「何だってえ・・・?家出して来たぁ?」
五代くんは唖然として声を失った。
「そうです、五代先生!あんの分からず屋のパパったら突然、私に誰か知らない人と見合いをするように無理矢理手配しちゃったんですよ」
「五代先生はこの話が行き過ぎじゃないかって思いませんか?私、それで今朝家でパパとちょっと・・・大喧嘩しちゃって、家出せざるを得なかったんです」
八神さんはプンプンと怒りが収まらない様子で告白した。
「今朝ぁ?」朱美さんが質問した。
「ええ。私、街中を目的も無くブラブラと一日中ぶらついていたら、もう疲れちゃって、どの場所で寝たらいいかもう考え付かなくって、そうしたら五代先生の事を思い出したんです」
「ま・・・まさか、お前またココに住もうだなんて考えているんじゃないだろうな?」
五代くんは不安気に問い糾した。
「出来ませんか・・・・」
八神さんはうな垂れて、失望した口調で言った。
「当然、不可能に決まってる!さもないと君のお父さんにまた僕が誤解されてしまう!」
五代くんはチラッと響子さんを盗み見た。
「そんな酷い事はしちゃ駄目よ、五代くん」
朱美さんは無責任な事を言った。
「五代さん、あなたがそんな冷酷で非情な人とは思いも寄りませんでしたよ」
二階堂くんまで、そんな事を言い出した。
「そうですとも・・・彼女を住まわしてあげなさい・・・」
四谷さんも言葉尻に乗っかった。
「僕だって彼女にそんな事は思っていませんよ、だけどずっと住むだなんて方法は駄目ですよ!」
「それはまあ別にしてさ、そんなに拒絶する口調で言わなくたっていいだろ!」
一之瀬さんはそう言った。
「まさか五代さん、あなたは疲れ切った若い女性にこんなに夜遅く、一人で家に帰れとでも考えているんですか?」
二階堂くんは止まらない。
「そんな考えは有りませんけど・・・・」
「そうだった!管理人さん、あんたはどう思う?」
朱美さんが尋ねた。
「それでは今日は、八神さんにここへ泊まっていって頂きましょう」
響子さんはそう答えてくれた。
「本当ですか?」
八神さん、大喜び。
「本当よ。ただし、今日だけです。もっとも、八神さんが明日は家に帰ってお父様と仲直りをするって私に返答する必要が有りますけれど」
「一日も有れば充分です!あの分からず屋のパパに私の決心を承諾させるだけですもの!」
「だけど彼女はどこに泊まるんですか?」
二階堂くんは素朴な疑問を述べた。
「そうだ!以前は八神さん、管理人室に泊めてあげたんだっけ、だけど今はねえ・・・・」
一の瀬さんは言葉に詰まった。
「わたくしの部屋を提供して差し上げたいのですが」
四谷さんは八神さんを叩きのめす様な事を言った。
「駄目です!それはあまりにも危険だ」
五代くんが却下した。
「僕もその意見に同意します」
二階堂くんもそう言った。
「それでは彼女にはこの5号室で睡眠を摂って頂きましょうか」
四谷さんはまだ諦めなかった。
「それもまだ危険な事に変わり有りませんよ!あの洞穴の様な穴はまだ修繕が完了していないんですからね!」
五代くんはその四号室へと繋がった大きな穴を見て断言した。
「そんじゃあどうすんのさ!」
朱美さんは尋ねた。
「八神さんに3号室で泊まって貰ったほうがマシでしょう」
二階堂くんが珍しくまともな提案をした。
「いや、そんな面倒は必要無いよ・・・八神さんには管理人室へ泊まって貰って、今晩、僕はここで寝るようにしよう」
五代くんは、もうしょうがないという口調でそう言った。
「これで決定だよね。あんたもいいだろ、管理人さん?」
一の瀬さんは響子さんに尋ねた。
「(こくり)」響子さんは頷きの動作で答えた。
「ありがとうございます、管理人さん」
八神さんは嬉しそうに言った。
・
・
・
5号室内は一片の漆黒の闇で満たされていた。
月明かりの光りが部屋の中に入って来て、その闇を打ち消す時も僅かながら有ったが、すぐさま分厚い雲によって蓋をするように覆われてしまう。
五代くんは布団を被って目を閉じ、寝返りを打った。
「今日も響子と真剣に話し合う事が出来なかったな」
五代くんは心の中で考えた。
「八神の奴が帰るのを待って、その後に必ずこの問題を解決しなくちゃな」
突然、五代君の背後から物音が聞こえて来た。
五代くんは首を振って目にした物体、それは懐中電灯を手にして自分の顔を照らしながら五代くんを睨み付けている四谷さんであった。
「ああん!何をしてるんですか?」
五代くんはびっくりして飛び起きた。
「五代くん・・・、君は久し振りなんで眠れないんですね、5号室は、とっても懐かしいでしょう・・・・」
五代くんは四谷さんの行動が理解できず、ただ枕を頭上に載せて、四谷さんとは反対側に引っ繰り返った。
「何がそんなに君を悩ませるんですか?五代くん・・・・・・」
五代くんは自分で枕を更にきつく、絞め付けるように顔に押し付けた。
「八神さんとの事で悩んでいるんですか?」
「・・・・・」
「そんな事ではいけませんねえ、結婚した後にまだ、こんな色恋沙汰を起こすなんて、遅かれ早かれ管理人さんに見捨てられるでしょうなあ・・・・・」
「・・・・・」
「五代くんってば・・・・」
「・・・・・」
「五代く~ん・・・」
「・・・・響子と八神が今この時間に何をしているのか分からないな?」
五代くんは内心そう思わざるを得なかった。
・
・
・
「管理人さん・・・」
八神さんは響子さんに軽く呼び掛けた。
「・・・・」
「眠っちゃったんですか・・・?」
「・・・いいえ、ただちょっと考え事が有って」
響子さんはそう答えた。
「そうですか・・・ねえ・・・管理人さん、私、あなたに質問したい事がひとつ有るんだけど・・・・」
「何かしら?」
響子さんは依然として頭も動かさなかった。
「あなたの亡くなった前の旦那さんに関する事なんだけど・・・・」
響子さんの身体が小刻みに震え出した。
「あなたの前の旦那さんがもう既に亡くなってこんなに久しいけれど、彼への感情はずっと色褪せていないんじゃないですか?」
八神さんは響子さんの異様な様子に気付かなかった。
「・・・・・そうよ」
響子さんは小声で答えた。
「案の定、そうなんですね・・・・私も多少はあなたの気持ちを思いやって理解出来る様になったって思うんです」
「何故?」
「私が既に五代先生を追い駆けなくなって久しいですよ、それは大体2年ぐらいかなって思いますけど・・・その時期も私はずうっと彼の事を忘れたりしなかった」
「とっくの昔に私達が恋愛成就する可能性が無いって分かっているのにね、だけれども五代先生への感情はずっと変わらないって思います、今現在に至ってもね」
「私はまだ、こんなに彼の事が大好きなんだって思っています・・」
「・・・・」
「あ?誤解しないで下さいね。管理人さん、私は、これっぽちもあなた方の幸福を破壊しようとは考えてはいませんから。私は高校生の時とは違って、状況を一切かえりみない人間じゃあないですよ」
「本音を言えば、あの時代私はあなたのぐずぐず煮え切らない態度が大嫌いでした。あなたは当時ずうっと一途に亡くなった旦那さんの事が心に引っ掛かっていましたよね?」
「あの時あなたの心情は大きな矛盾を抱えていて・・・今の私も同じ・・・ひょっとしたら信じてくれないかも知れないけど、ここ現在に至ってもですね、私も誰かその他の人を好きになる事は出来ない」
「その他の男性が私を追い求めて来たとしても、私の内心に常に必ず一種の申し訳無い心の痛みが沸き起こって来て、他の男性を拒絶してしまうんです。そうだわ、管理人さん、前の旦那さんはあなたの初恋の対象でしたか?」
「・・・・ええ」
「やっぱり・・・初恋の感覚は常に忘れ難いものですもんね、今も私の五代先生への感情は以前と違わないんです。現在私が彼を好きだという事は彼への想いを基本としているから・・・」
「或いは初恋の気持ちを忘れる手段を私は持っていないのかも知れませんね。それ故に自ら積極的に他の男性を好きになろうとしないのかも」
「管理人さん、私は本当にあなたが羨ましいわ、あなたは再婚した後も結果として依然、前の旦那さんへの想いを減らさない事が出来るなんて・・・」
「あら?もうこんなに遅い時間、本当にごめんなさい、こんなに長い時間を浪費して、私の話しを聞かせてしまって・・・・」
「いいえ・・・・」
「懐かしの五代先生が結婚した知らせを耳にした時、私は本当に傷付きました、だけど今の私は心から祝福していますし、あなた方が幸福を沢山手に入れる事が出来ますようにって願っているんです」
「お休みなさい、管理人さん」
「お休みなさい」
それ程しないうちに、傍らから八神さんの寝息が聞こえて来た。
『あなたの前の旦那さんがもう既に亡くなってこんなに久しいけれど、彼への感情はずっと色褪せていないんじゃないですか?』
「色褪せていないわ・・・」
響子さんは蚊の鳴くような小さな声で口に出した。
「本来の私なら、そう思うわ・・・・」
「ただし今の私は既にもう惣一郎さんの様子を思い起こさなくなってしまったの・・・・・」
涙が再び響子さんの頬を濡らした。
・
・
・
翌日の黄昏時。
「ただいま」
五代くんは一刻館の大きな扉を開けた。
「おんやぁ?丁度良い時に帰って来たね、八神さんは家に帰る準備をしているところだよ」
「管理人さんがあたしにさあ、五代くん・・あんたに八神さんを自宅まで送り届けるように伝えてくれって言付かってるよ」
一の瀬さんは春香ちゃんを抱っこしながら五代くんにそう言った。
「響子は?」
「彼女なら買い物に出掛けたよ」
「そうですか・・・・」
五代くんは失望の表情を露わにした。
「五代先生!」
八神さんが管理人室から出て来た。
「八神・・・・」
「すみません、お手数をお掛け致します」
八神さんは礼儀正しく言った。
「構わないよ・・・・」
空は既に真っ黒に染まり、近くを通過する電車のライトが目の前の道を照らしていた。
「五代先生・・・・」
沈黙を打ち破り、八神さんが話し掛けた。
「何だい?」
「私のこと、ご迷惑だとお考えですか?」
「い・・・いや、そんなことないよ」
「嘘は言わないで下さい。昔と同じみたいに、ずうっと私のことを避けているじゃないですか。だけど、私は改心したんですよ、私はもう昔の頃とは違いますからね」
「そうかあ?」
「けれども、唯一変わっていないのは、私が依然、昔と一緒で貴方の事を大好きだってことです」
「八神、お前・・・・・」
「でも心配はご無用ですよ、今日これで貴方にお会いするのは最後の一回にしようって考えていますから・・・・」
「最後の一回?」
「そうです、私は今後、もう二度と五代先生にご迷惑をお掛けしないって決心したんです。貴方と別れる為に、作り話まででっち上げて、お会いする口実を設けたんですからね」
「作り話・・・だって?それじゃあ、あのお父さんが君に見合いを迫ったていうのは全部、嘘なんだな?」
「怒っちゃいましたか?」
「はぁ・・・・もういいよ、済んだ事だし・・・・」
・
・
・
響子さんは購入した品物を手にして、一刻館へ帰ろうとしているところだった。
『一之瀬さんに春香のお世話を頼んでいて本当に良かったわ、さもないとこんなに多くの荷物は持てっこないもの』
響子さんは心の中で思った。
「あら?管理人さんではありませんか?」
響子さんは過去の記憶を甦らせた。
「こずえ・・・さん?」
「本当にあなたでしたか、管理人さん、お久し振りですね。丁度良かった、私、皆さんにお会いする為に一刻館へ行こうと考えていたんですよね」
こずえちゃんは嬉しそうに言葉を弾ませて言った。
「こずえさんは確か、名古屋に住んでらしたのでは?この度はどうして帰って来られたんですか?」と少し不思議そうに響子さんは尋ねた。
「何も理由は無いんですよ。娘が父母の家へ帰る只の里帰りですからね。そうだ、五代さんはまだ一刻館にお住まいですかあ?」と屈託無く逆に尋ねるこずえちゃん。
「ええ。だけど、この時間は家に居ない筈です、昨日八神さんがお見えで一晩お泊まりでしたので、今丁度、彼女を送り届けている途中に違いないと思いますわ」
「八神さん・・・・て、あの女子高校生ですか?」
「そうですよ。今は彼女も女子大生ですけどね」
「あ?そうなんですか・・・・月日の流れるのは早いですね・・・」
「もうこんな遅い時間ですから、ご一緒にお食事しましょうよ」
「いいですね」
こずえちゃんはニコニコと笑顔で答えた。
「あれえ?駅の前に居る男の人、五代さんじゃありませんか?」
こずえちゃんが前の方角を指差して言った。
「本当・・・・」
「丁度お別れの挨拶をしているところみたいですね・・・・」
「ごめんなさい、私、かなりの我侭でしたね。私はただ、貴方に自分の真意をお伝えしたかっただけなんです」
八神さんはそう告げた。
「こっちこそ、すまない。俺、昨日の晩あんな言い方をして」
「構いませんよ。私は別に気にしていませんから。ただですね・・・」
「ただ何?」
「えへっ。最後のお願いを一つだけ、適えて欲しいな」
「いいよ。言ってごらんよ」
五代くんは身を屈めて、八神さんを見詰めた。
五代くんが頭を低くした丁度その刹那、八神さんは目にも止まらぬ素早さで五代くんにキスをした。
響子さんは抱え込んでいた買い物袋を手から地面に落としてしまった、だが目の前の二人を相手にせず、とっさに身を翻してその場から逃げるように駆け出していった。
「管理人さん!」
こずえちゃんは、この場をどう取り計らっていいか分からず、ただ呆然と立ち尽くして響子さんが段々と離れ去って行くのを目で追い駆けていた。
五代くんはこの八神さんの突然の予期せぬ行動に衝撃を受けて呆然としていた。
「これで、完全に貴方への気持ちを捨て去る事が出来ました」
八神さんはそんな台詞を言うと、立ち去る準備をした。
2、3歩歩くと八神さんは振り返り、五代くんに手を振った。
「五代先生、さようなら!」
八神さんは元気良く言い、そう言い終わると、身を翻して駅の構内に入って行った。
「さようなら・・・八神・・・・・」
五代くんは自嘲気味に、そう呟くと八神さんが去って行くのを見送った。
五代くんは回れ右をして、一刻館への帰路に向かおうとした。
「響子!?」
五代くんは響子さんの走り去っていく背中姿を目にして、驚きで身が震えるのを禁じ得ずに妻の名を口にした。
「五代さん・・・・・・」
一人の女性が五代くんに向かって歩み寄って来た。
「君は・・・こずえちゃん・・・・」
五代くんは夢から初めて覚めたかの如く、発生した事件が信じられないようであった。
(次回へ続く)