まるで暴風雨のごとき一夜が過ぎ去り、一刻館は再度静寂を取り戻した。
「ばうばう!」
「惣一郎、そんなに激しく吠える必要ないぞ、みんなはまだ寝ているに違いないんだし・・・ほら、食い物やるぞ!」
その人物は袋から種物を取り出すと、惣一郎の目の前に放った、すると惣一郎は直ちにムシャムシャと意地汚く食べ始めた。
その人物はコソコソと一刻館のドアまで歩き、耳をドアに張り付けて、注意深く屋内の状況を探った。
・・・・
声も音も全くしない・・・・。
その人物は一呼吸すると、安心した様子が見て取れた。
誰も現れっこないよな!その人物は心の中で思った。
「?そおっと!」
ドアのノブをゆっくりと廻すと、摩擦する音が響いた。
古惚けたドアが緩慢に開き、屋外から早朝の太陽光線がドアを縫う様に透過して屋内を明るく照らし始めた。
太陽の光がゆっくり屋内に拡散していくと、輝きが玄関に姿勢正しく正座する四谷さんを照射した!
「よ・・・四谷さん?」
その人物は泡を食ってしまい、声にならない声で叫んだ。
「あなた~ついに~やっと~帰って~来たん~ですねぇ?」
四谷さんは不気味な表情を露わにして出迎えた。
「ご・だ・い・く・ん?」
「そ・・・そんな大きな声で言わなくてもいいでしょう!」
その人物・・いや!・・・五代くんは緊張した面持ちで言った。
「何故ですか?」
四谷さんはわざと大きな声で叫んでいた。
「五代くんがですねぇ・・・・!」
五代くんは慌てて四谷さんの口を押さえた。
「響子が驚いて目を覚まさないようにしないと!僕が帰って来るのが遅くなったから、妻が怖いんですよ・・・」
「インスタントラーメン5個」
四谷さんは陰険に言い放った。
「5個?ちょっと多いですよ、3個にしましょう!」
五代くんは不毛な商談を試みた。
「響子さぁん―!」
「わあぁ!止めて下さい!5個で結構ですって!」
「鰻重一つ追加して下さいね」
「何ぃい!・・・・分かりましたよ!」
「ああん?五代くんだってぇ!」
丁度その時、朱美さんの声まで聞こえて来た。
「こりゃぁいいや、さっさと上がって来なさいよぉ!あんたの歓迎会まだ終わってないんだからねぇ!」
朱美さんはそう言うと、四谷さんと一緒に強引に五代くんを5号室へと引き摺り込んだのでした。
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5号室内にて、二階堂くんはその時大きな鼾を掻いていた。
「もう!離して下さいよ!僕は物凄く疲れてるんですから!」
五代くんは大声で叫び訴えた。
「おだまり!あたし達がどれだけ首を長くして、あんたを待っていたかさぁ、あんたは分かってんのかい?」
朱美さんが冷たく言った。
「何でこんなに遅くになってやっと帰って来たんですか?さっさと真実を述べたらどうです!」
四谷さんは言った。
「そ・・・それはその・・・・・」
「まどろっこしいですねぇ!さもないと管理人さんに知らせに行きますよ!」
四谷さんは最後通牒を突き付けた。
「止めてくれ!」
「そんなら話しなさい、五代くん」
一の瀬さんは普段とは異なり大層厳粛に問い掛けた。
「・・・・実は昨日の朝、もう既に僕は帰って来てたんですよ、だけど運悪く街中で坂本の奴に出くわしてですね」
「あいつに捕まってしまったんですよ、僕の心情を見透かして、僕を拉致して酒を飲みに連れて行かれたんですよ・・・」
「白昼堂々と酒を飲みに行っただってぇ?」
朱美さんは露骨に疑わしい目で見た。
「本当ですって!勿論、一刻も早く坂本の奴を撒いて逃げ出したかったんですけど、そうしたら今度はあいつの家で酒を飲もうって提案されたんですよ」
「其の時、これは遅くなる前に脱走しなければなと思いました。だって響子の心配が怖かったし、だから午後に電話を掛けたのに、誰も一刻館に居なかったみたいで・・・・・」
「嘘吐き!あたしらが出掛けた後すぐに、賢太郎くんが帰って来てたんだよ」
朱美さんが五代くんを断罪した。
「違う!本当ですって!僕は作り話なんかしていませんよ!」
「本当ですかぁ?」
四谷さんがぬっとどアップに顔を近付けて来て追求、驚いた五代くんは引っ繰り返ってしまった。
「真実ですから!僕は誓ってもいいです!」
五代くんは座り直して言った。
「賢太郎の奴め・・・・・」
一の瀬さんは暗に息子を罵った。
「あんたを信じようじゃないか、五代くん。話しを続けなよ」
「・・・・どうも。其の後、僕は完全に酔い潰れてしまって、すぐに眠ってしまいました・・・・目を覚ました時には、お日様もほとんど白んでました」
「・・んでテレビを見たら、北海道の飛行機事故を知って、響子が心配しているに違いないから、即刻帰って来た・・・という訳ですよ・・・・・」
「あんた、話しをでっち上げてないでしょうね?」
朱美さんが問うた。
「していません!」
「そりゃあ不味いよ!あん時に管理人さん、あんたが事故に遭ったって誤解してさぁ、物凄い衝撃を受けたんだよ、その後にただの誤解だったって判明したけれども、管理人さんはまだ少しおかしいんだよ」
一の瀬さんは憂鬱そうに言った。
「何ですって?響子がおかしい?即刻、響子の元に行かないと!」
五代くんは緊張の面持ちで立ち上がった。
「ちょっと冷静におなり!」
一の瀬さんは五代くんを引き止めた。
「昨晩あたしゃ管理人さんにちょっと多目に休息を取りなさいって命令を敢えてしたんだよ、今はまだ早過ぎるからね」
「だから叩き起こす必要は無いだろ、だけどもしも管理人さんにあんたが酒を飲んでいて家に帰って来れなかったなんて知れたら最悪でしょうが?ああ?」
「おばさん、それじゃあ一体どうすればいいんだろう?」
五代くんは両手で頭を抱え込み、苦悩の様子を露わにした。
「こうしたらいいんじゃないかねぇ?」
一の瀬さんは次の様に続けた。
「あたしらは管理人さんに『あんたが眠った後、そう経たないうちに五代くんが帰って来た。しかしあんたを起こすのは忍びないから五代くんは5号室で寝ていた』と伝えるようにする・・・・・」
話しが終わらないうちに、ドアの外を誰か歩く音が鳴り響いた。
足音が段々と近付くと、全員声を出す勇気が無く、押し黙ってしまった。
足音は5号室のドアの前で止んで、ドアがゆっくりと開かれた・・・・・・。
「母ちゃん、朝飯まだ作ってくんないのかよ?」
その足音と声の主は賢太郎だった!
「驚かすんじゃないよ!自分で作んな!」
一の瀬さんは面倒臭そうに言い返した。
「了解」
賢太郎はそう言うと、5号室を後にした。
「それじゃああたしらは話しを続けようじゃないか・・・・」
一の瀬さんは賢太郎が居なくなるのを待って、五代くんに語り掛けた。
しかしながら、話題は再び誰かの足音のせいで遮られた。
「また賢太郎の奴なのかい!あいつは気に留める必要ないからね」
「お早う、管理人さん」
1階から賢太郎の声が伝わって聞こえた。
「まじい!」
朱美さんは暗に最悪である事をほのめかした。
「不味いですよ!わたくしの鰻重が水の泡となりました」
四谷さんはぶつぶつと独り言を呟いた。
「慌てなさんな!あたし達はさっき打ち合わせた通りにやろうよ!」
一の瀬さんは低い声で圧力を懸けて言った。
5号室のドアが開かれて、春香ちゃんを抱えた響子さんが部屋の入り口の前に立っていた。
「・・・・響子、ただいま・・・・・・」
五代くんは戦々恐々とした口調でそれだけの言葉を搾り出した。
「あら!お帰りなさい」
眼の下に幾重もの隈を作った響子さんは五代くんを発見して言った。
「あなたも疲れたでしょう?早くお休みになったら如何ですか?」
・・・・ただし、視線は凍えるほど冷たかった。恐らく氷点下なんてものではない位に・・・・。
「は・・・・はい」
「そうだわ。私、丁度出掛けますから、私の代わりにあなた、春香の面倒を見て下さらないかしら?」
響子さんは五代くんにそう問うた。
「こんなに朝早く?」
一の瀬さんは不思議に思って質問した。
「ええ。ちょっと事情が有りまして・・・・」
「それでは、行って参ります」
響子さんは五代くんに春香ちゃんを託して渡した後にそう言った。
「響子、ごめん。俺、こんなに遅くになってやっと帰って来て・・・・・」
五代くんは後ろめたそうに響子さんに詫びた。
「構いませんわよ」
響子さんは五代くんに微笑んで、身を翻してその場を去った。
響子さんの姿が消えた後、5号室には一片の静寂がもたらされた。
「何でよ?彼女怒っていないじゃないの!いつもの管理人さんとちっとも変わらないんじゃないのさぁ?」
沈黙を打ち破って、朱美さんが口を開いた。
しかしながら、五代くんと一の瀬さんは心配な表情を隠さなかった。
「ふわぁ・・あ?五代さん帰ってたんですね?何が起きたんですか?そんなに気難しい顔しちゃって・・・昨晩寝ていないんですか?」
二階堂くんは眠い目を擦りながら、不思議そうに尋ねた。
相変わらず空気の全く読めない発言をしながら・・・・・。
(次回へ続く)