めぞん一刻 二次小説 迷宮の桜   作:今津晶

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第08話  霊園

「まだ管理人さんを追い駆けに行かないの?」

こずえちゃんは心配そうな面持ちで尋ねた。

 

五代くんはこずえちゃんを見据えた。

 

「ご・・・ごめん。俺・・・・」

五代くんは夢からまるで初めて覚めたようだった。

 

「私の事なら放っといていいから、早く行って。今ならまだ取り返しがつくんじゃない?」

 

「それじゃあ・・・俺、行くよ!」

五代くんは慌てて一刻館へ向かって走り出して行った。

 

「五代さん、あなたってちっとも変わってないのね・・・」

五代くんが走り去って行く後ろ姿を見て、こずえちゃんは独り言を呟いた。

 

「そうだ、これ全部どうしたらいいんだろうな・・・」

こずえちゃんは地面に残された幾つかの買い物袋を見て言った。

空は既に完全な暗闇と化していた、街行く人々は皆、一心不乱に走り駆けて行く男に対して好奇の目を向けた。

 

「はあっ・・・・はあっ・・・・」

五代くんは走りながら牛の様にぜいぜいと息を吐いた、だが立ち止まる意思は無かった、まるでその様は脳裏を駆け巡っている想いの様であった。

 

『嘘は言わないで下さい。昔と同じみたいに、ずうっと私のことを避けているじゃないですか。だけど、私は改心したんですよ、私はもう昔の頃とは違いますからね』

 

『けれども、唯一変わっていないのは、私が依然、昔と一緒で貴方の事を大好きだってことです』

 

『ごめんなさい、私、かなりの我侭でしたね。私はただ、貴方に自分の真意をお伝えしたかっただけなんです』

 

『最後のお願いを一つだけ、かなえて欲しいな』

 

「・・・・・はあっ、ぜえ・・・・・はあっ、ぜえ・・・・・」

両脚はもう既にガタガタで悲鳴を上げて従わなかったので、五代くんは小休止の為に立ち止まらなければならなかった。

 

『これで、完全に貴方への気持ちを捨て去る事が出来ました』

 

「俺は本当に馬鹿だ・・・・、今も・・・・はあっ・・・まださっきの・・・事を・・・はあっ、ぜい・・・・思い・・出している・・・・」

五代くんはショーウインドウに逆さまに映った自分を見て、自己を咎めることを禁じえなかった。

 

『五代先生、さようなら!』

 

この時ショーウインドウの硝子に映った自分は己ではなかった、しかも八神さんが手を振って別れの挨拶をしている時にしたあの爽やかで朗らかな笑顔の様子・・・。

五代くんはその残像を思い出し、苦々しく笑わざるを得なかった。

 

「八神・・・俺は君に謝らないといけない・・・俺は・・・俺は更に響子へ謝らなければならないんだ・・・・」

「今日のこんな無残な結果は全部、俺の責任だ・・・・全ては俺のこんな優柔不断な性格によって造成されたんだ!」

 

『今ならまだ取り返しがつくんじゃない?』

 

こずえちゃんの言った言葉が丁度その時、脳裏に響き渡った。

 

「こずえちゃん・・・俺は君にも謝らないと・・・・」

五代くんの目付きは段々と引き締まって来た。

 

「だけどこずえちゃん、君の言う事は正しいよ。状況はまだ挽回不可能な所まで悪化していない筈だ」

五代くんは再び一刻館へ向かって駆け出して行った、だが既にそれは雑念を追い払う為にダッシュしたのでは、もう無かった。

「ばうばうっ!」

 

五代くんは惣一郎の頭を撫でた後、一刻館の古いドアを押し開けた。

 

「帰って来たのかい?五代くん」

中に進むと、人待ち顔の一の瀬さんが自分を待っていたことが分かった。

 

「響子は?」

五代くんは確認した。

 

「管理人さんなら泣きながら帰って来たかと思ったら部屋に鍵を掛けて閉じ篭もってしまってさあ、あたしらが何をどう聞いても答えてくれなくてねえ、一体全体どんな事件が起こったんだんだい?」

一の瀬さんは本当に憂鬱そうに尋ねた。

 

「あんたが彼女を激怒させたんじゃあないの?」

朱美さんが問い糾した。

 

「まさかあなた、八神さんと何かしたんじゃないでしょうねえ?五代くん・・・・」

四谷さんが前に出て聞いて来た。

 

「みんなは一体どんな事件が起きたのか理解出来るんですか?」

二階堂くんも疑問を述べた。

 

「皆さんには説明しますから、ちょっと待って下さい!先ずは僕に響子と話し合わせて下さい・・・・」

五代くんは彼らを放って、管理人室の前まで直行した。

 

「響子、俺だ」

五代くんはそっと話し掛けた。

 

扉の向こうから小さな物音が響くのが聞こえた。

 

「先ずは俺を中に入れて話をさせてくれ」

 

しばらくして、管理人室の扉がゆっくりと開かれた。

泣き腫らした目の響子さんがそこに立っていた。

 

「響子・・」

 

「駄目・・・!あなたは何も言わないで!これは私自身の問題、自分だけの力で解決しなければ・・・・」

響子さんは五代くんが言葉を紡ぐのを阻止して、一の瀬さんに向かって言った。

 

「一の瀬さん・・・・」

 

「何だい?」

 

「すみません、暫く私に代わって春香の面倒を見て下さいませんか・・・」

 

「ああ。問題無いよ、春香ちゃんは今は丁度うちの部屋で眠っているしね。だけど・・・・」

一の瀬さんは五代くんに視線を投げ掛けた。

 

「・・・・響子」

五代くんは耐え切れずに話しをしようとした。

 

「話し掛けないで!・・・・お願い」

響子さんの瞳には哀しみが充満し傷付いていた。

 

「五代さん、ごめんなさい・・・・」

 

「!」

五代くんの身体がビクッと震えた。

 

「あなたは暫く5号室で暮らして下さらないかしら・・・・?今の私には時間が必要なの・・・」

響子さんは俯いてうな垂れたまま夫の五代くんに頼み込んだ。

 

「・・・・分かったよ!」

五代くんはそう答えた。

 

「ごめんなさい・・・・」

響子さんはとても暗い表情でそれだけ言うと、管理人室内に戻った。

 

部屋の扉が閉じられるまで待った後、五代くんも四谷さんだけでなくみんなも、一言も喋らず5号室へと足を運んだ。

 

「五代くん、一体何が起きたの?」

全員が5号室で議論を紛糾させた。

 

「・・・・・」

五代くんは畳に座ったまま、沈黙して一言も語らなかった。

 

「これまでどんな事件が起きても管理人さんは、ああはならなかったよ」

一の瀬さんはそう言葉を漏らした。

 

「五代くん、話しとくれよ、ひょっとしたらあたしらであんたを助ける事が出来るかも知んないよ」

 

「実はですね・・情けない話ですけども・・・・こういう事なんですよ・・・・」

五代くんはゆっくりと状況の経過を説明し始めた。

 

「そんなこったろうと思った・・・・」

朱美さんが呟いた。

 

「彼女の態度から判断するとさあ、あんたら二人の接吻事件で腹を立てたっていう感じじゃあ無いように見えるけどね」

一の瀬さんはそう言った。

 

「僕もそうだと思います」

五代くんはそう語った。

 

「それじゃあさ、どんな事の為に?」

朱美さんが問うた。

 

「問題というのはやはり、今回の誤解がきっかけでしょう、だけど結局はそんな問題は考える道筋では無いと僕は思います」

五代くんは悶々とした表情で語った。

 

「全てはこの僕の優柔不断な行動が原因ですよ」

 

「今は自分を責めても何の解決にもなりゃしないさ、最も重要なのはさ、一体何が出来るのかを考える事じゃないかい?」

一の瀬さんはそう述べた。

 

「それじゃあ、どうすればいいんですか?響子は依然として、僕達がこの件を持ち出す事に対して強烈に拒絶したじゃないですか」

五代くんは無念そうに言った。

 

「そうだ、皆さんは管理人さんが最近、何でいつも早朝に出掛けるかご存知なんですか?」

二階堂君がみんなに疑問を尋ねた。

 

「離婚の手続きに行かれたのかも知れませんねえ」

四谷さんがボソッと呟いた。

 

「そんな筈は無いでしょ・・・・」

五代くんは言い返した。

 

「あっ?!」

全員が二階堂くんに注目した。

 

「そうだ!何で思い付かなかったんだろう?僕らは一番始めに響子が外出する理由と一体どこへ行っているのかを調べる必要が有りますよ」

五代くんは、はっと悟った。

 

「でも、どうやんのさ?彼女の後でも付けるの?」

朱美さんが疑問を呈した。

 

五代くんも沈黙する。

 

「思うんですが、もう既に他の選択肢は無いでしょう」

五代くんは言った。

 

「それはいつ行動すんだい?」

一之瀬さんが質問した。

 

「明朝から。既に時間は有りません」

 

「それもそうだね」

 

「それではこれで決定ですな、我々は解散としましょう」

 

全員、真っ直ぐに自分の部屋へと戻って行った。

五代くんは部屋の扉が閉まるのを見て、顔に落胆の表情を露わにした。

彼は窓の前まで行き、何をするでもなく窓の外の密集した人家の明かりを眺めた。

耳には微かに屋台のラーメン屋の叫び声が聞こえていた。

五代くんは溜息をひとつ、吐いて嘆いた。

 

『五代さん、ごめんなさい・・・・』

 

心の中に再度、響子さんのあの哀愁を漂わせた表情が浮かんで現れた。

 

「『五代さん』・・・・だって?」

五代くんは苦々しく笑わざるを得なかった。

 

「時間が逆流したみたいだな・・・そうですよね?『管理人さん』・・・・」

五代くんは夜空を見上げ、落胆して言った。

ほんの少しの日光も射さない早朝。

響子さんはそっと一刻館の入り口の大きな扉を閉めた。

 

「わん!」

響子さんは惣一郎を見てしゃがんだ。

 

「惣一郎さん、あなたもこんなに早起きなの?」

響子さんは惣一郎の頭を撫でた。

 

「惣一郎さん・・・いいえ・・・『シロ』・・・何故あなたにこの名前を付けたのかしら?・・・何でかしら? シロ・・・知っているの?」

「私はあなたの名前を呼ぶたびに、あなたの顔を思い起こせない・・・私は本当に・・・心が苦しくて痛い・・・分かりますか? シロ・・・いいえ・・・惣一郎さん・・・・」

響子さんは目に溜まった涙の粒を擦りながら、立ち上がった。

 

「ごめんなさい・・・惣一郎さん。私、行かなくちゃ、そうでないとわたし、また泣いてしまうわ」

扉の後ろで待機していた五代くんは、そこで静かになるのを待って恐る恐る扉を開けた。

 

「わんわん!」

 

「『シーッ』、声を出すなよ、さもないと響子に発見されて失敗してしまうだろうが」

五代くんは言った。

 

「んん?どうしたんだ?すっかり元気がないじゃないか・・・・」

 

「クゥーン・・・」

 

「そんな事じゃ駄目だろ!今のお前は響子の精神的な支柱なんだからな、もしもお前まで元気を奮い起こさなかったら、最悪だぞ」

五代くんは尚も続けた。

 

「一体・・響子はついさっき、お前にどんな事を話したんだ?声が小さくて、ちっとも聞き取れなかったんだ」

「このオンボロ扉にまだこんな防音壁としての能力があったなんて思いも寄らなかったよ・・・」

「ああ!しまった!あんまり遠くへ行かれると響子に振り切られて追い付けなくなってしまう!」

五代くんは数歩、歩くと振り向いた。

 

「惣一郎、元気出せよ!俺、仕事が終わったらお前に食い物買って来てやるからな」

そう言うと、響子さんの後を追い駆けて行った。

 

「響子、一体君はどこへ行こうと考えているんだい?」

五代くんは目の前の少し離れた響子さんの後ろ姿を見て呟いた。

 

「あれ?この方向、まずいな・・・」

五代くんは即座に響子さんを追い越す為に迂回して、自分の心に浮かんだ目的地へ走って行った。

大空は依然として黒い雲にびっしりと覆われ、一筋の日光も降り注がず、霊園を更に物寂しい感じに見せていた。

五代くんは音無惣一郎の墓石の前に立っていた。

 

「響子が毎朝ここへ来ているなんて思いも寄らなかった。惣一郎さん・・あなたは本当に幸せ者だ、だってそれは、響子は今もまだこんなにもあなたの事を大事に思っているんですから・・・」

五代くんは墓石に向かって語り掛けた。

 

「彼女の心の中では、あなたの地位はやはりまだ堅牢で打ち破れないですよ・・・だけど、それこそが僕の愛する響子なんだ。ほら、彼女が来ましたよ」

五代くんは惣一郎氏の墓石の後ろに生い茂る草叢に身を隠した。

 

響子さんは惣一郎氏の墓石の前で正座した。

 

「うう・・・・」

響子さんの目からは涙が堤防が決壊したかの如く流れ出て、両手で顔を覆ったが、少しも目の涙を遮る事は出来なかった。

 

「・・・・ごめんなさい、惣一郎さん。いつも、あなたの所に来るたびに私は泣いてしまうの・・・」

響子さんは目から涙が涌き出続けるに任せていた。

 

「けれど、ここでこうしなければならないのよ・・・そうでないと私は家で恐らく泣き出すのを我慢し切れないでしょうから・・・」

五代くんの心は締付けられて痛んだ。

 

「だけど私は耐え忍ぶことをいつかは終わらせます・・・裕作を・・いいえ五代さんと八神さんのキスした瞬間を目にしてから・・・」

「今はもう既に、彼のお蔭で気が付いたのよ、彼がこんなに私を心配するなんて考えたくない・・・惣一郎さん・・・私はどうすればいいの?」

響子さんは顔上面に流れ出た涙を擦って拭いた。

 

「あの日・・・そう、あの人が・・裕作が・・・五代さんが事故に遭ったと誤解した時に・・・私は本当に悪夢をさ迷いました・・その刹那、私はあなたが亡くなった情景を思い起こさざるを得ませんでした・・・」

「私は・・・私はもう一度、一人に孤独になる事が怖いの・・・惣一郎さん・・どうしてあなたは私と別れなければならなかったの・・・?」

響子さんは話しを続けた。

 

「わたしはもう既にあなたの存在を五代さんに置き換えてしまった・・・どうしてあなたの顔が私の心の中にもう出て来ないの?惣一郎さん、私はあなたの事が大好きなのに」

響子さんの涙が再びどっと溢れ出て来た。

 

五代くんは目を閉じて、苦悶の表情を浮かべていた。

 

「・・・惣一郎さん、あなたは私の再婚に反対だったのかしら?再婚以来ずっと、私は本当に怖かったの、他の人を好きになった後、段々ゆっくりと私達の記憶を薄めていく事が怖かったの・・・」

「ごめんなさい・・・私はあなたに背いてしまった・・・私とあなたの気持ちは見せ掛けだけのように変わってしまったみたい・・・私を信じて下さい、本当に決してそんな事は考えていません・・!」

響子さんは目を押さえて慟哭した。

 

暫しの間の後、響子さんの声が再び響き渡った。

「惣一郎さん・・・私は裕作と結婚すべきではなかったのかしら?」

 

背後から響子さんが立ち去る靴の音が聞こえて来て、五代くんはやっと身体を解放されたかのようであった、全身が麻痺したようにそこに座り込んでいた。

 

「やっぱりそうなんだ・・・惣一郎さん・・・俺はあなたが羨ましいよ・・・・」

 

『惣一郎さん・・・私は裕作と結婚すべきではなかったのかしら?』

 

五代くんは溜息を一つ吐いて、嘆いた。

突然、顔面に何か湿った物を感じた。

五代くんは頭をもたげて、陰鬱な暗さの天空を眺めた。

 

「雨か・・・・・」

 

 

 

 

(次回へ続く)

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