただけで近寄りもしなかったせいか、正面から見てみたいと言われた。ちゃんと見れなかったとか嘆いてたのがしょうもないなと思ったっけ。
写真は確かに持ってるけど、見せるつもりはない。というか、あの人って小さい子が好きなのか。でも師匠である清滝九段の娘さんが好みって言ってたような。大人のお姉さんとどっちが好きなんだろう。
「天衣ちゃん。たとえ知っている人でも写真とか撮らせちゃダメだからね?」
「わかってるわよ。そういうのはちゃんとした取材の時だけでしょ?」
「そうそう。まあ、同門の先輩棋士とかなら良いかな……」
「何?棋士って写真好きなの?」
「というより弟子とか身内に甘いんだよ。年配の棋士からしたら孫みたいなものだから可愛がられる。……同門と記者以外だったら変質者だから」
「了解よ」
これで大丈夫かな?九頭竜さんは将棋に関しては尊敬してるけど、女性関係がちょっとなあ。何で将棋会館に行くたびにまた女の子と歩いてただの、それで空さんが機嫌悪いだのって話を聞かなくちゃいけないんだか。
九頭竜さんが天衣ちゃんの写真撮ってたら空さんがまた機嫌悪くするし。空さんは夏にかけて体調よろしくないからあまり負担になるようなことしてほしくないんだけど。
何で同門でもない僕が心配しなくちゃいけないんだか。
「……お兄ちゃん?別の女のこと考えてない?」
鋭い。女の人ってこういう直感凄いよね。真実も含みながら全体はボカして伝えよう。
「あー。空さんが最近機嫌悪くてさ。九頭竜さんに伝えるか悩んでた。これからタイトル戦も始まるしどうしようと思って」
「そうなの?九頭竜七段ならたまに研修会に顔を出してるわよ。暇なんじゃない?」
「あんまり棋戦で勝ち進んでないからって、タイトル挑戦者が暇なわけ……。ほら、関西の研究会って棋士室でやるのが通例だから、その前に立ち寄ってるんだと思う。同門の清滝桂香さんがいるから、その様子見、かなあ」
いや、これも理由としては弱い気が。空さんも奨励会に進んだから例会に出るけど、研修会の時間にかち合うとも思えないし。
……本当に天衣ちゃん目当てじゃないよね?それくらいは信じさせてくださいよ、先輩……。
おや、清滝桂香さんの名前を出したら天衣ちゃんの顔が曇った。何かあったんだろうか。
「先生、その。今日お嬢様が負けた相手がその清滝桂香さんなのだ……」
「ああ、なるほど。平手?」
「平手よ。定跡がしっかりしてて中盤までは普通の将棋だったんだけど。定跡から外れてわたしから攻めたらどんどん頭の中に道筋が溢れてきて……。どれが良いだろう、相手は何を指すだろうって思ってたらやっちゃったのよ……」
エンジンがかかっちゃったんだろう。桂香さんは清滝一門というだけあって将棋はしっかりしているし、研究量は群を抜いてるって九頭竜さんが自慢してた。居飛車も振り飛車もできるオールラウンダーだってわかったから天衣ちゃんも気合いが入っちゃったのかな。
難しいものだ。さっき言ったように、自力でどうにかするしかない。なんとかできないのは師匠として歯痒いな。
「うん。やっぱり僕と指すか、会館の道場で指すくらいにしておこうか。名人との研究会もゴキゲンの湯もしばらく無しにしよう。連絡しておくね」
「お兄ちゃんだけでも行ってきて。名人たちも楽しみにしているんでしょう?」
「まあ、聞いてみるよ」
そんなこんなで食事自体は楽しめた。晶さんがお会計で払おうとしたけど、弟子の関係者からお金を貰う師匠はいない。それに呼んだのは僕だったから会計も全部持った。
新人戦で結構お金貰ったからこれくらいの出費はなんてことない。それに夜叉神家からは結構な貰い物をしているのでこれ以上何かをされるのは忍びない。
気付いたら僕の家に高級そうな急須や茶葉とか揃ってるし、空気清浄機とかいつの間にか置かれていた。ありがたいけど夜叉神家に侵食されている気がする。