「ふあぁ~~~じゃあ・・・行って来ま・・す」
寝惚け眼の五代くんが欠伸をしながら言った。
「いってらっしゃい」
向かい合わせに、屋内の響子さんは明るく元気な声で彼を見送った。
五代くんはとっても重い足取りでゆっくりと一刻館から出掛けた。
「あわわっ!」
五代くんの叫び声がした。
「どうしたの、あなた?」
響子さんは五代くんの悲鳴を聞くと、慌てて確かめに外に出た。
「な・・・何でもないよ、ただ・・・寝不足なんで、躓いて転んだ・・だけ」
五代くん痛めた箇所を揉みながら、ゆっくりと立ち上がった。
「あなたったら・・・もう少し気を付けて下さいね!」
「ああ・・・分かってるよ・・・」
響子さんは心配そうに五代くんを見ていたが、彼の足取りがふらふらと自分の視界から消えるとひとつ大きく溜め息を吐いた。
その直後、電柱の辺りで金属がぶつかる音がした・・・五代くんの悲鳴と共に・・・。
「もう本当に心配ばっかり掛けるんだから!」
響子さんは思わず、いつもの愚痴を零していた。
「お早ようございます!管理人さん」
背後から二階堂くんの声がした。
「まあ!お早ようございます、二階堂さん」
「あら?二階堂さん、何でそんなに元気なの?あなたも皆さんと一緒に朝まで大騒ぎしてらしたでしょ?」
「ははは。実は僕、夜中にはこっそり五号室まで逃げて寝ていましたからね、だから今日は五代さんとは同じ状態じゃないですよ」
「本当に要領がいいわね、どうやって皆さんの悪魔のような手から逃げたのかしらね」
「どうやっても何も、結局は昨晩、僕は皆さんの生贄の標的ではなかったですから」
「ふふ、それもそうね」
響子さんは微笑みながら相槌を打った。
「あ!遅くなっちゃった、出勤しないと。それじゃあ、管理人さん」
「いってらっしゃい」
響子さんが身を振り返すと、急に四谷さんが目の前に現れたので、響子さん驚愕。
「私も仕事に行かねば」
四谷さんは帽子を手にして口を開いた。その黒い帽子を被ると、黒色のコートを羽織り、黒色のスーツケースを手に持った四谷さんが出掛けて行った。
「い・・・いってらっしゃい」
驚愕の状態から回復した響子さんが、やっとの思いで挨拶の言葉をひとつ搾り出した。
一刻館の中に戻り、二号室内がお酒の瓶で敷き詰められているのと、グースカと鼾を掻いている一の瀬さんと朱美さんを見て、響子さんは思わず苦笑いをしていました。
「こんなに賑やかなのは久し振りね、以前の生活が戻って来たみたい」
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「ほ・・・北海道ですか?」
五代くんは驚いて尋ねた。
「そうなんだ。私の親戚の一人が北海道でこないだ保育園を開いたばかりなんだ、だけどねぇ、そこは保母さんが一名怪我で入院してしまって、人員が不足してしまったんだよ」
「だから君がそこへ行って2週間その代わりをして欲しいんだよ」
保育園の園長さんは説明した。
「し・・・しかし・・・・」
「心配しなくていい。宿も食事も私が既に君の代わりに手配したから、これが飛行機の切符だ」
園長さんは切符を取り出して、五代くんに手渡した。
「何ですって?二日後に出発?」
五代くんはその切符の詳細を見て、驚いて叫んだ。
「私もこれがちょっと急な話しであることは承知している、しかしその保育園は本当に保母さんの人手が不足しているんだ、君にちょっと手伝って欲しいんだ。頼むよ!」
「そ・・・それはその・・・」
「五代くん。頼むよ!」と園長さんは手を合わせた。
「・・・分かりました」
五代くんは園長室から退出すると、一言嘆かずにはいられなかった。
「どうしたものかなぁ、結婚して以来こんなに長い間、響子と離れるなんて無理だよ、響子が悲しまないようにするにはどうすればいいのか思い付かないな・・・」
「ああ、凄く悩むなぁ、本当にどうやって響子に説明したらいいのか分かんないよ・・・」
五代くんは想像した。
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『響子、事情はこの通りなんだ』
『・・・・・』
『響子・・・・?』
『・・・・・・』
『響子、君・・・悲しいのかい?』
『ああ・・・』
『わあっ!な・・・泣かないで!』
『うう・・・春香ちゃん・・・パパはもう私達と別れるんですって・・・これからはもう私達二人だけで暮らしていかなくちゃいけないのよ・・・』
『そんなこと言わないで・・・ごめんよ、響子・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい』
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「・・・・くん」
「・・・代くん」
「五代くん!」
「え?な・・・何ですか?」
五代くんは妄想の夢から覚めた。
「君ねえ何をしているのよ?ずっと麻美ちゃんに向かって泣かせたことを詫びてたわよ・・・」
保育園の同僚の保母さんが疑惑の目を向けた。
「へっ?」
五代くんは現実の世界に戻ると、園児の麻美ちゃんが驚愕の眼差しで自分を見詰めていた。
「あはは!お兄ちゃんってすっごく面白いね!」
麻美ちゃんは嬉しそうに言った。
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その晩、一刻館。
流石に昨夜は宴会が盛り上がりすぎて住民たちもグロッキーなのか大人しく、今夜は宴会は無しである。
よって五代くんも家族三人水入らずで過ごせている。
「なあ・・・響子」
管理人室内で五代くんは食後のお茶を啜りながら正面の響子さんに語った。
「何かしら?」
「いや・・・その・・・君は北海道は好き?」
「ええ、好きね。そこって景色がとても綺麗よね」
「そ・・そうだよね!あそこの風景は素敵だよね・・・僕も・・・大好きなんだ」
「でも少し寒いのが難点だけど」
「今はもう春だし、既に少しは暖かくなってると思うんだ、今だったらそんなに簡単に風邪は引かないって思うよ。ははは・・・」
「それもそうね。そうだわ、あなた、私が中学の時に行った北海道旅行の写真があるの。ちょっと見てみる?写真の風景本当に素敵よ」
響子さんは懐かしいのか嬉しそうに言うと押入れのアルバムを探し出して、五代君に見せてくれる。
「んん・・・そ・・・そうだね」
””しまった!またプロポーズの時の失敗を繰り返し犯してしまった、響子がとってもこういう例え話に鈍いのを忘れていた・・・分かってもらえるようにストレートに、直接言う必要があるんだった!””
五代くんは何枚かの写真を目にして思った。
「響子!」
五代くんは勇気を振り絞った。
「ほぎゃぁぁぁ・・・・・」
春香ちゃんが突然大きな声で泣き出した。
「あらあら、春香ちゃん。どうしたの?お腹空いちゃったの?・・ママがすぐにオッパイあげましょうね」
響子さんはすぐさま愛娘に母乳を飲ませてあげながら優しくあやした。
「あ、あの・・・響子、実は今日園長さんが僕にね、自分の親戚も北海道で保育園を開設したばかりなんだけど・・・そこに2週間、助っ人として僕に行って欲しいという話しをしたんだ・・・」
響子さんが春香ちゃんをあやして寝付かせた後、五代くんは戦々恐々しながら説明した。
「まあ、それはいつ発つの?」
「二日後に・・・・」
「大変!それじゃあ急いで荷物をまとめる必要があるわね」と響子さんは母親の顔から夫の仕事の手助けとして出張の準備をしてくれる妻の表情に変わりそう返答してくれた。
「君、怒らないの?」と五代君。
「何言ってるの?・・訳が分からないわ」
「いや・・・何でも無い・・・・」
五代くんは思いっきり脱力して答えた。
自分の妄想・・・白昼夢みたいにはならないよな?と今更ながらに自問自答してから自嘲してしまった。・・・一応、夫らしい台詞も言ってみようと思う。
「うん、急で本当に悪いんだけど・・・二週間も・・その、春香のこと宜しく頼むよ。手伝えないのが申し訳なくて悪いけど・・・」
「いいのよ。お仕事なんでしょう?仕方ないわよ。・・でも・・・保父の仕事に出張があるなんて意外よね?」
全く気分を害さずに着替えの下着や服をテキパキと用意し旅行用カバンに詰め込んでいく響子さん。
夫である自分に尽くしてくれる健気な響子さんに頭が下がる思いで五代くんは、奥さんに感謝しなければと思いながら・・・・あれ?だとすると二週間も離れ離れだよな?
・・・結婚してから一緒に過ごさない日々なんて・・考えるまでもなく今回が初めなんじゃないか?・・・うわ、俺は我慢できるのかな?・・・・う~ん・・・・
「でも・・・ちょっぴり寂しいなぁ・・あたしも。春香だって寂しがるわね。パパに抱っこしてもらうの大好きなのにね・・・」
響子さんも””ちょっぴり””寂しいとは言ってくれたが・・・娘の方が寂しがるわねと言われてしまった。
しかしまあ半月も急に不在にするなんてことに怒られず、泣かれずに済んだことで安堵する五代くんであった。
でも・・・愛しい奥さんからは””ちょっぴり””・・・””少しだけ””・・””寂しい””としか言ってもらえなくて少しどころかかなり拍子抜けで残念な気持ちになってしまった。
(次回へ続く)